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『ノンフィクション、幻冬舎メディアコンサルティング、雑誌を除く(実用、文芸・小説)』の電子書籍一覧

1 ~60件目/全77件

  • 学生運動の嵐吹き荒れし 懐かしき烈風の時代

    1972年の学費闘争から1975年の処分粉砕闘争まで、約50年の沈黙を破り、当時の体験が今、語られる——。
    東北大学で起こった学生運動とその歴史のありのままを綴った、貴重な記録。
  • 価値観の共有、事業戦略、人材育成……
    主力事業部門が年間1億の営業赤字。それをたった3年間で黒字化数々の新事業もすべて成功させた“デキル二代目"が事業承継のルールを解説!

    「いまの社長は先代と比べて…」
    中小企業の2代目社長は、周りからこのように評されることが少なくありません。
    先代はそれこそゼロから事業を興し、また長年にわたって会社を引っ張ってきたわけですから、周りから評価されるのも当然でしょう。
    それに比べて事業を継いだばかりの2代目は、どこまでやれるのか未知数な部分が少なくありません。
    それだけに厳しい目で見られるのも無理はないと思いつつ、かといって先代と簡単に比べられても困ってしまうというのが2代目の本音ではないでしょうか。
    本書はそんな2代目が周りの厳しい視線を跳ね返す成果を出し、先代を超える「社長」へと脱皮していくために必要な考え方や行動を、著者の経験をもとに50のルールとしてまとめたものです。
    具体的には、経営者として覚悟、企業理念の再構築、既存事業と新規事業のバランス、人材の採用・育成、財務戦略などに分けて紹介していきます。
  • 観光地のシンボル的存在である俥夫の知られざる仕事の裏側を公開!

    一生忘れられない体験を届ける――。
    観光人力車事業のトップ企業の代表が語る俥夫のやりがいと働くことの価値とは

    近年、観光地で人力車を見かけることが増えてきました。本書はその人力車を引く「俥夫」の仕事にスポットを当て、特別な観光ガイドとしての仕事の魅力とやりがいについて書かれたものです。
    著者は、1992年に観光人力車の会社を起こし、現在では全国11の観光地に300台近い人力車を展開している、業界トップの実績をもつ経営者です。
    それまでの人力車は「観光地での珍しい乗り物」でしかありませんでしたが、著者は俥夫のおもてなしの心とその土地の知識を活かしたガイドで、独自の観光人力車事業に発展させました。
    そんな実績をもつ著者は、人を喜ばせることを通して自分も幸せになることができる俥夫という仕事を、やりがいにあふれたものだと考えています。デジタル化が進み、仮想体験がリアルな体験に取って代わろうとしている今、汗をかいて人をもてなす俥夫の仕事は、日本が誇るおもてなしを体現するものであり、世界に誇れる仕事の一つなのです。
    本書は、著者の観光人力車事業を通して、俥夫という仕事の価値や魅力をひもとく一冊となっています。
  • 中国に戻ればエリート公務員の未来が約束される……
    それでも僕は日本の患者を救うことを決意した

    異邦の医師が地域医療を担う開業医に——
    患者に頼られるかかりつけ医を目指した40年の軌跡
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    本書は、日本の医療を学ぶために祖国を離れ、患者と向き合いながらひたむきに診療を続け、かかりつけ医として地域に根差した医療を提供してきた一人の中国人医師の軌跡を描いた本です。

    中国・上海に生まれた著者は、1984年に九州にある大学の医学部へ留学生としてやってきます。来日当初は、祖国とは違う日本の高度な医療を学び、その知識を活かして中国の医療に貢献したいと考えていました。しかし、大学院から医療現場に研修医として出た著者が目にしたものは、病院が遠方にあるために患者本人はもちろん、付き添いの家族も大きな負担を強いられている現状でした。中国よりも先に超高齢社会を迎えようとしていた日本において、適切な治療やアドバイスをする「かかりつけ医」として目の前の患者を常に身近で支えたい、という想いが強くなっていました。そうした強い使命感に駆られ、中国に戻らず日本で医師として活動していくことを決意した著者は2001年に自身のクリニックを開業し、以来、24時間365日、患者に頼られるかかりつけ医として地域医療に身を尽くしてきました。

    日本の医療に尽力してきた異邦人である著者は、今では地域患者にとって必要不可欠な存在となっています。遠く中国から海を渡り、日本の医療に貢献するため奔走してきた一人の医師による40年の記録をまとめた本書は、日本の地域医療でかかりつけ医に求められていることを、いま改めて考えるきっかけとなる一冊です。
  • 町の中華屋から一大チェーンへ
    唯一無二のポジションを築く大阪王将の「超える」経営とは

    外食と冷凍食品の両輪を活かしたビジネスモデルでヒット商品を創出し続ける「大阪王将」二代目社長が、地域や事業領域の枠にとらわれない拡大戦略を徹底解説!
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    「大阪王将」の始まりは、裏通りにできたわずか5坪の店舗をもつ町の中華屋でした。それから半世紀、世界に450店舗以上を展開するまでに成長し、餃子店のほかにラーメン専門店やベーカリーカフェなど新しい業態開発にもチャレンジを続けてきました。さらには食品事業にも参入し、冷凍餃子販売など多方面に進出しています。大阪王将の二代目社長である著者は、この多事業展開をはじめとしたさまざまな改革があったからこそ、多くの外食企業が窮地に陥ったリーマンショックやコロナ禍、原材料高など幾多の困難も乗り越えることができたのだといいます。

    本書のタイトルにもある「超える」というキーワードは、大阪王将の拡大戦略の中核をなすものです。
    1店舗だけの町の中華屋からスタートし、地域を「超えて」チェーンを広げてきました。さらに外食業界を「超えて」食品業界に参入し、外食と冷凍食品という“両輪事業”に基づく「食のライフプランニングカンパニー」としての基盤を固めてきたのです。試練に直面するたびに、羽根つき餃子など数々の既成概念を「超える」ヒット商品を連発し、コロナ禍の逆境では組織改革を断行して未曽有の危機を「超え」ました。さらにブランディングを進める過程では、従来のブランド戦略に加えてインターナルブランディングを徹底し、過去の自分たち自身をも「超えた」のだといいます。
    常に「超え」続けることを追求するしなやかな戦い方こそが大阪王将の真髄であり、それがあってこそ企業は成長、拡大できるというのが著者の考えです。
     
    本書は、困難にあっても前を向いてひたすら貫いてきた大阪王将の「超える」戦略展開を詳しく紹介するものです。
    経営者や管理職、起業を目指している人たちにとって、企業を成長させるためのヒントになる一冊です。
  • ※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。

