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『実用、【冬電2022】いちどは読みたい「ニッポンの教養」』の電子書籍一覧

1 ~60件目/全275件

  • 石器時代の洞窟にはじまる「ドリンカーの楽園」はどう変化してきたのか? 宿屋(タヴァン)、イン、パブ、キャバレー、カフェ、ギャンゲット、ジャズ・クラブ……。19世紀から20世紀にかけて起こった酒場の革命とは? ギリシア神話、チョーサー、シェイクスピア、ディケンズ、バルザック、シムノン……。同時代の小説をも資料として読み込み、人間臭い特殊空間の変遷を活写する。(講談社学術文庫)
  • 自転車を「bike」と呼ぶか「cycle」と呼ぶか、眼鏡は「spectacles」かはたまた「glass」か。イギリスの階級意識はこんなところにも現れる。言葉遣い、アクセントにはじまり、家や食べ物、ファッション、休暇を過ごす場所……あらゆるものに微妙な、あるいは明白な階級をあらわす名札がついている。「世界中でもっとも階級にとりつかれた国」、作家ジョージ・オーウェルはイギリスをそう評している。
     そんなイギリスで「紳士」たらんと、ほかの階級から嘲笑を浴びつつ精一杯背伸びしてきたのが、本書の主人公「ロウアー・ミドル・クラス」の人々である。「英国紳士」と聞いて真っ先に思い浮かべるシャーロック・ホームズや、日本で人気のジーヴズは、実は彼らと同じ階級に属するヒーローなのだ。
     ワーキング・クラスとは断固区別されたい、しかしアッパー・クラスには決して届かない。上の階級の趣味や持ち物をまねると、たちまち流行して彼らが所属する階級の証となり、揶揄の対象になってしまう。隣人と差をつけるべく、アップライト・ピアノを買い、レースのカーテンを飾り、ささやかなことに一喜一憂する姿は、滑稽でありながらもいじましく、愛おしい。
     彼らが揶揄されはじめたヴィクトリア朝から、かつての階級を超越した「スーパー・クラス」が登場する現代に至るまで、およそ100年間の悪戦苦闘を豊かなエピソードで描きだす。ほろ苦くもおかしいイギリス階級文化論。(原本:『階級にとりつかれた人びと』中公新書、1999年)
  • 一族の歴史と想いが込められているはずの「名字」は、古代から階層意識、職制、地名、出自などさまざまな要素を取り込みながら陰に陽に使われ続け、明治維新後に公称が義務化されるに至ったものである。氏姓制度、臣籍降下、律令制、源平合戦、惣領と庶子、幼名、通字、偏諱――名字の成立過程と変遷を通して日本の歴史を通観し、現代に続く起源を探ってゆく。
  • 中世、日本人はキレやすかった!大名から庶民まで刃傷沙汰は日常茶飯、人命は鴻毛のごとく軽かった。双方の言い分を足して二で割る「折中の法」、殺人者の身代わりに「死の代理人」を差しだす「解死人の制」、そして喧嘩両成敗法。荒ぶる中世が究極のトラブル解決法を生みだすまでのドラマ。
  • ピタゴラス、アナクサゴラス、ユークリッド、アルキメデス、アル=フワリズミ、タルターリャ、フェラーリ、カルダノ、ヴィエト、デカルト、ジラール、ハリオット、ウォリス、ニュートン、ラグランジュ、ガロア、アーベル……。小数、負の数、虚数、超越数……。方程式との格闘は、数のフロンティア拡大の歴史でもありました。方程式の視点から4000年の数学史を読み解く絶好の入門書です。
  • ヨーロッパはなぜ世界の覇権をとったのか? その基層をなす社会構造の特殊性は中世に準備されていた。中国やローマ帝国が目指した世界帝国を否定し、国民というまとまりの上に立つ国家という独自の道を、中世一千年をかけて形成したのである。そのとき、神・自然・同胞、三つに対する考え方の変化が起こった。政治史・経済史・法制史などに分化した理論をぶちこわし、人間の移動や、文字に残っていない民衆の「話し言葉の世界」をひっくるめて、現在に続く世界史の転換と相関を、語りかけるように読み解く。わたしたちは歴史から何を学べるか?

    【原本】
    『ヨーロッパ中世の社会史』(岩波書店、1985年)


    【目次】
    第一講 中世社会史への誘い
    第二講 民族大移動期の世界史的意義(4~8世紀)
    第三講 西ヨーロッパ的生産様式の形成と普及(8~11世紀)
    第四講 西ヨーロッパ中世都市の特色(11~13世紀)
    第五講 中世西ヨーロッパ社会に共通した特質(13~16世紀)
    第六講 国家権力の質的変化について
  • 〈日本にとって冷戦とは何だったか。冷戦にとって日本とはいかなる存在だったか?〉

    1945年8月に崩壊した旧日本帝国の空間をいかに管理するかをめぐる同盟国間の対立が激化、ここにこそ冷戦、とりわけアジア冷戦の起源があるという認識から、本書は出発する。

    連合国という同盟関係は、枢軸国という敵の消失とともに内部での齟齬が拡大し、12月のモスクワ外相会議において形式的にも終焉を迎えた。そして同時に、のちのサンフランシスコ条約の規定にいう、旧大日本帝国が「放棄」した台湾、朝鮮半島、千島、満洲といった地域の主導権をめぐって、英米ソ中の各国による主導権争いが始まる。モスクワのケナン臨時大使が、冷戦の開始を告げる著名な電文を送るのに先立つこと2ヵ月前のことである。帝国崩壊後の日本列島やポスト帝国空間の管理をめぐる対立こそ、広島への核兵器投下が核時代への移行を告げたことと並んで、冷戦の文字どおりの第一頁となったのである。

    冷戦の起源は、ヨーロッパをめぐる米ソ対立にあるというのが、欧米と日本いずれの歴史学でも自明とされてきた。この場合の冷戦とは、戦後国際政治の中で米ソが覇を争った状況を指している。しかしながら、米ソだけがその過程に関わったわけではない。グローバルな冷戦の起源において日本こそは枢要な現場であり、そしてアジア冷戦においては終始重要な舞台であり主題であり続けた。そうした視角から、本書の論考は展開される。

    旧大日本帝国、東欧、そして核。この三要素による多元的利害関係のもとに米ソ中英仏が駆け引きを繰り広げる中、日本政治、とりわけ日本共産党の動向と響き合い、歴史が展開してゆく様を、ロシアはじめ各国の史料から丹念に描き出す話題作、全面増補改訂!


    【本書の内容】
    序章
    第一章 日本占領と冷戦の起源
    第二章 日本管理、東欧管理、核管理
    第三章 冷戦のなかの日本(一九四六―一九五〇)
    第四章 同盟・戦争と講和
    第五章 危機の中の日本共産党
    第六章 五五年体制―冷戦の再編成
    終章
  • 人びとを救いのない業報の束縛から解放する、恩寵と救済の宗教――大乗仏教は、どのような思想的変転の中から出現したのだろうか。「さとり」と「廻向(えこう)」という大乗仏教のキーワードを軸に、その独自の論理を解明していく。
    「マーヤー夫人の処女懐胎」と「マリアの受胎告知」など、ブッダとイエスをめぐる説話に驚くべき類似がいくつも見られるのはなぜだろうか。本書はまず、仏教とユダヤ教、キリスト教など、西アジアの諸宗教の影響関係を聖典文献学から探る。なかでも、ペルシアに栄えたゾロアスター教がメシア信仰や阿弥陀仏信仰、さらに大乗仏教の成立に与えた影響に着目する。
    また、自分の積んだ善業の結果を「さとり」という超世間的なものに転換したり、自己の功徳を他人に振り向けたりする「転換の思想」すなわち「廻向」は、「業も果も本質的には空(くう)である」という「空の思想」に支えられている、という。そして、この阿弥陀仏信仰と「空の思想」を両輪として、大乗仏教は育まれたのである。
    原始仏教と他宗教を比較する広い視野から、難解な思想を平易に説き明かす。巻末解説を、チベット学の今枝由郎氏が執筆。
    『「さとり」と「廻向」――大乗仏教の成立』(講談社現代新書1983年刊、人文書院1997年刊)を改題して文庫化。
  • 1,540(税込)
    著:
    清宮四郎
    編・解説:
    樋口陽一
    レーベル: 講談社学術文庫
    出版社: 講談社

    偉大なる憲法学者・清宮四郎(1898-1989年)、初の文庫版にして、重要論文を収録したアンソロジー。
    宮沢俊義(1899-1976年)とともに戦後日本の憲法学を主導し、その屋台骨を作った清宮四郎は、東京帝国大学を卒業したあとヨーロッパに留学し、オーストリアの公法学者ハンス・ケルゼン(1881-1973年)の講義に接しました。これを機に、広い領域に及ぶ関心と深い学識に裏打ちされた独自の理論を紡ぎ始めた清宮は、京城帝国大学、東北帝国大学などで教鞭を執ったほか、1958年には我妻榮、宮沢俊義、大内兵衛らと憲法問題研究会を組織し、憲法に関する啓蒙活動に注力したことでも知られています。
    しかし、宮沢とは異なり、一般向けの著作を多く残さなかった清宮の名は、専門家を除けば、ケルゼンの『一般国家学』(1925年)の訳者として知られているのが実情でしょう。日本の憲法学の厚みと深みに接する機会がない現状は、理想とは程遠いと言わざるをえません。
    本書は、そうした状況を打破するべく、東北大学で清宮の薫陶を受けた樋口陽一氏が、清宮が残した二冊の論文集『国家作用の理論』(1968年)と『憲法の理論』(1969年)から重要な論文を精選し、刊行するものです。憲法とは何か、国家とは何か――その重要な問いに答えるために、過去の思想家に遡り、最先端の知見と照らし合わせつつ根源に迫っていく筆致は、他の誰にも真似できない凄みを感じさせます。美濃部達吉(1873-1948年)とケルゼンという二人の師、そして宮沢という友の思い出を語った貴重な記録「私の憲法学の二師・一友」を併載し、樋口氏による懇切な「解説」を収録しました。
    文字どおり「決定版」となるアンソロジーを、佐々木惣一『立憲非立憲』、尾高朝雄『国民主権と天皇制』、恒藤恭『憲法問題』に続く、学術文庫・憲法シリーズの1冊として、満を持してお届けいたします。

    [本書の内容]
     I 日本国憲法の思想と原理
    権力分立制序説
    日本国憲法とロックの政治思想
    憲法の法的特質
    憲法の前文
    国民主権と天皇制
    天皇の行為の性質
    数と理
    多数決の前提条件
    わが憲法上の解散
    憲法の変遷について

