『「日本の特別地域」シリーズ(日本の特別地域)(実用)』の電子書籍一覧
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キタとミナミの社会格差 タブーに迫る!
独立国家「大阪」に新たな問題 ディープエリアと開発エリアの危ない境界線大阪のイメージと言えば「コナモン」「お笑い」「なんか危なそう」……。
まさに、その通り! あえて否定はしない。
大阪人には日本第二の都市、なんていう意識はまったくなく、
独立国家・大阪として笑いとコナモンにまみれながら、根っからの商売根性とノリで邁進してきた。
しかし今、大阪は間違いなく揺れている。
大阪維新の会が高らかに改革をぶち上げ、いろんな意味で注目されるようになった大阪市は、
街全体が改革の真っ只中なのだ。
さらに、大阪市を取り巻く環境に目を向けてみれば、
深い癒着体質だった市制や多額の負債を抱える3セクの遺物、
連続する府警の不祥事に犯罪ワースト1のオンパレード、
生活保護の町と揶揄された西成区など、
改革が進みつつある現在でも、さまざまな問題が山積み状態なのだ。
もうノリでは解決できまへん! これでええんか? 大阪市!!
「天下の台所」「東洋のマンチェスター」「くいだおれの街」と、
さまざまな名前で呼ばれながら時代を切り抜けてきた大阪。
果たして今後、アジアに向けた国際都市、大阪を作り上げることができるのだろうか?
そこで本書では、大阪市が抱えるタブーに鋭くツッコミを入れながら、
開発に揺れる街と大阪人の特徴を地域ごとに分けて徹底的に分析。
「コナモン」と「お笑い」だけでは計り知れない、新たな街の解説書となれば幸いである。 -
群馬・茨城の“いじめ”を受け流す県民性とは?地味~な栃木の地味~な生き方
関東でもっとも面積の広い県はどこ?
と問われたら、なんとなく茨城、群馬か千葉のいずれかだろうと想像する。
でも「正解は栃木県です」といわれても、どうもピンとこない。
栃木にデカい県というイメージがないからだ。
県を擬人化するのもなんだが、群馬と茨城に挟まれる栃木は、やけに肩身が狭そうで、
そんなところも実際より小さな県と感じてしまう要因かもしれない。
では、その栃木には何がある?
と、さらに問われたら……県外者はこっちのほうがおそらく困るはず。
栃木の存在は知っていても、その実態はおぼろげという人は驚くほど多いのだ。
とにかく栃木は存在が地味。
しかし、県のポテンシャルはやたらと高く、
首都圏という好立地を生かして関東の内陸型工業地域の中心を担っており、
さらに観光産業もすこぶる盛ん。
また当然ながら農業も盛んで、しかも災害も少ないという、まさに「豊穣の地」なのである。
その一方で、たとえ自らを卑下しても他人に土足で踏み込ませない領域(地雷源)は持っている。
大人しい様でいて、踏み込んで来たら苛烈に攻める専守防衛が栃木人スタイル。
それはまるでジキルとハイドだ。
本書ではそうした栃木人気質をベースに置きつつ、県内各地域の特徴や問題点、
さらに北関東3県内での栃木の立ち位置や防災の話など、
さまざまなテーマで現在の栃木の実像を捉え、僭越ながら先々への提言もさせていただいた。
さて、これから栃木人の“地雷”を踏みまくっていくとしますか。 -
ねたみ・そねみ・因根が渦巻く岡山の実態を暴く!空は晴れても心はくもる県民の正体
岡山に生まれた筆者だが、18の歳に青雲の志を持って東京に旅立ってから幾星霜(いくせいそう)。
気がついたら、東京で暮らした時間のほうが長くなってしまった。
しかし、未だに東京で暮らしていて、我慢できないことが山のようにある。
まずは食文化だ。
東京で驚いたのは、サワラやイイダコのような魚が、あまり手に入らないこと
(岡山の人ならば「地のもの」であるかどうかを気にするだろうが、東京人にその感覚は存在しないこともビックリだ)。
なにより、ラーメンの味が我慢できない。
家系が流行ったかと思いきや、豚骨ブームになり……
どこでも一定のスタンダードが決まっている岡山のラーメンのほうが奇妙なのかと思ってしまうほど。
食文化以上に相性が悪いのは、笑いのツボだ。
まず、人は自分の生まれ故郷を「落として」語り笑いモノにするのが当たり前だと思っていたのだが、
そんなことをするのは、岡山県民だけらしい。
……十数年を東京で過ごして、筆者はようやく気づいた。
全国標準からすれば「岡山のほうが奇妙」なのだと。
岡山は、その昔、大和朝廷に破れて、日本の覇権争いからは脱落したものの、どういった分野でも日本の上位に位置する県だと思っていた。
そもそも、中国地方であるという意識は希薄で、あくまで自分たちは関西文化圏。
そして、山陰、四国地方はおろか中国地方の覇者・広島県に対しても絶対的優位な地位にあるのだと。
ところが、東京で聞く岡山県の印象といえば「ああ、三十人殺しの……」とか、いわれる始末。
食べ物は豊富で、災害も少ない、新幹線はすべて停車する。
テレビも民放5局が全て放送されているし、文化レベルも昔から高い。
本書は岡山の暗黒面をぶっ叩きつつ、真の底力を示すべくに編まれた岡山県のスゴさが、よく分かる一冊になっているつもりだ。 -
うどんから風俗までしたたか香川の素性うどんで突っ走るのは是か非か?