    人を呼び込み、感動を生み出し、地域を活性化させる

    デジタル技術によって建物などに映像を投映する空間演出「プロジェクションマッピング」。
    各自治体の抱える問題に合わせて企画・広告・効果測定までをトータルでプロデュースしてきた著者が、地域活性化の成功事例をもとに準備から成果までを詳しく解説。
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    地域に観光客を呼び込み地方創生につなげたい、地域の観光スポットをより多くの人にも知ってもらい知名度を向上させたい——近年、こうした目的を達成するためにプロジェクションマッピングを実施する地方自治体が増えています。
    プロジェクションマッピングとは、プロジェクターを用いて建物やオブジェなどの立体物の形状に沿って映像を投影し、さまざまな視覚効果を与える技術、あるいはその技術を用いたイベント・パフォーマンスのことを指します。地域の歴史的建造物や文化財に映像を投影することで、光のアートによる幻想的な空間を創り出すことができます。目の前で繰り広げられる迫力ある映像がもたらす感動は、その場所に足を運んでこそ体感できる醍醐味であり、多くの集客が見込めます。
    また、プロジェクションマッピングを見た興奮や感動を共有しようと多くの人がSNSで動画や写真を拡散するため、海外を含め来場者以外にも情報が拡散され話題になるという面でも効果的です。さらにプロジェクションマッピングは暗い環境が必須で屋外の場合は夜間に実施されるため、周辺での飲食や宿泊などナイトタイムエコノミー(夜間の経済活動)の振興という経済波及効果を狙うこともできます。

    著者は、プロジェクションマッピングをはじめとするデジタル技術を活用した地方創生イベントのプロデュース・総合演出を手がける会社を営み、城や寺など地域の伝統的建築物、文化観光資源、文化財に登録されている古民家や料亭、美術館・博物館といったさまざまな場所を活用したデジタルアートイベントを開催してきました。
    効果的なプロジェクションマッピングを企画するためには、映像コンテンツにその地域ならではの歴史や文化伝統を表現する場面を盛り込み、観光客がその場所に足を運んで映像を見る価値を実感できるイベントとすることが重要だと著者は言います。そして、その考えのもと、何の目的を達成するために行うのかという戦略策定や企画の制作立案からイベント終了後の波及効果測定までをトータルでマネジメントすることで、多くのプロジェクトを成功に導いてきました。

    たとえ有名な建造物などがなく、あまり知られていない地域であっても、それぞれの地域の歴史や文化伝統、あるいは自然景観に目を向ければ、必ずその地域にしかできないようなユニークなプロジェクションマッピングは実現できます。地域ならではのすばらしい魅力を織り交ぜた映像コンテンツを制作し、地域のユニークなロケーションを生かしたプロジェクションマッピングを実施することによって、参加した観光客に地域の魅力が伝わるだけでなく、地域住民のシビックプライド(都市に対する市民の誇り)の醸成につながります。
    そして、地域の課題やプロジェクションマッピングに期待する効果を丁寧にヒアリングしたうえで企画を立案し、集客力を発揮できるコンセプトメイキングや、戦略的なパブリックリレーションズなど、さまざまな面で戦略的にきめ細かく設計・評価を進めることで、知名度の高い国宝級の文化財がなくても、地域に人を集め地方創生につながるプロジェクションマッピングを行うことができるのです。

    本書では、プロジェクションマッピングに関する基礎知識、そしてそれを活用した地域ならではの事例を幅広く紹介します。地域に根ざして地方創生や文化観光のDXに取り組む自治体担当者や地域の文化観光関係者、プロジェクションマッピングに興味のある次世代クリエーターへ向けて、プロジェクションマッピングの可能性を伝え、地域の知名度向上のヒントとなる一冊です。
  • 人生で大切なことはすべて毒親から学んだ——

    毒親のもとおびえて過ごした幼少時代、自立を目指して両親の支配にあらがった青春時代。
    そして誰も引き受けたくない倒産寸前の父の会社を継ぐことになり……。
    壮絶な半生を歩んできた著者が語る、人生の理不尽に翻弄されながらも未来を切り拓いてゆく力とは。
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    「毒親」とは、子どもに悪影響を及ぼす親、あるいは子どもの人生を支配し傷つける親などを指した言葉です。
    子どもの成長に大きな影響を及ぼすとされますが、親子間のことであるため周囲の介入が難しい場合も多く、解決の見えない環境で苦しんでいる人も少なくありません。
    本書は、毒親のもとで忍耐を強いられる人生を送ってきた著者が、毒親の呪縛から解放され、自分の人生を取り戻すまでの軌跡を記したものです。また、その半生を振り返りながら、今、改めて思う毒親への気持ちをつづっています。

    著者は複雑な環境に生まれ、出生届すら提出されず、両親から「あんたを産んだおかげで、私の人生めちゃくちゃやわ」「捨ててしまうぞ!」といった言葉を投げつけられて、恐怖のなかで幼少期を過ごしました。そして、小学校4年生のときに「20歳になったら絶対にこの家を出ていく」と決意し、幾度となくつらい目に遭わされながらも、この決意を支えに生きてきたのです。
    それでもなお、両親の理不尽な仕打ちに人生を投げ出したくなることは何度もあったといいます。しかしそのたびに、「こんな人たちに私の人生をめちゃくちゃにされてたまるか」「絶対に幸せな人生をつかみ取ってやる」との思いがこみ上げ、生きる原動力としてきました。
    その後、成人して家を出ると、巡り合えた多くの人々のおかげで毒親の呪縛は少しずつ解けていきました。現在は良き夫を得て、建設材料メーカーの代表取締役を務め、会社の業績も順調です。

    著者は改めて半生を振り返り、今では毒親への思いが若い頃とは変化していることに気づいたといいます。もしあの両親のもとに生まれていなかったらいったいどんな人生を歩んでいたのか、今の自分があるのは、あの毒親と、愛されていないと感じる不安な生活があったからではないかという気持ちも芽生えてきたのです。

    世のなかには、自分の人生がうまくいかないのは“毒親のせいだ”と考え、幸せな人生を送ることを諦めかけてしまっている人もいます。
    しかし、過去は変えられませんし、どれほど憂えていてもそれで現状が良くなるわけではありません。毒親に脅かされ、凄絶な人生を送ってきた著者は、どんな親のもとに生まれたとしても、自分の手で幸せをつかむことはできるのだといいます。
    現実に毒親との関係に悩んでいる人、生まれながらの境遇に今も苦しみ続けている人たちへ。自分自身の人生を取り戻すきっかけをつかみ、未来へ踏み出す勇気が得られる一冊です。
  • 大地震は必ず起きる。今、備えよ。

    宮城県で3.11を体験し、商業施設士として今日まで復興活動を続けてきた著者が語る実態と教訓。
    災害大国の日本で私たちはいかに生きるべきかを説く、渾身のルポルタージュ。

    2011年3月11日、未曽有の大災害として日本を襲った東日本大震災。
    スーパーやコンビニなどたくさんの商業施設が被害に遭う中、著者は、震災翌日から被災地に足を運んだ。
    そこで実際に目にした光景、耳にした声、感じた空気。
    そのすべてを余すことなく記録するとともに、またいつか来る災害にそなえて「今」できることを提案する。
    著者の切実な想いを込めた一冊。
  • 訪問看護は看護のチカラを最大限に発揮できる
    やりがいのある仕事!