     II 憲法理論の基礎
    法の定立、適用、執行
    違法の後法
    憲法改正作用
    ブルクハルトの組織法・行態法論

     III 憲法学の二師・一友
    私の憲法学の二師・一友

    解 説(樋口陽一)
  • 18世紀のスウェーデンが生んだ稀代の科学者にして神秘思想家、エマヌエル・スウェーデンボルグ(1688-1772年)。この異才の存在こそが、カントに『視霊者の夢』(1766年)を書かせ、またバルザックをして『セラフィタ』(1834年)の執筆にむかわしめました。日本では、禅学の大家である鈴木大拙(1870-1966年)が紹介したことで知られています。
    スウェーデンボルグは84年の生涯のうち、その半分を科学者として過ごします。11歳でウプサラ大学に入学したあと、イギリスやフランスに遊学して天文学や機械工学を学び、先駆的な航空機を含め多彩な発明品の設計図を残します。その後、スウェーデン国王カルル12世の知遇を得たことをきっかけに、王立鉱山局の監督官として59歳まで働くことになります。監督官として勤めるかたわら、地質学をはじめ数学、宇宙学、解剖学など多岐にわたる分野で精力的に執筆活動を続け、科学者として当時のヨーロッパに名を馳せますが、50代のときに大きな転機が訪れます。それが相次ぐ神秘体験でした。
    スウェーデンボルグを科学者から神秘主義神学者へと変貌させた、神秘体験とは一体どのようなものだったのでしょうか。それはこの天才にとってどのような意味をもっていたのでしょうか。そして、彼が見た死後の世界とはどのようなものだったのでしょうか。科学から神秘世界へ、大きな飛躍があるように見え、ともすれば矛盾に満ちたものになりそうなその生涯は、実のところ極めて合理的な精神に貫かれていたのです。
    2005年にユネスコの世界記憶遺産に認定された膨大な手稿も含め、スウェーデンボルグが遺した思考の軌跡を辿っていくと、そこにはこの思想家が持ち続けたたぐいまれな合理的思考の輝きと、ニュートンやカントをはじめとする当時の科学者や哲学者が、人間や魂、宇宙など世界の真理に迫るべく探求を重ねていた18世紀の時代精神が浮かび上がってきます。
    日本ではいまだ知る人ぞ知る存在でありながら、ゲーテ、シェリング、ドストエフスキー、コナン・ドイル、エドガー・アラン・ポー、ボルヘスなど、綺羅星のごとき思想家や作家たちに影響を与え続けた巨人の生涯と思想の全貌を本書は活き活きと簡潔に描き出しています。ヨーロッパ思想の奥深さを知る、絶好の入門書です!
  • 武士とはいかなる存在であり、いかに成長して武家政権を築きあげたのか。著者ならではの、多彩な史料を駆使して描き出される500年の歴史!

     鎌倉幕府の成立から江戸幕府の終焉までを考えても、武家政権が存続した期間は実に700年近くにも及ぶ。少なくとも「日本」という国号が使われるようになってからのこの国の歴史の半分は、武士が支配的であったことになる。彼らは一体なにもので、どのように成長し、そしていかなる政権を築きあげたのか。
     8世紀に武をもって朝廷に仕える下級官人と規定された「武士」は、「兵(つわもの)」や「武者」として史料上に登場すると、戦乱を繰り返し、やがては朝廷にまでその力を及ばせ、公武にわたる政権を樹立するに至る。『今昔物語集』に見える平将門らの「兵」にはじまり、承平天慶の乱、前九年、後三年の合戦、保元・平治の乱、源平合戦、南北朝の動乱と、戦乱を重ねるごとに成長し、武家政権の到達点である足利義満の栄華にいたるまで、およそ500年の道のりを描き出す。
     同時に、古文書や日記のみならず、説話集や軍記物、絵巻、遺跡の発掘成果などを駆使して、主従契約や一揆契約のありさま、親や主君の敵討ち、切腹、集団自決、殉死などの武士の作法、さらには武士の構えた宅や館など、様々な武士の存在形態を明らかにする。
     芸能や文化を含む独自の幅広い視野で研究を重ねてきた著者による、決定版武士の歴史!

    【本書の内容】
    はじめに

    第1章 武士の源流
     一 兵たちの世界
     二 京の武者と諸国の兵
     三 兵・武者から武士へ

    第2章 武士の成長
     一 武士の家
     二 武家と武士団

    第3章 武家政権と武士
     一 二つの武家
     二 鎌倉幕府の成立と武士

    第4章 北条政権下の武士
     一 泰時の政治と鎌倉
     二 鎌倉後期の武士の環境
     三 絵巻に見る武士像

    第5章 京の足利政権と武士
     一 幕府の滅亡と室町幕府
     二 南北朝の対立
     三 室町幕府の体制
     四 武士と武家政権の到達点

    まとめと展望

    コラム 伝説の武者像
    コラム 為朝伝説の行方
    コラム 能に描かれた武士
  • ※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。

    植物、動物、幾何学、自然風景、天体・・・・・・。
    古くは縄文時代にはじまり、高麗文明と隋文明の影響を受け、日本独自の美意識から研ぎ澄まされていった和の文様。衣装、装飾品、装身具、器、仏具、神具に見られる中から、
    江戸時代の小袖文化により、日常着として柄が圧倒的に増えた和装文様をとりあげ、786柄を収録。
    読み方、名の由来、特徴ときものとしての用途を紹介する。

    きもの研究家として活躍した、石崎忠司による『きものの文様―初心者から専門家までの解説書―』。1973年に刊行された名著を、きものプロデューサーである次男の石崎功による、丁寧な解説加筆、可能な限りの図版カラー化により、リニューアル復刊!
    見て、読んで、和の文化が学べる、和文様大全、ついに完成。

    *本書は、衣生活研究会より一九七三年に刊行された
    『きものの文様-初心者から専門家までの解説書-』を改題し、大幅加筆修正の上、
    写真や図版を撮り直し、文庫化したものです。
  • 地名には歴史的・文化的に貴重な価値が含まれています。日本の地名はバリエーションも多く、その起源についてもさまざまなものがあります。
    地名の成り立ちや命名の仕方について研究する地名学は、柳田國男も取り組んでいた。もともとは地理学との関係が深いが、歴史学、民俗学、言語学などのアプローチが必要でもある。
    いくつか具体的にみてみましょう。
    大和語(ツル=水流=津留など)・アイヌ語(ホロ=大=美幌など)・朝鮮語(フル=火・村=布留など)・マライ語(アゴ=真珠の首飾り=英虞など)などを起源とするケース、もともとの地名が方言によって違っているケース(タロウ=太郎・田老=巨大または小平地など)、時代の流行によっているケース(開墾が盛んだった時代は、「田代」「新開」「新田」など)がなどです。
    また、地名は発生した後に、その伝播のしかたにも特徴があります。もともとの地名が伝わっていくときに、扇状に伝わるということがあります(親不知付近では混在している「しとる」「してる」が、南では扇状にその範囲が広がる)。また、「空洞」と呼ばれる「地名のない部分」が発生したりします(たとえば中国・四国地方では、山の呼び名に「岳」を使用しないことが多い)。
    地名を研究することで、隠された歴史の痕跡を読み取ることが可能なのです。
    「文化化石」としての地名を研究する学問として、「地名学」を提唱した著者が、その集大成として刊行されたのが、本書です。
    また、本書巻末には約1000項目の「日本地名小辞典」が付いております。
    身近な地名の謎に迫るためにも好著ですし、歴史学・民俗学の補助としても役に立つ一冊です。


    【原本】
    『日本の地名 付・日本地名小辞典』(角川新書 1964年刊)

    【目次】
    はじめに
    第一章 地名学とはどんな学問か
    第二章 どうして研究したらよいか
    第三章 むずしい地名の意味をどうして解くか
        1 富士山のフジの意味
        2 「名古屋」の意味
        3 「船越」の意味
    第四章 地名にはどんなタイプがあるか
        1 語根型
        2 民族型
        3 時代型
    第五章 地名はどんな形で分布するか
        1 波紋形の分布
        2 相似関係の分布
        3 現状に境界線が集まる現象
        4 「空洞」といわれる「地名のない部分」の現象
        5 伝播する地名
        6 双子地名
    第六章 地名の発生年代は決められるか
    第七章 地名の正しい書き方
    第八章 郷土の地名の調べ方
    第九章 地名研究の参考書
    おわりに

    付録 日本地名小辞典
  • カーバ神殿を擁する巡礼地・メッカ。七世紀初頭、アラビア半島の灼熱の岩肌に囲まれたこの地が、なぜ都市に発展し、世界の<聖地>となったのか。ムハンマドの生涯や、コーランはじめ文化、風習、儀礼など、ムスリム知識人が守った伝承“ハディース”から、多角的に考察。西欧的学問の思考からは見落とされてきた、イスラーム精神の本質に迫る。


    目次))
    序 章
    西欧的知の枠組/多様化する世界/「常識」をこえるイスラーム/イスラームとは/イスラームの成立/イスラーム的知の枠組/オリエンタリズムの克服

    一 前 史
    メッカの歴史地理/考古学の成果/ソロモンとシバの女王/紀元前のアラビアの歴史/紀元前後のアラビア/一神教革命

    二 系図と部族
    父系の系図/「部族」の概念/メッカは「部族社会」か/氏族の系図/クライシュの子孫ではない人々/マワーリー/ハリーフ/個人の社会

    三 メッカのはじまり
    カーバ神殿/アブラハムとメッカ/ジュルフム族のメッカ追放/フザーア族とキナーナ族/クライシュ族のクサイイ

    四 メッカの発展
    牧民社会メッカ/集団意識の実態/イーラーフの制度/フムスの概念/ウカーズの定期市

    五 メッカの社会
    急成長するメッカ/ムハンマドの生涯/平等な人間関係/メッカの商人/アラビア文字の文書

    六 メッカとイスラーム
    自由都市/ムハンマドに対する例外的措置/預言者と信徒/メディナ/イデオロギーとしてのイスラーム

    おわりに 
    学術文庫版あとがき 

    内容抜粋)
    イスラームが勃興した七世紀から十四、五世紀までのイスラーム世界にわりあてられた(教科書の)ページ数は、同時期のヨーロッパ史のそれの半分以下なのだ。筆者の見解では、この時代のイスラーム世界とヨーロッパ世界をくらべれば、人口といい、政治力といい、経済力といい、文明の力ともいうべきものといい、前者が後者を圧倒していた。わりあてページ数は逆でなくてはいけない、と信じている。    ――――「序章」より

    *本書は1991年に中公新書より刊行されたものを一部、加筆修正したものです。
  • 日本書紀の時代から、この国の基盤には大陸から摂取した文明の影響がありました。営々と築き上げられてきた日本の漢学文化は、中国古典の碩学、吉川幸次郎(1904-80年)の目にどのように映じていたのでしょうか。
     ふとしたことで手にした本居宣長『うひの山ぶみ』によって、宣長の「信徒」となったと告白する著者は、江戸時代に日本の漢学の全盛を見ます。伊藤仁斎や荻生徂徠を生んだ元禄・享保期の儒学と、戴震や段玉裁、王念孫ら清朝の儒学に共通性を見出して、それを「近世の覚醒」と名付け、日本における覚醒が実は100年近くも大陸に先んじていたことを指摘します。
     江戸時代に頂点を極めた漢学が、明治になって文化そのものが根本から変容していくことを万葉集の偏重に象徴的に見る第1部「古典について」、古代から江戸末期にいたる日本の漢学受容という類のない通史をコンパクトに描いた第2部「受容の歴史」、そして著者が愛してやまない儒者たちを素描した第3部「江戸の学者たち」。日本思想の基層をなす漢学という視座から、この国の学問的伝統を再発見する極上の教養書です!

