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『姉の結婚 5、ダイレクト出版(文芸・小説)』の電子書籍一覧

1 ~1件目/全1件

  • 平安摂関家

    藤原道長(966年~1027年)平安中期の公卿。父は藤原兼家、母は藤原中正の女時姫。道隆・道兼・超子は同母の兄弟姉妹。980年(天元3)15歳で従五位下となり、侍従・少納言・左近衛少将等を歴任。986年(寛和2)一条天皇が即位し、父兼家が摂政になると善く987年(永延元)には三階を超えて非参議院従三位右京大夫となった。この年左大臣源雅信の女倫子と結婚し、翌年には彰子が生まれ、自身も参議を経ず直ちに権中納言となる。990年(正暦元)に父兼家が没するが、翌年には従二位となった。995年(長徳元)には疫病が流行し、4月には長兄道隆が就任10日余りで没した。後継を廻り道隆の子伊周と対立したが、道長は内乱の宣旨を受け、ついで右大臣・氏長者となった。翌年には伊周・隆家が従者に花山法王を弓で射させるという事件、東三条院詮子呪詛事件、太元帥法手法密告事件を契機に伊周を7太宰府権師に、隆家を出雲権守に左遷した(長徳の変)。このような関白・内覧の地位をめぐる甥伊周・隆家らと厳しい対立の中で道長が勝利を収めることができたのは、姉であり天皇生母でもある東三条院詮子の意図によるものが大きい。伊周らの中関白家を衰退させ7月には左大臣になり、内覧と太政官機構の首班の地位を維持した。道長を庇護した詮子は1001年(兆保3)に没するが、それより先に、999年にはすでに道隆の女定子が中宮であったにもかかわらず、女彰子を一条天皇の後宮に入れ、翌年には勅命により中宮を立て、1008年(寛弘5)に敦成親王が誕生して外戚しての地位を確立した。1011年に居貞親王が即位すると、関白への就任を固辞し、内覧の宣旨を受けたが、三条天皇とはしばしば確執が生じた。その後摂政を子の頼通に譲り、太政大臣に就任。以後天皇の外戚として権力を欲しいままにして盤石にし、1027年(万寿4)自ら建立した法成寺で生涯を閉じた。道長は仏教への庇護者として寺院の建立と供養・法要、法華三十講などを行われた。

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