『南直哉(新書、実用)』の電子書籍一覧
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この世には、自分の力ではどうしようもないことがある。そのことに苦しみ切なく感じても、「生きているだけで大仕事」と思ってやり過ごせばいい――。「仕方なく、適当に」「万事を休息せよ」「死んだ後のことは放っておけ」など、心の重荷を軽くする後ろ向き人生訓。死者を求め辺境の霊場を訪れる人々、逸話だらけの修行時代、よい宗教とわるい宗教、親ガチャや苦の正体――恐山の禅僧が“生老病死”に本音で寄り添う。
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「前向きに生きる」ことに疲れたら、後ろを向いてもいい。人生、人間関係、恋愛、仕事…どうしようもないモヤモヤした感情を抱えているのなら、そっとページを開いてみてください。
「前向きに生きる」ことに疲れたら、後ろを向いてもいい。
「生きがいや夢を見つけなければ」
「友達を増やして人脈を広げなければ」
「今の仕事で結果を出さなければ」
といった、「○○しなければいけない」「○○すべきだ」という
思い込みや価値観に縛られていませんか。
そんな考えに違和感を覚えたり、心が疲れてしまうのなら、
別の生き方があります。
「生きる意味なんて見つけなくていい」
「人脈も友だちも要らない」
「置かれた場所で咲けなくていい」
本書には、いわゆる自己啓発書に載っているような、
前向きでポジティブな言葉や理想論は一切ありません。
長年にわたり、人の悩みやつらさと向き合ってきた禅僧である著者が、
うまくいかない現実・自分を受け入れ、どう生きていくかという、
まったく別の視点からのリアルなメッセージを伝えてくれます。
人生、人間関係、恋愛、仕事…どうしようもないモヤモヤした感情を
抱えているのなら、そっとページを開いてみてください。
きれいごとのない率直な38の言葉は、あなたの不安や迷いを断ち切る
きっかけになるはずです。
※本書は、2017年7月に弊社より刊行された『禅僧が教える心がラクになる生き方』を改題し、一部加筆・修正したものです。 -
救いはない、……かも。
死者を想うとはどういうことか。生きることの苦しみは何に由来するのか。曹洞禅の根本道場・永平寺に二十年、死者供養の聖地・霊場恐山に十年、“生きて在ること”の根源を問い続ける著者のブログ「恐山あれこれ日記」を精選し、編み直して一冊とする。よるべなき現代人におくる思索と洞察の書。 -
普通「仏教入門」と言えば、広汎にして複雑な仏教の思想・実践の体系、そしてその変遷の歴史などを、要領よく整理して大方の便宜に供する、という書物になるだろう。ということを十分承知の上で、今私が提出しようとしているのは、著しく個人的見解に着色され、偏向極まりない視点から書かれた入門書である。私はこれまで、仏教の思想や実践について、何冊かの本で自らの解釈を述べてきてはいるが、それを全体的にまとめて読める書物は出していない。そこで、ここらあたりで、自分の仏教に対する考え方を見渡せるものを作っておきたいと思った、というのが本書上梓の正直な理由である。しかし、これは要するに自己都合である。そこで、あえて読者の益になりそうなことを述べさせてもらえば、仏教を「平たく」解説する本などは、ずっとふさわしい書き手が大勢いるはずで、私に書かせても役にも立たないし、読んで面白くもないだろう。さらに言うと、およそ「平たい」記述など、私に言わせれば幻想にすぎない。すべては所詮書き手の見解である。ならば、本書ではその「見解」の部分を極端に拡大して、読者の興味をいくばくか刺激し、仏教をより多角的に考える材料を世に提供できたなら、そのほうが私の仕事としてふさわしいのではないか。こう愚考した次第である。(「はじめに」より)
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「師と出会ったことで、不信心についての私の苦がいくらか薄らいできているのを感じる。この歳でまた少し生まれ変わったようなもの」(高村薫)、「同時代に彼女がおられることは、救いとしか言いようがない」(南直哉)。ある作品を媒介に作家と禅僧が出会い、七年越しの対話が始まった。信心への懐疑、坐禅の先にあるもの、震災とオウム……はたして仏教は、人生のヒントとなるか。実存の根源的危機が迫る時代に、生死の覚悟を問う。
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「諸行無常(=すべての“実存”は無常である)」。そうブッダが説き始まった仏教は、インドから中国、そして日本へと伝わる過程で、「仏性」「唯識」「浄土」などの「超越的理念」と結びつき、大きく変化していった。「恐山の禅僧」が、ブッダから道元までの思想的変遷を「超越と実存の関係」から読み解く、かつてない仏教史の哲学。
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「坐禅」をする本当の意味とは?
“ブッダの教え”― その本質がわかる!
曹洞宗の僧侶で、現在「恐山」院代を務める著者が、
「悟りとは何か」「涅槃とは何か」「私とは何か」について、真正面から対峙する。
「悟りを開くために、坐禅をするのではない」―。
今までにはなかった、まったく新しい「アウトサイダー仏教論」。
「仏教」は何を問題としているのか?
● 人が「宗教」を求めるとき
●「なんとなく不安」―その正体を考える
●「死」そのものは誰にもわからない
● 老・病・死が“生存”の条件
● 一神教の“重さ”と仏教の“身軽さ”
● 何が“善”で、何が“悪”か
● 苦しいのは「自己」に根拠がないから
●「悟った上にも悟る」の真意
●「前向きに生きる」必要はない etc -
我々はどこから来たのか、そしてどこへ行くのか――。人類誕生以来、問われ続けてきたアポリア(難問題)に、脳科学者と禅僧が挑む。死はすべての者に平等に訪れる。けれど誰もが望んでこの世に生まれてくることはできない。つまり、「私」に根拠はないのだ。だからこその苦、だからこその人生。それでも、その苦しみを引き受け、より良く生きるための方法はある。無常の闇に射す一筋の光明を探すため、存在を賭けた脳と仏教の真剣勝負。
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日常生活の底に突如開く深淵――無常。根拠なき生をかかえ、「このままでよいのか」という想いにとらわれるとき、禅はラディカルな技術(メチエ)となる。永平寺の若き俊英が、釈尊・道元の教えを元に仏教思想を根幹から説き起こし、現代における禅の可能性を探る、アクチュアルな坐禅のすすめ。 (講談社選書メチエ)
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われわれはどのように存在しているのか――人間存在根本の問いに『眼蔵』はいかに答えるか。ヨーロッパ現代思想も凌駕する画期的思想書に気鋭の禅僧が己の実在を賭けて挑む、現代人のための入門書にして決定版。(講談社選書メチエ)
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気鋭の禅僧が「禅問答」で回答! 哲学的な問いから人間の真理に迫る。
生きる意味はあらかじめ存在しない。生きる中から作られるのだ――。人気のカリスマ禅僧が、誰もが一度はぶつかる根源的な問いに、「禅問答」のスタイルで回答。仏教の本質を知り、人間の真理にせまる画期的な書。
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