『文芸・小説、笠間書院、1年以内』の電子書籍一覧
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『一冊で読む日本の近代詩500』『一冊で読む日本の現代詩200』『一冊で読む漢詩400』に続く「一冊で読む」シリーズ第4弾。
嵯峨天皇、空海、菅原道真、島田忠臣、大江匡衡、虎関師練、雪村友梅、義堂周信、絶海中津、一休宗純、藤原惺窩、石川丈山、荻生徂徠、頼山陽、良寛、柏木如亭、新井白石、菅茶山、広瀬淡窓、夏目漱石など、奈良・平安から江戸、明治以降に活躍した詩人184人のアンソロジー。
季節の風景を謳う詩から柿を食べる楽しみを詠む詩まで、幅広く300篇を収載。 -
桜、菊、チューリップにひまわり、バラにコスモス……。花の名前が思い浮かぶと同時に、その花は色と一緒に脳内に浮かんでくる。そんな花や植物を歌った歌は数多いのだ。『さくらさくら』に、〈咲いた咲いたチューリップの花が〉。〈すみれってすみれって…〉と始まる岩崎宏美の『すみれ色の涙』に伊藤咲子の『ひまわり娘』、さだましさは『秋桜』と書いて「コスモス」と読ませ、山口百恵で大ヒットさせた。
だが歌は知っていても、すぐにその花が頭に浮かばないものも多くないだろうか? たとえば「さざんか」。大川栄策の『さざんかの宿』は知っているけれどどんな花? 『忘れな草をあなたに』「マリーゴールド」「ハナミズキ」……。確かに名前は知っているが、ひまわりやバラのようにすぐにその花が思いつくだろうか? 庭先やどこかの野原で、もしその花が咲いていても「あ~あの歌のあの花ね!」とすぐに気がつくだろうか?
著者はBSテレ東の『武田鉄矢の昭和は輝いていた』という番組に出演するが、出演するときの立ち位置は決まって昭和歌謡や童謡などの裏側や時代背景、その歌にまつわるエピソードを解説する側である。ある日、番組のプロデューサーやディレクターが著者に、「僕だって聞いてみたいことや教えてもらいたいこともあるのですよ。たとえば美樹克彦の歌に出てくる“クロッカス”ってどんな花? 僕が好きな歌で『わかって下さい』の因幡晃が歌った『忍冬(すいかずら)』ってどんな花なのか分かる? そうなれば『夜来(イエライ)香(シャン)』も『吾(われ)亦(も)紅(こう)』も花らしいけれど、一般的に花だとイコールしているのかな? それよりどんな花なんだろうか? 興味わくよね?」。
すると一緒にいた若いスタッフが、「えっ? 夜来香って花なんですか?」。ほら、やっぱり!
そんなこんなで「歌では知っているけれど、その正体を知らない“花の謎”」がテーマに取り上げられた。そのときにお会いしたのが、今回この本でも花の解説を書いていただいている園芸学者で東京農業大学の教授の土橋豊先生です。
そうした観点から今回の本は、まず僕が知られた「花」の歌を選び、その歌のエピソードなどを書く。その後、先生がその花の正体をあばく「歌の植物辞典」とでも言えましょうか。
今この本を手に取っている読者の方も、あの花は何? と思うとき、その名前のページを開きたいだろう。それならばアイウエオ順がありがたいはずだ。便利なはずなのだ。
読み進めているうちに「これも花だったの?」という発見と気づきも期待できそうだ。さらに知っていたとしてもバラやコスモス、チューリップぐらいは載せておこう。意外やそこで新たに知らなかった花が見つかるかも?