    看護一筋で病院から地域に飛び出した著者が語る
    可能性に満ちた在宅看護の魅力とは——
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    少子高齢化が進む日本において、医療・看護の世界では地域包括ケアのもとで病院から在宅への移行が求められています。しかし、高齢者に適切な在宅ケアを提供できる医療機関や事業所は不足しており、需要に対して供給が追い付いていないのが現状です。特に看護師についてはほとんどが病院のなかで看護に従事しており、訪問看護に携わっているのは全就業看護師のうちわずか3.9%にとどまっています。

    本書の著者も、以前は病院のなかで働く看護師の一人でした。著者はさまざまな病院で勤務するなかで、働きながら常に「病院では看護のチカラを最大限には発揮できない」と感じていたといいます。
    病院では運営方針に則ったクリニカルパス(診療計画)に従って行動することが求められ、医師を頂点とした厳然たるヒエラルキーが存在します。どんなに自分が患者に寄り添ってできる限りの看護を提供しようと思っても、大きな組織の一員として働く看護師は、何よりもまず病院のルールに則り、医師の指示に従わなくてはなりません。そこに看護師自身の意思や創意工夫は活かされにくいのです。
    在宅であれば「患者さんの心と身体に寄り添い、その人がもつ生きる力を支える」という看護師本来のチカラを思う存分発揮できると考えた著者は、2001年に病院から在宅看護の世界へ飛び出しました。現在は地域で療養する患者をケアすることを目的に、訪問看護ステーションのほか、看護師のみで運営する重症・重度介護者向け有料老人ホームを運営しています。

    本書では著者の経験をもとに、訪問看護の魅力についてまとめています。病院のなかで看護力を発揮できず悩む看護師たちに、あと一歩を踏み出す勇気と元気を与える一冊です。
  • コトノハに乗せて
    愛する人たちへ「想い」を伝える——

    闘病中の父へ、天国にいる母へ、大切な友人へ……
    式を挙げる一組一組の想いをカタチにした唯一無二の結婚式
    “コトノハウェディング”の物語
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    結婚式は二人がお世話になった人たちに感謝を伝え、新たな家族となる決意を表明することで、ゲストから祝福を受け取るセレモニーです。「感謝」「決意」「祝福」はどれも、普段なら照れくさくて口に出せない想いかもしれません。その半面、人生の節目という特別な日になら、伝えられる言葉でもあります。

    コロナ禍の影響もあり式を挙げることが当たり前ではなくなった今、著者は結婚式をもっと二人の想いを伝えるものにできないかと考えるようになりました。こうした本質的な結婚式の価値に改めて目を向けたことで、著者は式に懸ける二人の想いはさまざまであることを実感していきます。コロナで何度も延期になってもどうしても結婚式を挙げたいという二人、母親が余命2カ月と宣告され急遽タキシードとウェディングドレスを用意した二人、天国にいる母親に幸せになった姿を見せて安心させたいという二人など、それぞれの想いに深く寄り添うことで、「想いを伝える結婚式=コトノハウェディング」を数多くプロデュースしてきました。

    コトノハウェディングは、言葉で表現することに限らず、さまざまな方法で想いをカタチにする「コトノハ」を演出に加えた結婚式です。
    本書では、新たな門出を迎える二人のさまざまな想いをカタチにしたコトノハウェディングの10の物語をプランナー目線で語っています。これから自分たちらしい結婚式を挙げたいと思っている二人だけでなく、式を挙げようか迷っているカップルにも手に取ってほしい一冊です。
  • あの日以来、私の生活は狂るってしまった――4年間、県が運営するテーマパークにパートとして勤めていた「私」。このまま勤務を続けることを希望していたにもかかわらず、ある日届いたのは、突然の「不採用通知」だった。理不尽な圧力に「私」は抗議の声をあげたが、その声は、「県」という巨大権力を前に、ひそかにもみつぶされようとしていた……。「人を雇うということは、決して軽いことであってはならないのだ」繰り返される、県との応酬。やがて明らかにされる、パートタイマーの悪質な労働環境――冷徹な目で県を弾劾し、資本主義社会において「雇うこと」と「雇われること」とはどういうことかを問いかける、魂のノンフィクション。
  • コロナ禍で浮き彫りになった
    業界の課題と葬儀のあるべき姿

    最期のお別れだけはさせてあげたい——。
    同業者がコロナ感染者の葬儀を拒否するなか、
    著者が目指した「葬儀のニューノーマル」とは
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    愛する家族が亡くなったら、最期のお別れをしてその死を悼む——そんな当たり前のことができなくなった時期がありました。
    新型コロナウイルス感染症は、多くの人の命だけでなく、葬儀の機会までも奪ったのです。

    コロナ禍当初、多くの人々が経験のない事態への対応を迷い、不確かな情報に戸惑うなか、一つの象徴的な出来事が起こりました。2020年3月、タレントの志村けんさんがコロナ感染による肺炎で亡くなったのです。そして、その後の火葬までの過程を知り、長年葬儀業に携わってきた著者は衝撃を受けたと言います。
    家族は遺体と対面できず、遺体は病院から火葬場に直行しました。さらに火葬場では、防護服を着た職員だけが立ち会い、遺骨を兄の知之さんが受け取ったのは自宅横の駐車場です。
    長年にわたり親しまれてきた有名人ですから、本来であれば多くの人に囲まれて最期のお別れが行われたはずなのに、本当に必要最低限の「処理」が行われただけという状況でした。そして、コロナ感染者の遺体は火葬場に直行するというのが当然の処置として行われるようになっていきました。

    当時、葬儀会社の副社長を務めていた著者は、自社を含むほとんどの葬儀会社がコロナ感染者の葬儀を執り行わない方針を打ち出すなか、こんなときだからこそ遺族のためにできることを考えるべきだと使命感に燃えていたといいます。そして正しい知識に基づいて対策を講じたうえであれば安全な葬儀を行うことはできると考え、たとえ会社としてすべての依頼を受け付けることは難しいとしても、なんとか従来のような葬儀ができないかと可能性を探りました。しかし社内での理解は得られず、葬儀を挙げたいのにできずにいる「葬儀難民」を救いたいという想いで辞任を決意し、2021年1月に独立しました。

    独立した初月からコロナ感染者の葬儀の依頼が10件あり、そのすべてに対応した著者は、以降、数多くの遺族の想いと向き合ってきたといいます。一件一件、遺体感染管理士としての専門知識に基づいて丁寧に対応し、二次感染者を出すことなく、いくつもの「コロナ葬」を執り行ってきました。

    この本では、著者がコロナ禍で葬儀を執り行ってきた経緯に加え、その取り組みを通して考え続けた葬儀の本質や意義を明らかにします。新型コロナが2類から5類になり、葬儀も元の形を取り戻しているなか、改めて葬儀のあるべき姿を考えてみるきっかけとなる一冊です。
  • 何気ないひと言で救われる人がたくさんいる

    家族や友人に言えない悩みでも、医療者にだけ相談できることがある。
    その声を聞き、夢や希望を与えるためにどんなことばをかけられるか――。
    患者の不安に寄り添い、臆せず、気負わずに伝えることの大切さを説いたエッセイ。

    「田中君なんかそこら辺にいる15歳のガキと同じなんやで」
    透析治療が始まり生きる気力も目標も失っていた時にかけられた、ある看護師のことば。
    それは、幼少期から行動を制限され、自分は人とは違うと感じていた著者の心に強く響き、自身が看護師を目指すきっかけとなった。
    医療者、そして慢性腎臓病を抱える患者の両方の立場から、「ことば」が与える力の偉大さを描いた回想録。
  • すべてはアスリートを輝かせるために

