『平川博達(実用、文芸・小説)』の電子書籍一覧
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人はなぜ生まれたのでしょうか。
なぜまた、死ぬことになるのでしょうか。
死んでも死なない生き方は、あるのでしょうか。
そういう真理という生き方が、ほんとうにまだ、日本にも残されているのでしょうか。イエスというひとは、「わたしこそが、真理であり」、永遠の「いのち」であるから、キリストの食卓につきなさい、という。
ということで、これから、キリストの食卓を紹介していきます。 -
キリストの平和のつくり方をご存知でしょうか。イエスという人は、2000年も前の人でしたが、イエスというひとは、「自分を愛するように、隣人を、隣国の人を愛しなさい」といわれました。それ以外に世界平和はやってこない。ひとりひとりが、ほんとうに、敵であっても、そういう他人の権利を大事にする、そういう使命に目覚めてほしい、といわれました。それ以外に、日本の家庭崩壊を食い止められない、といいました。ご参考にしてみてくだい。
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地上の王国をうけつぐもの、天上の王国を受け継ぐものに、どういう資格が必要でしょうか。天国が天地創造の神の国であれば、当然、その神の愛を受けてきたものとなるはずです。そういう神の愛について、紹介しています。参考にしてみて下さい。
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天皇家とユダヤ民族のつながりについて紹介しています。双方とも、勤勉な民族ですが、なぜか、閉鎖的でした、鎖国的でした。
なぜでしょうか。国際社会において、「ひきこもり」的であれば、どうでしょうか。魂の成長と自立には、やはり、マイナスではないでしょうか。それゆえに、これからの、世界の平和づくりに必要な、生き方を、ここで紹介してみました。参考にしてみてください。 -
イエスという人の誕生を祝うクリスマスが近づいてきました。
イエスという名前の意味は、「天地創造の神の救い」という意味でした。
つまり、イエスというひとは、天地創造の神が、すべての「いきもの」を愛しているので、その愛によって、日本民族もまた造られたこと。
それゆえに、日本人もまた、「えこひいき」しない、天地創造の神によって愛されているので、イエスという人のように、日本人もまた、その神の愛を実践するために生まれてきたので、クリスマスをきっかに、ほんとうの世界の平和のつくり方を知ってほしい。
その平和も、武力とか核兵器によって作るのではなく、最も弱いもの、貧しいものの重荷を背負って、平和をつくってほしい。
武力によるのではなく、自分を愛するように、隣人と、隣国を愛することで、世界平和をつくってほしい。
ということで、この本では、クリスマスを心から祝うには、どうしたらいいか。武力によらないで、敵との間でさえ、平和をつくるための、キリストの愛、キリストの信仰、さらにキリストの希望の道を紹介しています。参考にしてみてください。
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せんせい。なんとかなりませんか
というメモを遺して死んで逝った幼子が負った哀しいを、ご存知のはずです。その子は、父親にいじめられ、死ぬことになりました。
そういう罪は、ほんとうに、かんとかしてほしいものです。
昨今ではまた、「従軍慰安婦」問題で、韓国と日本が「あやしく」なっているようです。加害者が日本で、被害者の韓国からすれば、日本の政府高官には、いまだに「反省の意識」は薄い、というわけです。
こういう「つみづくり」も、なんとかならないでしょうか。 -
ノアの箱舟に乗れたのはノアの家族の八人と、清い動物だけでした。
アダムとイブの罪によって、人類が罪人となったのですが、天地創造の神は、ノアの家族だけを、救うために、箱舟を造ったわけです。 しかし人類は、その時の箱舟生活によって、同性愛に目覚めたわけです。それえゆえに、同性愛を亡ぼすために、今度人類を滅ぼすときには、大洪水によるのではなく、聖霊と火という神の愛の力によって、人類の罪を消滅させることにした、と、もう一つの聖書」は言ってきました。果たして人類は、同性愛によって、救われるのでしょうか。それとも、世界を平和にするのは、神の愛でしょうか、それともキリストの信仰によって人類の目は開かれるのでしょうか。あるいは、また別の愛が必要となるのでしょうか。
そういうことを検証していきます。参考にしてみてください。 -
第一巻では家庭崩壊について記しましたが、今回は、天地崩壊について、その予告編とも言うべきものを記してみました。
親が子を殺すほかない家庭では、その逆でも、すでに天地も崩壊しています。そういう人間関係のなかでは、死んでからも天国にはいけない。親子の平和も望めないわけです。
