『内村鑑三(文芸・小説、実用)』の電子書籍一覧
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[作品について]1894(明治27)年7月、箱根、蘆の湖畔で開かれた、第六回キリスト教徒夏期学校における講演の記録。初出は、『湖畔論集』(第六回夏期学校編、東京・十文字書店、1894年11月)。「私に五十年の命をくれたこの美しい地球、この美しい国、この楽しい社会、このわれわれを育ててくれた山、河、これらに私が何も遺さずには死んでしまいたくない」では何をこの世に遺すか。社会が活用しうる清き金か。田地に水を引き、水害の憂いをのぞく、土木事業か。書いて思想を遺すこと。教育に当たって未来を担う者の胸に思想の種をまくことか。これらもまた、遺すべき価値あるものである。けれど、金や事業や思想を遺すことは、誰にでもなし得る業ではなく、またこれらは「最大遺物」とは言い難い。では、誰でもがこの世に遺すことのできる、真の最大遺物とは、果たして何なのか?[初出]「湖畔論集 第六回夏期学校編」十字屋書店、1894(明治27)年11月[文字遣い種別]新字新仮名
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日本を代表する思想家・内村鑑三の100年以上前の伝説の講義
『後世への最大遺物』を読みやすく現代語にし復刊!
お金?仕事?教育?思想?それとも・・・?
――わたしたちが死ぬときにのこす価値のあるものは何か
古典が教える先が見えない時代を生き抜くヒント
<目次>
・「後世への最大遺物」現代語訳 内村鑑三
1日目:1894年7月16日夜7時
のこすべきはまずはお金、次に事業である。
2日目:1894年7月17日朝8時
誰もがのこせる唯一のものがある。
・「後世への最大遺物」解説 佐藤優
先が見えない時代をどう生きるか -
【新・教養の大陸シリーズ】第5弾!
生前に内村鑑三が自らの雑誌「聖書之研究」などに
発表した「伝道」に関する論考を精選して一冊にまとめたものです。
これまでほとんど世に出てこなかった名文が詰まっています。
無教会主義を唱えて、
生涯を信仰にかけた内村鑑三が自らの伝道失敗談と、
伝道成功の秘訣を明かします。
本書で、
内村鑑三は、
人間にとって信仰は必要不可欠なものであり、
政治にも宗教は必要であると情熱を込めて訴えます。
ひるまず、
くじけず、
正義に生きた内村鑑三の言魂は、
人生訓として現代を生きる人の心を打つことでしょう。
■■ 著者について ■■
内村鑑三(うちむら・かんぞう)
1861~1930年。明治・大正期に活躍した、日本を代表するキリスト教思想家、社会批評家。「無教会主義」の主唱者。札幌農学校でキリスト教に出合い、米アマースト大学などで信仰を深める。第一高等中学校教員時代、教育勅語の天皇署名に対する敬礼を拒否したことが社会問題となる(不敬事件)。「萬朝報」や「東京独立雑誌」でキリスト教に基づく社会批判を展開し、伝道雑誌「聖書之研究」でキリスト教に関する研究を発表。主な著作は『代表的日本人』『余は如何にして基督信徒となりし乎』『後世への最大遺物』など。
目次
第一章 宗教はなぜ必要なのか
第二章 私の伝道方法
第三章 伝道と政治
第四章 真の伝道師になれ
第五章 いざ、世界伝道へ
特別収録1 クラーク先生の思い出
特別収録2 政治家を志した友人への追悼メッセージ――故横井時雄君のために弁ずる -
古典の名著を現代語訳し、ハウツー本では解けない課題を自ら解く力を身につける「Contemporary Classics 今こそ名著」シリーズの1冊。「武士道」「茶の本」と並んで3大日本人論の1冊に数えられる内村鑑三の『代表的日本人』をとりあげ、日本および日本人の精神性や座標軸を「徳のある生きかた」「使命と行動」としていまに伝えます。「代表的日本人」が最初に出版されたのは、1908年。鎖国を解いてから半世紀も経たないうちに、日本は日清戦争と日露戦争に勝利しました。日本とはいったいどういう国かという欧米の関心に答えようと本書は英語で書かれた日本人論のさきがけです。欧米の人々にもわかりやすいように、聖書や西洋の歴史上の人物を引用し、5人の代表的日本人(西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮)の生き方に、キリスト教文明に勝るとも劣らない深い精神性が存在することを伝えています。近代の名著として読み継がれてきた本書は教養を高めるたけでなく、そこに生きる上での気遣いもちりばめられており、とりわけビジネスパーソンに愛読されています。
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国境を越え1世紀を経ても色あせない