    競技の普及、国際的選手・審判の育成から悲願の 2020 大会招致・運営まで。
    その快挙の陰にある、熱き人々のドラマと軌跡に迫る。
    大会運営を手がける人、スポーツ関係者必読の一冊。
  • 懸命に生きる子どもたちの人生に寄り添いたい

    一人の人間として、友人として——
    小児科医と難病を抱えた子どもたちとの物語
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    本書は、小児科医として難病を抱えて生きる子どもたちと接し、友人として
    ふれあってきた著者が、6つの実体験をもとに記したエッセイ集です。
    一人のダウン症の少女との出会いから小児科医の道を志し、40年にわたって
    たくさんの子どもたちを見守ってきた著者の軌跡が、
    人生を明るく生きようとする子どもたちへの温かい想いをこめてつづられています。

    著者は小児科医として地域の子どもたちの診察にあたるかたわら、これまでに3冊の
    絵本を出版してきました。著者のクリニックのなかには図書館が併設されており、
    子どもたちに読み聞かせのイベントを開くこともあります。
    絵本を書き始めたのは、難病を抱える子どもたちと長く接するようになったのが
    きっかけだといいます。もともと勤務医として大学病院の小児科で先天異常外来を
    担当しており、その後子ども病院勤務を経て、自身のクリニックを開業しました。
    そうした経緯もあり、開業にあたっては大学病院で生まれた難病の子どもたちを
    広く受け入れようと考えたのです。
    難病を抱えている子どもたちには、人生において多くの壁が立ちはだかります。
    一人で着替えができなかったり、トイレに行けなかったりと、常に周りの人たちの
    手助けがなければ生活できません。そのため健常者からすると、生きていくのが
    大変でつらい人生を強いられているように見えるかもしれません。
    しかし、そんな子どもたちを生まれたときからずっと見守ってきた著者からすれば、
    それは大きな誤解であり、むしろ明るく前向きで、将来に大きな可能性を秘めた
    すてきな子どもたちだといいます。彼ら彼女らが自分の得意なことを見つけ、
    驚くべき才能を発揮する光景を何度も目にしてきた著者は、難病を抱えた子どもを
    主人公にした絵本を書き、同じような境遇の子どもたちに将来に希望をもって
    生きてほしいと願ってきました。

    今回は絵本ではなく、これまで出会った子どもたちが著者に見せてくれた奇跡を
    より多くの人に伝えたいという想いから、書籍として文章でエピソードをまとめました。
    本書が全国の難病を抱える子どもたちの家族や、関わる身近な人たちの希望の光となり、
    子どもたちが自分の人生を輝かせるきっかけとなってほしい、
    そんな著者の思いがこめられた、心温まる一冊です。
  • 明日が来るかもわからない日々を、生きていく。

    内戦が泥沼化していくミャンマー。
    雑誌記者として訪れた日本人・國分は、国の未来を担う若者が、終わらない戦いに身を投じている現状を目にする。
    一人の“外国人”としてできることは何かを考えさせられる、ノンフィクション小説。
  • 生まれてきてくれて、ありがとう

    難病を抱え生まれてきた娘・綾音。
    共に歩み、もがき、そして生きた…
    母と娘の苦難と愛に満ちた7年間を綴る、輝ける人生のエッセイ。
  • 狭間研至さん推薦!
    「老人ホームを『姥捨て山』にしない…。熱血税理士施設長の想いが詰まった一冊!」

    施設長として、一人の人間として入居者に向き合い続けた著者が綴る、ありのままの老人ホーム。
    温かく情熱溢れる日々がここに。

    多くの入居者が自分らしく一生懸命生きること。
    一緒に愚直に生きて生活を創ること。そこにはひとりひとりのエピソードがあり、私はそのエピソードが自分らしく完結を迎えるよう微力ながら支えたいと思っています。(はじめにより。)
    講演依頼多数の著者が綴る、渾身の初エッセイ集。
  • 幻冬舎ルネッサンス開催「第3回自分史コンテスト」大賞受賞作品!

    昭和20年代、栃木県山奥の自然豊かな場所に生まれた筆者は、慎ましくも穏やかな日々を送っていた。
    ところが小学6年生の頃、父の事業が立ち行かず一家は莫大な借金を背負うことに。
    さらに追い打ちをかけるように父は帰らぬ人となってしまった。
    家族を養うために働きに出た母に代わって、彼女は幼いきょうだいの世話と家事を担っていた。

    大人の女性へと成長した彼女に訪れたのは、夫との出会い、幸せな結婚生活と子育て、生徒たちに教わることも多かった教員生活、そして癌闘病の末に起きた奇跡……。
    道は決して平坦ではなかったけれど、この人生に無駄な経験などひとつもなかった。
    筆者の半生を振り返った本作では、当時の貴重な思い出と記録が色鮮やかに綴られる。

    【目次】
    はじめに
    第一章 記憶の始まり
    第二章 ぜいたく三昧な小学生の頃
    第三章 貧困に耐えた中学時代
    第四章 自信を得た高校時代
    第五章 自立への大学時代
    第六章 幸せな結婚と子育て
    第七章 夢を叶えた教員生活
    第八章 最後の試練、命を賭けた癌との闘い              
    おわりに

    【著者紹介】
    伊藤フサ子(いとうふさこ)
    1945年 栃木県生まれ。
    宇都宮大学卒業。
    元小学校長。
    平成2年9月25日~10月10日 文部省教員海外派遣栃木92団にてデンマーク、イギリス、フランス訪問。
    教員退職後「栃木県子ども総合科学館」学芸嘱託員3年勤務。
    著書『下癌(げがん)、大腸癌が体外に排出された』(文芸社 2018年)にて2021年「第24回日本自費出版文化賞」個人部門入選。
  • 女は、実に過酷な宿命を神に与えられた、何とも不憫な生き物だ。

    保健師としての生き方は「私」に病苦を与え、挫折を経験させ、再出発へと導いた——。
    ショートスリーパーであることを逆手に取り、使命感から激務をこなしてきた彼女は、いつの間にか眠りたくても眠れない体質へと変化していた。
    不眠への不安と認知症の母の介護、役職が上がることで増加する業務量によりさらに悪化の一途を辿る中、なぜ彼女は保健師にこだわるのか。
    保健師としての34年間とこれからを綴った、ノンフィクション小説作品。

    〈著者紹介〉
    1963年生まれ。大学病院病棟看護師を経て行政保健師として34年間勤務。
    看護師時代の悲壮な看取りの経験から保健師に転職し、のめり込むように公衆衛生活動に明け暮れる。「統括保健師としての激務」と「認知症の母の介護」との狭間で病に倒れ、定年を待たずに離職するも「生涯一保健師」を夢見て再起中!
    幻冬舎グループ主催「わたしの生きがいコンテスト」1月度大賞受賞。
    著書に『母を想いて』(2021年、文芸社刊)がある。
  • 右足と脳機能を失っても、挑戦し続ければ道は開ける。
    人生の目標を実現していく、夫婦の起死回生ストーリー。