そういう間違った愛を選んだ人間の悲劇というものを紹介してみました。同時に、どういう愛なら、家庭だけでは、世界の平和が造られるのか、そういう魂の成長に必要な言葉を紹介してみました。
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家族崩壊が進んでいます。高齢者家族も大変ですが、働き盛りの「ひきこもり」も多くなっています。そういう家族に、どういう救いの道があるでしょか。日本的な愛国心にも問題があるのでしょうか、「いじめ」問題は、明らかにすぐにも解決すべき問題ではないでしょうか。安倍政権は何をすべきでしょうか。魂の自立には、何か必要でしょうか。そういう問題に取り組んでいます。ご参考にしてみてください。
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いよいよ家庭崩壊が、激しくなってきました。「引きこもり」のいる家庭では、いつ悲劇が起きるか、という不安の日々が続き、ついに、親が中年となったわが子を殺した事件もおきました。
もはや「いじめ」も「ひきこもり」も特定な家庭だけの状況ではなくなっています。自殺するひとは、そういうことを知って、親でさえ救えないことを確かめて自殺しているわけです。
日本人そのものが、魂の自立を失って久しいのです。永遠を生きる権利と歓びに生きる幸いなどが、ユメのまた夢となっているようです。
そういう家庭崩壊。地域崩壊、国家崩壊を食い止める道を、この本では紹介しています。参考にしてみてください。 -
昨今は、家族崩壊がかなり進んでいます。
親が子をいじめる、子が親に殺される。
殺されなくても、捨てられる。
あるいは、わが子の「引きこもり」も増えています。
わが子に、親の年金さえあてにされるものも多くなってきました。
そういう家庭崩壊でさえ、見て見ぬふりをするほかないようです。
なぜでしょうか。
「日本人の大半」が、「親子の間」でさえ、平和が造れなくなって久しいのです。
これまでの日本的な愛が、間違っていたわけです。そこで、平和を作る愛とはどういうものか。生きる歓びの作り方を、この本では物語風に記してみました。参考にしてみてください。 -
家庭崩壊が始まっています。
家だけでなく、「墓守り」もいなくなっています。
つまりこれからの日本人には、来世も「天国」も「あやうく」なったわけです。
すべての原因は、「いじめ」からきています。なぜ日本人は、「いじめ」をやめないのでしょうか。「いじめ」を止めないのでしょうか。見て見ぬふりをしてきたのでしょうか。
日本の社会では、「魂の自立」というものを、親も教師も、会社の上司も教えてはきませんでした。それゆえに、「いじめる」ことで、そういう優越感で、ようやく日本人としてのメンツを保ってきたわけです。
しかし、いじめられてきた人には、まだ「栄光の道」が残されています。
これまでの、「いじめ」を続けてきたもの、政府の権力者にもない、許されてはいない、栄光の、魂の自立した「道」をこれから紹介します。是非参考にしてみてください。 -
死ぬことは、罪か、罰か、それとも救いか。
死ぬことで、「救い」となる生き方、とはどういうものか。
魂はいつ成長するのか。
日本の家庭崩壊はいつまで続くのか。
この世の「悲しみ」、あの世の「くるしみ」からどうすれば自由になるか。
「いじめ」はどうすれば解決できるか。
キリストはどのように「いじめ」をなくしてきたか。どういう方法で、生きる力を与えてくれるか。
そのキリストの「ことば」と「おこない」を、マルコの「証言」から紹介しています。
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この本は、「いじめ」をやめない、「いじめ」をとめない、日本人の「かなしさ」についてかいています。そして、イエスさまが、赤ちゃんのときに、三人の博士(はかせ)から「うけとった」、黄金(おうごん)乳香(にゅうこう)、そして没薬(もちやく)を、もらって、「いじめ」からかいほうされた、「いきるよろこび」について、紹介(しょうかい)しています。
参考(さんこう)にしてみてください。
イエスさまの三つの「やくそく」を、日本人のために、子供用に、母と子のために、紹介しています。 -
キリストの「ことば」はすべて、約束の「ことば」でした。その「約束」とは、生きる試練に遭遇したときには、いつでも魂の底から「助けてくれる」。そういう「助け主」を、もっとも弱いときに贈る、という「約束」のことばでした。同時にその「ことば」とは、人間関係の「平和のつくり方」を教えてくれる「助け主」という「聖霊」の「ことば」を意味していました。
私イエスが死んで天国にいったなら、その天国から、ひとりひとりに魂の成長に必要な聖霊を贈るから、待っていなさい、という「遺言のことば」でした。そういう、新しく生まれ変わる方法を、この本は紹介しています。参考にしてみてください。 -
