『時代小説、海音寺潮五郎』の電子書籍一覧
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維新前夜、若き西郷隆盛らが企てた 誅殺計画の行方は――!? 史伝文学の雄・海音寺潮五郎の傑作長編!
黒船来航以降、時代への焦慮がみなぎる南国の雄藩薩摩。藩主島津斉彬を慕う樺山小一郎は、西郷隆盛や大久保利通らと奸臣誅殺を企てひとり江戸へ向かう。しかし、計画は失敗に終わり小一郎は消息を絶った。小一郎の琵琶歌に魅せられ恋心を抱く大阪芸者のお葭は、彼の汚名をそそぐため江戸へ。藩主斉彬の命で同じく小一郎の行方を追う西郷らとともに、捜索をするが……? 維新前夜の激流を生き抜いた、若者たちの青春群像劇! -
奇妙な面をしとるわ。猿に似とるわ――。23歳の藤吉郎と信長、運命の出会いであった
「奇妙な面をしとるわ。猿に似とるわ。チビ猿じゃな」信長は小者志願の若者を見て大笑いした。武士の作法に通じた若者は悪びれず、側用人に答えた。「今川の被官松下嘉兵衛尉が家で士奉公しとりました。父は先代信秀さまが鉄砲足軽しとりました木下弥右衛門と申します」「名は!」「木下藤吉郎秀吉でございます」「なんじゃとォ!」信長はきびしい目で若者を凝視した。若者はこの時23歳。これが、当時どじょう売りの与助と呼ばれていた秀吉と信長の出会いであった。 -
10世紀・日本を揺るがした東西両雄の夢の行方
海賊追捕に際立つ功なく、鬱欝とする将門に、純友は、朝廷の官位の無価値を説き、帰国を勧めた。が、東国で将門を待ち受けていた、一族争闘の運命。東西呼応して乱を起すことを望む純友は、争いの拡大をひそかに工作、彼自身もまた、天下万悪の責任は中央にあり、と公言して、海賊大将軍となった。やがて、もたらされた将門叛乱の報。機は熟した! 純友は、一気に都を攻略すべく、淀川河口に大船団を集結させた。東西両雄の夢を象徴するように、巨大な虹が遠い空にかかる。 -
平将門と藤原純友の生涯を雄渾に描く傑作歴史小説
身のたけ六尺二、三寸、諸仏守護の天界の神将を想わせる体躯に、やや憂鬱の色を湛えた、りりしい顔を持つ人物、名は、平将門。坂東下総の住人で、官位を求めて京に上り、公家の専横と、盗賊、夜盗跋こする都の退廃を目にしたが、その武勇と剛直な人柄に刮目した藤原純友は朝廷転覆の驚くべき野心を、彼にもらした。純友は、伊予大津の豪族。知略にたけて色を好むが、つとに官途への望みを断ち、力による天下改革を夢見ていた。伊予掾に任じられて都を去る純友、西海の海賊追捕の兵に加わって功名を求める将門。純友は、海賊の首領に通じて、ひそかに、将門の無事を画策した……。1976年、NHKテレビ・大河ドラマ「風と雲と虹と」原作。 -
戦国動乱の中で武将として成長してゆく幸村を描く
天正10年、武田勝頼は織田軍に攻められた。真田安房守昌幸は、自領奥深く勝頼を厳しく守っての再起を勧めるが、譜代の武将たちの忘恩背義に落ち、勝頼は天目山で自刃、ついに武田家は滅亡した。武田は滅んでも真田は生き延びなければならない。勝頼自刃後二ヶ月、織田信長が本能寺で討たれる。弱肉強食の戦国の世、昌幸は智略をめぐらし、上杉、北条、徳川とめまぐるしく主をかえながら、真田家とその領土の存続をはかる。幸村は父・昌幸から軍略のすべてを学び、戦国武将として成長する。幸村のいくところ山窩の赤吉、三好清海、伊三丸兄弟が従っていた。 -
史上最大の国難「元寇」に日本はいかに応じたか
