『ネルケ無方(新書、実用)』の電子書籍一覧
1 ~9件目/全9件
-
一神教はなぜ争うのか?
「悟り」「執着」とは何か?
ドイツ人禅僧が教える、日本人のための宗教原論。
「家族を捨て、悟りを開いたブッダは、実は冷たい人だったのではないか?」
「愛を説くキリスト教徒は、なぜ戦争ばかりしているのか?」
この、多くの日本人が持つ“疑問”に対して、
ドイツ人禅僧である著者が「仏教」と「キリスト教」を対比させながらひとつの答えを出す―。
「仏教」と「キリスト」教の違いが一読でわかる!
現・曹洞宗の住職で、元・キリスト教徒(プロテスタント)による、異色の比較宗教学。 -
キリスト教には、明確なドグマ(教義)がある。
イエス・キリストというはっきりとした象徴がある。
三位一体(父なる神、子なるイエス、聖霊)がある。
それがキリスト教を信仰している人々の支えになっている。
しかしキリスト教は、他宗教を否定する。
ところが、日本にはそういった宗教間の対立がほとんどない。
仏教と神道が争うことはない。
今の日本人はキリスト教を否定しない。
西洋人が、日本人から大いに見習うべき点は、ここだろう。
そして、日本人は無意識のうちに。日常生活の中で「禅」の教えを実践している。
だから、日本人に「宗教」は要らない……。
曹洞宗の住職であり、元キリスト教徒(プロテスタント)の著者が、
日本と欧米社会を比較しながら、「日本人の宗教観」について考察する一冊! -
「お坊さんになって悟りたい!」――。悩めるドイツ人青年の危機を救ったのは、祖国で出会った坐禅だった。出家の覚悟を決めて来日するも、そこで見たものは、この国の仏教のトホホな姿。算盤を弾くばかりの住職、軍隊のような禅堂、仏教に無関心な世間……。失望と流転の末、ようやく辿り着いた理想の修行は、小さな山寺での自給自足・坐禅三昧の生活だった。日本人が忘れた「一瞬を生きる意味」を問う、修行奮闘記。
-
日本人の死に対する考えは不思議だ。生と死を厳密に分けず、つながっている感覚を持ち、死者への親近感や依存度が高い。その一方で「死は穢れ」という概念があり、葬儀後の「清め塩」や数字の「4」を避ける習慣がある。また、戦時中の神風特攻隊は、武士道が謳う死の美学を身をもって貫き敵国を驚かせた。元キリスト教徒のドイツ人禅僧が、日本と欧米社会を中心に比較しながら、曖昧な日本人の死生観と理想の死について考察する。
-
多くの悩みやストレスを抱える現代人は、常に思考を巡らせていて“頭でっかち”。正解を追い求めることをやめ、坐禅という「考えない時間」をつくることで、一日の内容は確実に違い、そして人生そのものも変わる。日本とは異なる文化圏出身の禅僧だからこそ見える仏教の意義を改めて確認し、今日から坐禅の旅へいざ出発!
-
顔を洗う、布団をたたむ、食事をいただく、掃除をするなど、生活そのものが修行だというのが禅の考え方。自分の外に答えを求めるのではなく、「今ここ」に立ち返り、ただすべきことをする。そうすれば、どうすればいいかわからない……そんな悩みからだって自由になれる。小さな禅寺で自給自足の日々をすごすドイツ人住職が語りかける、カタチにとらわれない禅修行の始め方。
-
800年たった今でも通用する禅僧道元の哲学的思想とその教えには、先の見えない不安な時代に目指さなければならない社会への考察や生きるための智慧がたくさん詰まっている。禅の名著「正法眼蔵」から人生の苦難を乗り越えるために心に響く言葉と日常生活におけるその実践法を兵庫県安泰寺住職のドイツ人禅僧がわかりやすく説く。
・キャンペーンの内容や期間は予告なく変更する場合があります。
・コインUP表示がある場合、ご購入時に付与されるキャンペーン分のコインは期間限定コインです。詳しくはこちら
・決済時に商品の合計税抜金額に対して課税するため、作品詳細ページの表示価格と差が生じる場合がございます。