「おや」と「子」が、共に「成長する」みちは、あるでしょうか。
「心」の「成長」について、かんがえてみました、
そして、「魂」の「親子」の「歓び」について、紹介してみました。なぜ、日本人は「いじめ」をやめないのか。
「じごく」をつくっているものは、だれか。「天国」をつくるひとは、どういうひとか。参考にしてみてください。
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家庭崩壊が起こって久しいのですが、昨今では、地方崩壊も起きています。そうして、親子の間でも、殺人事件が起きています。
日本人のどこに、「間違い」があったのでしょうか。天国の準備をすることもなく、ウツになり認知症になり、殺される人も多くなっています。長生きにしても、まったく希望のない長生きとなっています。
そこで、親と子の回復のいくつかの道を紹介してみました。天国に行ったあとでも、役に立つ、魂の永遠の成長に必要な「ことば」を紹介してみました。参考にしてみてください。 -
「父がするように、子もする」
いいことも悪いことも。
そうして、父が罪を犯せば、子も犯すことになる。罪とはどのように、感染もする、遺伝もする。
わが子をいじめる親も、たいていは、そういう親もまた、いじめられておとなになっている。
この小説のふたりの主人公は、ともに、南京攻略で、罪のない中国人を殺してきた父親の子です。そういう、生まれながらの罪を背負った子は、どういう運命の子になるか。
そういうことをテーマにしています。日本人の愛国心にしても、愛ゆえに、親子で、弱者を切り捨てる愛国心もあります。
参考にしてみて下さい。 -
人生の目的とは何でしょうか。自分のなかで「永遠に残るもの」とは何でしょうか。魂ではないでしょうか。ところが、人間は、日本人にしても、被害を受けて、あるいは誰かを傷つけて生きています。
ということは、日々自分の犯した罪に死ぬつもりで、死んだつもりで出直すことが、魂の成長には最も望ましいわけです。そうして死後も、自分の罪に死んだものが、永遠の命に生きることになるわけです。参考にしてみて下さい。 -
まことの自衛とはどういうものでしょう。魂の成長を止めないことではないでしょうか。それゆえに、日本人の罪も、世界の罪も、心の栄養となる教育よりも、経済的「もうけ」と、個人的な名誉を優先させる教育によって、魂の成長を止めてしまうことを意味しています。
万物の霊長である人間にとって、魂の成長が止まったときが「死」となります。ウツになり、認知症になっても、魂が死んでいなければ、まだ復活の望みはありますが、魂の成長が止まってしまうと、人間は、光を失います。それだけは避けねばなりません。
自殺に追い込むもの。生きる力を失って、光を失うものは、再起がむつかしくなります。そこでこの本では、自分で自家発電する方法も紹介しています。参考にしてみてください。 -
これからの日本はどうなるでしょうか。日本人は、死んだあと、三途の川を無事渡れるでしょうか。川向こうに無事行けるでしょうか。
日本人の罪とはどういうものでしょう。日本人ほど平和的でありながら、「いじめ」をやめない民族があるでしょうか。確実にいえることは、「いじめ」るものには、魂の成長も自由もない、ということです。魂の成長の止まったものが「いじめる」ということです。
なかでも、愛国的、道徳的なものほど、弱者を切り捨てるのが日本人だ、ということです。そういう日本的な、悪質な、目には見えない罪について、この本は小説風に紹介しています。罪の清算をして、復活にあやかるためにも、参考にしてみてください。
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イエス・キリストは、なぜ神でありながら、「人の子」として生まれたのか。なぜまた、冤罪まで着せられて、抗議することもなく、殺すよりも殺されることを選んで、「人の子」として死んでいったのか。
それは、それまでの人類の愛が、日本人の信仰にしても、天地創造の神の愛も、キリストの信仰も知らなかったからでした。世界の平和を造る道を知らせるために、「人の子」として生まれ、「人の子」として死ぬことで、復活の道を教えるめに、生き、そして死んでいったわけです。これが、イエス・キリストの人生の目的でした。 -
キリストにも、誘惑もあり、試練もありました。誘惑とは、「私を信じれば、あなたをこの世の権力者にしてあげよう」という悪魔の「ことば」でした。
しかしキリストは、権力者になって、殺すものとなるよりも、神の子でありながら、人間に仕える道を選びました。殺されることを選びました。いじめられてきた人を救い出すために。
日本の権力者を目指してきたものは、どうでしょうか。我が身を犠牲にしてでも、拉致家族を救ってきたでしょうか。
