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――最新作『遠野物語remix』は、明治43(1910)年に書かれた柳田國男の『遠野物語』をベースにされた作品ですね。


京極
最初は単なる現代語訳のご依頼だったんです。柳田の『遠野物語』は不朽の名著ですし、百周年などで脚光を浴びましたから、今も手に取られる方は多いようです。でも、読み通すことができないという人も多いらしい。刊行から百年以上が経過しているので面白さが伝わりにくいのではないかというお話で。ただ柳田は名文家ですから、そのまま訳す意味はないと思いました。音楽にたとえるなら、再演奏ですよね。名演奏を今風に「リメイク」しても、別物になるだけだし、時にクオリティさえ落ちる。だから、オリジナルの音源を生かして、ノイズを取り去ったり音質や音圧を調整したりする「デジタルリマスター」的な作業をしようと考えたんですが、そこで気づいたんですね。伝わりにくいのは、単に文体の問題ではないのだろうと。そこで、トラックごとにバランスを変えたり、音を足し引きしたりして再構成する、「リミックス」に落ち着きました。


――それで「リライト」ではなく「リミックス」なんですね。原典にある一一九のエピソードの順番を並べ替えているのには驚きました。


京極
リミックスしたアルバムの曲順も変えてみたということですね。『遠野物語』は佐々木喜善という人物が語った岩手県遠野のエピソードを柳田が書き記したものです。内容的には世間話、怪異譚から神話、昔話、民俗儀礼や信仰などさまざまなんですが、配列はバラバラなんですね。おそらく柳田にとって話の順番はさほど重要じゃなかったんでしょう。しかし、そのせいで意図の掴みにくい本になってしまっている。親切なプレゼンテーションに馴れている現代の読者に向けてアップデートするなら、順番にこそ手を入れなければならないと思いました。


――本編は「A part」「B part」「C part」三つのパートに区切られていますね。これはどんな方針で?


京極
傾向や土地、登場する人物など、分け方はいくつもあったんですが、どれもしっくりこなくて、結局「現代からの距離」みたいな、多少見えにくい整理の仕方をしてみたんですね。Aパートは土地柄から世間話、Bパートは信仰から怪異談、Cパートは昔話や神話ですね。現代から過去へ、というパースペクティブを導入してみたら案外すっきりとまとまった気がします。原典の「序文」は長いので、これも分割して、対応するパートと合わせて読めるようにしました。コンセプトを変えるのではなく、より伝えやすくしようとしたんですが、順番は大事ですね。


――三つのパートを「opening」と「ending」が挟みこむ構成になっています。


京極
この手のものはパッケージ化しなくてはいけないと考えたので。今回はテレビ番組ですね。僕の作品はおおむね「劇場用映画しかも三部作」的なボリュームなのですが、今回はテレビドラマ一回分、CM抜きで45分くらいのものにしたいなというのもあって。原典の巻末には遠野に伝わる「獅子踊り」という踊りの歌詞が長々紹介されていて、だいたい無視される部分なんですが、カットはしたくなかった。でも、どう扱うか困って、そうだ、エンディングのテーマ曲にしようと(笑)。



■主人公、柳田國男の心に沿って

――遠野の情景が目に浮かぶような、現代語訳も素晴らしいですね。


京極
そもそも柳田國男の文章が情景が目に浮かぶような名文なんです。ただ、百年たって読み手側の常識もモチベーションも変わってしまいましたから。たとえば今の人は「炭焼き小屋」と言われてもどんなものか想像ができない。「炭焼き小屋を覗く怪しい女の」絵が浮かびません。普通の現代語訳なら補注をつけるんでしょうが、それはしないで、本文で補うようにしました。柳田も明治43年の時点で分からない言葉には説明を加えているので、それにならった形です。


――原典は地名や人名もたくさん出てきて、分かりづらい印象がありました。


京極
脈絡なく出てくるので気づかなかったり、混乱したりしますね。関係性が理解できたほうが面白いなと思えるものについては、補う努力をしました。


――心理描写もプラスされていますが、京極さんの解釈は入っているんですか?