    【目次】
    1 古典について
    古典について――あるいは明治について
    一 明治の記憶/二 明治への距離/三 明治の得失/四 万葉と古今/五 詩における理知/六 学術の文章/七 美と真の共存/八 注釈の学/九 辞典の学/一〇 日本書紀/一一 書紀学の変遷/一二 東洋史学/一三 太平

    2 受容の歴史
    受容の歴史――日本漢学小史
    一 日本における外国文明の受容/二 そのインドその他との対比/三 文学および文学教育における受容/四 学問一般における受容/五 外国文明受容の心情/六 外国文明受容の歴史/七 受容の歴史のはじめ/八 空海その他/九 菅原道真/一〇 受容の中だるみ/一一 中国新文明の受容/一二 五山の禅僧/一三 江戸時代における受容の教育/一四 江戸時代における外国書の輸入と覆刻/一五 家康の政策/一六 藤原惺窩/一七 林羅山/一八 朱舜水その他/一九 伊藤仁斎 その一/二○ 伊藤仁斎 その二/二一 荻生徂徠 その一/二二 荻生徂徠 その二/二三 荻生徂徠 その三/二四 荻生徂徠その四/二五 江戸末期における受容/二六 むすびと希望

    3 江戸の学者たち
    仁斎と徂徠――論語古義と論語徴
    伊藤仁斎
    古義堂文庫
    仁斎と小説
    古義堂
    二つの伊藤仁斎論――スパアとツアトロフスキ
    伊藤東涯
    安積澹泊
    本居宣長――世界的日本人
    一冊の本――本居宣長『うひ山ふみ』
    学問のかたち
    中京の二学者――河村秀根と岡田挺之と
    息軒先生遺文続編の序
    解 説(小島 毅)
  • 1,265(税込)
    著:
    河合隼雄
    レーベル: 講談社学術文庫
    出版社: 講談社

    影はすべての人間にあり、ときに大きく、ときに小さく濃淡の度合を変化させながら付き従ってくる。それは「もう一人の私」ともいうべき意識下の自分と見ることができる。影である無意識は、しばしば意識を裏切る。自我の意図する方向とは逆に作用し自我との厳しい対決をせまる。心の影の自覚は自分自身にとってのみならず、人間関係においてもきわめて重要である。刺激に満ちた万人必携の名著。
  • 本書は、明治維新から現在に至る日本の建築史を一筆書きで描き出す試みである。日本の建築史については、これまで幾多の著作が書かれてきたが、1970年までで終わるものがほとんどで、その後の時代を包含するものはない。バブル経済に沸き立った1980年代を経て、長い不景気の時代を迎えた日本は大きな変化を受けている。ならば、21世紀の今、本当に必要なのは、この150年の歴史を通覧することにほかならない。
    本書は全二部で構成される。第一部では、従来の建築史が扱ってきた明治維新から1970年代までの時期を取り上げる。そこでは、「国家のための建築」という特殊な役割を負わされる中で、明治期に導入された西洋の建築様式との格闘を続けながら、大正期、戦時期、そして戦後の復興から高度経済成長期までの激動の歴史が描き出される。続く第二部は、その「国家のための建築」という役割から解放された建築が、いかに拡散し、現在見られるような複雑な様相を呈するに至ったのかを見る。
    自宅にいても、街に出ても、常に私たちは建築に囲まれている。にもかかわらず、建築について、その歴史について、手軽に基本的な知識を得られる書籍がない、というのは不思議なことである。本書は、そんな状況に終止符を打つべく、専門的な知識を必要とせず、ただ歴史的な建築物を羅列するのではなく、それぞれの時代に何が求められ、何が考えられたのか、その背景には何があったのかを明快に描くことを主眼としている。
    本書を読めば、日本の建築について知悉できるばかりか、建築とは何か、そして建築物とともに生きるとはどういうことなのか、という重要な問題について明確なイメージをもつことができるだろう。
    建築家として活躍するだけでなく、建築批評でも定評ある地位を確立してきた著者が手がけた壮大なドラマ、ついに完成。

    [本書の内容]
    第一部 国家的段階
    第一章 明治維新と体系的な西洋式建築の導入/第二章 非体系的な西洋式建築導入/第三章 国家と建築家/第四章 明治期における西洋式建築受容の到達点/第五章 直訳的受容から日本固有の建築へ/第六章 近代化の進行と下からの近代化の立ち上がり/第七章 近代建築の受容と建築家の指向の分岐/第八章 総動員体制とテクノクラシー/第九章 戦災復興と近代建築の隆盛/第一〇章 建築生産の産業化と建築家のマイノリティ化/第一一章 国家的段階の終わり

    第二部 ポスト国家的段階
    第一章 ポスト国家的段階の初期設定/第二章 発散的な多様化と分断の露呈/第三章 新世代の建築家のリアリティと磯崎新/第四章 定着した分断とそれをまたぐもの/第五章 バブルの時代/第六章 一九九◯年代以降の展開と日本人建築家の国際的な活躍/第七章 ポスト国家的段階の中間決算
  • 「自然(nature)」というと、どんなイメージが浮かぶでしょう。海や森、動物や植物たちのおだやかな光景? 台風や地震など、災禍を及ぼすものを思う人もいるかもしれません。いずれにせよ、そこにある「自然」は人間に、そして「人為」に対立するものと捉えられています。人為による自然の破壊といった表現は、その対立を前提にしていると言えるでしょう。では、人間は自然に含まれていないのか。自然とは人間と無関係の対象として捉えることのできないものなのでしょうか。
    本書は、こうした素朴な問いが哲学の端緒から現代までを貫いていることを示し、各時代に捉えられてきた「自然」がいかに変化してきたのかを描き出す壮大な試みです。プラトン、アリストテレスの古代ギリシアに始まり、古代ローマ、中世、ルネサンスを経て、17世紀のベーコン、デカルト、ライプニッツ、スピノザに至る流れを追ったあと、そこに共通する〈一なる全体〉という自然のイメージが取り出されます。このイメージの問い直しは、18世紀のディドロやルソーによって本格的に開始されたあと、カントを経て、19世紀のニーチェで頂点に達するものです。続く20世紀以後の現代に至って、自然のイメージは決定的な変容を遂げます。それが〈自然かつ人為〉という矛盾した表現をするほかない「自然」です。本書は、それをシモンドンやドゥルーズといった思想家の検討を通して明らかにし、歴史が哲学の思考に追いついていくさまを明らかにしていきます。
    多くの研究者から信頼される著者がついに解き放つ待望の単著。渾身の思想劇!

    [本書の内容]
    第I部 1 古代ギリシア哲学の自然と人為(1) 2 古代ギリシア哲学の自然と人為(2) 3 古代ローマ期から中世までの自然/技術 4 自然の逆説 5 非自然的なものの自然性 6 デカルト、ライプニッツ、そしてスピノザ 7 自然/人為という区分の手前で

    第II部 1 ディドロの技術論 2 ルソーにおける自然と技術 3 アリストテレス再考 4 〈一なる全体〉としての自然(1) 5 〈一なる全体〉としての自然(2)

    第III部 1 「神すなわち自然」 2 〈一なる全体〉としての自然を語らないこと 3 一八世紀に哲学史的断絶は存在したのか 4 〈一なる全体〉としての自然の復興? 5 「カオスすなわち自然」

    第IV部 1 生命と技術 2 〈自然かつ人為〉としての自然 3 哲学に追いついた歴史 4 非人間的な〈自然〉

    第V部 1 現代における自然哲学の条件 2 前-個体的存在と個体化 3 シモンドンと自然の概念 4 〈一〉以上のものとしての自然

    第VI部 1 自然概念の第一の局面 2 自然概念の第二の局面 3 〈自然〉のカテゴリーの提示としての自然哲学
  • 私たちが生きている現代世界において、決定的な役割を果たしているのは、「西欧近代科学」であるといえるでしょう。しかし一方で「科学」は、時間的・空間的な規定を受けており、普遍的・絶対的ではないことを認識する必要があります。
    本書では科学の起源を問い直します。ラテン語の《scientia(知識)》に淵源し、古代ギリシアに生まれた「自然現象を自然現象として認め、ある原理的な体系から、そうした個々の現象の説明を与える」という思惟構造が、西欧で独自の発展を遂げたものです。
    キリスト教敵世界では、「神の意志」と「理性による世界支配」が、自然界と人間界両方の秩序の根幹であるとの考え方が」だんだんと支配的になります。そして中世ラテン世界は、十字軍を経て、アラビア文化圏から流入したギリシア・ローマの「科学」的遺産を吸収し、本格的な「西欧・近代・科学」へと発展していきました。その流れの中で、アニミズムの否定、自然の世俗化、それが進展しての実証主義が支配的になります。魔術から技術へという流れです。そして未来はつねに「進歩」をもたらすものでなければならないというドグマのようなものが支配的になったのです。
    そしてこの科学の考え方が、私たちの思考法をどのように呪縛しているのかを、点検していきます。「観測の問題」「言語による外界の把握」「造られた科学」「《整合性》と《簡潔性》」などなど、実際の例を取り上げながらやさしく解説していきます。まさに「科学史」の入門書といえる一冊です。

    【原本】
    村上陽一郎『科学・哲学・宗教』(レグルス文庫)第三文明社 1977年刊

    【目次】
    I 科学・哲学・神学
     1 科学を準備したもの
     2 科学のなかのヴェクトル
     3 科学の反省
     4 未来への展望
    キリスト教の自然観と科学
     1 キリスト教と近代合理主義
     2 キリスト教からの科学の「離脱」
     3 現代への示唆

