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『実用、女子パウロ会』の電子書籍一覧

1 ~40件目/全40件

  • 770(税込)
    著:
    森一弘
    レーベル: ――

    人々を喜びに巻き込むことができる知らせ、それが福音。しかしキリスト教を伝えるということを考えるとき、長い歴史の中で深められ研究されてきた神学、教義、霊性ということばが出てくる。聖書の中に登場する人々はみな、イエスに出会って喜びを感じている。過去の歴史から離れて、原点であるイエスとの出会いがどのような喜びを与えてくれるのか。今新しくつかみ直すために、森一弘司教の導きをいただこう。
  • 悩む人、苦しむ人、悲しむ人、困っている人をほっておけない晴佐久神父の祈りの本が出ました。「お祈りしたい。でも、祈りってどうすればいいの。何を言えばいいの」と言っている人に、77の祈りを提示しています。「試練のとき」「人々と共に」「結ばれた者として」「苦しみの中で」「救いを求めて」「選ばれた者として」「死から命へ」「人生の歩みをゆだねて」などのテーマに分かれた祈りの中に、きっとあなたの心に寄り添う言葉があるはず。また、晴佐久神父のことばで祈っているうちに、自分のことばで祈れるようになります。なぜなら、天の父は、おさなごのような心の者を受け入れてくださるからです。自分の思いをそのまま祈りに。
  • なぜかわからないが、祈りたくなるときがある。心を何かに向けたくなるときがある。そんなときに手に取りたくなるのが、この小さな祈りの本です。聖書のことばで祈るとき、聖書の世界が広がり、神がわたしに語りかけてくださることを感じます。この祈りを唱えていると、まるで自分のことばで祈っているかのように感じます。そう、この『愛のいのり』は、わたしの思いがあふれている祈りなのです。この本は、いつもカバンの中に入れて持っていたくなる祈りの本です。
  • 粕谷甲一神父の講話を集めた「キリスト教とは何か」シリーズの最終巻。話は、日本の転機を振り返り、そこから新しい世紀を迎えた日本の教会が未来へと向かう姿を描く。「アジアの宣教と幼き聖テレジア」、「傷ついた癒やし手」をタイトルにした話から、粕谷神父の思索を学ぼう。
  • 粕谷甲一神父の講話を集めた「キリスト教とは何か」シリーズの第9弾。混迷する時代、心が砕け、人間関係がもつれ、悪霊が働いて悪霊が働いて熾烈な内戦が続き、毎日40代、50代の男性が死んでいく。いくら懸命に努力しても認めてもらえず、ひとりの世界に閉じこもり、人もうらやむエリートコースを卒業しても、対人関係が下手で何をやっても長続きしない。このような中で、どのように進んでいったらよいのか、このような人にどのようにことばをかけたらよいのか。粕谷神父の思索に学ぼう。
  • 「神」と聞いて、日本人はどのような神を思い描くのだろうか。「神頼み」「神も仏もあったものではない」「八百万の神」。家の中に神棚と仏壇が共存している家に育った日本人は、神に何を期待するのだろうか。神頼みの神、災害や事故がもたらす人生の苦と悲しみ、怒る神から憐れみの神へ、キリスト教に対する戸惑い、一神教の神の難しさと魅力、遠藤周作のキリスト教との遭遇、キリスト教がもたらした福音、神理解など8つの章からなる。遠藤周作とのやりとりをとおして、キリスト教の神へと進む。
  • 『生きるためのひとこと』というタイトルの本を出版する以上、それなりの責任と覚悟が必要だった。このようなタイトルを見て本を手にする人の中には当然、生きていく意味を見失ったという人や、もう死んでしまいたいと思っている人もいるだろう。もし、あなたがそんなひとりなら、せめて最後の一編、「わたしは、生きる」だけでも読んでほしい。あなたは、本当に生きたいと願っているし、生きるためのひとことを求めているからこそ、この本を手にしたのである。この本はそんなあなたのために書いた。」(あとがきより)「おはよう」「行ってきます」「はい」など、日頃口にする言葉に救われるときがある。そこに秘められたエピソードを語る。