そういうことです。我が身を捨ててでも平和を望むものこそ、ほんとうに日本を愛している政治家である、と、キリストは言います。参考にしてみて下さい。 -
日本人はなぜ「いじめ」をやめないのでしょうか。
イギリス王室は何故いつも、不倫騒動を起こすのでしょうか。
ドイツのキリスト教は、なぜヒトラ―の暴走に、同調したのか。
イスラム国の「自爆テロ」は、ほんとうに「日本人」の神風特攻の真似をしているのか。
アメリカは、これからも本当に「自由の女神」か。
安倍政権は、ほんとうに、家庭崩壊を食い留めるために、魂の成長のために、憲法改正を望んでいるのか。
本当の自衛権とは、国土を守ることか。いじめをなくすことか。
人生における誘惑と試練はどう違うのか。
そういうことをテーマにしています。 -
母親の愛は、たしかに偉大ですが、母親の間違った愛によって、一生涯にわたって、不孝になった「子」もかなり多いようです。捨てられた愛。身代わりの愛。形見の愛。なかには、わが子をいじめ、わが子を殺す親の愛もあります、それもしつけであった、と言う。
そういう殺人事件も後を絶ちません。
そういう間違った母親の愛の中で生きるほかない人生に、どういう生きる意味があるのか。しかも、そういう母親も高齢者になると、認知症になっています。
それでも、そういう人生にも光があるとすれば、それはどういう光か。どういう真理か。そういうことを追求したこれは小説です。参考にしてみてください。 -
知的障害者は、今も差別を受けています。しかし、最も哀しいことは、親でさえ、障碍のある我が子を「家の倉庫」に、あるいは、こっそり施設に入れる者がいる、という現実です。
また、継父にいじめられる子らも、後を絶ちません。これもまた、実父母に責任があります。しかし、真実は、日本人は、キリストのように聖霊を受けて自立する生き方を知らないから、こういう悲劇が起きているわけです。
魂の成長と自立がないところでは、どういう親子の間でも事件がおきます。それで、魂の成長と自立を助けてくれる「助け主」という聖霊をこの本で紹介しています。是非参考にしてみてください。 -
夫婦は他人か、それとも魂の良き伴侶か。
とうぜん、それは、夫婦の下で生まれ育った子の成長によって判断できます。何とか夫婦であっても、幼児虐待をする親も多いものです。
しかしそういう親に棄てられても、その子にも魂というものがあって、再生もある、ということです。そういう、両親の虐待のなかで、目を覆いたくなるような悲劇の中で生きるほかなかった人の魂の真実を、実話を、小説を通してこの本では紹介しています。そういう試練もあるということ。耐えるほかない忍耐によって、品性が生まれるということ。そういう、最後に誰よりも輝く品性の人を紹介をしています。 -
サッカーワールドカップで、対ポーランド戦では、いかにも日本的な、小さな愛国的な、勝つだけの、人間としてのエチケットさえ捨てた試合運びをしてくれました。国内ですでに、日大の監督の、スポーツ指導者とは思えないような、勝った方が正義だ、というような陰湿な部員の育て方を見てきたばかりでした。やはりスポーツ界では、閉鎖的な心しか造らないのではないかと、暗澹としたものです。そこで、日本人の未来のために、世界に開かれた愛国心、魂の成長に必要なエチケットを、キリストのメッセージから、紹介することにしました。参考にしてみて下さい。
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認知症も増えていますが、そういう認知症のままで死ねば、どういう「あの世」が待っているでしょうか。
しかも、遺された子や孫のなかには、そういう親の年金をあてにした、いわゆる「ひきこもり」も増えています。
またごく普通のサラリーマンにしても、定年後は、生き甲斐もなく支えるよりは、支えられる人間になっていきます。
そういう日本人に、どういう夜明けがあるでしょうか。
そういうわけで、「日本人の夜明け」最終巻の第十巻では、「あの世」の使命を紹介しています。天国の造り方、天国の支え方。そういう仕事を覚えれば。あの世でも失業することはありません。ご参考にしてみて下さい。 -
生きる歓び、生き甲斐というものは、個人の努力だけではどうにもなりません。心にしても、心の手助けがなければ、隣人への手助けもできません。
認知症の介護にしても、ひとりの努力だけではできません。介護する人の心が、ほかのひとの手助けと生きる歓びで充たされているときだけ、介護もできます。
ですから、老人ホームで介護をしている方には、とくに、だれかの心の手助けが必要です。ひとりで背負い込ませてはいけないのです。ムリが続けば殺したくなります。生きる歓びを生み出すものを、聖書では聖霊と言っています。そういう聖霊のお手伝いこそ、必要です。それゆえに、聖霊を知っているひとからの手助けが大事となります。
そういうことを紹介しています。是非参考にしてみてください。 -