    II 科学的知識と信仰との異同
      植木屋の譬え話
      自然科学での実際の話
      誰が素粒子を見たか
     「見える」ことが「存在する」ことか
     「……を見る」と「……として見る」
     「……として見る」の基礎構造
     「ことば」による把握
     「……を見る」ことと「……を存在させる」こと
     科学は何によって造られるか
     自然科学的理論の「流行」
     簡潔性と整合性
     価値の世界との「整合性」
     「心」の私秘姓
     「こころ」の存在
     こころと素粒子
     自分の「こころ」と他人
     人間の「こころ」の特殊性
     こころの普遍化への二つの方法
    あとがき
    学術文庫版あとがき
  • 990(税込)
    著:
    渡邊昌美
    レーベル: 講談社学術文庫
    出版社: 講談社

    ――皇帝ジギスムントが宮中伯ルートヴィッヒに向かって命令する。「囚人を受け取り、よろしく異端者として扱え」。今度はルートヴィッヒがコンスタンツの帝国代官に向かって命令する。「我ら双方によって断罪されたる者としてこの者を受け取り、よろしく異端者として焼け」。――
     1415年に異端として裁かれた宗教改革の先駆者、ボヘミアのヤン・フス処刑の克明な描写にはじまる本書は、中世のヨーロッパで異端審問がどのようにして生まれ、そして制度として定着していったのかを、具体的なエピソードを丁寧に積み重ねながら、当時の人々の息遣いもあざやかに描き出す。法も手続きも無視して「すべて殺せ」という13世紀の異端狩りの熱狂から、ウンベルト・エーコの小説『薔薇の名前』にも登場した、世界で最も有名な異端審問官ベルナール・ギーによって組織化・マニュアル化された14世紀の冷徹無比な異端審問を経て、15世紀末スペインでの過酷な弾圧に至る、その道のりの背後には、いかなる時代精神が見いだせるのか。
     西洋中世史不朽の名著『異端カタリ派の研究』(岩波書店、1989年)の著者が、多彩な史料を駆使して知られざる中世世界への扉を開く!(原本:講談社現代新書、1996年)

    【解説(轟木広太郎・ノートルダム清心女子大学准教授)より】
     本書は、一三、一四世紀における異端審問の成立と制度的確立の経緯を、およそ関連するすべての種類の史料を博引旁証しながら描き切った労作である。……ヨーロッパ中世という日本人にはどこか掴みどころのない、しかしそれでいて魅惑的な個性を放つ時代の雰囲気を初学者に感得させると同時に、このテーマに興味を持つ専門家にとってもいまだ探求のヒントを数多く掘り出すことのできる鉱脈たり続けていると思う。(本書「解説」より)

    【本書の内容】
    第一章 薪と硫黄の匂い――異端審問とは何か
    第二章 剣と火と異端者――異端審問の誕生まで
    第三章 異端審問創設の頃
    第四章 異端審問の制度化
    第五章 審問官ベルナール・ギー
    第六章 裁かれる者たち
    第七章 スペインの火刑台
    あとがき
    参考書目抄
    解説「異端審問と交差する四つの歴史の道筋」(轟木広太郎)
  • ■世界の真理は、単純明快! てこの原理からE=mc2、量子力学まで全部わかる!■

    中学校理科から量子力学まで物理学全体を見渡し、歴史のエピソードや文学作品を引きながら「基本の基本」をわかりやすく伝授。さらに、人間の思考は自然の論理をどこまで捉えられるのか、という根源的問いにまで誘う。宇宙物理学の先端で研究に取り組み、科学とは何かを深く問い続けてきた名手が放つ、画期的入門テキストにして深遠なメッセージ。
    「文系のための物理学入門」の決定版!

    □単純、簡明、統一、原理主義□
    物理学者は、多様で複雑に見える自然だが、真理は意外に単純明快であり、論理を忠実にたどっていけば必ず真理に到達できると信じている。アインシュタインが述べたように、「神は老獪だが、意地悪ではない」のである。そのための自然を解剖していく手法は、本書に書いたような原理・法則・原則に則っている。どのような建築物もレンガ一つひとつの積み重ねから成り立っているように、壮大な物理学の成果も、最も基本的な原理の上に構築されているのである。―本書より

    (本書は2011年にPHPサイエンス・ワールド新書より刊行された『物理学の原理と法則』を大幅に改稿・加筆し文庫化したものです)
  • 1300年以上読まれた「統治の教科書」不朽の古典、全文完全新訳。
    とても読みやすい平明な訳文と、背景となる歴史がよくわかる解説でおくる、決定版!

    □よき君主は諫言に傾聴する□
    唐王朝(618-907年)の第二代皇帝にして、王朝の最盛と謳われる七世紀「貞観の治」をなした皇帝・太宗が、広大な版図を治め、王朝を栄えさせるために、臣下と議論を交わし、ときには痛烈な諫言を受け入れた様を描いたのが、この『貞観政要』全十巻四十篇です。

    「私の非が明らかにならない理由は、官僚たちが従順で、皇帝の機嫌を損うのを憚かっているためだろうか。そうならないように、私は虚心に外からの忠告を求め、迷いを払いのけて反省しているのである。言われてそれを用いないのであれば、その責任を私は甘んじて受け入れよう。しかし、用いようとしているのにそれを言わないのは、いったい誰の責任であるか。今後は、各自が誠意を尽くせ。もし私に非があれば、直言して決して隠さないように」(本書 巻二「任賢」より)

    □「人の上に立つ者」のために書かれた□
    太宗が死して60年余が過ぎ、国史編纂に携わる歴史家の呉兢によって編纂されたこの書物は、唐王朝が変革のときを迎えようとする時代にあって、貞観の治世を手本とするよう、当時の皇帝に上進されたものでした。

    □日本人も古代から読み継いだ□
    平安時代の日本にも伝わると、以来江戸時代を経て現代に至るまで、統治者の心構えを説く必読書として読まれ続けてきました。
    徳川家康も明治天皇も読んだと言われる、「主君のための教科書」です。

    □ビジネスの智恵として□
    現代にも通じる、人材育成、組織統治、コミュニケーション術の要諦を説く一冊として注目されています。

    □歴史学の眼で「全文」を読み解く□
    『貞観政要』が描くのは「理想の君主」像だけではありません。
    長く皇帝の座にあった太宗は、やがて怒りやすくなり、傲慢で贅沢になり、直言を嫌がるようにもなっていきます。
    ・なぜ編者・呉兢は、そのようなことまで記したのか
    ・唐王朝はいかなる歴史の中で築かれたか
    ・実像の皇帝・太宗はどのような人物であったか
    歴史学者ならではの鋭い分析とわかりやすい解説で、本書の「本当の意義」を読み取ることができます。

    【本書は訳し下ろしです】
  • 習慣として早朝の数時間、一日のうちいちばん「非社会的」な時間に書き続けられたというヴァレリーの言葉。
    膨大な量のそれは人間の生の実相へと肉迫する。作品が装置であるとはどういうことか。時間と行為の関係とは? 詩が身体を解剖するとは? 
    ヴァレリーのテクストを丹念に読み込み、そこから描き出された芸術と身体と生の関係。
    著者の美学・身体論の出発点となった記念碑的力作。
  • 時代劇でおなじみの名奉行や悪代官の意外な実像から、驚くほど便利な江戸の暮らしまで、研究者ならではの視点で江戸の風もあざやかに切り取った短編集。
    桜吹雪で知られる「遠山の金さん」の父は、とある試験を転機に異例の大出世を遂げた名官吏だった!? 
    「おれがわるかつた」、「ゆるせゆるせ」とざっくばらんに詫びる「暴れん坊将軍」吉宗の肉声に、文字通り女房を「借金のカタ」に差し出してしまった旗本、年利一二〇〇%の超高金利金融「烏金」利用者の実態に、宛名に記された「殿」と「様」の格付けをめぐるひと悶着……。
    読めばもっと江戸が好きになる。第一人者の篋底から取り出された珠玉の掌編の数々!
    (原本:『大江戸世相夜話』中公新書、2003年)

    【本書の内容】
    はしがき

      遠山金四郎の入墨
    遠山金四郎の入墨/遠山金四郎父子/江戸の受験参考書/名奉行の「条件」/官職名の由来/銭形平次と目明/親の歳を間違える金四郎

      お代官様――悪の代名詞
    将軍吉宗の肉声/遊芸を許す田沼意次/お代官様――悪の代名詞/秘薬「熊胆」の値段/「謙譲の美徳」の裏側
    二十二時間・二十三日間・三年間/白いカラスは吉兆か/殿と様はどちらが偉いか

      大御所の犯罪
    大御所の犯罪/無 尽/談合体質の根深さ/拾った金は誰のものか/象をめぐる暗闘/国民の生命の重み/女房を借金のカタに置いても

      女髪結い繁盛記
    便利すぎて困る/女髪結い繁盛記/江戸の贈答事情/江戸の高利貸し/証文の怖さ または、江戸の女性はしたたか/地獄の沙汰も金次第

      放蕩息子の矯正
    読み書き算盤/放蕩息子の矯正/「うろたえる」老人たち/天明七年のポスター/上流女性をどう呼ぶか

    初出一覧
    あとがき
    学術文庫版あとがき
  • 山に富み、森林に覆われ、海に囲まれた列島。そこに棲む日本人は自然の恵みを享受し、生計を立て、カミに礼を尽くしては人生の節目とした。また、参詣・巡礼に言寄せた遊山や漂白・旅の渡世は、楽も苦も味わう深さをもたらした。
    近世に固まったそうしたスタイルは、しかし高度経済成長期を境に変容を余儀なくされる。見失われた日本人の暮らしと人生の豊穣はどんな形だったのか。民俗学者がフィールド観察と研究の蓄積をもとに語る。
  • 〈『論語と算盤』よりも明快!〉

    渋沢栄一「最後の肉声」を現代語訳。
    読めば、2021年大河ドラマ『青天を衝け』が、ぐっと味わい深くなる!