  • 粕谷甲一神父の講話を集めた「キリスト教とは何か」シリーズの第8弾。カトリック教会の中では、「霊性」という言葉をよく使います。イエズス会の霊性とか、深い霊性とか、現代の霊性とかに使いますが、「霊性」とは何かと問われると、ひとことで答えるのはもったいないような、奥の深い内容を持っています。本書では、粕谷神父の講話の中から「霊性」について語っている内容を集めてみた。聖イグナチオが形作った「霊操」、ダライ・ラマ、マザー・テレサ、フランシスコ・ザビエル、聖霊体験などをとおして、新しい時代の「霊性」をさぐるとともに、司祭職についても考えます。
  • カトリック教会東京区補佐司教として活躍し、今は東京・信濃町にある真生会館理事長として講演・執筆活動、黙想指導などをしておられる森一弘司教の、いろいろな機会に依頼された文章を集めたもの。現代社会のゆがみの中で、複雑な人生の現実に傷つき、だれにも相談できず、わらをもつかむような思いで、森司教のもとを訪れる人が多い。そのような人々に光となるようにという思いを込めて出版された。ひとりひとりはかけがえのない存在であり、みな、それぞれオンリーワンである。人は、どんな闇の中にあっても幸せを求めることができるものである。生きていることの不思議さに目覚め、いのちの奥深さを知るための大切な一冊となるだろう。
  • 粕谷甲一神父の講話を集めた「キリスト教とは何か」シリーズの第7弾。2017年3月5日、キリシタン大名「ユスト高山右近」が福者の列に加えられる列福式が、右近ゆかりの地である大阪で盛大に行われた。同じ時期に、紙本として本書は刊行された。400年前の高山右近が、なぜ今、信仰の模範として教会から栄誉を受けたのだろうか。本書全体をとおして、その答えへと導いている。迫害と殉教―昔と今、殉教ところびを越えて、現代の殉教とルドビゴ茨木、遠藤周作の「沈黙」、マザー・テレサとの出会いなど、粕谷神父の深い祈りと洞察をとおして、現代社会の迫害、殉教の意味を考える。
  • 江戸時代のキリスト教は禁教とされ、信者たちは信仰を隠して守っていたが、明治に入っても神道以外の宗教は排斥され、キリスト教への排撃は徹底されていた。そんな中、信仰を捨てなかった出津の人々は、明治12年(1879年)早春、フランス人の宣教師を迎えた。ド・ロ神父がその村で最初に目にしたものは、あまりにも貧しい人々の暮らしだった。「なんとかしなくては……。そうだ、村人が仕事をもって自立すること!」農業、医療、教育、井戸掘り、そうめん作り、さまざまな福祉活動に神父は献身した。彼の周囲には、出津の娘たちが集まってきた。「ド・ロさまそうめん」、「ド・ロ壁」で知られる、宣教師ド・ロ神父と出津の娘たちの体験記。
  • 日本史の年表を覚えるとき、「いごよろしく」と言って暗記する出来事「キリスト教伝来」。宣教師たちの来日によって日本にキリスト教が伝えられた。その最初の宣教師フランシスコ・ザビエルの波乱に満ちた生涯の物語。世界一周の航路が開かれた大航海時代、冒険に満ちた時代が始まると、キリスト教宣教師たちも次々と新世界に出ていった。フランシスコ・ザビエルも東洋への宣教を目指して出発した。ザビエルが日本にやってきたきっかけは、マラッカの町で日本から逃亡してきたヤジロウとの出会いだった。ヤジロウに案内されて1549年(天文18年)、鹿児島の地に足を踏み入れた。それは、日本の心とヨーロッパの心の出会いともなった。
  • 1982年4月、マザー・テレサが2度目の来日をしたときの講演をまとめたもの。マザー・テレサは、いくつもの主催者から招かれて講話をし、質問に答えるなどして、人々との交わりを深めた。被爆地長崎を訪問したときの記者会見、長崎での子どもたちの質問、生命の尊厳を考える特別講演会、上智大学や暁星学園、筑紫女子学園での講演、宝塚・青年会議青年商工会議所主催の「愛と平和の集い」、内閣官僚と国会議員との朝食会、共労者会での交流など、さまざまな場を訪れている。語ることばからは、マザー・テレサの神に向かう姿を垣間見ることができる。集まった人々に紹介しているマザー・テレサの祈りを、毎日の祈りとして唱えたい。
  • 770(税込)
    著:
    奥村一郎
    レーベル: ――