人間としての「生きた証し」とはどういうものでしょうか。生きているだけで歓びがあり、その歓びを分かち合うことではないでしょうか。
しかし認知症になればどうでしょうか。いじめを受けているときはどうでしょうか。ともに交わりを失っています。生きる歓びなどまったくなくなります。
そこでこの本では、「ひとりぼっち」の魂、「いじめられっ子」の魂。理不尽にも殺された魂の救いについて取り扱っています。
生きるにしても、死ぬにしても、この世にあっても、あの世にあっても、天国を造る道、そういう自由な魂について紹介しています。
是非、参考にしてみてください。 -
認知症になることが、日本人の宿命でもあるような、そういう社会となっています。またいじめ問題はいまだに解決していません。日本人はいじめを見て見ぬふりをしてきましたが、そういう人が認知症になったら、どうなるでしょうか。それゆえに、認知症になる前に、「もうひとりの自分」を造っておくことをお勧めします。また、新しい魂になるために、これまで誰もが犯してきた罪の解決策と、認知症になったときに早速問題となる「魂の生と死」について紹介しています。魂の準備についても紹介しています。参考にしてみてください。
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生きることは大変です。しかし、死ぬことも大変です。
それゆえに、生きながら死ぬことを覚え、死にながら生きることを覚えるほうがいいわけです。
聖書ではそういう生き方を、「罪に死に、神に生きる」といい、ここでは、死を超える生きる歓びを紹介しています。そういう「生きる歓び」が、自分の魂の底からわきがる人生を紹介しています。 -
日本的文化が世界でも見直されるようになりました。しかし同時に、国内では、いじめ問題がいまだに解決されていません。不倫も増えています。
ストレスによるガンに侵されている人も多くなっています。
知的障害者が、五十年ぶりに自宅の倉庫から発見された、そういう事件も発覚しています。
つまり、日本人の魂は、かなり危険のところにある、ということです。そこで、日本人を超えた、「もうひとりの自分」になるための道を、用意しました、参考にしてみてください。 -
平和ほど貴重なものはありませんが、これまで世界の平和を造った国も人物もいません。武力による平和は、いずれ武力によって消滅します。自衛のための戦争による平和づくりもまた、永久平和など望めません。そこで、国益(自己愛」を優先するよりも、隣人隣国の発展を大事にする隣人愛による魂の成長を目指した、新しい平和づくりを紹介することにしました。ご参考になれば幸いです。
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日本人は「和」を大切にすることはいいことですが、同時に、いじめるのです。手先は器用で、素晴らしい技術もあり、勤勉でもありますが、勤労の歓びはないのです。つまり勉学も努力も、魂の成長につながっていないのです。文系の人でも体育系のひとでも、勝負に勝つための根性を身につけることが人生の目的になっています。自分の魂の成長のために生きるのではなく、効率的に生きることで、得をしようとしています。それゆえに、死ぬときが、ひとりぼっちの、寂しい地獄となっています。そうならないための方策を知る、生きた知恵者を、ここでは紹介しています。
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2018年3月26日更新
一部修正
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昨今では、日本政府は、武力による平和を造ろとしています。しかし日本はすでに、世界を相手に戦争を起こして、広島と長崎で原子爆弾を受けたのです。
ところが、現総理は、その時の戦争による悲惨さえ無視して、気楽に「お友達内閣」を造って、核廃絶を誓う国連の提案でさえ拒否して、それどころかアメリカの核兵器を利用して、武力によって世界の平和を造ろうとしています。
そこでこの本では、武力ではない、勤労と隣人愛によって、隣人、隣国の発展に努めることで平和を造る、そういう平和的な手順を紹介しています。参考にしてみてください。 -
日本は「いじめ」社会です。政府と官僚が結託して、国民に、「うそ」をついてきました。また、拉致家族をも見捨ててきました。それゆえに、「いじめ」を受けて自殺した人も「助け」を求めなかったのです。国民にも官僚にも政府にも、弱者の声を聴く耳がないことを知っていたから。そこで、この本では、弱者の自立のために、魂の自家発電の方法を紹介しています、自分の魂から蛍ほどの光でも起こるようになれば、どういう闇の世でも、生きられるからです。参考にしてみてください。