本書は、地域批評シリーズの記念すべき四国上陸第一弾である。
岡山県で生まれ育った筆者にとって、
香川県は近いような遠いような微妙な土地といった印象がある。
なにしろ、全国でも特異な例として民放テレビが両県にまたがって同じ番組を放送しているため、
香川県の情報を得る機会は多かったのだ。
それでも、香川県は長らく海の向こうの、ちょっとローカルな土地であるという意識が強かった。
というのも、かつて香川県に行く手段といえば、
宇野港からのフェリーか、宇野線経由の宇高連絡船が定番ルート。
すなわち、船で行かなければならない遠い島だったのである。
この距離感によって、人の悪い岡山県人のみならず、
全国の人が香川県を筆頭として四国全体を発展途上の孤島と見ていたことだろう。
しかし、1988年の瀬戸大橋の開通で状況はがらりと変わった。
気がつけば、香川県は「うどん県」なる奇妙な名称で全国区に。
さらには、直島のベネッセハウスミュージアムを中心としてアートの栄える地域として売り出したりと、
県をあげて、ネアカな観光地になってきているのだ。
一方で問題も山積みである。
「うどん」や「アート」で盛り上がっているのもしょせんは、ごくごく一部の地域に過ぎない。
県内にだってうどん文化圏ではない地域もあるのに、
そんなものは存在しないかのように扱われているではないか。
もはや四国の玄関口じゃなくなり、「うどんだけじゃない」を掲げながらも、
ホントに目立つモノがなんにもない香川県が、だけじゃなくすることなんかできるのだろうか?
本書は徹底的に追求し尽くした一冊である。 -
50年経ってもまとまらない北九州の裏事情
ダークに染められた市民の不思議感覚1963(昭和38)年、2月10日に旧五市(門司・小倉・八幡・若松・戸畑)の合併によって誕生した北九州市は、
2013年2月10日に市制50周年を迎えた。
小倉駅周辺の商店街には「市制50周年」のロゴ入りフラッグが飾られ、北九州モノレールには記念ラッピング列車が登場。
市内ではさまざまな記念事業や関連事業が行われるなど、記念すべき年を盛り上げようと市は熱心に活動を続けている。
しかし、そんな市側の思いとは裏腹に市民たちの反応は実にあっさりとしたもの。
「50周年? あ、そう」というつれない声がそこら中にこだまするほど、反応は悪い。
その原因のひとつは、飲食店関係者が刺される、飲食店ビルが放火されるという凶悪な事件が相次ぎ
多数の市民が深刻な被害を受けており、「今はそれどころじゃない!」というムードが漂っていること。
確かに、すっかり人通りが少なくなってしまった夜の繁華街を目の当たりにすると、合併50周年を祝う気分も薄れてしまう。
そして、もうひとつは“北九州市全体の出来事”に、市民はあまり興味を持っていないこと。
もともと個性の強い五市が合併したため、現在でも街の雰囲気は区ごとにバラバラ。
合併から50年経った現在でも“ひとつの市”としてのまとまりに欠けるため、「50周年」と言われてもピンと来ないのだ。
一体、“北九州市”としての個性はどこにあるのだろう?
よく言われる「怖い街」というダークなイメージが本当に北九州市の実像なのだろうか?