    突然の事故、右足切断、記憶障害、脳機能の低下。
    途方もない試練を乗り越える裏には、小さな気づきと大きな愛情があった。
    パラスポーツ挑戦、CM 出演を果たし、義足タレントとして羽ばたいていく――。
    夢を見つけ夢を掴む姿を描いた、試行錯誤の記録。
  • 1997年7月1日、香港の主権がイギリスから中国へ返還された。
    西洋文化と中国文化が共存する魅力に取りつかれ、返還前の1995年から香港に移住した筆者。
    反政府デモ、SARS、新型コロナウイルスなどを経験し、新たな時代へと歩み出す香港。
    今もなお現地の人と街を愛し、追いかけ続けた筆者が25年間の記録をまとめたルポルタージュ。

    <著者紹介>
    野上和月(のがみ・なつき)
    1995年から香港在住。
    日本で産業経済紙記者、香港で邦人向け出版社の副編集長を経て、金融機関勤務。
    1987年に中国と香港を旅行し、西洋文化と中国文化が共存する香港の魅力に取りつかれ、香港の中国返還に興味を抱く。
    本書は、読売新聞の衛星版とレコードチャイナに写真と文で綴ったコラムをもとにしている。

    <目次>
    はじめに
    第一章 新たな時間へ
    第二章 大転換もたらしたSARS(新型肺炎)
    第三章 摩擦(中港矛盾)
    第四章 一国二制度と香港らしさ
    第五章 進む中国化
    第六章 台頭する新世代(集体回憶とともに)
    第七章 自由社会から統制社会へ
    第八章 香港の中の日本
    第九章 中国の香港へ
    私の香港生活
    おわりに
    参考文献
  • 商人の家に生まれ、独自の卸売業を確立。
    二十代で会社を設立した男の人生の軌跡。

    仕事のことから家族のこと、
    趣味の骨董収集のことから日常の見聞まで。
    現代の徒然草、ここに極まれり。

    「せっせせっせと古時計が時を刻んでいる。
    まだ何か言い残すことでもあるのかと問われれば、
    はっきり“ある”と答えたい」
  • 1973年、春の全国高校野球。
    優勝候補の名門校が、一回戦で姿を消した――
    歴史的敗戦によって厳しい批判を浴びる中、
    打倒「昭和の怪物」を目指して奮闘した
    高校球児と名将に迫る、渾身のルポルタージュ。
    良いことも悪いことも人生の一部として教えてもらった野球に、
    そしてその野球人生のスタートだった銚子市と、
    野球を教えてくれた関係者の皆様に対して、
    感謝とお礼のつもりでこの作品を手がけた。(本文より)
  • まだ、終われない。まだ、果たせていない約束がある。
    あの高校時代から三十年の年月が過ぎていた。

    二〇〇六年九月上旬、一本の電話が来た。
    「蟹江高校が来年の三月で無くなるのを知っとるか? ラグビー部も既に無いとのことだ」
    母校の閉校をきっかけに再会を果たした、昔の仲間たち。ラグビーに青春をかけたあの頃が鮮やかによみがえる。
    「三月に皆を集めて記念試合を実現しよう」という目標の元、続々と熱い思いが集まり始める。
    第二の青春を謳歌する中年男たちを描いた、真実の物語。

    プロローグ
    第一章・再会の秋
    第二章・記念試合 ~二度目の卒業式~
    第三章・緊急入院
    第四章・準備期間
    第五章・社会人チーム発足
    第六章・「おやじ」たちの熱い夏
    第七章・初トライ
    第八章・葛藤の秋
    第九章・悲しみの冬
    第十章・前へ、再びの春エピローグ
      ~ノーサイドの笛はまだ聞こえない~
    あとがき

    〈著者紹介〉
    相木英人(あいき・ひでと)
    愛知県立蟹江高等学校卒業
    愛知学院大学 法学部法律学科卒業
    株式会社CSK(現SCSK)、株式会社大塚商会、株式会社キングコーポレーションを経て、現在オーガスタラボ株式会社にてRPAによる業務の自動化及びシステム開発に従事中
  • さようなら、
    ありがとう。
    いい家族だった。

    穏やかな毎日がずっと続くと思っていたのに、
    突如として発覚した妻の病――。
    介護生活の中で気付いたのは、彼女の深い愛だった。
    看取りの瞬間まで温かく寄り添い続けた夫婦最後の1年間の手記。
  • 二人の息子、そして天国の夫へ

    ある日、夫が亡くなった。
    息子と3人での生活が始まってから、
    息子の幸せだけを願い「いつ死んでもいい」と思っていた尚子。
    そんな思いから救ってくれたのは息子たちの愛だった――。
    夫を亡くした著者が愛する家族へ伝えたい想いを等身大に綴った手紙。
  • 人は、いかに死ぬのか。
    「そのとき」を前に、なにを望むのか。

    「先生、家で死ねますか?」
    「大丈夫。ぼくが毎日家に行って診察するから」

    患者の心の深くに入り込み、
    それぞれの「奥」を見抜き、
    最期を看取る在宅緩和医の奮闘を綴る、
    渾身のノンフィクション。
  • なぜ日本に60基もの原発が立地できたのか。

    日本原発都市開発に隠された衝撃の真相を解明し、3.11後に始まった自治体主体の廃炉への動きや、外国の取り組みを紹介しながら、原発依存からの脱却と地域の自立を展望する。

  • 商社勤務時代に経験した命懸けの出張。
    愛くるしいアザラシの子供が次々と惨殺される現場から、子供が20人いる家庭へ。
    まるで不思議な国のアリスの主人公になったような気持ち。

    その商社を辞める段になって経験した針のむしろ。
    まさに日本の会社を辞めることは裏切り行為とみなされた。
    その後はウオール街の証券会社に。そこでマフィアとの血も凍る恐怖の体験。
    そして世界貿易センタービルで体験した不思議な現象など……。

    非日常に彩られた筆者の人生の断面図を消化する一冊。


    <目次>
    ●マフィア経営の秘密クラブ会員に
    ●ええ! ここからジャンプしろだって?
    ●ゴルフでアマチュア・チャンピオンに 
    ●撃つな! 俺はFBIじゃない  ……etc.
  • 12月25日の早朝、目を覚ましたら首から下は動かず、まともに歩くことができなくなっていた。本当に突然の出来事だった。

    予兆のない発症、そして数日以内の急速な進行が特徴の『ギランバレー症候群』。最も重い「レベル5」と診断され、全身の筋肉の「まひ」や、それによる呼吸困難、幻覚・幻聴などの「せん妄」等数々の症状に苦しまされた著者。有病率10万人に1~2人という珍しさゆえ、未だ解明されていないこの病。その発病から回復までを当事者の視点から記録し、医療現場の様子などまでを克明に描いたドキュメンタリー。

    市川 友子(いちかわ ともこ)
    1955年東京生まれ。旅行と読書とエッセイ執筆が趣味の専業主婦。2018年12月ギランバレー症候群発症。
  • 令和二年。昭和の雰囲気を強く残す三田小山町の今昔――。