    ■怒濤の人生を回顧し、現代人に希望を託す、畢生のメッセージ■
    時勢が緊迫する昭和のはじまりにあって、人生の黄昏を迎えていた「日本資本主義の父」は、
    後世に何を言い遺こそうとしたか。
    「家訓」にはじまり、倫理観、経済観、政治観、人生観など広汎なテーマについて32項目にわたって、
    幕末維新の経験をふまえ、日本の明日を憂いながら語り尽くした談話集「青淵論叢」を、
    渋沢という人物を知り尽くした鹿島茂が読みやすく現代語訳し、さらに懇切に解説。

    「金というものは社会の力を表彰している役にたつ道具ですから、これを貴ぶのは正当なことですが、しかし、必要な場合にはよくこれを消費しなければなりません。消費はもちろんよいことなのです。よく集めてよく散じ、もって社会を活発にし、それによって経済界の進歩を促すのはまさに有為の人が心がけなければならないことなのです。真に経済のよくわかった人は、よく集めてよく散じるようでなければなりません。よく散じるとは正当に支出することです。金を善用することです」(本書「富者の要務」より)

    「江戸の封建主義に代わって明治・大正の資本主義が登場しても、官は官のもの、民は民のものという疎外的分担体制はよりひどくなっている。
     これは、自分にも責任があるのだから、なんとしても最終解決しなければならない。
     では、どうすればいいのか?
      これが、日本の資本主義をほとんどゼロから独力で作り上げた渋沢が古希にあたって再度、自分に問いかけた疑問だったのである」(本書「編訳者解説」より)

    【本書の主な項目】
    立身出世の秘訣/信用を得る人得ない人/叱言(こごと)の云い方/真の成功とは何か/予の人物鑑識法/大国民は斯う有り度い/外来思想と咀嚼消化の力/国家観念と世界主義/政治経済と道徳観念/道徳と経済の合一説/事業経営に必須の条件 ほか
  • 景色にまぎれた不自然な段差、小さな抜け道。かすかな違和感に導かれ、古地図を広げて一九世紀のガイドブックや文学作品を繙けば、モーパッサン、ランボー、ゾラが暮らした時代の空気がみるみる立ち上る! 当時の風習や世相までをも、ユーモラスな視点で活写。中世から一九世紀を自在に飛び回る旅へ、中世・ルネッサンス研究の泰斗が貴方を誘う。

    (一部抜粋)
    本書は、パリ街角のさりげない光景のなかに、この都市の記憶を、あるいはこういってよければ、パリという馥郁(ふくいく)たる香りの酒瓶の底に沈んだ澱のようなものをたどろうとした試みである。「神々は細部に宿れり」をモットーにして、半ば意識的に、モニュメントとはいいがたい些細な「モノ」をめぐるささやかなる探偵旅行を展開してみた。――「プロローグ」より


    目次

    プロローグ
    1章 三つの壁、三つの時代・
     1 中世に飛ぶ 
     2 古地図のなかのパリ 
     3 入市税関の時代 
     ●コラム『タブロー・ド・パリ』 

    2章 パサージュを渡り歩く
    「昔の香りただようショワズール小路よ」/ヴァリエテ座の楽屋口
     /パサージュ対ギャルリー/ジュフロワ小路からヴェルドー小路へ
     /「ソルボンヌ小路」を発見!/セピア色のパサージュ
     ●コラム『ナナ』 

    3章 昔のガイドブックから
     1 『パリ= ディアマン』一八六七年版 ●コラム『居酒屋』
     2 局留め便、ひとむかし前のメール ●コラム『肉体の悪魔』 
     3 写真館の時代 
     「小さな肖像」/ランボーを撮った写真家/「立体写真」ブーム

    4章 まぼろしの公衆トイレを求めて

    5章 記憶の場としてのマルヌ川
     1 『居酒屋』の時空間 
     2 マルヌ川の岸辺で思うこと 
     3 思いがけず廃線歩き 

    6章 印象派の散歩道
    学術文庫版付録「青春のカルチエ・ラタン」
    あとがき

    本書は2002年、講談社現代新書より刊行された『パリ歴史探偵術』を改題、一部、加筆修正したものです。
  • ベートーヴェンはナポレオン戴冠の知らせを聞いて作曲中の第三シンフォニーの楽譜を床にたたきつけたといいます。「ボナパルト」なるタイトルを持つはずだったこの交響曲は標題をあらため、英雄交響曲《シンフォニア・エロイカ》として発表されました。ナポレオンに落胆したものの、革命の時代に終止符をうつ「英雄」を待望していたのです。
    ドイツ人作曲家ルートヴィヒ・ファン・ベートーヴェン(1770-1827年)の生きた18世紀から19世紀にかけてのヨーロッパは、革命の進行する激動の世紀でした。この時代の人々にとって、自前の代表者をもちえないドイツですら、「英雄」とは実在する観念でした。どのようにして英雄像はリアリティを持ったのでしょうか。
    馬上のナポレオンを目撃したヘーゲル。皇帝となったナポレオンに謁見したゲーテ。
    ナポレオンという「英雄」は幻想にすぎなかったのか。ベートーヴェンの生涯をたどりつつ同時代の偉人たちをとおして、「英雄の世紀」を臨場感あふれる筆致で描きます。
    西洋史の泰斗が達意の文章でおくる近代創成のロマン!!

    【本書の内容】
    はじめに
    第一章 英雄(エロイカ)の世紀
    第二章 啓蒙の賢人から普遍の天才へ
    第三章 啓蒙都市民の誕生
    第四章 ヨーロッパ国際関係のなかのドイツ
    第五章 ナポレオン革命
    第六章 ナポレオン・ショック
    第七章 市民と英雄
    第八章 古典主義からロマン主義へ
    第九章 静穏の一八二〇年代
    主要参考文献
    学術文庫版あとがき
    関係年表
  • 日本では民主主義(デモクラシー)の使徒とみなされるルソーが、欧米では全体主義の思想家とみなされるのはなぜか。なぜ、民主主義はナポレオンやヒトラーのような独裁を生み出してしまうのか。民主主義は何に敗北してきたのか。そもそも民主主義とはいったい何なのか――。
     本書は、民主主義、そして民主主義の双子ともいうべきナショナリズムをめぐる思想がどのように生まれ、変容してきたのか、原点であるフランス革命の基盤となったルソー、シィエスの思想にさかのぼり、トクヴィルやJ・S・ミルによる自由主義者からの民主主義への反論、世界大戦期ドイツのヴェーバーとカール・シュミットの思想、さらに全体主義批判を踏まえた冷戦期のアレント、ハーバーマスを経て冷戦終結後の現在に至るまで、思想家たちが生きた時代的背景とともに、一気呵成に描き出す。
     民主主義とはなにか、この根源的な問いの答えは、幾多の血を流しながら民主主義が歩んできた歴史のうちにこそ見いだされる。著者渾身の民主主義思想史!!


    【本書の内容】

    はじめに

    序章 民主主義のパラドクス

    第1章 近代民主主義とナショナリズムの誕生
     第1節 フランス革命とルソー、シィエスの思想
     第2節 ドイツ・ナショナリズムとフィヒテの思想

    第2章 自由主義者の民主主義批判とナショナリズムの発展
     第1節 民主主義革命とトクヴィル、ミルの思想
     第2節 ナショナリズムの統一運動と民族自決権の思想

    第3章 民主主義観の転換とナショナリズムの暴走
     第1節 第二帝政期ドイツとヴェーバーの思想
     第2節 ワイマール期ドイツとカール・シュミットの思想
     第3節 民族自決権の適用とその帰結

    第4章 民主主義の再検討とナショナリズムの封じ込め
     第1節 全体主義批判と民主主義論の再構築
     第2節 民族自決権の受容と回帰

    結び 冷戦終結後の民主主義とナショナリズム
    あとがき
  • 人間は遺伝子に操られているのか?
    宇宙開闢の時点で、その後の出来事は一通りに決まっていたか?
    運命はあるのか?
    人間と機械は何が違うのか? 
    こうした疑問はすべて人間の自由意志の問題であり、
    デモクリトスからスピノザ、デネットまで、
    決定論の哲学史に刻まれている。
    ダーウィンや神経科学など自然科学的観点も検討しつつ、
    決定論のこれまでとこれからを考える。
  • 格差拡大、雇用不安、デフレ、グローバリズムの停滞……。「構造改革」以降、実感なき好景気と乱高下する日本経済。過剰な貨幣発行がもたらす問題、「複雑な“経済現象”」と「理論重視の“経済学”」の乖離など、現代資本主義が直面する困難を徹底的に検証。
    アダム・スミスから金融理論、リーマンショックからアベノミクスまで、経済学の限界と誤謬を提示する。

    内容抜粋
    「経済学」がひとつの思想でありイデオロギーであるとすれば、今日の支配的な経済学の考え方とは異なった「経済」についての見方はできないか。「稀少な資源の配分をめぐる科学」というような経済学の典型的な思考方法ではない、別の思考様式はないのか、ということだ。―――学術文庫版「はじめに」より

    目次
    学術文庫版「はじめに」
    第1章 失われた二〇年――構造改革はなぜ失敗したのか
       学術文庫付論
    第2章 グローバル資本主義の危機――リーマン・ショックからEU危機へ
       学術文庫付論
    第3章 変容する資本主義――リスクを管理できない金融経済
    第4章 「経済学」の犯罪――グローバル危機をもたらした市場中心主義
    第5章 アダム・スミスを再考する――市場主義の源流にあるもの
    第6章 「国力」をめぐる経済学の争い――金融グローバリズムをめぐって
    第7章 ケインズ経済学の真の意味――「貨幣」の経済学へ向けて
    第8章 「貨幣」という過剰なるもの――「稀少性」の経済から「過剰性」の経済へ
    第9章 「脱成長主義」へ向けて――現代文明の転換の試み
    あとがき――ひとつの回想
    学術文庫版あとがき

    2012年刊行、講談社現代新書『経済学の犯罪』を改題、
    大幅加筆修正したものです
  • 相貌論、懐疑論、ウィトゲンシュタインの転回、過去、隠喩、自由――スリリングに展開する、著者会心の「哲学的風景」。
  • 880(税込)
    著:
    池内紀
    レーベル: 講談社学術文庫
    出版社: 講談社

    「むだで横道にそれた知識には一種のけだるい喜びがある」。ホルヘ・ルイス・ボルヘス(1899-1986年)は、『幻獣辞典』の序でそう語る。
    マルコ・ポーロがスマトラで目にした一角獣、フランスの教会の壁面に刻まれた大耳人間、日光東照宮を彩る幾多の霊獣に、目まぐるしく姿を変える千変万化のバルトアンデルス.......。古今東西の書物に記された、不思議で興味深い生きものたちをめぐるエッセイは、まさにボルヘスが語る「喜び」に満ちている。
    龍のように、洋の東西を超えて同じような想像上の生きものが生み出されるのはなぜか。人間はなぜ、くり返し、異様なもの、奇妙なもの、ときにはグロテスクなものを生み出したがるのか――。軽妙洒脱な語り口で繰り広げられる世界に引き込まれていくにつれて、私たちの意識に、あるいは無意識のうちにこそひそむ「幻の獣」の姿が浮かび上がる。
    古代中国の『山海経』から、二十世紀にカレル・チャペックが生み出したロボットに至るまで、書物を広く深く愛した著者ならではの幻獣奇譚集。

    1 一角獣――マルコ・ポーロが見たもの
    2 アジアとヨーロッパ――幻獣という知の遺産
    3 不思議な生きもの、不思議な人――狂気と文学のあいだ
    4 幻獣紳士録1
    5 幻獣紳士録2
    6 百鬼の奇――日本の幻獣
    7 霊獣たちの饗宴――日光東照宮の場合
    8 中国の宝の書――『山海経』入門
    9 私という幻の獣――寺山修司の夢
    10 ゴーレムからロボットへ――二十世紀の幻獣
  • 1,705(税込)