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一九人の知的障害者を殺した容疑者は、その殺人動機として、「国家のため、人類のために殺した」と言い、だから、今も後悔などしていない、といったそうです。しかし知的障害者を養っているのは、国家でも社会的指導者でもない。天地創造の神が、日本という国家も養っている、と聖書は言います。
そのことに気づいていない日本人があまりにも多いので、こうした殺人事件も起きてしまったようです。
そういうわけで、今回は、とくに、人を殺した者の魂の記録といううものを紹介することにしました。また、人生の目的とは、障害があるひとも、ないひとも、天地創造の神の愛のなかで、助け合いながら、自分の魂の成長のために生きることである、ということも、改めて紹介しております。参考にしてみてください。 -
日本人はどうなるのか。日本人に未来があるのか。
世界はどうなるのか。ノーベル平和賞を受けた人も多いのに、なぜ世界は平和にならないのか。
日本にも文化勲章を受けた人が多いのに、なぜ、魂の成長を促すほどの文化人が出ないのか。
政治家にしても、なぜ、世界の平和を造る者が、出ないのか。
なぜ人は殺すのか。
殺された人の魂は、どうなるのか。
加害者の「あの世」はどうなるのか。殺したものの罪は、いつ許されるか。殺された被害者は、いつ復活するのか。そういう罪と罰、罪と赦しの世界。なかでも、殺された魂の記録を、第一巻では紹介しています。 -
この本は第九巻の続編です。天地創造の神は、日本人にも韓国人にも北朝鮮の方にも、「わたしのほかの神としてはならない」と言っています。そしたまた、「自分を愛しなさい。自分を愛するように、隣人隣国をも愛しなさい」「隣人隣国を愛することで、ひとりひとりの魂が輝くようになる」ということです。しかし現実には、どこの国でも、家庭の平和を造ることにも失敗をしているようです。そこでこの本は、父と母と子の間の平和作りに失敗した一家の、天地創造の神の愛に目覚めた、平和を取り戻した実例を紹介をしています。ご参考にしてみてください。
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これまでの日本の父母は、どうであったか。わが子を自立した人間に育てたか。魂の成長する教育をしてきたか。なぜ昨今の父母の老後は、認知症になるのか。父母を取り巻く環境としての日本はどうであったか。隣人隣国の平和に、どこまで貢献してきたか。
なぜ昨今の政府は、「勤労による平和」ではなく、格差を造る勤労を勧め、軍事力による平和を造ろうとするのか。
日本の父母には、平和をつくる「ことば」さえないのか。日本の神仏はなぜ、こういう日本人に警告を発しないのか。そういう意味の、父母の罪と罰について、この本は警告を発しています。武力ではなく、勤労と文化そして宗教による平和は、どうすれば造れるか。その紹介をしております。 -
「わたしのほかに神としてはならない」といったという「一神教」の神の「ことば」を、ユダヤ教徒もイスラム教徒も、そしてキリスト教徒も、その天地創造の神を無視してきた民族には、罰を与えよ、と受け取ってきたのですが、キリストは、その天地創造の神を父と呼び、「その神は愛そのものである」から、「わたしのほかに神としてはならない」という「ことば」は、天地創造の神は、愛という神であるから、武器をつかって国民も他国も脅してはならない。勤労の愛によって、隣人隣国のために働いて世界の平和をつくるべきだ、という意味である、といいます。
果たして真実はどうか。その選択によって、世界は戦争になるか、平和になるか、つまり天と地ほどに変わってしまうのです。
そのあたりのことを検証しています。参考にしてみてください。 -
かつては、学校の教師は聖職者でしたが、今は宗教宗派の指導者が、聖職者と言われいます。
しかし、その聖職者は、主に、宗派だけの聖職者になっています。つまりそういう聖職者は、ほかの宗派のひとには、聖職者ではないわけです、それゆえに、聖書者がむしろ、宗教戦争を引き起こすこともある、ということです。
しかも、そういう戦争は聖戦ともいわれてきました。しかし天地創造の神も、キリストにしても、神のため真理のため信仰のための戦いを「聖戦」とは認めてはいません。天地創造の神もキリストも、誰をも「裁かない」からです。それゆえに、第五巻では、あえて、聖職者の罪と罰を取り上げました。聖職者の信仰が間違えば、宗教戦争が起きるからです。世界平和のためにも、聖職者には、猛反省を期待したいのです。 -
憲法改正の話が出ています。つまり、日本の平和を、平和の「言葉」で 作るのではなく、武力によって造る、ということを総理が訴えているわけです。
キリストはしかし、剣を持つものは剣で滅ぶ、と言われました。
果たして日本はどうなるのでしょうか。いま日本人は何をすべきでしょうか。
