『講談社文庫、1円~100円(文芸・小説)』の電子書籍一覧
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こちらは、短編集『海を見ていたジョニー』収録の表題作1編のみとなっております。
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少年は姉と二人、海辺の町でピアノのあるバーを経営していた。少年の楽しみは閉店後に、海岸で出会った黒人兵・ジョニーと、ベース弾きの健ちゃんの三人で、ジャズを演奏することだった。が、何ヶ月かして、ジョニーは突然姿を消す。ベトナムへ行ったのだろう。そして、10ヶ月ぶりに現れたジョニーはすっかり人が変わっていた。人を殺した自分にジャズは演奏できないという。ジョニーはピアノを拳銃で撃ち抜き、店を飛び出した。 -
CM音楽ディレクターの津上は、元先輩の黒沢に誘われてMレコードに入社、高円寺という男の下に配属になる。彼は戦後の艶歌史を作ったといわれる男だ。しばらくして、制作の合理化を図る黒沢と、それに対抗する高円寺との間で対決が始まる。新人をデビューさせて先に50万枚以上レコードを売ったほうが勝ち、という競争だ。黒沢の合理的宣伝政策が序盤をリードするが、地方から火がついた高円寺側の曲も猛烈に追い上げて……。
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冬木衛は、祖父の代からのガラス工芸会社を5年前に再建したが、民芸品ブームが去り経営の危機に立たされていた。そんな折、提携先のデパートから持ちかけられたのが、北欧ガラス器のデザイン盗用の話だった。冬木はそれを受け入れフィンランドに渡った。ヘルシンキの街で、ガラス工芸店に勤めるアイノという女性と親しくなる。彼女から聞かされるフィンランドの歴史とカレリア地方の悲劇の話が、冬木の愛国心を揺さぶった。
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興行関係に従事していた私は、大学時代の友人からソ連にジャズ・バンドを送り込む仕事を依頼される。それを引き受けた私は下調べにモスクワを訪れ、ミーシャという地元の不良少年と出会う。私は元ブルースピアニスト。場末の飲み屋でミーシャと一緒に演奏することになり、私と仲間の演奏に彼のトランペットが加わって、みごとな調べを奏でる。彼の才能に惹かれ、ジャズメンになることを勧めるが、興行は突然中止になり……。
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興行関係のプロダクションを経営する私は、ある日大きな企画を思い立ち、Kデパートの事業企画部長の知人を訪ねてそれを売り込んだ。フランスの「五月革命ポスター展」を催事として開催しようというもの。知人は話に乗り、旅費まで用立ててくれた。私は苦労の末にパリに潜り込み、活動中の学生たちに掛け合うが協力を得られない。たまたまデモ活動に巻き込まれて負傷した私は、仲間と勘違いされてポスターを入手しかけるが……。
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滝は、現社長の大川と二人で立ち上げた、CM音楽専門の制作会社・創音プロの制作部長。Q製薬という大手の仕事が舞い込み、全力を傾けていた。先方の宣伝部長に会って、競作の依頼なら仕事を断ると啖呵を切り、単独の依頼を認めさせる。他方、滝自身はCMソング制作で作詞家たちに本人には内緒で競作させ、すべてが順調に進んでいるかに見えた。だが、仕上がったテープを渡した3日後、Q製薬から思いも寄らぬ返事が来る。
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現代ジャズの巨人、B.Bの最終公演のその日、ジェイムズはなかなか現れなかった。――北見は元ジャズピアニストで、いまはジャズ評論家。ジャズ仲間の集うクラブに、ニューヨークへ渡った北見の友人の招待状を持って現れたのが、GI(アメリカ軍人)のジェイムズだった。北見は彼のピアノの才能を見出し、目をかける。店に通ってくるようになった彼にこんどは興行師が目をつけ、ついにB.Bとの共演に大抜擢したのだが……。
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ラジオのプロデューサーをしている私の元に、ある日、西条という男が現れた。「タクシー運賃値上げ」の特集をやってほしいとの依頼のために。代わりに私の番組のスポンサーになってくれるらしい。月内で番組の打ち切りの話を聞かされていた私は、西条の申し出を受け入れた。西条の提示した条件は、本来の番組企画とは別に、実現することのない企画書を作成するというものだった。疑問を抱きつつ、私は番組制作に取りかかった。
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美術批評家を目指して、ぼくは東京の私大に通っていた。といっても授業にはろくに出ず、近所の喫茶店に入り浸るありさまだが。そんなとき、高校時代の旧友・筑波から、彼がブルガリア旅行で見かけたという「イコン」の話を聞く。ソフィアの村でイコンの束が捨ておかれていたらしい。イコンとはロシアに伝わる聖像画で、中世のものなら何百万円もする。喫茶店の店主に費用を捻出してもらい、ぼくと筑波はソフィアへ向かった。
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東洋テレビの看板報道番組・企画取材スタッフの夏木が、低視聴率を議題とするスタッフ会議で、突飛な企画を提案する。文部大臣の盗作疑惑を取り上げて、特集番組を組もうというものだ。企画は会議で支持を得、取材が始められる。時の文部大臣が作詞をした中学の校歌の歌詞が、ある市が3年前に公募して佳作に選ばれた作品と同じだと指摘する手紙を、夏木は受け取っていた。取材を進めるうちに、驚愕の事実が次々に露見し……。
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スペインでギターを学ぶため、短期のアルバイト目的で立ち寄ったストックホルム。その町では、「夏至祭り」という歌のコンクールを控えていた。優賞賞品は、イングリッドという美女。黒人の血が流れる日本人・サブと知り合った私は、猛練習をしてそのコンクールに挑戦することにした。ライバルはドメニコ。イタリア系住民で町の有力者の弟分だ。もともとサブはそいつと、イングリッドをめぐって争っていたのだった。
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1946年8月、北鮮の大同江近くのH市に結城はいた。終戦後、満州から引き上げる途中に足止めをくらい、たくさんの引き揚げ民とともに倉庫に押し込められていたのだ。結城は200人あまりのグループのリーダーだったが、1年近くも待たされたいまは40人に減っている。ある日、ソ連軍にも通じる伝説の日本人・星賀という男に出会い、結城は南鮮への脱出計画を練る。ソ連軍の軍用トラック11台を駆って、計画は実行に移されたが……。
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私たちはレオナルド・ダ・ビンチ空港からローマへ向かっていた。ニースで行われる国際テレビCMフェスティバルに作品を出品するため、滝社長とその愛人・亜紀の三人で。だが、パリで起こった五月革命でフランスは大混乱。ひとまずローマに滞在することになったのだ。私はCM部門の責任者。傾く社業の一発逆転をねらって、「ドラマチックCM」なるものを制作した。ニース入りの目処が立ち、私は社長に亜紀のことで告白を……。
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東京でアート工房を設立した私は、大学生のオリエと出会い数週間のうちに愛し合うようになり婚約。しかしその年の七月オリエの作品が家具デザインコンクールで入賞。オリエは夏休みを利用し優勝賞金で北欧への旅にでる。2ヵ月後の帰国予定が秋が過ぎ、冬が過ぎても、日本に帰ってこない。彼女が北欧の白夜の中にみたものは何だったのか?
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