    人が人にさわる/ふれるとき、そこにはどんな交流が生まれるのか。
    介助、子育て、教育、性愛、看取りなど、さまざまな関わりの場面で、
    コミュニケーションは単なる情報伝達の領域を超えて相互的に豊かに深まる。
    ときに侵襲的、一方向的な「さわる」から、意志や衝動の確認、共鳴・信頼を生み出す沃野の通路となる「ふれる」へ。
    相手を知るために伸ばされる手は、表面から内部へと浸透しつつ、相手との境界、自分の体の輪郭を曖昧にし、新たな関係を呼び覚ます。
    目ではなく触覚が生み出す、人間同士の関係の創造的可能性を探る。
  • 阪急創業者・小林一三は、「政治中心」の東京に対して、大阪を「民衆の大都会」と呼んだ。

    ターミナル・デパート、高級住宅地……国鉄に対抗し「官」からの独立を志向する関西私鉄は、沿線に市民文化を花開かせ、「民衆の都」大阪は東京を凌駕する発展を見せた。
    だが、大正から昭和への転換、昭和天皇行幸を機に、街は次第に「帝都」へと変質してゆく―。

    権力の装置=「国鉄」と関西私鉄との葛藤を通し、「都市の自由」の可能性とその挫折を描く、原武史の代表作。
    第20回(1998年) サントリー学芸賞(社会・風俗部門)受賞。

    [解説(鹿島茂)より]
    「横軸としての鉄道に、縦軸としての天皇が交差することによって、思考の座標軸が形成され、二つのパラメーターが思考の軌跡をさまざまに描き出す」


    [本書の内容]
    はじめに―昭和大礼の光景
    第一章 私鉄という文化装置
     「帝国」と「王国」
     『細雪』から
     関東私鉄と関西私鉄
    第二章 「私鉄王国」の黎明
     第五回内国勧業博覧会
     法の抜け穴
     二つの風土
    第三章 「阪急文化圏」の成立
     往来ふ汽車を下に見て―小林一三という人物
     民衆の都
     沿線文化の確立
     反官思想の結実―阪急デパート

    第四章 昭和天皇の登場
     「大大阪」の誕生
     昭和大礼と都市空間の変容
     官民協力奮励セヨ―一九二九年の行幸
    第五章 阪急クロス問題
     「官」の巻き返し
     逆風
     小林一三、社長を辞任す
    第六章 「帝都」としての大阪
     大阪市民たるもの
     天皇のまなざし
     一生一代の御奉公
    おわりに―「紀元二千六百年」の光景

    解説=鹿島茂

    ※本書の原本は1998年に講談社選書メチエより刊行されました。
  • 太平記よみの語りは、中世・近世を通じて人びとの意識に浸透し、天皇をめぐる2つの物語を形成する。その語りのなかで、楠正成は忠臣と異形の者という異なる相貌を見せ、いつしか既存のモラル、イデオロギーを掘り崩してゆく。物語として共有される歴史が、新たな現実をつむぎだすダイナミズムを究明し、戦記物語研究の画期となった秀作、待望の文庫化。

    これほど、読むたびに知的興奮を覚えさせられる本は、めったにない。10年前、兵藤さんからこの本を贈られ、一気に読んでそのスリリングな議論展開のとりこになって以来、『太平記<よみ>の可能性』は、文字通り私の座右の書になった。そのときどきの私の関心に応じて、さまざまな読み方ができ、そのたびに啓発される。この本自体、豊かな<よみ>の可能性にみちているのだ。――<川田順造「解説」より>

    〔原本:1995年刊行の講談社選書メチエ〕

    第1章 太平記の生成
    第2章 もう1つの「太平記」
    第3章 天皇をめぐる2つの物語
    第4章 楠合戦の論理
    第5章 近世の天皇制
    第6章 楠正成という隠喩(メタファー)
    第7章 『大日本史』の方法
    第8章 正統論から国体論へ
    第9章 歴史という物語
  • 本書は、現代最高峰の人類学者クロード・レヴィ=ストロース(1908-2009年)の全貌を描いた決定版の誉れ高い1冊です。
    ベルギーに生まれたレヴィ=ストロースは、フロイトやマルクスに触れた青年期を経て、南仏で高校教師になりました。その中で育まれた情熱を抑えられなくなった1935年にブラジルへ旅立ち、カデュヴェオ族やボロロ族、そしてナンビクワラ族の調査に乗り出します。その後、第二次世界大戦の勃発を受けて従軍しますが、1941年にはユダヤ人への迫害を回避するべくアメリカに亡命したレヴィ=ストロースに、ニューヨークで決定的な出来事が訪れました。それが言語学者ロマーン・ヤコブソン(1896-1982年)との出会いです。
    のちに『音と意味についての六章』として公刊されるヤコブソンの講義の内容は、レヴィ=ストロースの中で若い頃からあたためられていた「構造」の概念と交錯しました。そうしてヤコブソンの勧めを受けて書き始めたのが、構造主義の誕生を告げる『親族の基本構造』であり、4年をかけて完成されたこの大著は1949年に刊行されることになります。
    ここから旺盛な執筆活動を開始し、『人種と歴史』(1952年)、『悲しき熱帯』(1955年)、『構造人類学』(1958年)を生み出したあと、1959年にはコレージュ・ド・フランス教授に就任したレヴィ=ストロースは、一世を風靡した『野生の思考』(1962年)を発表すると、ついに全4巻に及ぶライフワーク『神話論理』(1964-71年)に着手しました。
    その後も100歳で逝去するまで活躍し続けた偉大な人類学者が残した数々の仕事を、その生涯や時代との関係を描きつつ明快に解説してみせた本書は、1996年の刊行以来、概説書のスタンダードとして四半世紀にわたって読み継がれてきました。このたび、最新の書誌情報を追加するとともに、生前の著者と深い交流のあった小泉義之氏の書き下ろし原稿を併載した文庫版としてお送りいたします。

    [本書の内容]
    序 章 構造主義のエシックス
    第一章 歴史の影のなかで
    第二章 声とインセスト
    第三章 旅の終わり
    第四章 神話と詩のあいだに
    第五章 幻想から思考へ
    第六章 新石器のビルドゥングスロマン 1――南半球の森から
    第七章 新石器のビルドゥングスロマン 2――北半球への旅
    終 章 「構造」の軌跡

    主要著作ダイジェスト
    キーワード解説
    読書案内
    レヴィ=ストロース略年譜

    解 説 小泉義之
  • 徳川氏入国以降中心都市となった江戸では、拡大する市街に上水を供するため、すでに独創的な工夫を絶えず続けていた。東京と改まってのち、明治20年の横浜に始まる近代水道は同31年に東京でも通水を開始する。以来日本の首都として急速に発展した東京は、震災、戦災、水害、渇水、地盤沈下、断水と度重なる危機をどう乗り越え、発展してきたのか。家康が家臣に命じ小石川の上水を引いてから淀橋浄水場が「跡地」となるまで、供給側と市民生活の変貌を描く。戦前より長年、東京都水道局で実務に携わった著者渾身の「水道の文化史」。(原本:『水道の文化史』鹿島出版会、1981年刊)
  • 書きのこされた「歴史」は、現実に営まれた事実としての「歴史」とイコールではない。神から人へと直線的な時間で編まれた日本書紀と、神がみと人間の時間が併存する古事記。天皇の婚姻系譜における父系と母系。クーデターの正統性と敗者への視点……。過ぎ去った時間を手中におさめたい意志が歴史を編集する。神話と歴史をともに表現行為ととらえ、古代の世界観を検討する。
    ベストセラー『口語訳 古事記』を生み出すことになる、通説への疑義と考察に満ちた一冊を大幅にアップデートして文庫化!
  • かつて500年に亘り、栄華を極めたオスマン帝国。
    東洋と西洋、イスラムとキリスト教という文明と宗教の交差が生み出した
    大首都・イスタンブルで、当時、人々はなにを食べ、どんな暮らしをしていたのか?

    1500坪の台所で260余名のコックが、年に600万円予算で贅を尽くしたトプカプ宮殿の献立。
    食事が足りないと鍋を投げて暴動を起こした、屈強たるイエニチェリ軍団の食い意地。
    施しこそ敬虔な信仰の証、と貧者への給食すら豊かだったこの帝国を、
    当時の料理書や、市場で売られた食材物価表までたどって、細やかに検証。
    オスマン帝国の興亡を「食」で大胆に考察する。

    目次

    巻ノ一 古都は食をはぐくむ
    巻ノ二 遊牧の遺産
    巻ノ三 ケバブのみがトルコ料理にあらず
    巻ノ四 イスタンブルの市場めぐり
    巻ノ五 君府料理尽し
    巻ノ六 貧者の給食
    巻ノ七 トプカプ宮殿の台所
    巻ノ八 スルタンの食卓
    巻ノ九 祝祭の饗宴
    巻ノ十 「土」風から「洋」風へ

    学術文庫版あとがき 


    今でも、トルコ語で「大鍋を覆す」といえば反乱を起こすことを指すが、事態がそこまでいかなくとも、俸給支払いの日のスープをイェニチェリたちが飲むのを拒むとなれば、帝都の騒擾につながりかねず、下手をすれば当面の政権の担当者たる大宰相の首が文字通り飛んでしまう。トプカプ宮殿の中庭でのイェニチェリへのスープの振舞いは、(略)、一大国事でもあった――― 巻ノ八 スルタンの食卓より

    本書の原本は、1995年、NTT出版より刊行されました。
  • 泥沼の十五年戦争は、なぜ、どのように始まったのか? 端緒である1931年の満州事変と翌1932年の上海事変は、中国北洋軍閥間の争いの混乱に乗じた前者、民族的抵抗の形成を見た後者と、それぞれ異なる性格を有している。両者について経緯を詳述し、さらに5年後の盧溝橋事件による全面戦争展開へつながる時代の流れを示す。その時内閣は、軍部は、日本の世論は、列国や国際連盟の反応は、両国各部隊の進路は――? イデオロギーを排し、史実のみを丹念に追うことで中国侵略の発端の全貌を明らかにする、近代史研究における古典的名著。(原本:中公新書、1974年刊)
  • 880(税込)
    著:
    宮本常一
    レーベル: 講談社学術文庫
    出版社: 講談社