鎌倉での領地争いに敗訴した天草の獅子島小一郎は、母とともに京都にたどりついた。この不案内の地で、京都を警護する篝屋武士の一団との争いをおこし、時代の渦のなかにまきこまれていく。蒙古使節の応対をめぐり、分裂する国論に若き執権・北条時宗は、非情の決断を迫られる。一方、皇位継承の争いから出世の道をとざされた公卿・西園寺実兼は、西国の貿易商人らと結び、蒙古に意を通じようとする。大国難を目前に幕府、朝廷の不安の動きを壮大な歴史のなかで描く圧巻の時代絵巻巨編。 -
藤原純友は、知略にたけて色を好むが、官途への望みを断ち、力による天下改革を夢見ていた。一方、坂東下総の住人で、官位を求めて京に上り、公家の専横と、盗賊・夜盗の跋扈(ばっこ)する都の退廃を目にし、やや憂鬱の色をたたえるも、強靭な体躯をもつ平将門。純友は朝廷転覆の驚くべき野心を将門にもらす……伊予掾(いよのじょう)に任じられて都を去った純友は、西海の海賊追捕の兵に加わって功名を求める将門の無事を画策する。将門は東国に帰り、一族争闘に巻き込まれ、ついに叛乱を起こした。純友もこの機に「海賊大将軍」となって、一気に都を攻略すべく、淀川河口に大船団を集結させた。このとき一筋の虹 が空にかかる。
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太閤秀吉の使いの紀伊守は利休にむかい「娘を差し出せ、そなたにも、娘にも、誓って悪いようにはからわぬ」という秀吉の言葉を繰り返した。利休は答えた。「大名衆では、何とお言いなされているか存ぜぬが、町人の世界では、利得を目的として物を人に渡すを売ると申す。娘を殿下に差出すことは、拙者の利得となり申す。されば、これは売るのでござる。売買を本業とする町人の世界でも、娘を売るは恥ずべきことと致しております。平に御辞退……あの人々は、詮(せん)ずるところ、ただの大名衆。百年の後、二百年の後、三百年の後、名前の残る人々ではござらぬが、拙者は芸道に生きる者、自ら申すもおこがましくはござるが、いつの世までも名の残る者でござる」……大坂城を舞台に、秀吉と利休、淀(お茶々)殿と北政所、利休の娘お吟、石田光成、小西行長ら武将たちがくりひろげる虚々実々の人間模様を描く海音寺潮五郎の初期の代表傑作。
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藤原純友は、知略にたけて色を好むが、官途への望みを断ち、力による天下改革を夢見ていた。一方、坂東下総の住人で、官位を求めて京に上り、公家の専横と、盗賊・夜盗の跋扈(ばっこ)する都の退廃を目にし、やや憂鬱の色をたたえるも、強靭な体躯をもつ平将門。純友は朝廷転覆の驚くべき野心を将門にもらす……伊予掾(いよのじょう)に任じられて都を去った純友は、西海の海賊追捕の兵に加わって功名を求める将門の無事を画策する。将門は東国に帰り、一族争闘に巻き込まれ、ついに叛乱を起こした。純友もこの機に「海賊大将軍」となって、一気に都を攻略すべく、淀川河口に大船団を集結させた。このとき一筋の虹 が空にかかる。
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朝鮮海峡のはるか彼方に不気味な牙をむくフビライの蒙古。フビライは何度も使者をよこし、「友好」と称した臣従を日本に求めてきた。鎌倉幕府はおののき、国論は分裂した。幕府の執権北条時宗は悩みつつも強硬派に組していた。一方、幕府の御家人で伊予の豪族・河野通有はこの指針を危ぶみ、時宗に諫言しようと鎌倉をめざす。その途上の京都で、通有は公卿の中納言実兼に遭い、実兼が和平論者と知るが、疑念もいだく。事実、実兼には蒙古などどうでもよく、幕府の支持する現天皇をしりぞけて、上皇をかつぎだす思惑で動いていたのである。その手足が幕府の六波羅探題(京都)の長官赤橋義宗であり、鎌倉にいる義宗の弟義直であった。実兼はすでに肥後天草の武士・獅子島小一郎を籠絡し、天皇暗殺さえ企てていたが、これは小一郎に見抜かれて失敗していた。これらの人物たちに、日本に逃げてきているペルシャの王女と家来たち、それを援助するクグツの一団が絡む。さらにはおどり念仏を主唱する智真房、声高に救国を説く日蓮などの時代の動きをもまじえて、物語はアジアにまで広がる舞台と複雑な経緯を描きながら、ついに蒙古の襲来というクライマックスへ。