はっきりしていることは、安倍総理も、アメリカのトランプ大統領も、日常生活においても、「平和」を造る「言葉」を知らない、ということです。ふたりには、真実よりも、利己的で、暴言とウソが多い、そういう印象が強いということです。魂の成長よりも、経済的な富と政治的権力しか関心がない、ということです。
双方とも、アダムとエバの罪によって、大地が呪われたような。そういう大罪を起こそうとしている気配がある、ということです。
どうか、心あるひとは、日本だけでなく、世界の未来のためにも、この本を参考にしてみてください。 -
正義の戦い、というものがあります。信仰の戦いというものもあります。
しかし、絶対的な「正しさ」というものは、対人関係においても、国際関係においても、最も多く、愛したほうが正しいのではないでしょうか。敵対したときには、より多く敵を愛したほうが、正しいはずです。
それゆえに、政治的な世界でも、宗教宗派の世界でも、自分たちの敵を愛したほうの宗派が正しいはずですから、人の上に立つ日本の指導的政治家、会社の上司、学校の教師のなかで、敵を愛するほどの愛がないものは、平和を造る資格がないがゆえに、ここでは特に、教師の罪と罰を取り上げています。日本の将来のために。 -
進歩的文化人でなくても、昨今では「不倫も文化」といいます。
しかし、不倫とは、魂の成長を止めるものをいうのですから、不倫は文化ではないのです。また作家であり僧侶でもあるかたのなかには、しきりに、「恋」をすることを勧めるひともいます。分け隔てなく愛するという神の愛ではなく、誰かを独り占めする「恋」を勧めているひともいます。つまり、充たされることのない渇愛を勧めています。
そういうひとは、アダムとエバの罪によって、大地が呪われた、ということも知らないのでしょうか。そういうことがないように、これから芸術家の罪と罰について、紹介していきます。 -
過労死という事件が、起きています。つまり、必要以上に、強引に「働かされている」人が多いということです。当然、会社の管理職によって起きている悲劇と言えます。部下の人権を無視した、人間扱いしていない管理職の罪によって引き起こされているわけです。しかも、日本は、学校でも「いじめ」を受けて自殺する国でもあります。つまり、「いじめられていても、見て見ぬふりをする教師が多い」ということ。
そういう管理職による悲劇をこれ以上起こさないには、どうしたらいいのか。その問題提起をしています。 -
宗教というものは、平安と平和を約束するものですが、哀しいことに、宗教家が世界平和を造ったことは、一度もありません。平和宣言をするばかりです。それどころか、天国でさえ、独占しようとする傾向があります。
そういう天国でさえ「ひとり占め」することが、罪なのですが、そういう罪意識さえもっていないようです。そういうわけで、宗教的罪というものを挙げてみますので、各自でも検証してみてください。自分の罪に気付いたときから、魂の平和と成長が始まります。 -
これから、「箱舟と虹」シリーズが始まります。世界はいまも局地戦争が続いています。そしてすぐにも「北」からの挑発が現実のものとなるかもしれない。国内的にも、「平和」の「ことば」よりも、残虐な「ことば」と「行い」が目立つようになっていて、総理は、ますます、隣国との対話ひとつできないのです。国会内でも平和的な対話より、強引な言動が増えています。
それゆえに、第一巻は、「政治家の罪と罰」を、紹介しています。
政治家の罪によって、大地が日本が、呪われることのないように、という願いを込めて、政治家の条件、世界平和を造る「ことば」を紹介しています。参考になれば幸いです。 -
昨今の北朝鮮では、何が起きているのでしょうか。
それ以上に、日本の総理は、なぜ、理拉問題までアメリカに頼るのでしょうか。そういう政治家は、ごく身近な人間関係でさえ、平和を造れないはずです。武力とか権力によって、周りを威圧するだけでは、本当の平和は作れない。平和をつくるには、平和の「ことば」が必要ではないでしょうか。
そういう事で、この本は、平和を造る「平和」の「ことば」を紹介しています。参考にしてみてください。 -
これは、小説「揺り動かす天地」シリーズ全十巻のなかの第一巻です。
のちに、キリスト教の牧師になる中学生が、お彼岸の日に、「お坊さん」の、「親鸞上人は、善人が救われるなら、どうして悪人が救われないであろうかといっております」という話を聞いた途端に、「ではそれが真実なら、これから、自分も悪人志願しよう」と決意したことで、その日に、「お坊さん」が交通事故で他界した話です。
そうして、牧師になったのでしたが、何度も冤罪をかけられ、逮捕され、ついに、19人の知的障害者が一夜にして殺された事件の容疑者にもされる、という人生が始まったことで、牧師は、「冤罪」という罪に死ぬことも、自分の使命である。天国入る資格もない、といって、死刑判決もそのままうけれて、死んでいった話です。 -