    日本人になじむ形でキリスト教を紹介し続けてきた奥村一郎神父の随想。著者は次のように書いている。「人々が神様の恵みを願いながら、大人も子どもにかえって、ふだんの忙しさも忘れ、一日中、神様とあそぶ楽しい日。祈りや宗教というのは、本来そうした、楽しいもの、易しいものではないのだろうか。人間にとって、「真理と愛と祈り」とは、三位一体のものであり、それらを統合する中核には、単純な「遊びの原理」が深く息づいている。幸福なようで複雑な現代社会の中で真の幸福を見いだす道を読者とともに考える小さな機会となればと思う」。日常のできごと、出会い、ことばへ気づきの中で見いだしたことを、やさしく綴っている。
  • 粕谷甲一神父の講話のシリーズ、第6弾。カトリック教会では、11月を「死者の月」とし、亡くなった方のために祈り、自分の死についても考え、よい死を迎えることができるよう祈る。今回の入口は、「死」について。いのちの始めも終わりも神秘である。今を生き生きと生きることこそ死を越えていくいのちとなる。しかしそれをも奪われたとき、何が残るのか……。いのちとは、生きる意味とは。その他、人生の最大のテーマである幸せ、キリスト教の真髄である三位一体の神、そして自己実現へとテーマは進んでいく。
  • 1979年にノーベル平和賞を受賞して世界的に有名になったマザー・テレサが初めて日本を訪れたのは、1981年4月のことです。本書は、7日間の滞在期間に、司祭や修道者たちの集まり、国連大学での会議、上智大学、宗教者たちの平和会議、いのちの尊厳を考える女性たちの集まりなどで話された、マザー・テレサの講話を集めたものです。マザー・テレサに出会った人々は、その小さな姿だけでなく、その口から出る真実の言葉に胸を打たれました。さらに秒刻みのスケジュールの合間に、東京の山谷、大阪の愛隣地区を訪れて貧しい人々と出会いました。マザー・テレサの言葉は、時間を越えて、今もわたしたちの心に深く呼びかけています。
  • 粕谷甲一神父の講話のシリーズ、第5弾。大江健三郎とキリスト教について触れたあと、日本中を震撼させたオウム真理教の事件、統一教会の世界へと入っていきます。若者、特にエリートはなぜオウム真理教に引きつけられたのか。復興、高度経済成長、バブル崩壊という戦後の日本社会の歩みの中に、イエスの姿を探します。
  • 550(税込)
    著:
    奥村一郎
    レーベル: ――