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朝鮮海峡のはるか彼方に不気味な牙をむくフビライの蒙古。フビライは何度も使者をよこし、「友好」と称した臣従を日本に求めてきた。鎌倉幕府はおののき、国論は分裂した。幕府の執権北条時宗は悩みつつも強硬派に組していた。一方、幕府の御家人で伊予の豪族・河野通有はこの指針を危ぶみ、時宗に諫言しようと鎌倉をめざす。その途上の京都で、通有は公卿の中納言実兼に遭い、実兼が和平論者と知るが、疑念もいだく。事実、実兼には蒙古などどうでもよく、幕府の支持する現天皇をしりぞけて、上皇をかつぎだす思惑で動いていたのである。その手足が幕府の六波羅探題(京都)の長官赤橋義宗であり、鎌倉にいる義宗の弟義直であった。実兼はすでに肥後天草の武士・獅子島小一郎を籠絡し、天皇暗殺さえ企てていたが、これは小一郎に見抜かれて失敗していた。これらの人物たちに、日本に逃げてきているペルシャの王女と家来たち、それを援助するクグツの一団が絡む。さらにはおどり念仏を主唱する智真房、声高に救国を説く日蓮などの時代の動きをもまじえて、物語はアジアにまで広がる舞台と複雑な経緯を描きながら、ついに蒙古の襲来というクライマックスへ。
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朝鮮海峡のはるか彼方に不気味な牙をむくフビライの蒙古。フビライは何度も使者をよこし、「友好」と称した臣従を日本に求めてきた。鎌倉幕府はおののき、国論は分裂した。幕府の執権北条時宗は悩みつつも強硬派に組していた。一方、幕府の御家人で伊予の豪族・河野通有はこの指針を危ぶみ、時宗に諫言しようと鎌倉をめざす。その途上の京都で、通有は公卿の中納言実兼に遭い、実兼が和平論者と知るが、疑念もいだく。事実、実兼には蒙古などどうでもよく、幕府の支持する現天皇をしりぞけて、上皇をかつぎだす思惑で動いていたのである。その手足が幕府の六波羅探題(京都)の長官赤橋義宗であり、鎌倉にいる義宗の弟義直であった。実兼はすでに肥後天草の武士・獅子島小一郎を籠絡し、天皇暗殺さえ企てていたが、これは小一郎に見抜かれて失敗していた。これらの人物たちに、日本に逃げてきているペルシャの王女と家来たち、それを援助するクグツの一団が絡む。さらにはおどり念仏を主唱する智真房、声高に救国を説く日蓮などの時代の動きをもまじえて、物語はアジアにまで広がる舞台と複雑な経緯を描きながら、ついに蒙古の襲来というクライマックスへ。
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藤原純友は、知略にたけて色を好むが、官途への望みを断ち、力による天下改革を夢見ていた。一方、坂東下総の住人で、官位を求めて京に上り、公家の専横と、盗賊・夜盗の跋扈(ばっこ)する都の退廃を目にし、やや憂鬱の色をたたえるも、強靭な体躯をもつ平将門。純友は朝廷転覆の驚くべき野心を将門にもらす……伊予掾(いよのじょう)に任じられて都を去った純友は、西海の海賊追捕の兵に加わって功名を求める将門の無事を画策する。将門は東国に帰り、一族争闘に巻き込まれ、ついに叛乱を起こした。純友もこの機に「海賊大将軍」となって、一気に都を攻略すべく、淀川河口に大船団を集結させた。このとき一筋の虹 が空にかかる。