著者自身、土橋先生にスタジオの控室で「合田さん、“合田(ごうだ)草(そう)”ってあるのご存じですか?」と訊かれて、「えっ? そんな花あるんですか?」と聞き返したことがあった。
先生からプレゼントしていただいた著作『花の博物図鑑』(淡交社)によると“合田草”はルナリアという名の花だが、1901年にフランスから東京美術大学(現東京芸術大学)の教授・合田清の名に由来するのだそう。果実が熟すと半透明で銀色に輝くように見えることから、銀色の扇に見立てて“ギンセンソウ”とも、銀貨も連想させることから“ギンカソウ”とも呼ばれるという。そこから「金のなる木」と俗称されることもある。いやはや、なんだかやけに楽しくなってきた。さあ一緒にあの歌ととともに、花の謎解きを始めよう。 -
人は年齢を重ねると親や身近な人の死と接することが多くなり、それをきっかけに自らの「命」についても考え始める方が多い。
身近な人の死と直面し、また自らの健康不安や先の見えない将来への不安から、老人性うつなど心身のバランスを崩すこともあるという。
そこで、禅の修行を積まれた高僧が、もし自分の寿命があと1年だと知ったら、どのように「命」と向き合い、考え、行動するかをお聞きし、
禅的な「定命」の向き合い方を、この本を手に取る方にわかりやすく説いています。
枡野先生ご自身が本人のお考え、心がけ、実際の日々の行動、なども教えていただき、また、「死にとうない」と臨終に際して言葉を残した一休禅師など禅宗の高僧の往生に際しての向き合い方なども紹介。
「命」について気になり始める年齢の読者が、「老い」、「死」など人間なら避けて通れない不安を、禅的な心構え、考え方を読むことで、少しでも心が穏やかになれる本。 -
一度は本棚を丸ごと捨て、文芸を捨てた著者が、再び文学や文化への愛と妄想を拾い集め、詰め込んだ第一歌集。生意気な歌人ですが、何卒!――天久聖一(マンガ家)
凶暴にして繊細。野蛮にして紳士。
彼の作る短歌は、いつだって凶器の味がする。――笹 公人 -
二年連続で短歌研究新人賞候補作に選ばれた著者が、ロボットや魔法少女がいる妄想の日々を詠った第一歌集。この歌たちがこの世に在ることが嬉しい。うまく規格品になれない人に。
――鳥さんの瞼めくってもめくっても秀歌
私にこんな自由律俳句まで詠ませた歌集は、これが初めてだ。
深山睦美……恐ろしい子!
――笹 公人 -
「どうだい、また千年後にでも一緒にこの続きをやるかい?」
妻の介護の日々を詠んだ歌集、待望の復刊――。
妻が脳動脈瘤破裂で倒れた。まだ五十六歳と九箇月という働き盛りで、何の予兆もなく突然のことであった。幸い一命はとりとめたものの、いまだに退院のめどもたたないまま、まもなく二年が経過しようとしている。 -
日本の文芸史を代表する歌人でありながら、謎も多い柿本人麻呂。
彼が生きた時代は、ちょうど古代の歌謡から五七五七七という定型をもった和歌が確立され、一方で漢字という外来の文字を使った表現が成立するという、文芸における大きな変化の時期だった。
実は人麻呂こそ、作品を通じてそうした変化を先導し、和歌表現の幅を大きく広げた立役者だったのでは?
本書ではそんな考えに立ち、人麻呂の和歌を掘り下げることで、和歌史の発展に果たした重要な役割や歌人としての実像に迫る。 -
原文&現代語訳シリーズ最新刊。「和泉式部日記」を一般研究者や大学院、大学での学習者だけでなく、古典を愛する方々にも利用できるよう配慮して執筆。本文を右頁に、現代語訳を左頁にそれぞれ掲示し、脚注を施しました。
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※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。
[翻刻]新古今集契沖書入本(三手文庫本)美濃の家づと(板本)美濃の家づと疑問(本居宣長記念館本)美濃の家づと疑問評(本居宣長記念館本)芝原春房が疑問評(静嘉堂文庫本)鈴平問答(阪本竜門文庫本)ささぐり(天理図書館本)みのの家づとの難(大阪府立中之島図書館本) -
みんな「何者でもない」ときがあった!
すごい人の「下積み」から、自分の道が見えてくる
ふりがなつきで、10代から読める!