本書は、こうした北九州市と市民を徹底的に取材・分析し、真の姿を暴き出した一冊である。
多少、強引な文書も度々登場するが、“北九州市への新たな視点”だと思って、暖かく見守っていただけたら幸いである。 -
悲運な福島の今までとこれから
不平・不安入り乱れる福島の未来とは!?2011年3月11日に発生した東日本大震災とそれに伴う原発事故という未曾有の大災害は、福島県を激変させてしまった。
平和だった地に突然舞い降りた悲劇が、福島県民にもたらした嘆きと絶望感の大きさは計り知れない。
福島は、寒冷で厳しい風土の東北の中にあって比較的気候に恵まれており、農産物が豊かに実るまさに「豊穣の地」だ。
面積は広大だが全体の約7割が山地という福島は、奥羽山脈と阿武隈山地によって県が3つの地域に区分されている。
東から太平洋に面する浜通り、夏冬の寒暖差激しい盆地の中通り、そして豪雪地帯の会津。
先の災害によって直接的な被害を被ったのは浜通りだが、
中通りやさらに遠く離れた会津でも原発事故による風評被害に襲われ、
福島全体でいわれのない差別を受けてしまった。
さらに「福島はもう終わった」との無責任な外部からの声。
だが、福島県民は今、そうした状況から不屈の精神で立ち上がろうとしている。
ただし、復興に向けて県全体が一枚岩になって進もうにも、
県内には独立国家が3つあるようなものだから、まとまりに欠けるという指摘もある。
そこで本書では、福島県の各地域の歴史や特徴、問題点などを現地取材から明らかさせていただいた。
福島は悲運だと嘆くばかりではなく、
現実をしっかりと見つめて未来へと歩を進めるための一助になれれば幸いだ。 -
郷土愛ランキング・全国最下位!?
埼玉県人のB級なライフスタイルを完全に網羅しました。人口700万人を超える埼玉県。
これだけ人がいれば、それはもう特色満点、魅力満点!
なはずなのだけど、何だかパッとしない。
県のイメージが湧かない。
その理由は「郷土愛ランキング」(ブランド総合研究所調べ)で47都道府県中47位という、
ありがたくない称号を得た県民性に表れている。
自分たちに埼玉県人の意識がないのだもの、色がないのは当然だ。
郷土愛のなさは、東京のベッドタウンという県の特色に関連する。
よそからきた新興住民、すなわち埼玉都民と、かねてから埼玉に住む土着民には、地域愛に圧倒的な差がある。
そんな中、地元意識薄弱な埼玉都民は増えるばかり。
だから「埼玉はこんなところですよ」といった、まとまりはない。
一体感のなさはまた、東西に脆弱な交通網のせいもあるだろうか。
移民と土着民に共通するのは、
「神奈川には敵わない。どうせダサイたまだし」
といった自虐のタネを蒔きながら、
よその人に
「ダサイたまだしね」
といわれると
「何いってんだ、千葉よりも都会だ!」
などと口にする千葉へのライバル心か。
そして県民の多くは、神奈川には敗北宣言しつつも、
「東京に近くて住みやすい県」
とうそぶきながら、どこか垢抜けない、B級感たっぷりな生活を満喫している。
本書では、県内各地での取材と各種データを分析することで、リアル埼玉の姿をあぶり出していく。
はたして実際、県民の埼玉愛はいかほどか。 -
一触即発!長野と松本のバトルは永遠か?
革新的・幸福的・信州的生き方のすすめ30年越しで取り組んできた減塩運動の成果が実り、男女の平均寿命が全国一位。
さらに、幸福度ランキングでも全国ナンバー1。
「日本一健康で幸せ」な長野県は、いま全国からもっとも羨望を集める注目県だ。
ブランド力はありながら決して1位にはなれなかった「信州」にとって、これはまさに面目躍如!
かつて「日本のチベット」と揶揄された僻地が、他県民も羨む住みよい街として名実ともに「日本のセンター」となる日が、
ようやく来たのだ。
だが一方で、問題も山積みだ。
近代の夜明けとともに勃発した北信(東北信)と南信(中南信)の争いは、いまだに火種がくすぶったまま。
スリム化を目指して全国的に加速した平成の大合併も、長野県はドタバタ続きで不発だった。
平均寿命の高さは高齢化の裏返しとも言えるだろう。
だからこそ思うのは、長野県民は本当に幸せを実感しているのだろうか?ということだ。
本書の制作にあたり、県内を隅々まで歩き回ることで、
長野県が抱える課題と県民の真の姿が見えてきた? -
プッツン! キレまくる茨城の修羅場
南北対立! 格差拡大! そろそろ整理整頓してみっぺ前作「これでいいのか茨城県」では、茨城の本質を暴くことに加え、東日本大震災をターニングポイントとした茨城の変化や将来への道筋をいろいろと探ってみた。
その前作の発売から2年あまり。
今の茨城はどうなってるの?