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輝きの強い眼をした男の子は虎千代と名付けられた。上杉謙信の生涯を描く歴史巨編
「これはおれの子ではないのかも知れない」為景は思った。長尾為景、63歳。妻は袈裟、21歳、その早過ぎる妊娠が、そんな疑惑を生んだ。が、生まれた赤ん坊は、輝きの強い眼を持つ男の子で、虎千代と名づけられた。のちの謙信である。虎千代は、父に疎んじられる不満を抱きつつ、百姓出の娘松江、忠臣金津新兵衛らに守られて育つ。越中・越後の争乱は絶え間無く、やがて父為景は合戦で討たれ、兄晴景が守護代を継ぐが、それを不満とする長尾俊景が兵を挙げた。
カバーイラスト/熊谷博人 -
景虎(謙信)は嫉妬する兄晴景とついに衝突、その軍をうち破り長尾家当主となった
「曲者をしとめたぞ!」 栃尾城内の夜気を、城主景虎の若い声が貫いた。曲者は兄晴景が景虎暗殺のために放った忍びだった。景虎はついに兄との戦いを決意、その軍を破り、兄に代わって春日山に入城、20歳で長尾家当主となった。 その年の5月、越後守護上杉定実が病死、その葬儀に不参の長尾房景の心中を疑った景虎は、宇佐美定行の勧めで、姉綾を房景の息子政景に輿入れさせることを決めて、和睦を図った。
カバーイラスト/熊谷博人 -
景虎(謙信)が武田晴信(信玄)に初の不覚を喫した頃、将軍義輝からの密使が上洛を求めてきた
長尾晴景が府中で病死した。その葬儀を済ませた景虎に、信州からもどった諜者が、武田晴信の北信進攻を知らせた。そして8月、景虎は軍を川中島に出動させたが、晴信の攻撃でさんざんに撃破された。戦さを始めて初の不覚だった。両軍の対決がくり返されるうち、京の将軍足利義輝の密使が景虎に至急の上洛を告げて来た。三好好慶、松永久秀の専横に将軍の権威が失墜、政情不穏の気配だったのだ。景虎は、晴信に和睦を固める使者を差し向け、越後路を京に向けて出発した。
カバーイラスト/熊谷博人 -
14歳で初陣を飾った景虎(後の上杉謙信)は、翌年宿命のライバル武田信玄と出会う
天文12年、長尾晴景の家老昭田常陸介は晴景に反旗をひるがえし、14歳の景虎は春日山城での防戦に初陣を飾った。そして、城を脱出して身を寄せた宇佐美定行の許で、その娘乃美を知った。 翌年、景虎は甲州御坂峠で、狩装束で馬をうたせる若武者を見かけた。24歳の武田晴信、のちの信玄だった。 三条勢らとの戦いに連勝する景虎は、毘沙門天を熱烈に信仰、女を近づけず、律僧のような日々を送るが、兄晴景は、その名声の高まりに不快の思いを強めてゆく。
カバーイラスト/熊谷博人 -
上杉謙信と武田信玄、両雄は川中島でついに一代決戦の時を迎えた
京で将軍に会い従四位下近衛少将に任ぜられて帰国した景虎は、翌年、房州の里美氏より北条氏康の侵略を訴えられ、関東出陣を決めた。氏康は武田晴信に景虎攻略を依頼、晴信もまた、加賀・越中の一向宗徒に越後侵入を頼んだ。景虎の軍は小田原城を包囲したが、城中の守りは固く、囲みを解いて鎌倉に向かい、八幡宮神前で景虎の関東管領就任式が行われ、憲政から上杉の家督も譲られて、名を政虎と改めた。そして、永禄4年8月、上杉・武田両軍は川中島でついに一大決戦の時を迎えた。
カバーイラスト/熊谷博人
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