    世界中、どこのカトリック教会に行っても聖堂の壁に「十字架の道行」が並んでいます。それは14~15枚のレリーフや絵で、ゲッセマネの園でのイエスの祈りからはじまって、十字架刑で亡くなり、葬られ、復活するという、イエスの人生の最後の3日間の出来事が、場面ごとに描かれています。人々は、その絵の前を移動しながら祈ります。本書は、日本人の感性からキリスト教を極めていった奥村一郎神父が祈った3種類の十字架の道行と受難の復活の黙想を納めたものです。祈りは、一般向き、思索的・神学的なもの、聖書をもとにしたもので、持ち歩きに便利なポケットサイズで、イエスの心を親しく感じて祈ることができます。
  • 660(税込)
    著:
    晴佐久昌英
    レーベル: ――

    ひとりひとりを大切にし、その人に必要な言葉を語りかける晴佐久神父。彼は、神さまのことを「神」という言葉使わずに伝えたいをモットーに、教会で、書籍をとおして、インターネットの世界で活躍しているカトリックの司祭です。言葉を大切にしている晴佐久神父は、愛する、謝る、待つ、病む、死ぬ……など、生活の中で使う50の動詞を選んで、その言葉をしっかりと受け取り、言葉を楽しみ、その奥を探っていきます。晴佐久神父が発する言葉を読むとき、あなたの心は、慰められ、力を受け、愛で満たされるでしょう。晴佐久神父は、この星に生まれた仲間と、言葉をとおしてもっと出会いたいと望んでいます。
  • 鎖国時代が終わり、日本が近代国家として歩みはじめた明治4年(1871年)、アメリカ、ヨーロッパの諸国をめぐり各国の元首たちをたずねる岩倉具視ら50人の使節団が、長い旅の後イタリアのベネチアを訪問した。そこで訪れた古文書館の係員から、280年前に日本から来た使節たちの手紙7通を見せられた。天正少年使節と、支倉常長の使節の手紙だった。関ヶ原の戦いよりも前に、使節団が派遣されていたことを岩倉は知らなかった。禁教令の中、キリシタンたちの歴史は抹殺されていたからだ。キリシタン大名たちから派遣された4人はどのような少年たちで、どのような使命を託されて、数年に渡る命がけの旅に出、どのような運命をたどったのだろうか
  • 聖書の受難の場面では、十字架のもとにたたずむ姿しか描かれていませんが、イエスの母マリアは、十字架を担って倒れながら歩くイエスをじっと見守りながら、ゴルゴタの丘まで歩んで行ったことでしょう。本書は、イエスと心をひとつにしている聖母に祈りながら歩む十字架の道行きです。母親になんでも話す子どものように、聖母マリアに、わたしたちのお願いしたいことをすべてゆだねて祈っています。わたしたちも、聖母のように、隣人の必要のために心を向けながら、十字架の道行き歩むことができますように。祈りの中で描くシスターキム・オクスンの絵が、わたしたち祈りを深めてくれます。
  • マザーテレサの思いで満ちた言葉を集めた、小さな本。愛、希望、平和、祈りについて語るマザーの言葉は、私たちの心に大きな慰めを与えてくれます。ポケットの中に、カバンの中に、この本をいつも入れてお持ちください。必要な時にすぐ開いて祈ることができます。マザーの言葉は、わたしの想いを祈りに変えてくれます。
  • 粕谷甲一神父の講話のシリーズ、第4弾。イエスの苦しみを黙想する四旬節にふさわしい内容です。わたしたちと同じように苦しまれた神の子であるイエスは、苦しむ人々のことを理解し、傍らに立ってなぐさめています。そこに神の愛があらわされています。わかりやすく神について教える粕谷神父のお話をとおして、神が招かれる苦しみの意味を深めてください。目次:神よ あなたも苦しまれるのか-神の愛し方の神秘/宴とささげ カーニバルの笑いと涙/かたすみの人、聖ヨセフ-教会の守護者、臨終の支え/試金石について-飛躍と転落のあいだ/ふっきれてつながること/忘れな草-キリストの思いとしるし/正しく生きれば幸せになるか-せみの願い。
  • 関ヶ原の戦いが終わり徳川家康が天下の実権を握ったころ、通訳として活躍していたロドリゲス神父は、伏見の町にある家康の大奥の侍女の中に、朝鮮の若い女性の信者がいることを知り、ローマのイエズス会本部へ送る報告書の中に記しました。彼女は美しい娘で、熱心に信仰の道を歩んでいました。この報告書から2年後、ジュリアは伏見から江戸城に移ったことが、フランシスコ会のムニョス神父の報告書に書かれています。この中では、「ジュリア」と名が記されていました。ジュリアはいつ、どのようにして朝鮮から来たのでしょうか? この後のキリスト教禁令の時代の中で、果たして信仰を生きることができたのでしょうか?
  • 粕谷甲一神父の講話からのシリーズの3冊目です。静かな夜、集まっていた羊飼いたちに、ラッパが響いて天使の群れが現れ、「今夜救い主がお生まれになる」と告げます。「一人ひとりには生涯の支えとなるトランペットの響きがある」が今回のテーマです。「アリの街のマリア」と呼ばれた北原さんは、その生涯を貧しい人々のために尽くしました。アリの街がこれ以上存続できないというときに、神がかかわってくださいました。トランペットが鳴り響くときとは、どういうことなのか、粕谷神父のお話をお読みください。
  • 粕谷甲一神父の講話からのシリーズ、2冊目のタイトルは「救われるのは誰か」です。ドイツの神学者カール・ラーナーに師事し、青年海外協力隊や海外で働いた経験から、日本での宣教活動への思いをつづっています。最初の講話は、国民的スター水戸黄門にまつわるお話から始まります。黄門さまが悪代官に向かって言う「おまえたちはお天とうさまが見ていたことを知らないのか」ということばから始まります。アッシジの聖フランシスコや、さだまさしさんの「風に立つライオン」などを取り上げながら、身近なことから、日本人が求めている宗教性の深い部分へと入っていきます。
  • 本の町・神保町を一軒一軒歩いていた筆者は、古書店で江戸の絵地図を見つけた。絵地図の中に、自分の生まれた町を探していたところ、「キリシタンロウヤシキ」という小さな文字を見つけた。そこは、地下鉄丸ノ内線の茗荷谷駅の近くにあたる。「いったいここにどんないわれがあるのだろう、どんな屋敷があったのだろう。この牢に閉じ込められた宣教師やキリスト信者たちはどのような生活を強いられたのだろう。キリシタン屋敷の物語をひもとくために、江戸におけるキリシタンの歴史を振り返る旅が始まった。
  • 2011年に粕谷甲一神父が亡くなった後、神父の講話集が編集部に送られてきました。1991年から2008年までの150回にわたる講話からの、シリーズ1冊目。時代を象徴する出来事や社会状況、日本の慣習の中で感じることをとおして、その中に垣間見られるキリスト教の神秘が語られていました。ドイツの神学者カール・ラーナーに師事し、青年海外協力隊や海外で働いた経験から、難しいとされるラーナーの神学を日常生活の中に生かそうとし、また、キリスト教を知らない人が多い日本で、どのようにしてキリストを伝えるかを考えました。「結局キリスト教とは、生き方の中にある」と悟り、暮らしの中で感じる神の働きを伝えています。
  • 770(税込)
    著:
    奥村一郎
    レーベル: ――

