『幸森軍也(マンガ(漫画)、実用)』の電子書籍一覧
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「やろうよ、漫画映画を」――トキワ荘から飛び出した才能たちが、会社に集ってマンガをアニメを創った! 藤子・F・不二雄『パーマン』、石ノ森章太郎『佐武と市捕物控』、藤子不二雄A『怪物くん』、赤塚不二夫『おそ松くん』。テレビアニメ草創期に東映動画、TCJ、タツノコプロと競い、15分1本というスタイルに日本で初めて挑んで『オバケのQ太郎』を生んだ「スタジオゼロ」。その濃密な7年間の歴史、ここに初めて再現!
「第二のトキワ荘」となった幻のアニメ・マンガ制作会社「スタジオゼロ」初の評伝! 東映動画、TCJ、タツノコプロなどアニメ産業の草創期も活写!
●「やろうよ、漫画映画を」
ふだんはもの静かな藤本弘が口火を切った。
「雑誌漫画とちがって、音や動きが加わるんだもんね」
藤本の横顔を安孫子素雄がうなずきながら見た。
「でも大変なんだろ、漫画映画って」
つのだじろうが他の四人の顔を心配そうに窺っている。
「個人じゃムリだ、会社を作らなきゃ」
石森章太郎が決めつけるようにいった。
鈴木伸一は彼らの提案をなかばうれしく思い、なかばとまどいながら聞いていた。
(本文より)
●「テレビアニメ黎明期の中に生まれ、
てんやわんやで作品を作りながら、
その時代の主役にはなりきれず使命を終えた『スタジオゼロ』。
私はこの会社が限りなく愛おしい」
(鈴木伸一) -
マンガが熱かった時代を、圧倒的なデータで再現!――全創刊誌を解析、初公開の秘話で「あのマンガの裏話」も分かる!
1947年『新寶島』(酒井七馬・手塚治虫)刊行。
1959年「マガジン」「サンデー」同日創刊。
1962年『おそ松くん』(赤塚不二夫)に「シェー!」登場。
1965年『W3』(手塚治虫)、「マガジン」から「サンデー」に移籍。
1968年「ジャンプ」創刊号に『ハレンチ学園』(永井豪)掲載。
1977年「チャンピオン」部数200万部へ――。
●内記稔夫氏(現代マンガ図書館館長)推薦!
「本書は、戦後の少年雑誌黎明期から青年ヤング誌の創刊が盛んになった80年代あたりまでの、いわゆるマンガ誌の興亡とライバル誌同士の熾烈な攻防戦を克明に暴いているあたりが面白く読める。特に創刊時や転換期の掲載作品を細かく分析し、既存のマンガ資料の間違いも正すなど正確を期している点や、マンガのメディア展開にも触れていて、マンガ研究の参考資料としても大いに役立つ教科書と言っても好い、幸森軍也氏の労作である」
【著者略歴】
幸森軍也(こうもりいくや)
作家、株式会社ダイナミックプロダクション出版企画部部長。
1961年兵庫県生まれ。関西大学商学部卒業。
1989年株式会社ダイナミックプロダクションに入社。1992年『げんまん』(野性時代/角川書店)で作家デビュー。数多くのコミック著作権関連訴訟の陣頭に立つ。現在、専修大学文学部で日本文化研究の講座を担当。
著書に『そして、またひとり…』『あなたの待つ場所』(角川書店)、『パソコンOL養成講座』(扶桑社)、『ゼウス』(徳間書店)、『日語読本試行版 好朋友』1~5(大連教育学院)ほか。
日本マンガ学会、著作権法学会会員。 -
池波正太郎の[戦国忍者ロマン]最終巻!!
時代小説の大家・池波正太郎屈指の[戦国忍者ロマン]がクライマックス!!
大武将・武田信玄と忍者・丸子笹之助の壮大な夢と野望の物語はいかなる結末を迎えるのか!?
感動と衝動の最終第3巻、ここに完成。
ついに武田信玄が上洛作戦を開始した!
その途上に立ち塞がる徳川家康も三方ヶ原に一蹴し、信玄の進軍を阻むものはないかと思われたが、思いもよらぬ「邪魔」が信玄の軍の足を止める。夢が潰えた時、信玄と共に生きてきた丸子笹之助も大きな人生の岐路に経たされることになり………。
壮大なる[戦国忍者ロマン]、大団円の最終巻。
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