見えないということ。全盲者として生まれる、ということ。弱視であったが、中途失明してしまうということ。
それが何を意味するか。おそらくほんとうは、だれでも想像できるはずです。しかし、想像はしても、盲人の人への配慮をするものは、それほど多くはありません。昨今の様な福祉社会になっても、目の不自由な人の心とか魂の慟哭は、想像を絶するものです。それでも、全盲者として生きるひとのように、明るく、ひとりだけの戦いをして、自分の魂を成長させているひとは少ないはずです。なぜ彼らは、そのように前向きに生きられるのか。これから、視覚障害者の魂の声を紹介します。参考にしてみてください。 -
これは小説「揺り動かす天地」全十巻のなかの第二巻です。牧師の娘が、夫と父の葛藤のはざまで苦しみます。父も夫も伝道師でしたが、父は、天国でさえ人に譲る信仰を持っていましたが、夫は、祈りの信仰よりも社会運動で弱者を救うという、社会運動家でした。そうして、父が認知症になったことで、「わたし」も最後に失語症になります。それからの、魂の慟哭の話です。
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第五巻は、天地創造の神と、その子の「ことば」です。
天地創造の神は、エホバといいます。エホバとは、「あってあるもの」「すべてのものを有らしめたもの」という意味です。
その神のことをイエスは、愛と言い、その愛とは「誰もを差別しないで愛する」ということ。
そしてその「エホバ」のいる天から、イエスという「人の子」が生まれ、地上の人となった乙女マリヤの子が、イエスとなずけられたのです。そして、イエスさまは、自分の口から、 「わたしは真理であり、永遠のいのちである」から、そういう真理のことばである「わたし」についてきなさい、といいます、その話をこれから紹介します。 -
この本は、小説「揺り動かす天地」の第三巻です。ヨシュア、日本名の「義也」が主人公です。
ヨシュアとは、のちに、イエス・キリストの預言者になるものとして生まれた、天地創造の神の前の「義人」というものでした。
それゆえに、「義也」もまた、学校教育を受けることなく、大人になっていきます。しかし、義也もまた、神の「言葉」を知るものとなります。そうして、最後は、「揺り動かす」天地となっていきます。
罪もなく殺されていった、キリストの身代わりになって、殺されていった魂に、寄り添うための「ひとりだけ」の戦を始めることになります。 -
知的障害ということばあります、そういうひとを日本人は、バカといってきました。しかし、バカをしないひとなどいるでしょうか。一国の総理が、国会で暴言を吐く、ウソをつく、そういう言動は、バカなこと、ではないでしょうか。そういう人の魂に、どういう成長の跡がみられるでしょうか。そう人こそバカであり、罪を造っているのではないでしょうか。殺される方より、心を傷つける、心を殺すほうがほんとうは、心的障害者ではないでしょうか。そういうわけで、この第八巻では、本当の心の障害者とはどういういう者か、紹介していきます。
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いよいよ「揺り動かす天地」も最終巻となります。許されざる罪の責任を問うことになります。「許されざる罪」とは、加害者が、奪った「いのち」を被害者に返さない罪のことです。加害者を死刑にしても、その罪はそれゆえに、永遠に許されることもなく、罪は永遠に残ります。そこでヨシュアたちが採った手段は、自分たちが「揺り動かす天地」となることでした。ご期待ください。
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心の貧しいものは幸いである。そういう人のために天国はある、キリストはいいました。その時の心の貧しさとは、魂の謙虚な人を言います。それゆえに、そういうひとは、霊的障害者ではありません。
本当の霊的障害者とは、一見勝ち組であるような傲慢な人を言います。いじめるもの。いじられている人を助けないもの。見てみる見ぬふりをするものが、魂の成長がないので、霊的障害者となります。それゆえに、そういう障害者は、いつも自分で自分の未来を閉ざしている、そういう事例をこれから紹介します。 -
これは「揺り動かす天地」第三巻です。イエス、つまり神の救い、というひとの微笑のなかで、救いを求める、ヨシュアつまり日本名でいう「義也」の話です。イエスといえば、ユダに裏切られた哀しい人間ということに日本ではなっています。しかしユダにしても、裏切ったあとに、自殺しています。
なぜそういう悲劇が起きたか、その背景を紹介する話です。
なぜユダは裏切ったのか。キリストが神の言葉を話したので、理解できなかったわけです。その神の「言葉」の世界に、これからご案内します。
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