    生活学の先駆者として生涯を貫いた著者最晩年の貴重な話――「塩の道」、「日本人と食べもの」、「暮らしの形と美」の3点を収録した。日本人の生きる姿を庶民の中に求め、村から村へと歩きつづけた著者の厖大な見聞と体験がここにはある。日本文化の基層にあるものは一色ではなく、いくつかの系譜を異にするものの複合と重なりである、という独自の史観が随所に読み取れる本書は、宮本民俗学の体系を知るための最良の手引きとなるだろう。
  • 1,265(税込)
    著:
    鎌田茂雄
    レーベル: 講談社学術文庫
    出版社: 講談社

    四世紀後半、朝鮮半島へ主として中国から伝わったとされる仏教。
    高句麗・百済・新羅の王たちは新しい思想をどのように受け入れたのか。
    またその後の王権と社会は仏教の影響のもとでどんな文化を形成していったのか。
    崇拝と排斥、求道と教学、独自の哲学の錬磨、宗派の流れなど、
    東アジア仏教圏の中でも独特の道を歩んだ朝鮮仏教の歴史を総覧する。
  • 1792年、ウィーンの地に立った一人の青年音楽家は、その後いかなる道のりをたどって、「楽聖」となったのか。
    師ハイドンはじめ同時代の音楽家たちとの出会い、《エロイカ》《第十交響曲》創作の謎、家族関係の苦悩と波乱の生活、各界の理解者や奇人らとの友情、そして恋人……
    音楽のあり方を根本から変え、傑作を生み出し続けたその生涯に、音楽評論の名手が全角度から光を当てる、珠玉の二十話。

    【本書の主な内容】
    青春のボン/ベートーヴェンの愛―婚約説をめぐって/第十交響曲のゆくえ/《シンフォニアエロイカ》の謎/ 「メルツェルさん、さようなら」―メトロノーム考/ 《ウェリントンの勝利》の顛末/べートーヴェンと宗教―フリーメーソンだったのか?/イギリスへの夢―ニートとの交際をめぐって/オペラのライヴァル―同時代人ウェーバー/「第三の故郷」ボヘミア/ヴァイオリン・コンプレックス/コントラバスとマンドリン/ダンス音楽への愛着/「歓喜」の背景―日本人とベートーヴェン など

    ※1987年刊『ザ・ベートーヴェン』(春秋社刊)の文庫化
  • 茶道の美と精進の思想―和の食、かくして極まれり。

    「懐石」と「会席」は何が違うのか。
    利休の「一汁二菜」「一汁三菜」はなぜ正統となったのか。
    「乾杯」の日本的起源とは。

    茶道から生まれた様式がいかにして日本料理の伝統を形づくったのかを、資料から丹念に考察する。
    和の食、その精髄たる懐石料理の誕生から完成、そして後世への継承という歴史の中に、
    日本文化のエッセンスを見いだす類稀なる論考。

    【本書より】
    何故、懐石という新しい料理の様式が生まれたのか。その歴史的前提を明らかにしなければならない。料理に限らず、文化は一つの様式に固定してしまうと、それを内部から突き破る革新が起こって、また新しい創造的な歩みがはじまる。いわば本膳料理の行き詰まりを打破する革新であったと、さきに懐石を位置づけたのだが、では、本膳料理とは何か―

    【本書の内容】
    唐菓子と柏餅―序にかえて
    第一部 懐石誕生
     懐石の誕生
     近世公家の懐石
     千家茶会記にみる懐石
     茶書にみる懐石の心得
    第二部 懐石以前
     大饗料理
     本膳料理
     精進料理
    第三部 料理文化の背景
     中世の食文化点描―大工・荘園・都市
     日本の食事文化における外来の食
  • 日本人は宗教になにを求め、なにを信じてきたのか? 仏教は思弁的な教義や哲学、僧侶の支配、また優雅な仏教芸術のみで語られるものではない。インドから中国、朝鮮を経て、欽明天皇十三年(西暦552)に日本に受容された仏教は、庶民の間で不安や苦痛、悩みからの救済として取り入れられ、それぞれの生活や慣習に合わせ独自の伝播と発展を見せた。観音信仰、ヤマ信仰、高野聖にイタコ、踊り念仏、お遍路さん――多種多様な民間宗教の形から、日本の仏教文化を問い直す。(原本:角川選書、1985年刊)
  • 柱を立てるとはどういう行為だったのか。神を祀り天と地の通路を探った古代人の憧憬は、高く太い柱を求め、やがて神仏の近くへと山に分け入っていく。
    山中に見出される聖なる岩座、そこに建てられる堂舎は懸造と呼ばれ、人々が観音や権現に伏し、籠もり、苦修錬行する拝所となる。
    岩、岩窟、湧水に神仏を感じ霊験を求める日本人、形としての山岳建築に、浄所への畏敬と崇拝の心性を読む。
  • 令和3年6月、天台宗の開祖である伝教大師・最澄の1200年大遠忌を迎える。平安時代に真言宗を開いた空海とならび、日本の仏教史で大きく語られる最澄の評伝と、その後の弟子たちの活動、さらに江戸時代に至るまで日本史の中で天台宗が果たした役割をコンパクトに学ぶ良質な概説書。
    最澄が生きた時代、仏教は単に「信仰」の対象だっただけではなく、学問そのものであり、社会制度を支える思想であり、律令国家を成り立たせ、安定させる機能をも期待されていた。僧侶は思想・教養を備え、宗教的に訓練されたいわば国家公務員として位置づけられているなかで、最澄ほど、律令制度の中で十分に機能する僧侶のあり方を追究してやまなかった僧はいない、とすらいえるのである。そして比叡山からは、円仁・円珍をはじめ、良源、源信、徳川家の信任を得た天海らの高僧を輩出して、天台宗は国教にひとしい地位を占めた。また、最澄以来培われた一乗仏教の思想からは、いわゆる鎌倉新仏教が派生していったことから、比叡山・天台宗は「日本仏教の母胎」とも呼ばれる。最澄と天台教団を軸に、日本仏教の1200年の歴史を読み直す。巻末解説を、著者の子息で大正大学特任准教授の木内堯大氏が執筆。〔原本:教育社刊、1978年〕
  • 1,650(税込)
    著:
    中西進
    レーベル: 講談社学術文庫
    出版社: 講談社

    「おそらく、私は「万葉集原論」を生涯の課題としていくことだろう」。
     本書は日本を代表する文学者、中西進の真骨頂である。
     現存する最古の歌集『万葉集』。七、八世紀の歌、四千五百首余が二十巻に収められ、額田王、柿本人麻呂などの著名な歌人、天皇、皇族から、防人、遊女に及ぶ作者と作品の豊かさは、世界的にみても異彩を放っている。
     この『万葉集』研究の第一人者であり、幅広い文学活動でも知られる著者は、古代日本文学の本質に迫ると同時に、世界のなかの日本文化を問う視座を持ち続けてきた。
     『万葉集』とは何か。真摯にそれを見極めんとした本書が示すのは、学問とは何か、その方法はいかにあるべきかという切実な問題意識に裏打ちされた、著者だからこそ到達しえた比類なき『万葉集』の姿である。(原本:『万葉集原論』桜楓社、1976年)
    【主な内容】
    学術文庫版まえがき

     一 万葉集研究の方法
    文学史の方法――その「歴史」について
    文学研究の方法
    万葉集研究の方法
    研究と批評

     二 万葉集の構造
    万葉集の構造
    万葉集の生成
    万葉集の原点
    万葉集の集団性

     三 万葉集の表現
    万葉歌の形式
    万葉歌の方法
    古代的知覚――「見る」をめぐって
    古代文学の言語
    万葉集の漢語

    桜楓社版後記
    解題 犬飼公之
  • ※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。

    日本を代表する国語学者の代表作「口語篇」(1950年)と「文語篇」(1954年)を1冊に収録した初の文庫版。
    ヨーロッパの言語学に依拠した明治以降の国語学に抗して独自の体系を築いた稀代の学者・時枝誠記(1900-67年)。人間の心の中で起きる言語の働きに注目し、言語を実体的な対象として捉えることを拒む時枝は、文の構成要素となってそれに対応する意味を生み出す「詞」と、それを心の中で生きさせる働きそのものである「辞」を区別する。そして、「辞」が「詞」を包含し、そのまとまりがより大きなまとまりに包含されていく「入れ子構造」を基本に据え、「言語過程説」と呼ばれる独自の理論を築き上げた。
    言語過程説は『国語学原論』(1941年)として発表されたが、この一般理論は具体的な日本語を説明できなければ、単なる理論で終わってしまう。だから、時枝は口語と文語のそれぞれについて、文法の詳細な解説を形にする必要があった。それこそが、本書にほかならない。
    「時枝文法」の全容を明らかにした本書は、日本語に潜む文法の実相を、広い読者に向けて、全力で説き明かそうとした渾身の作であり、日本語について考える上で避けて通ることのできない不滅の古典である。読みやすさに配慮して旧字体は新字体に変えつつも、かな遣いについては時枝自身が望んだ「旧かな遣い」を保持した本文庫版を、前田英樹氏による情熱あふれる「解説」とともに味読する喜び。

    【本書の内容】
    [口語篇]
    はしがき
    第一章 総 論
    第二章 語 論
    第三章 文 論
    第四章 文章論

    [文語篇]
    はしがき
    第一章 総 論
    第二章 語 論
    第三章 文 論
    第四章 文章論
    注意すべき動詞活用例

    解 説(前田英樹)
  • 没後20年を過ぎた今も世界中で多くの読者を獲得し続けている哲学者ジル・ドゥルーズ(1925-95年)。初の単著『経験論と主体性』(1953年)から『ニーチェと哲学』(1962年)、『カントの批判哲学』(1963年)を経て『ベルクソニスム』(1966年)に至る哲学者のモノグラフィーを発表したドゥルーズは、続いて『差異と反復』(1968年)と『意味の論理学』(1969年)を解き放ち、世界に衝撃を与えた。進化を続ける哲学者は、次に精神分析家フェリックス・ガタリ(1930-92年)との協働を始動させ、『アンチ・オイディプス』(1972年)と『千のプラトー』(1980年)という恐るべき著作を完成させる。その後、記念碑的な映画の哲学『シネマ』全2冊(1983年、85年)、ライプニッツ論『襞』(1988年)といった単著の執筆に戻ったドゥルーズは、最後にもう一度、ガタリとの共著『哲学とは何か』(1991年)を発表。そして、1995年11月4日、みずから命を絶った。
    本書は、1976年から83年――『千のプラトー』から『シネマ』へと至る時期にドゥルーズ本人の薫陶を受け、その指導の下で博士論文を書いた著者が、主要著作の読解を通して師の歩んだ道のりをたどり直し、初めて1冊にまとめたものである。2001年に講談社選書メチエとして出された原著は、20世紀最大の哲学者の全容に触れたい人の「最初の一冊」として広く親しまれてきたが、このたび、大幅な加筆・訂正を経た決定版をお送りする。
    ひたすら愚直に、そして誠実に主要著作を読み解いていった約20年前の作業を現在のまなざしで見直した著者は、「いまはドゥルーズについて書くべきことを書き終えなければ、と思う。量ではなく、質の問題、いやまさに強度の問題である」と書いている。こうして生まれ変わった本書は、今後も新たな輝きを放ち続けるだろう。

    [本書の内容]
    この本にいたるまで――学術文庫版に寄せて
    プロローグ――異人としてのドゥルーズ
    第一章 ある哲学の始まり――『差異と反復』以前
    第二章 世紀はドゥルーズ的なものへ――『差異と反復』の誕生
    第三章 欲望の哲学――『アンチ・オイディプス』の世界
    第四章 微粒子の哲学――『千のプラトー』を読み解く
    第五章 映画としての世界――イマージュの記号論
    第六章 哲学の完成
    エピローグ――喜びの哲学
    文献一覧
    あとがき
    学術文庫版あとがき
    ジル・ドゥルーズの生涯と主要著作
  • こうして「日本」は形づくられた!