京極
そのへんは、小説を書くのと全く同じです。登場人物の行動様式や考え方は、作者である僕の行動様式や考え方とイコールではありませんね。全然違う。今回の主人公は柳田國男です。小説の中で、主人公の柳田が佐々木喜善の話を聞いて、感じたままに綴ったというスタイルですね。まず喜善の解釈があって、柳田の解釈がある。だから僕自身の解釈なんかは入り込む余地がない。ただ、「柳田ならこう考えただろう」というところは、原典から僕が汲み上げた想像になるわけですが。だから原典に柳田の感想などが挿入されている場合は、僕個人の考えと区別できるように一人称を「私(柳田)」と表記しました。


――「此書を此国に在る人に呈す」というあとがきは京極さん自身によるものですね。この意図するところは?


京極
前書き、後書きを入れたらどうだと言われて。ただ僕は昔から後書きって好きじゃないんです。面白く読んでも後書きに「書くのが大変でした」とか書いてあると全部ふっとんじゃう(笑)。作者が顔出すのはNGだなと。だから前書きはパロディに、後書きは一行だけにしました。柳田は『遠野物語』の冒頭に「此書を外国に在る人に呈す」と書いてます。当時外国に滞在している日本人に向けて、読んで故郷を懐かしんでほしい、くらいの意味だったんでしょう。現代では日本人全体にとって、明治期の遠野が当時の外国のように遠いものになっている。なら、この言葉で締めくくるのが適当じゃないかと。



■気楽に、プレーンに読んでほしい

――小学生の頃から『定本柳田國男集』を読んでいたそうですね。『遠野物語』とはどのように出会ったのでしょうか。


京極
柳田は『一つ目小僧その他』から読み始めて、『遠野物語』を読んだのはだいぶ後になってからですね。中学生くらいだったかな。面白いことは面白かったんですが、他の本に比べると実は読みごたえがなかったんですよ。名著だという刷り込みもなかったし、そもそも論文じゃない。構築性、論理性みたいなものは皆無でしょう。物事をこんな風に考えることもできるんだという知的興奮がなかったので印象が薄かったんですよ。


――それを求める小中学生というのも珍しいですね(笑)。


京極
ただ後になって、この本には柳田の学問の〝動機〟がすべて詰まっているんだということに気がつきました。柳田は「あるべき日本の姿」を追い求めて、都市よりも地方に、現在よりも過去に旅をした人です。柳田の学問体系はそうしたロマンティックな憧憬に支えられている。おそらく若い頃の柳田は、佐々木喜善から『遠野物語』のもとになる話を聞いて、ものすごく興奮したんだと思います。何だかわからないけど山深い村の話にドキドキする。その感情を否定するのではなく肯定しようとした結果、いわゆる柳田民俗学が誕生したのじゃないでしょうか。


――まさしく柳田國男の出発点と言える本なんですね。


京極
たぶん『遠野物語』を書いた時点で、柳田はまだ自分が何にドキドキしているのかよくわかってなかったんでしょう。序文に「一字一句をも加減せず感じたるままを書きたり」とあるのはそういうことじゃないかと。わからないから河童の話からお正月の習俗まで、とにかく全部書いておく。話の順番に無頓着なのも、自分のための備忘録という意味合いが強かったからじゃないかと思うんですね。


――今回のリミックス版では、柳田の憧憬がひしひしと伝わってきて感動しました。では最後に『遠野物語』にも柳田國男にも馴染みがない、という読者に向けてメッセージを。


京極
あまり先入観を持たずに、プレーンな状態で読んでもらうのが一番いいと思います。まずは気楽に読んでみてほしいですね。もし読んで面白いと思ったら原典に当たってほしいです。ちょうど角川ソフィア文庫から「柳田国男コレクション」が刊行されていますからね。宣伝したいわけじゃないけど、これだけ安価に柳田の文章が読めるなんて幸せですよ。『遠野物語remix』がその入口になってくれればいいなと思っています。


【著者プロフィール】
京極夏彦 きょうごく・なつひこ
1963年北海道生まれ。1994年「姑獲鳥の夏」でデビュー。1996年『魍魎の匣』で第49回日本推理作家協会賞長編部門、1997年『嗤う伊右衛門』で第25回泉鏡花賞受賞。2004年『後巷説百物語』で第130回直木賞受賞。2011年『西巷説百物語』で第24回柴田錬三郎賞受賞(3月23日には文庫版が発売したばかり)

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