子どもから大人まで、みんなのための人生の教科書
ある分野で目覚ましく活躍し、「偉人」とされるすごい人たち。
でも、すごい人だって、初めから「有名」だったわけではありません。
苦手なことがあったり、応援してくれる人がいなかったり、才能がないのではないかと悩んだり、お金や時間がなかったり、環境に恵まれなかったり……
それでも、諦めず夢を探して追いかけ、自分の道を進んでいきました。
今、自分が何をしたいのか、何ができるのか、わからない人もいるでしょう。
いろいろな人のいろいろな道をみて、じっくりゆっくり探していってください。
例えばこんなことを言っている人もいます。
「なぜそこまでがんばるのか、って? なんとかしてすばらしい人間になりたいんですもの」
マリリン・モンロー
他にも、さまざまな「下積み」を経験した人がいます。
○つらいときも絵を描き続けた トーベ・ヤンソン
○何でも熱心に学んだ 小栗忠順
○移住先で自分を売り込んだ マリア・カラス
○生活のためにあらゆる仕事をした オーギュスト・ロダン
○友人から促されて反乱に身を投じた 朱元璋
○妻に励まされて大ヒットした スキャットマン・ジョン
みなさんの身近な人にも、「下積み」があったはずです。
子どもも大人も、一緒に読みながら、話したり考えたりしてみてください。 -
笹公人監修 新鋭歌人の短歌集 KAIKAシリーズ始動!新宿歌舞伎町の飲食店に生まれ、本業のITエンジニアの傍ら、およそ100の事業家や社会プロジェクトにITサポートを行ってきた著者による、新宿の「今」を詠った第一歌集。
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笹公人監修 新鋭歌人の短歌集 KAIKAシリーズ始動!無職のときに短歌を始めた著者が、サブカルから社会まで、妄想力を駆使して詠った第一歌集。笹 公人×具志川具志男 おもしろ師弟対談も収録!
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故郷・北海道の廃墟で産業と都市の盛衰に思いを馳せ、秋田で村を守る奇怪な神・人形道祖神を巡って地元の人による「衣替え」を手伝い、青森では現役のイタコに亡き祖父の霊を降ろしてもらい、長崎では隠れキリシタンの子孫からその独特の正月飾りの作り方を習う……。
日本各地を旅し、美しい写真や親しみやすいレポートを通じてSNSで人気を集めている「道民の人」による、これまでの集大成といえる紀行文。
「忘れられがちな地方の風習や暮らしぶりを伝えたい、失われつつあるものを記録として残したい」という信念のもと、実際に現地を訪れて地元の人々と交流し、風習の背景にある歴史まで幅広く研究してきた長年の成果を、多数のカラー写真とともにまとめました。
過疎化や都市部への人口集中が進み、自然災害の際に「そんな不便な場所に住まなければいいのに」などと言われることもある地方にも、そこでしか成り立たない独自の歴史と文化があること。
日本のなかにあって「遠国=遠い場所」のようになってしまった地方の豊かさに、改めて気付かせてくれる1冊です。 -
「多浪なんてデメリットばかり!」。そんな世間の声に負けず、志望校を目指した浪人生たちは何を手に入れたのか? 2浪から19浪まで、多浪を乗り越えた20名に、その人生と勉強法を聞いた書!