    東京大学在学中に、禅の世界からカトリックに改宗した奥村一郎師は、卒業後、フランスのカルメル会に入会し、司祭に叙階された。2年後に帰国してからは、他宗教との対話・交流にかかわり、キリスト教を日本人の感性から説いていった。祈りについて書かれた本書も、日本人独特の宗教心にそっている。初版は1974年だが、2008年に20刷を迎えたロングセラーだ。祈りとは単純なものであり、一方、生涯にわたって追求するに値する奥深いものである。呼吸のようなものであり、貴重な宝である。人間に欠くことのできない祈りについて、わかりやすく語っている本書は、新書版の200ページ足らずの本だが、祈りの導入の書としてまた解説書として名著である。
  • 聖パウロ女子修道会初代総長シスター・テクラ・メルロの伝記。20世紀初頭、ヨーロッパでも女性の社会進出は少なかった。まして、マス・メディアを使っての宣教に乗り出す女性は。イタリアの寒村カスタニートに生まれたひ弱な娘は、創立されたばかりの聖パウロ修道会の創立者ヤコブ・アルベリオーネ神父の指導のもとに立ち上がる。彼女は、知恵、祈り、宣教への情熱、愛、毅然とした生活で、神のみ旨に対する温順さに卓越し、絶え間なく神に向かって上昇しつづけた人であった。現在、彼女の信仰を受け継ぐ会員は、世界50か国に散在し活躍している。
  • 880(税込)
    著:
    森一弘
    レーベル: ――

    人々、特に悩み苦しむ人、社会の隅に追いやられた人、顧みられない人、悲しむ人のよき理解者、指導者として、独自の霊性を培っているカトリックの森一弘司教の聖書の黙想書。生活に密着した内容で、親しみながら読み進むことができる。聖書の登場人物によりそいながら、第一部はあわれみの神秘、第二部は罪の神秘、第三部は愛の神秘と題し、イエスをとおして神とのかかわりが深まっていく。第四部の祈りの神秘では、福音書の中に見られるイエスの祈る姿をとおして、祈りの意味や祈りの方法についてわかりやすく記しているので、ここから読み始めるのもよいだろう。本書をとおして、イエスや聖書を親しく感じるようになるだろう。
  • 第二次世界大戦で負け、東京が焼け野原になり、家族を亡くし、夜寝る場所を失った人が大勢いました。隅田川の、言問橋のそばのバラック小屋が集まる場所には、力を合わせて一緒に生きていこうという人々が集まっていました。小さな街は「蟻の町」と呼ばれ、彼らは廃品回収をして生計を立てていました。しかし、廃品は汚く、臭いがしたので、人々から嫌われていました。ある日、きれいな着物を着た若い女性が訪ねてきました。大学教授の令嬢として、何不自由なく暮らしている北原玲子でした。どうして、彼女はこの汚い街にやってきたのでしょう。これは、「蟻の街のマリア」と呼ばれた北原玲子の短い生涯を描いた物語です。
  • カトリック教会の中には、修道会という、男性・女性のグループがあります。彼らは、家族のもとを去り、貞潔・清貧・従順という3つの誓願を立て、生涯を神にささげて生きます。「どうしてシスターになったのですか?」「シスターになるには、どのようにしたらいいですか?」「神さまの声って聞こえるのですか?」このような質問をよく受けます。『神の呼びかけを聴いて』は、聖パウロ女子修道会(女子パウロ会)のシスター12人による、シスターになったいきさつを綴った手記を集めたものです。なぜシスターになったのでしょうか? どのようにして修道院に入ったのでしょう? 神の呼びかけとは? 12人のドラマをお読みください。
  • 1865年2月19日、フランス人のために建てられた大浦天主堂の献堂式が盛大に行われた。しかし、時は江戸幕府の禁教令下。外に出ることはできなかったプチジャン司教は信徒たちが訪れるのをじっと待っていた。1か月後の3月17日、15人ほどの人々が、天主堂の前にやってきた。一人の女性が、祭壇の前で祈っているプチジャン神父のそばでささやいた。「ワタシノムネ、アナタトオナジ」「サンタ・マリアのご像はどこ?」司教の心は高鳴った。「信徒発見」の出来事である。プチジャン司教はなぜ日本にやってきたのか。禁教下の250年の間、信徒たちはどのようにして信仰を子孫に伝えていったのか、日本のキリスト教にとって、節目となる激動の時代を描く。
  • 神さまを信頼して、単純な心で生きたシスターテクラ・メルロのことばを集めました。短いことばの中に、忘れていた心の軸を見出し、勇気がわいてくるでしょう。※この商品は紙の書籍のページを画像にした電子書籍です。文字だけを拡大することはできませんので、予めご了承ください。試し読みファイルにより、ご購入前にお手持ちの端末での表示をご確認ください。
  • 385(税込)
    著:
    大瀧玲子
    イラスト:
    三木節子
    レーベル: ――