現地を訪れてみると、被災地の復旧はまだまだ道半ばだが、茨城県民の生活はすでに通常通りに戻っている。
と同時に、復興へと盲目的に突っ走っている状態では分からなかった地域の問題点がハッキリと見え出し、その「ごじゃっぺ」ぶりに対して、かなり「いじやけて」いたのだ。
地域格差を要因とした南北問題。
市町村合併後の住民間の歪み。
新旧住民のバトル。新たな市町村合併の模索。
自治体同士のいがみ合いなどなど――。
県内にはさまざまな問題が山積し、それらに対しての怒りが満ち溢れていた。
しかも、相変わらず自己中心的な考えが横行しているから、県内はどうにもこうにもグチャグチャな状態。
もともと茨城は県としてのまとまりが非常に悪いけれども、前作で震災を契機にひとつにまとまるんじゃないかと思ったのは、いささか浅はかな考えだったのだろうか?
とはいえ、「怒り」というファクターは決して悪いものではない。
震災で沈んでいた茨城県民に元気が出てきた証拠でもある。
それならいっそ元気なうちに、思いっ切りキレるだけキレてみればいい。
怒りを内に溜め込むことなく腹を割り、全部吐き出してお互いがスッキリすれば、解決策だって見えてくるかもしれない。
茨城県第2弾では、そんな「キレる茨城」をテーマに筆を執ってみた。
本書を読んで、おそらく相当数の茨城県民が「いじやける」ことになるだろう。
ただ、そこから何かを感じ取ってくれたら……と願ってやまない。 -
「出世」で推し進める浜松の野望 切り捨て御免!
冷淡な浜松の戦略とは?本書は静岡県浜松市民の「本当の姿」に挑戦した一冊である。
浜松市は度重なる合併を経て2005年、11市町村を版図に加える超広域合併を見事に実現、県内最大の80万都市として再出発をした。
そんな浜松の代名詞は、徳川家康から連綿と続く、立身出世に燃える野心の精神といえる。
時代に翻弄される家康本人が「今に見ていろ」と雌伏の時を経て、大きな野望をつかみ取 る礎としたのがこの地であり、浜松城からはその後、5人もの城主が江戸幕府の老中へと 上り詰めた。
浜松城をして、出世城の異名を取るのも納得である。
一方で、東京と名古屋の中間地点に当たる宿場町として古くから栄えた浜松は、文字ど おり地の利を生かし、あるいは温暖な気候を武器にして発展していった。
第二次世界大戦 時の浜松大空襲という大打撃さえはねのけて、昭和以降、織物業をルーツとする工業の街 として大発展を遂げる。
江戸までの政治から工業へと大きく舵は切られたが、「負けてたま るか」という「やらまいか精神」は同様で、この浜松魂を力に成就させてきた。
しかし現代、全国的な交通網の整備、世界基準のグローバルなもの作りが求められている中、工業立国・浜松の向かう先には何があるのか。
長引く不況に立身出世も容易ではない。
出世・野心で版図を広げ、もの作りの実力を世界に知らしめてきた浜松市は、今、どこへ 向かっているのか。
取材やデータを元に本書が解き明かす。 -
地域批評シリーズ初の一県まるごとピックアップ!
全国ブランドイメージ調査で2年連続最下位の茨城県。
県内はバラバラの印象が強かったが、3.11大震災で県民の意識がひとつになった?『日本の特別地域』シリーズで、丸ごと一県を取り上げることになった初作品が本書「これでいいのか茨城県」である。
もっとメジャーな県はいくらでもあるというのに、なぜ今茨城なのか?
そこには茨城の哀しき現状が理由としてある。関東地方にありながら関東の県だと思われていない茨城。
農業が盛んで田舎呼ばわりされている茨城。
県民の訛りが非常に強く、言葉が汚いと揶揄される茨城。
イバラキなのにイバラギと県名を正しく覚えてもらえない茨城。
そしてトドメは、全国47都道府県の地域ブランド調査で2年連続最下位に甘んじた茨城。
現在、これだけ負のイメージにさいなまれている県は全国的にも珍しいぞ!