    息抜く力は生き抜く力。文豪・永井荷風の『日和下駄』を片手にぶらぶらと、今日も歩き、今日も記す。路地、裏道、坂道などの豊富な写真、古地図、現在の地図を掲載したカラービジュアル本『平成日和下駄』シリーズ、待望の続編。

    上坂泰樹(こうさか・やすき)
    昭和33年、福岡県生まれ。メーカー勤務を経て、現在は東京の調査会社に勤務。永井荷風の『日和下駄』を下敷きに、東京の街の記録を残している。三田周辺には特に詳しい。趣味は、街歩き(坂道探訪、寺社探訪、暗渠探訪、路地探訪、樹々や草花の四季の移り変わりをスマホにおさめることなど)、読書、ちょい飲み。コロナの猖獗を契機に、「エア散歩」(空想散歩)が加わる。著書に「平成日和下駄 一名 三田高輪散策記」(幻冬舎)がある。
  • 届けたいのは、世界の片隅で懸命に生きる人々の姿

    テリー伊藤氏推薦!
    「70過ぎて私は人生をまだ迷っている。
    なんとかならないのか……
    答えがこの本にある。まさに救世主本!
    世代を超えて読んでほしい!」

    長年テレビ番組制作に携わるディレクターが、
    世界中の取材現場で見てきた人々の力強い生き様を通して、
    日々を生きてゆくことの魅力を伝える一冊。

    ・人こそ特ダネ
    ・懺悔の記憶(阪神・淡路大震災)
    ・海に沈む国
    ・カトリーナの爪痕
    ・どっこい生きてるマイノリティ
    ・負け越しのボクサーたち ……ほか
  • 春はお花見に、秋には紅葉狩りに。
    初めて食べる料理や初めて見る景色、歴史上の人物ゆかりの地……。
    旅には素敵な出逢いや新たな発見が溢れている。

    初詣には岡山・倉敷美観地区にある阿智神社へ、
    日本100名城の一つ、鬼ノ城に登り古代ロマンに浸る。
    長崎・上五島でキリシタンの歴史が眠る教会を巡り、
    北海道の道東では大自然にふれる——。
  • 宮城県角田市。地元の人達で賑わう商店で次々と起こる不思議な出来事。イタズラの犯人は、3人の座敷わらしだった!? 「座敷わらしのいる蔵」誕生エピソードから、マルセンを経営する夫婦の馴れ初めまで。数々のテレビ番組で取り上げられ、全国からファンが集まるようになった商店「マルセン」の裏話。
  • 「僕は人間がキライだ」

    気が弱く、臆病なうえに、勉強も苦手で体臭も臭い僕はクラスでいじめられている。家に帰れば毎日のように両親の喧嘩を目の当たりにし、心は閉ざされるばかり。
    そんなある日、家での騒動をきっかけに僕の心に微かな希望が見出されて……。

    子供の苦悩を繊細に描いた、自分に隠された本音と向き合う葛藤の物語。

    森田亮介(もりた りょうすけ)
    いつの世にもイジメは存在する。人類の永遠のテーマなのではないだろうか? 昨今はSNSの発達によりさらにイジメは陰湿化している。その原因を自分の体験を通して本著で書いたつもりである。本著に用がないのが一番望ましいが、もし、同じ悩みを抱えている親子がいたら読んでいただきたい。読者の一助になることを心から念ずる。
  • 誰もが温かく見守られ、安らかに逝きたいと願っている。著者が考えた高齢者専用住宅の目的とコンセプトは、安心の「終の棲家」。生活支援、介護、看護、医療支援が一連の流れの中で行われれば、高齢者の安心につながり、「終の棲家」は確保できる。しかし、医療と看護、介護には依然として制度の壁がある。現場と政治の認識の違いが障害になっている。このことを最も痛感している現場と国民の声が、行政に届かないとしたら、政治家の怠慢と言わざるをえない。事業仕分けと称してごく一部の問題が取り上げられ喝采を博しているが、我々はそこに多くの矛盾が存在していることを知っている。それを汲み上げるシステムができなければ、議論する場を作らなければ、問題の解決にはならない。現役の医師であり、日本の高齢者専用住宅の草分け「光が丘パークヴィラ」(東京都練馬区)の設立者でもある著者が、施設誕生までの紆余曲折と「福祉・介護・看護・医療」の連携の重要性を提言した一冊。
  • 今でこそ当たり前のように使われているクラウドサービスを半世紀も前から立ち上げ成長させてきた独立系システムインテグレーターの先駆者・アイネットは、2021年度に創業50周年を迎えます。
    アイネットの創業者である池田典義氏は、外資系企業の営業マンとして自身を磨いたあと、1971年にアイネットの前身企業を設立し、2006年には東京証券取引所の市場第一部に上場を果たすなど、オイルショックやリーマンショックといった数々のピンチを乗り越えながら、お客さまの利便性を追求したサービスの創造に努めてきました。
    本書は、外資系企業の営業マンから独立し、アイネットを東証一部上場企業にまで育て上げた池田典義氏の半世紀にわたる軌跡と、経営者としての成功の秘訣などがつづられています。
    人生やビジネスにおいて困難に直面している人や、今よりももっと成長したいと望んでいる人に最適な一冊です。
  • がんと闘うあなたへ。自分だけの「処方箋」が見つかる、心の指南書。

    がんと闘う人々が自らの苦悩や体験を語る場所、「がん哲学外来メディカル・カフェ」。ここでは、がん体験者やその家族、医療関係者が参加して、対話が行われる。
    カフェを訪れた人のがんと懸命に向き合う様子は映画化され、2019年5月より全国各地で自主上映されていた。しかし、コロナ禍で上映を中止せざるを得ない状況に。そんな中、この波を止めまいとYouTubeで「映画『がんと生きる言葉の処方箋』応援チャンネル」が立ち上げられた。自らのがん体験、そして病気や悩みを抱える全ての人に向けた「言葉の処方箋」を映画出演者、がん体験者、医療従事者、がんサポーターにインタビューし、がんと生きるための道標となるメッセージをドキュメンタリーブックとして電子書籍化した一冊。あなたの心にも、きっと届くはず。

    「私たちが出会ったがんサバイバー・サポーター・ 医療関係者は、どうしてあんなに優しいんだろう」(野澤和之)
     「言葉は人生に活力を与え、人生を彩る。病気や悩みを抱える人たちへの言葉の処方箋」  (並木秀夫)

    <著者紹介>
    野澤和之(のざわ・かずゆき)
    新潟県出身。立教大学文学部大学院修了。記録・文化映画、TV番組を経てドキュメンタリー映画の世界へ。文化人類学を学んだ経験から文化・社会の周縁にいる人々を描いた作品が多い。代表作に在日1世の半生を捉えた『HARUKO』、マニラのストリートチルドレンを描いた『マリアのへそ』、ハンセン病療養所で暮らす夫婦の物語『61ha絆』、世界最大のハンセン病療養所の島で暮らす人々を描いた『CULION DIGNITY』など。『がんと生きる言葉の処方箋』は自らも大腸がんを体験しながら創った執念の作品となった。