    なぜ、大和は出雲を必要としたのか?
    朝日と夕日、太陽と蛇、陸と海、現世と他界―
    天武・持統の大和王権を守る「両端の象徴的霊威」をになうものとして伊勢・出雲をとらえ直し、日本の起原に鋭く迫る試み。
    「神とは何か」という民俗学による理論的分析の視点と、歴史学による記紀をはじめとする文献研究、考古学の発見を融合させた、新しい古代探究!


    【本書の内容】
    第一章 伊勢神宮の創祀
    第二章 〈外部〉としての出雲
    第三章 祭祀王と鎮魂祭
    終 章 〈日本〉誕生への三段階

    ※本書の原本は、2008年に講談社選書メチエより刊行されました。
  • 一週間は7日、一年が12ヵ月、なんで?
    年・月・日から曜日や干支をはじき出す計算式とは?
    一週間が5日の暦、どんなの?
    英語で1~6月は「神」、7,8月は歴史上の人物、9月から12月は数字、なぜ?
    十二支のイメージはどこから?
    「必ず仏滅になる日」がある?
    「史上いちばん短かった年」は?
    占星術の成り立ちはどこから?
    「〇座の生まれ」って、つまりどういうこと?
    ――答えは本書で。
    (原本:『暦と占いの科学』新潮選書、1982年刊)
  • 「この本では、生物の形態を、一般にヒトがどう考え、どう取り扱うかについて、私の考えを述べた。いままで、形態そのものを扱った本は多いが、こういう視点の本はないと思う。」

    生物の形に含まれる「意味」とはなにか? 形を読むことは、人間の思考パターンを読むことである。解剖学、生理学、哲学から日常まで、古今の人間の知見を豊富に使って繰り広げられる、スリリングな形態学総論。ものの見方を変える一冊!
  • これからの人生(セカンドステージ)をデザインするためになにより必要なのは、これまでの人生(ファーストステージ)を見つめ直すことである。そして、そのための最良の方法は自分史を書くことである。
    2008年、シニア向けコースとして開講された「立教大学セカンドステージ大学」。著者が受け持った「現代史の中の自分」には数十人のシニア世代の受講生が集まった。
    自分史を書かないと自分という人間がよくわからないはずだという信念に基づく本書は、自分の年表を作ること、なにを書くべきか、長い文章を書き続けるコツなど、自分史にまとめるための実践理論を軸に、それに応えた受講生たちの自分史を引用しながら、世の中の広い読者に向けた1冊。
  • 1,045(税込)
    著:
    北川忠彦
    解説:
    土屋恵一郎
    レーベル: 講談社学術文庫
    出版社: 講談社

    現存する最古の演劇といわれる、能楽。
    今から約600年前の室町時代に、世阿弥(1363~1443?)は、当時の大衆芸能を芸術へと昇華させ、『井筒』『高砂』『砧』『実盛』『葵上』など今も上演される名作を遺し、『風姿花伝』を始めとする世界初の演劇論を執筆しました。
    これほどまでの偉業をなしえたにもかかわらず、肖像画の1枚もない。
    世阿弥とは、一体どんな人物だったのでしょうか? なぜこの時期に、これほどまでの仕事をなしえたのか――。
    その時代背景や彼の思想哲学を、父・観阿弥や、禅竹、金剛などライバル達との作品比較、伝書から見る芸論などから細やかに考察。
    晩年、大衆に拒絶され、自身も佐渡に流された世阿弥の生涯も辿りながら、彼が求めた「老いの美学」についても検証します。

    本書は『世阿弥』(1972年 中公新書)より、舞台写真、資料写真を新たに差し替え、解説を加筆、文庫化したものです。

    解説「異端者としての世阿弥」 土屋恵一郎(明治大学長)
  • 1,045(税込)
    著:
    宮田登
    レーベル: 講談社学術文庫
    出版社: 講談社

    民俗学って何だ? 戦後の民俗学を発展させた泰斗による、決定的テキスト。人々の日常への探究は、いかに始まり、どう展開し得るか。これを読めば全体像がわかる!ハレとケ、山民/海民、カミとホトケ、ケガレ、女性と子ども……。人々の営みを学として探究するための最重要事項を、初歩から核心まで明快平易に講義。近世の萌芽から柳田国男、南方熊楠、折口信夫らに至る研究史をふまえ、さらには都市の民俗などアクチュアルな学問としての可能性を展望する。【本書より】 民俗学は二〇世紀後半、世界の文明民族の間で必然的に起こった学問である。イギリス、ドイツ、フランスなどヨーロッパ文明社会の知識人たちが、同じ民族の内部で、キリスト教以前の文化や、先住民族の遺習などに気づき、それらが辺境の地域社会に残存していることを研究対象にしてスタートさせた。日本においては、ほぼ同時期に、本居宣長や平田篤胤、菅江真澄などの国学者や知識人たちが、田舎の習慣に古代を求めたり、他界観、神観念についての考えを深めたりしており、さらに明治時代末に至り日本の近代化、工業化に対する批判の姿勢をもった柳田民俗学が出発したのであった。 各国の民俗学のあり方には、それぞれ特徴があり、一括することは難しい。しかし共通している点は、古習の残存をとらえるという観点ではなく、むしろ現代社会に現実に生きている民俗の意味を問うということであり、日本の民俗学にはそのための枠組みとして、「常民」や「ハレ・ケ」の概念が用意されたが、近年それだけでは不十分であることからつぎつぎと修正意見もだされてきている。民俗学は出発の時点においてまず都市化を経験しており、民俗が外在的にも内在的にも変容しつつあることを大きな前提としていた。民俗はつねに変化しているからこそ、変化の相のなかにプロトタイプや変化のプロセスを探ることが可能になっている。民俗の消滅は変化の仕方であり、そこに原則をとらえる必要があるだろうし、一方に民俗の再生、再生産、創造という認識もなされてくる。近代化・都市化に応じての民俗のあり方が現代民俗学にとって不可欠の視点となっているのが現状の認識といえるだろう。【本書の内容】1 民俗学の成立と発達2 日本民俗学の先達たち3 常民と常民性4 ハレとケそしてケガレ5 ムラとイエ6 稲作と畑作7 山民と海民8 女性と子ども9 老人の文化10 交際と贈答11  盆と正月12 カミとヒト13 妖怪と幽霊14 仏教と民俗15 都市の民俗※本書の原本は、1990年に放送大学教材として刊行されました。
  • 幕末の館林藩士・岡谷繁実が、十六年もの歳月をかけて完成させた武将たちの逸話集『名将言行録』。千二百をこえる厖大(ぼうだい)な諸書を渉猟して編纂されたその内容は、戦国時代の武将から江戸時代中期の大名まで、数多の武士たちの言行を詳細に描き、彼らの人物像と叡知を活写する。本書は同書から戦国期の武将二十二人を選び、平易な文章で完全現代語訳する。


    戦国武将たちの叡知と人物像を語る逸話集
    「人は堀 人は石垣 人は城 情けは味方 怨は大敵」
    これはまことのことだ──伊達政宗

    幕末の館林藩士・岡谷繁実が、十六年もの歳月をかけて完成させた武将たちの逸話集『名将言行録』。千二百をこえる厖大(ぼうだい)な諸書を渉猟して編纂されたその内容は、戦国時代の武将から江戸時代中期の大名まで、数多の武士たちの言行を詳細に描き、彼らの人物像と叡知を活写する。本書は同書から戦国期の武将二十二人を選び、平易な文章で完全現代語訳する。

    ●本書でとりあげる戦国武将●
    北条長氏(早雲)/太田資長(道灌)/山中幸盛(鹿之助)/毛利元就/武田晴信(信玄)/上杉輝虎(謙信)/直江兼続/織田信長/柴田勝家/池田輝政/蒲生氏郷/島津義久/伊達政宗/戸次鑑連/高橋鎮種/黒田孝高(如水)/立花宗茂/豊臣秀吉/福島正則/加藤清正/真田幸村/徳川家康
  • 1,430(税込)
    著:
    劉向
    著・訳:
    池田秀三
    レーベル: 講談社学術文庫
    出版社: 講談社

    「説苑(ぜいえん)」は、中国上代~前漢中期までの故事説話集。前漢の大儒・劉向(りゅうきょう)の編纂になり、皇帝の教育用の書として作られた。先行する書物をもとにして大幅に増補、内容別に整理して各編に序文が付けられている。編者は説話を通して自己の政治的主張を述べようとしたと考えられる。「君道」「臣術」「建本」「立節」「貴徳」「復恩」「善説」「権謀」「至公」「弁物」「修文」など全部で二〇篇からなり、一つ一つの説話は他書と一致するものが多く、諸子百家すべての系統の話が含まれている。そこで説かれている思想内容の基調をなすのは「尊賢論」と「節倹論」であるが、その根底には儒家思想が流れている。収録されている具体的な説話は「君子は争わず」「民に利あり」「陰徳あるものは陽報あり」「虻蜂とらず」「存亡禍福はみな身から出づ」「人の心は金次第」など、人口に膾炙したものも多く、普遍的な知としての有用性は現代人にも大いに役に立つものとなっている。
  • 990(税込)
    著:
    木田元
    レーベル: 講談社学術文庫
    出版社: 講談社

    ニイチェが「神が死んだ」と予言した現代は、従来の価値体系が崩壊し、思想史の上でもルネサンスの時代に比すべき大きな転換期をむかえている。そのなかでフッサール、メルロ=ポンティ、レヴィ=ストロースら現代の哲学者たちが、心理学や言語学、人類学などの人間諸科学と交流しながら追求する哲学の新しい方向とは何か。そして彼らが負った共通の課題とは……。人間の存在を問う現代哲学の書。

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