茨城のこうした現状を踏まえて、県全体が一枚岩となってイメージの打開を図りたいところだが、県内の各地域(行政区分は県央・県北・県南・県西・鹿行の5つ)は、それぞれ「勝手にやっぺ」とひとつにまとまらない。
特に水戸を中心とした県央と、つくばを中心にした県南がなかなか手を取り合おうとしないのである。
今のままではイメージが最悪のまま、時代に取り残されるだけ。見栄っ張りで頑固な水戸周辺の茨城県民にしてみたら、この状況が続くのは我慢ならないだろう。
彼らは郷土に誇りと自信を持っている。
だが、外にアピールする「タマ」を残念ながら持っていないのだ。
そこで本書では茨城が内包する様々な魅力的要素を取り上げつつ、データと取材を元に各地域の特徴や問題点を指摘。
一般的なイメージやレッテルに流されず、茨城の本質と今後の進むべき方向性を探っていこうと思う。
是非最後までお付き合い願いたい。 -
品が良いのかガラが悪いのか神戸の素顔を暴く!
神戸ブランドの媚薬に犯された市民の平衡感覚!?「オシャレ」「エキゾチック」「夜景がきれい」「行きかう女の子がかわいい」、
神戸という街を擬人化したらさぞがしモテることだろう。
実際に神戸は国内有数の観光地である一方、イメージで語られるほど素晴らしい街ではないことは、この街に暮らす読者諸兄が最も痛切に感じている。
確かに、高度成長期のころには株式会社神戸市とも称され、ポートアイランドや六甲アイランドの造成事業など、斬新なチャレンジで世の中の注目を集めてきた。
ただ、いま神戸市のあちこちから聞こえてくるのは景気の悪い話ばかりである。
ガラガラの観覧車が寂しく回るハーバーランド、ゴーストタウンのような一画もあるポートアイランド、そしてガールズバーのケバいおネエちゃんばかりがハバを利かせ、飲食店は閑古鳥が鳴く三宮の歓楽街――。
ただ、街に人がいないのも、産業に元気がないから当然ではある。
かつては国際貿易の拠点として港が存在感を発揮し、のちには鉄鋼や造船といった重工業が街の活気を生み出してきたが、いまや起爆剤となる存在すら見当たらない。
せっかくスパコンを作っても「2位ではダメなんですか?」とケチがつけられた途端、本当に2位に落ちてしまう始末である。
神戸を愛するからこそ、いまこのタイミングで声を大にして「これでいいのか神戸市!」と言わせてもらいたい。
街を包む閉塞感は今に始まったことではなく、阪神・淡路大震災以来ずっと続いてきたものであることは百も承知。
ただ、すべてを震災のせいにして立ち止まってきた時間がいささか長すぎはしないだろうか?
本書では地域性、行政、気質などさまざまな見地から神戸市が抱えるタブーや問題点に鋭いツッコミを入れつつ、神戸の街を紐解いていきたい。 -
世田谷民の小ずるい生き方
社会問題続出!!
1.5流民の実態に迫る!当シリーズでは以前に1度、世田谷区を扱っており、今回はその第2弾である。
前作では、まず世田谷の高級イメージをぶち壊すところから始め、そこから世田谷の現実と真の姿を見出そうとした。
その試みは成功したと自負しているが、前作から約4年、相も変わらず世田谷は「高級幻想」に苛まれている。
世田谷の高級幻想とは何か?
多くの芸能人や金持ちが実際に住んでいる世田谷は、高級住宅地、セレブタウンとして認知されている。
さらに今、下北沢や三軒茶屋、二子玉川といった人気タウンを筆頭に、区内の多くの駅とその周辺が再開発で変貌を遂げつつあり、世田谷という街の「パッケージ」は洗練度を増している。
だが、そうした「かたち」にこだわっているのは得てして余所者。
彼らが世田谷に住んだ、あるいは住みたいという背景には、自己顕示欲の充足という意図が多分にある。
彼らが世田谷に求めるのは「ステータス」であり、「一流」の看板。
とはいえ、単に世田谷に住んだからって一流ではない。
高級幻想を抱きつつ世田谷へ住み、一流だと勘違いした者たちは、成り上がり精神全開で、小ずるく狡猾に世田谷ライフを謳歌しているのだ。
もともと農村地帯だったのに、やがてハイソと呼ばれるようになった世田谷は、そもそもが成り上がりの街ではある。
だが、ハイソ(一流)な部分はあっても、いい感じに田舎臭くて自然体なのが世田谷の美点である。
世田谷とは本来、一流でも二流でもなく“1.5流”ぐらいがしっくりくる街。
そんな「中の上」を地で行く世田谷民こそ、「世田谷の正統派」といえるだろう。
本書では、冒頭に書いた前作のテーマを引き継ぎつつ、現在の世田谷の問題点を取り上げ、さらに区内にうごめく新旧世田谷民の実態に迫ってみた。
知っているようで知らなかった世田谷がここにはある!
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