    並木秀夫(なみき・ひでお)
    東京都出身。北海道大学水産学部卒業、ジョージワシントン大学経営学修士課程(MBA)修了。国内大手製薬企業のマーケティング部門を経て国内中堅製薬企業の取締役として希少がんの事業に従事。2017年医療の隙間を埋めるテーマの映画製作で野澤和之氏と意気投合し、企画段階よりプロデューサーとして参画した。
  • 国境の向こう側に目を凝らしていた仲間が突然大声で叫んだ。
    「おい、あれじゃないか?」

    1980年に勃発したイラン・イラク戦争。突如として戦地となった両国では、日本企業の駐在員や出張者も国内に閉じ込められ、時間の経過と共に各々が命懸けの脱出を実行した。
    本書は、総合商社に勤務し、イラク出張中に戦争に巻き込まれた著者が、当時の恐怖体験や脱出までの経緯を生々しく振り返る。さらに、有事の際の邦人救助の実態や、外務省・在外公館の危機対応能力など、当時の体験を通じて浮かび上がった課題についても語る。
    東アジア情勢が緊迫度を増すなど世界情勢が混沌とする今、戦争やテロの恐怖に直面した著者ならではの視点から、国際社会における日本の在り方について提言した一冊。
  • 桜が咲き、珍しく雪が降ったその季節、少年は静かに静かに天国へ旅立った。

    十歳の兄・拓ちゃんが病気になった。
    それもグレードⅣの脳腫瘍――。
    その日から、ボクらの新たな日々がはじまった。
    二年間、難病と闘った家族の記憶の物語。
  • もしかするとそれ、「ナルコレプシー」かもしれません。

    小学生の頃にナルコレプシー(過眠症)を発症して以来、「眠ってしまうこと」で様々な偏見を向けられてきた筆者。十分に眠っているはずなのに、楽しい会話中、大事な試験や会議、そして運転中にも突発的に襲ってくる睡魔。
    この病を個性ととらえ医療職員として就職するも、周囲の理解が得られず退職。生きていく上で多くの不利益を経験する中で生み出した、ナルコレプシーとの上手な付き合い方、そして周りの人たちからの理解を得る方法をお届け。
    病を抱えながらも活躍している方との対談も収録。

    【著者】
    川崎 俊(かわさき すぐる)
    一九九二年静岡県出身。中学一年でナルコレプシーの診断を受け、眠気と闘いながらの日常生活を余儀なくされる。地元公立病院、一般企業を経て、個人事業主として独立・起業する。「治療院経営」と「向き合い方からビジネス立ち上げのサポート」をする傍ら、自主制作の本を個人で出版したり、なるこ会の理事として活動したりしている。啓発活動もウェブメディアやTV番組などにも取り上げられ、セミナーや学校での啓発講座なども行っている。
  • 1945年、鎮南浦。
    異国の地で、敗戦の混乱期を生き抜いた11歳の女の子の人生とは。
    待望の、英語改訂版。
  • 支える人々も、熱いドラマを生んできた!
    1964年東京オリンピックのチーフコンパニオンが明かす、
    数々の知られざるインサイド・ストーリー、待望の文庫化。
    世界中の人々が、未来への希望を託してきたオリンピック。特に日本人にとって1964年に開催された東京オリンピックは、戦後からの復興を確信した一大イベントであった。東京オリンピックで活躍したコンパニオンたちのチーフを務めた著者は、1958年の東京アジア競技大会に始まって、多くのIOC総会や理事会、東京、札幌オリンピックはもとより1998年の冬季長野大会まで、40年にわたってオリンピックに関わる活動に身を置いてきた。その間、世界は東西冷戦からグローバル化と時代が移り、それとともにオリンピックのあり方も実直なアマチュアリズムから、華やかなコマーシャリズムへと大きく変わっていった。しかし、人々のオリンピックにかける熱い思いは変わらない。ただひたすら献身的にオリンピックを支えていた人々の、ホスピタリティに溢れたエピソードを綴ったエッセイ。
  • 元証券マンはいかにして「美容業界の⾰命児」となったのか。
    異⾊経営者の誕⽣&サクセスストーリー。
    ⼤⼿上場企業の安定から⾶び出し個⼈投資家へ転⾝。
    未経験の美容業界でオープンした美容室CIELは、設⽴5年で全国30店舗を展開する急成⻑を遂げた。
    その成功の歩みから未来への展望まで、すべてを語り尽くす――。
  • 日々の小さな変化の気配を大切に綴られたエッセイ集。
    なんとなく好き、気になる、そしてなぜか切ない・・・・・・。そんな見過ごしてしまいそうな日常のひとコマをやわらかな視点で鋭くとらえた随想録。著者は、呼吸をするかのように、日々興味をもったことについて考え、気付いたことをメモし、文章にする。例えば、ハレの日の酒やふくらみ始めた梅のつぼみのこと、仕事先で出会った若者や年老いた母のことなどを感慨深く振り返る。そして日常とは、昨日と今日と明日の単なる繰り返しではないと認識する。だから、「慣れ」とか「それらしく見える」ことに安心していては、日々はちゃんと積み重なっていかないのではないだろうかと考える。著者にとって、生きることは感じて考え続けることであり、表現することだった。「ありふれた日々こそ愛しいのだ」と気付かせてくれる一冊。
  • 平成時代、自衛隊で切磋琢磨した著者が国民と後輩に残す熱いメッセージ

    元自衛隊(空挺隊員)の著者が令和の今、
    後輩と日本国民にメッセージを送る熱い自叙伝。

    自衛隊の本来任務である安全保障面に目を向けると、
    拉致問題の解決には全く進展がないと感じている著者は

    「覇権主義ではなく、民主主義を支援し守ることで日本国民に寄与し、
    ひいては国際社会にも貢献するのが自衛隊の使命であるはずなのだから……。
    何よりも、上から降りてくる命令をそのまま下に垂れ流すのではなく、
    自分の信念や価値観にも十分に照らし合わせ、
    入隊の時に立てた誓いを果たすためにはどうあるべきか? 
    そして日本国民を危険から少しでも遠ざけるためにはどの道を選ぶべきか? 
    それを良く考え、必要とあらば“ストッパー役”となってくれる者が
    自衛隊の中から現れてくれることを期待して止まない」

    と熱く語る。

    著者のメッセージを読むと、私たち日本国民は
    日本の平和、安全、そして将来について
    今一度考えなければならないと身につまされる。
    日々巷に流れているニュースではなく、
    自衛官の生活、訓練、仕事ぶり、思考、日本の国との接し方が分かる貴重な自叙伝である。
  • 愛犬とのドタバタな毎日を描いた笑いと涙の物語。

    交通事故に入院生活、事業所閉鎖の悲劇。
    起業、結婚からはじまった充実の新生活。
    どんな時も隣で支えてくれたきみのことを、僕は決して忘れない。
    無邪気でかわいい愛犬BW(ビーウィー)と過ごしたかけがえのない17年間。
  • 2歳で叔母夫婦に養子として引き取られた。
    それが私の激動の人生の始まりだった。