「2浪から東大合格、現在は人気作家として活躍」「底辺校から同志社に合格後、神戸大に編入」「女性の浪人は否定されがちな中で、6浪して医学部合格」「高3の夏から準備を始めて4浪で東京藝大へ」「12浪中に夢を発見し、『大学に行く目的』が明確に」「塾の講師として成長するため東大受験、3浪で合格」「10浪で東大理Iに合格するも、辞退して理IIIに挑戦中」……など、大学受験を選んだ理由や合格をつかんだ契機、そして現在の姿は、多浪経験者によってさまざま。
受験の実際を知りたい人、憧れの大学を目指して今頑張っている人、自分を変えたいと願う人に、自身も9浪で早稲田に合格した著者が、多浪で発見した人生の可能性を伝えます! -
昭和30~40年代、日本がいちばん元気で幸福だった時代の生活をカラーイラストと文章でつづった本。
「おかっぱ頭、短いスカート丈、素足に下駄、未舗装の道路、家屋の薄い板壁、生垣に洗濯物。高度経済成長期のまっただ中、みんなが前方上向きで精一杯頑張っていました。明日は今日より明るい感じ」。引き戸の玄関を入ったら、居間、客間を通って子供部屋や台所へ。寝室に吊った蚊帳、洗面所のタイル張りのシンク、薪を焚くお風呂や木の床のトイレもご案内。縁側で日向ぼっこをしたら、次は年中行事やお祭りの縁日を楽しみましょう。旅の風景も、今とは少し違います。
昭和生まれも、平成・令和生まれもどうぞごゆっくり、懐かしき「あのころ」をお過ごしになってくださいませ。
※本書は、『あのころ、うちのテレビは白黒だった』(海竜社、2020年刊)に加筆・修正をおこない、小学校5年生以上で習う漢字には読みがな(初出ルビ)を追加、さらに若い世代では知る人が少ない物は注で説明して、装丁をリニューアルしたものです。 -
「魏志倭人伝」には、弥生時代後期の倭国の不思議な状況が記載されている。二世紀、長い間男王が統治していたが、争いが続き、女王・卑弥呼を共立することで、混乱が収まったと言う。さらに、卑弥呼亡きあと男王が立ったが、国中服さず、千余人が死んだ。男王が立つたびに、大混乱が起きていたのだ。そこで女王・トヨ(壱与、台与)を担ぎ上げ、平和になった・・・・。これが、ヤマト建国前後の話だから、興味は尽きない。なぜ男王が立つと混乱と戦乱が起き、女王がこれを鎮めることができたのか、そのナゾもさることながら、この直後にヤマトが建国されると、なぜか男王を立て、三百年以上に渡って、男王の時代が続いた。ヤマト政権は女王の「平和をもたらす力」を捨て、男王を選択したのだ。ヤマト政権の選択はまちがっていなかったようで、古墳時代を通じて、ヤマト政権はほぼ安定を保つことができた。問題は、六世紀後半から七世紀にかけて、たてつづけに女王が林立したことだ。蘇我氏全盛期に、推古天皇、皇極(斉明)天皇、持統天皇が玉座を獲得している。なぜ、男王の時代から、女帝の時代が到来し、また男王の時代にもどっていったのだろう。
これまで、女帝は中継ぎと考えられてきた。しかし、「中継ぎ」では説明のつかない多くの謎がある。皇位継承候補の男性が大勢いたにもかかわらず、あえて、女帝が求められたのだ。また、持統天皇の場合、『日本書紀』が神話を構築してまで、持統天皇の即位の正当性を強調している。いったいここで、何が起きていたのだろう。
ヤマト建国直前は女王の時代。ヤマト建国後の古墳時代は男王の時代、飛鳥時代から奈良時代は、男王と女帝がめまぐるしく入れ替わる時代だった。この経緯を、どう説明すれば良いだろう。
ヒントは意外な場所にあった。五世紀末、第二十五代武烈天皇は酒池肉林に明け暮れ、王統は断絶した。そこでヤマト政権は、タニハの仲哀天皇五世の孫・倭彦王を探し出したが、本人は身の危険を感じて逃げてしまった。そこで、越(北陸)の応神天皇五世の孫の男大迹王に白羽の矢が立った。こうして即位したのが継体天皇だ。
この場面、重要な秘密が隠されている。倭彦王が仲哀天皇の子の応神天皇の末裔なら、「仲哀天皇五世の孫」ではなく「応神天皇四世の孫」と記されていたはずだ。ということは、倭彦王は応神天皇の兄弟の末裔ということになる。そして、他の拙著の中で述べてきたように、仲哀天皇の皇后の神功皇后は、仲哀天皇亡きあと、住吉大神(武内宿禰)と結ばれ、応神が生まれていたことが分かっている。つまり、五世紀末の段階で王位継承候補に選ばれたのは、「仲哀天皇(男王)の末裔」ではなく、「神功皇后(女王)」の末裔であり、神功皇后から生まれた子なら、父親がだれでも関係なかったわけである。神功皇后こそ国母[こくも]であり、のちの時代の女帝たちも、「政権交替」のたびに担ぎ上げられた国母だった可能性が高い。
王家の隠された真実に迫る。
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