    聖書や名言から、愛についてのことばを集めました。※この商品は紙の書籍のページを画像にした電子書籍です。文字だけを拡大することはできませんので、予めご了承ください。試し読みファイルにより、ご購入前にお手持ちの端末での表示をご確認ください。
  • 大きな夢を抱いて修道会を創立したヤコブ・アルベリオーネ神父が語る、高い理想に向かうことばは、多くの若者を魅了しました。夢に向かって、ひとつずつ困難を乗り越え一歩一歩前進していった人の、力ある知恵に満ちた短いことば集。いつも手元におき、折りあるごとに開いて、人生の糧としたい一冊です。人生の節目に当たるときのプレゼントとして最適です。※この商品は紙の書籍のページを画像にした電子書籍です。文字だけを拡大することはできませんので、予めご了承ください。試し読みファイルにより、ご購入前にお手持ちの端末での表示をご確認ください。
  • 聖パウロ女子修道会の創立者であるヤコブ・アルベリオーネ神父のことばから、一回かぎりの人生を実りあるものにするためにすすめる、豊かな生き方の知恵のことばを集めました。かみしめながらお読みください。知性、意志、心を見つめながらも、ユーモアがにじんできます。いつも手元において味わい、人生の糧としてください。人生の節目に当たるときのプレゼントとしても最適です。※この商品は紙の書籍のページを画像にした電子書籍です。文字だけを拡大することはできませんので、予めご了承ください。試し読みファイルにより、ご購入前にお手持ちの端末での表示をご確認ください。
  • 大好きなマザー・テレサのことばを集めました。マザーのことばは、いつもわたしたちに素直な心を思い出させ、力づけてくれます。江口まひろさんのかわいいイラストもすてきです。ちょっと心が疲れたとき、心がさわぐとき、小さなこの本を開いてください。きっと心が落ち着き、本来の自分を取り戻しますよ。手のひらサイズの小型本。おしゃれなリング綴じ。友人へのプレゼントやお見舞いにも最適です。※この商品は紙の書籍のページを画像にした電子書籍です。文字だけを拡大することはできませんので、予めご了承ください。試し読みファイルにより、ご購入前にお手持ちの端末での表示をご確認ください。
  • 385(税込)
    著:
    女子パウロ会
    イラスト:
    三木節子
    レーベル: ――

    ゲーテ、ドストエフスキー、ガンジーなど、人生の先人たちが語る、しあわせについてのことばを集めました。何を求めて生きているのかと考えるとき、人生に迷ったとき、彼らのことばがヒントを与えてくれます。※この商品は紙の書籍のページを画像にした電子書籍です。文字だけを拡大することはできませんので、予めご了承ください。試し読みファイルにより、ご購入前にお手持ちの端末での表示をご確認ください。

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