日本発、世界各国ロングセラーが1冊になった
『茶の本』『武士道』『代表的日本人』は、今もなお世界中で読み継がれており、現代においても日本人こそが、世界で生き抜いていくために精読すべき名著だといえる。
この3作はいずれも劣らぬ優れた書であり、どの作品から読んでもかまわないが、3作をまとめて読んでみると、共通して見えてくるものがある。それは、現代にも通ずる日本の誇りと言うべき精神であり、日本の文化や思想、道徳、伝統といった「日本のこころ」である。
それぞれが異なる視点、題材やアプローチで書かれているので、3作品合わせて読むことで、多角的に「日本のこころ」とも言うべき、精神、道徳、生き方についてとらえ、より一層深く理解することができるだろう。
「日本のこころ」は、現代日本人にも知らずのうちに脈々と受けつがれている。例えば、2011年に発生した大震災後に日本人が見せた規律や自発的な他助の精神は世界中から称讃された。そして「おもてなし」に代表される日本人の誇るサービス精神にもまた通底する考え方でもある。
それを本書を読むことで今一度、思い出そう。そして、現代日本人として「日本のこころ」を世界に対して発信し、その誇りを未来への世代に受け継いでいくのに役立ててほしい。 100年を経ても色褪せること無く読み継がれてきた名著は、必ずや今後100年も読み継がれていくであろう。 この3作を1冊にまとめた本書を一家に1冊の蔵書として、納めていただけたら幸いである。
著者紹介
『茶の本』
岡倉天心(おかくら・てんしん)本名 覚三(かくぞう)
明治時代の美術評論家、思想家。1863年、横浜に生まれる。父が貿易商だったこともあり、幼少時代から英語を習得。東京大学在学中に日本美術研究科の通訳・助手を務め、文部省入省後は欧米視察を経て、東京美術学校の設立に尽くす。27歳で第二次校長に就任し、横山大観など多数の日本画家や彫刻家を育てるが、内紛により辞任。その後、弟子たちと日本美術院を設立する。一方で、アメリカのボストン美術館の東洋部長にも就任し、同美術館が「東洋美術の殿堂」と呼ばれる基礎を作るとともに、海外での講演活動や執筆活動を通じて、日本ひいては東洋に対する欧米の理解を深めるのに尽力した。1913年没。
『武士道』
新渡戸稲造(にとべ・いなぞう)
農学者・教育者・思想家。1862年岩手県盛岡生まれ。札幌農学校(現在の北海道大学)で学んだ後、アメリカ、ドイツで農政学等を研究。1891年にメリー・パターソン・エルキントンと結婚。1899年、アメリカで静養中に本書を執筆。帰国後、第一高等学校学長、東京帝国大教授、東京女子大学学長などを歴任。1920年に国際連盟事務次長を務め国際平和に貢献する。1933年没。
『代表的日本人』
内村鑑三(うちむら・かんぞう)
1861年高崎藩士である父の元、東京に生まれる。キリスト教思想家・文学者・伝道者・聖書学者。東京外国語学校を経て札幌農学校に新渡戸稲造、宮部金吾らと勉強を共にする。卒業後、アマースト大学、ハートフォード神学校に留学し、1890年に帰国。第一高等中学校嘱託教員となるが、翌年、教育勅語奉戴式で拝礼を拒んだ行為が不敬事件として非難され免職。以後は著述家として活躍。1919年から内村聖書研究会を開き、多くの人を集めた。聖書にのみ基づく信仰「無教会主義」の創始、伝道者となる。主な著書に『基督信徒のなぐさめ』、『余は如何にして基督信徒となりし乎』などがある。1930年没。 -
武士の家に育った内村は、進学した札幌農学校で半ば強制されるようにキリスト教に入信する。しかしその懐の深さに心を打たれた彼は、仲間たちとともに自分たちの教会を建てるにいたる。やがて真のキリスト教国をその目で見ようとアメリカへと単身旅立つが……明治期の青年が異文化と出会い、自分自身と国について悩み抜いた瑞々しい記録。(解説・橋爪大三郎)
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[作品について]1911(明治44)年10月22日、東京柏木の今井館で行われた講演を、後に内村自身が文章化した作品。初出は、『聖書之研究』第136号(1911年)。デンマークは1864年、ドイツ、オーストリアに迫られて開戦に追い込まれる。敗戦によって国土の最良の部分を失ったこの国は、困窮の極みに達する。そのヨーロッパ北部の小国が後に、乳製品の産によって、国民一人あたりの換算で世界でももっとも豊かな国の一つとなった。荒れ地を沃野に変えて国を蘇らせたのは、天然と神に深く信頼し、潅漑と植林の技術をもって樹を植える事に取り組んだ人の営為だった。[初出]「聖書之研究 第一三六号」1911(明治44)年[文字遣い種別]新字新仮名
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