    傍から見れば幸せそうな親子。その裏で日常的な虐待、育児放棄が行われていることには誰も気づかず、
    自分の育った家庭が「普通とは違う」ことを理解したのは大人になってからだった。
    今なお心に潜む虐待の影と闘いながら、それでも私は生きている。
  • 留置所で出会った一人のおじいちゃんとの、ちょっぴり笑えてためになるお話
    私は今、警察署の留置場で拘留されている。既に2週間近く経ったか? 今日、私の房におじいちゃんが入ってきた……。
    天皇制度、本能寺の変、太平洋戦争、従軍慰安婦――留置所で出会ったおじいちゃんは、毎日いろんなことを私に教えてくれた。留置所で体験した少し不思議な19日間の物語。
  • 全国の保育園長と保育士さん、150人以上に徹底的に取材!あまり知られることのない保育現場の笑いと涙を大公開。「あるある」編ではマンガも掲載し、何度も楽しく読めて保育を知れる一冊。
  • 沖縄といえば、なにを思い浮かべるだろうか? 南国特有のきらめく日差し、白い砂浜、美しいサンゴが生きる青い海……。実際、とくに石垣島や西表島の海に棲息するサンゴや魚の種類は多く、生物の多種多様性は世界一と言われるほどである。海に潜ればミドリイシ類やショウガサンゴにコモンサンゴ、キクメイシ、テーブルサンゴ、ハマサンゴ、などが、陸上のお花畑のように密生し、色鮮やかな魚たちが舞う世界。しかし、それらの美しいサンゴはこの20年間で10分の1にまで激減している。色とりどりの魚や珍しい生き物たちの棲家たるサンゴは、同時に彼らの食べ物であり、海の生物の約25パーセントはサンゴ礁に頼って生きている。また、「海の熱帯雨林」とも呼ばれ、二酸化炭素を吸収して酸素を作り出すサンゴ礁は、たくさんの魚が獲れる「漁場」であり、サンゴ礁が漁業にもたらす経済効果は107億円と推計される。さらに台風などによる高波を防ぐ防波堤の役割も果たし、観光資源としてもその意義は大きく、サンゴ礁のある海がもたらす経済的効果は2400億円にも上ると言われている。
    なぜ、サンゴ礁はこうまで激減してしまったのか? 衰退する沖縄のサンゴ礁を救うために、私たちになにができるのか?――沖縄の開発の歴史から地球温暖化の問題、水質汚染の元凶、国と沖縄県のさまざまな対策、植え付けによってサンゴ礁再生をめざす人々……、10年にもわたる執念の取材を通して、人間とサンゴ礁とが共生する未来を問う、渾身のルポルタージュ。
  • ギネス記録を超える巨大な桜島大根を掘りあげた時はわが目を疑った。定年後8年目にして日本百名山達成の大朝日岳雪の山頂に立った時は思わず涙した。これは会社定年後に始めた野菜作りと山歩きの双方で得た感動の瞬間だった。桜島大根が世界最大の大根で、この大根は桜島の火山灰土でしか育たない、という事は以前から知っていたが、まさか自分がこの桜島大根作りにチャレンジする事になろうとは全く想像していなかったし、本場桜島でのコンテストで優勝するなどとは夢にも思わなかった。桜島大根を初めて目の当たりにしたのは、九州屋久島の宮之浦岳登山の帰りに観光目的で立ち寄った鹿児島桜島のドライブイン店頭に飾られていた時で、その巨大な大根にはびっくりさせられた。もし登山で屋久島へ行かなかったら、その帰途に桜島へ行かなかったら、生涯桜島へも行く事はなかっただろうし、桜島大根に出会うことも無かったかもしれない。(「はじめに」より)
  • 健康優良児としてこの世に誕生した「私」だが、5歳で「若年性多関節リウマチ」と診断され、突然歩けなくなってしまう。でも、それがどうしたっていうんだろう? 行きたい学校、入りたい部活、やりたいことは全部やる! そしていつしか、身体障がい者の心のケアをしたいという思いからある夢を抱くようになって…。決して強かったわけじゃない。気弱で優しい女の子の、たったひとつの物語。
  • 科学的な解明が進む「臨死の脳」。事故・窒息・病気――幾度も“死の間際”を彷徨った著者が綴る死の寸前の「私の脳内」。「命の声」を伝えるノンフィクション。
  • 昭和四十九年(一九七四)八月三十日、金曜日、午後零時四十五分。 「東アジア反日武装戦線『狼』」と名乗る赤軍派が東京・丸の内の三菱重工ビルを爆破。日本最大の無差別爆弾テロ。死者八名、重軽傷者三八五名。現場に遭遇した元三菱重工社員の著者が、事件を克明に描き出したノンフィクション小説であり、事件で命を落とした同僚におくるレクイエム。
  • 大学で心理学の教鞭を執っていた夫が、定年後、認知症になってしまう。妻である著者は病の宣告にショックを受けるが、それ以上に、「認知症」が偏見や差別の対象となる社会的な病であると知り、暗澹たる思いに捉われる。実は著者には、辛い過去があった。それは、現在は健やかに成長している娘二人が、生後まもなく「余命半年。もし生きられたとしても重度の知的障害になるかもしれない」と医者から宣告されてしまうというもの。当時、憔悴する著者に対して、夫が投げかけてくれた心強い言葉が、「医学を信頼することは大切だけれど、医師の言葉を鵜呑みにしてはいけない」というもの。そして、聖書の中の言葉、「明日のことを思い煩うな」――それらが重なり合って著者の胸に響き、現状を嘆くのではなく、夫と過ごす一日一日を改めて大切にしようと決意する。この後、夫はさらに脳卒中も発症してしまうが、著者は希望と明るさを失わずに、周囲の協力も得ながら自宅介護を続ける。介護問題や命の尊厳、家族の絆、夫婦愛についても考えるきっかけを与えてくれる、感動のノンフィクション!
  • 「葛西の海で、子どもたちがまた泳げるようにしたい」と東京湾海水浴場復活への取り組みを始め、『ふるさと東京を考える実行委員会』をたった一人で立ち上げる。建築を通して文化が失われつつある日本古来の生活美を取り戻し、風土に培われた文化を温存して未来につなげたい。葛西の土地で一つ一つの建物を地道に造ってきた建築家が、生活空間、自然環境に対する意識革命を巻き起こす。
  • あの落選が、すべての闘いの始まりだった。当選するはずのない人間が当選し、なんの罪もない人間が当選することができなかった。とある落選市議が、「こんな不条理が許されてたまるか!」と起こした裁判のすべての記録がここにある。裁判は真実を追究する場ではないのか。なぜ、正しい結果を示してはくれなかったのか。日本の裁判制度に警鐘を鳴らす、衝撃のノンフィクション。
  • キノコ雲がもくもくと空に立ち上っていた。束の間の雨のせいか、時折、虹色に光って見えた。元海兵の著者が綴る、過去の戦争の凄惨さ。そして猛スピードで進む技術革新に、もはや人間は機械に乗っ取られてしまう、そんな未来。決して遠い未来じゃない。「その時」が来たときに、我々はどうすべきか。今、世界で一番不安定な国で生きる、誰でもない「あなた」に贈る。これからを生きる至高の指南本。

・キャンペーンの内容や期間は予告なく変更する場合があります。
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