『文芸・小説、桜の花出版、1円~、雑誌を除く』の電子書籍一覧
1 ~10件目/全10件
-
聖書を、日本語や英語で読んでいたときに感じた疑問点を中心に、原典であるヘブライ語やギリシャ語で解き明かしていくと、疑問が解消されました。
その後、聖書全体を、「食」という視点から見ていくと、神学の全体構造が明らかに浮かび上がってきたのです。
それを「食の神学」と題してまとめたのが本書です。(「まえがき」より)
聖書に描かれた〈食〉の意味を原語から解き明かすとき、通説の裏に隠された真実が姿を現す。聖書には全編にわたって「食」のテーマが繰り返し象徴的に描かれている。
禁断の木の実、捧げ物、断食、そしてパンと葡萄酒―
聖書に描かれた〈食〉の意味を原語から解き明かすとき、通説の裏に隠された真実が姿を現す。「食」からキリスト教の本質が見えてくる知的興味溢れる書。
【まえがき】より
聖書を、日本語や英語で読んでいたときに感じた疑問点を中心に、原典であるヘブライ語やギリシャ語で解き明かしていくと、疑問が解消されました。
その後、聖書全体を、「食」という視点から見ていくと、神学の全体構造が明らかに浮かび上がってきたのです。
それを「食の神学」と題してまとめたのが本書です。
【目次】
まえがき
第一章 天地創造と食物
第二章 罪の人間と食べもの
第三章 社会生活と食物
第四章 信仰と食べもの
第五章 基督と食べもの
あとがき -
祖国を守る!その純粋なる一念で戦い抜いた元零戦パイロットが語る永遠の願い。
海軍の戦闘機パイロットとして、支那事変から大東亜戦争の敗戦まで、南京攻略、真珠湾攻撃、ミッドウェー海戦、ガダルカナル島攻防戦など、数々の修羅場を戦い抜いた元零戦パイロット・原田要の体験記。
著者の言葉からは、決して学校の勉強では分からない戦前・戦中・戦後の真実を垣間見ることが出来、現代のあらゆる場面を切り抜けるための貴重な教訓が数多く含まれている。
単なる「戦記物」の枠を超えた内容に、老若男女を問わず多くの感動・感謝の声が寄せられている話題作!
「雷撃の神様」と言われた村田重治氏の究極の操縦の教え、「大空のサムライ」で有名な坂井三郎氏と切磋琢磨した日々、神風特攻隊「敷島隊」の関行男氏への指導など、海軍航空隊の錚々たる面々との知られざるエピソードも満載で、第一級資料としての価値もある。
更に、かつて空戦で命のやり取りをした敵兵(英軍パイロットのジョン・サイクス氏、米軍パイロットのジョー・フォス氏)と、戦後劇的な再会を果たした場面も。
真珠湾攻撃とミッドウェー海戦の章では、著者の証言に加え、第一航空艦隊参謀長・草鹿龍之介や同航空参謀・源田實らの回顧録を随所に交え、戦況の全体像がより分かり易く、多面的に捉えられるようになっている。
著者・原田要 略歴
元ゼロ戦戦士。大正5年(1916年)8月11日長野県生まれ。昭和8年(1933年)、横須賀海兵団入団(水兵)。昭和12年(1937年)支那事変勃発。同年第35期操縦練習生を主席で卒業し、同10月第12航空隊附で中支戦線(揚子江と黄河に挟まれた華中域)に出動し、「パネー号」爆撃、南京攻略戦に参加。昭和16年(1941年)、空母蒼龍に乗り組みハワイ真珠湾攻撃に参加。その後、激戦地を転戦。重傷を負い、内地で航空教官となり終戦。戦後、公職追放の苦難の中、農業、酪農、八百屋、牛乳販売など様々な職業を経て、昭和43年(1968年)に託児所を開設。昭和47年(1972年)学校法人「ひかり幼稚園」として認可され、同時に園長に就任。歴戦の元零戦パイロットとしての使命と誇りを胸に、戦争の悲惨さ、平和の大切さを各地で講演すると共に亡き戦友の慰霊を続けた。平成22年(2010年)、園長を退いた後も、幼稚園で子どもたちと触れ合うのが日課だった。平成28年(2016年)5月、皆に惜しまれながら99歳で帰らぬ人となった。 -
滞空時間8000時間、日本が世界に誇った「零戦」を駆って戦い交戦国から畏れられた歴戦のパイロット・原田要。南京攻略、真珠湾攻撃、ミッドウェー海戦、ガダルカナル島争奪、幾多の戦場をくぐり抜けた著者のみが語り得る本当の戦争論! 国の誇りを守った男たちの記録
滞空時間8000時間、日本が世界に誇った「零戦」を駆って戦い交戦国から畏れられた歴戦のパイロット・原田要。
南京攻略、真珠湾攻撃、ミッドウェー海戦、ガダルカナル島争奪戦など、幾多の戦場をくぐり抜け、自らを「零戦老兵」と呼ぶ著者が翔け抜けた戦前、戦中、戦後が鮮やかによみがえる。
「ミッドウェー海戦」では、日本が虎の子と誇っていた空母「赤城」「加賀」「蒼龍」が次々と被弾炎上する中で、最後まで孤軍奮闘した「飛龍」。その飛龍から最後に飛び立ったのが原田要氏だった!
生きるか死ぬかの極限の戦場で、著者は何を見、いかに行動したのか。
実際の戦場を知る、著者だからこそ語り得る体験には、戦記の枠を超えて、混沌としたこの現代を力強く生き抜くためのヒントが多く隠されている。
多くの日本人、特に次代を担う若い人たちに読んで欲しい1冊!
著者略歴
原田要
元ゼロ戦戦士。大正5年(1916年)8月11日長野県生まれ。昭和8年(1933年)、横須賀海兵団入団(水兵)。昭和12年(1937年)支那事変勃発。同年第35期操縦練習生を主席で卒業し、同10月第12航空隊附で中支戦線(揚子江と黄河に挟まれた華中域)に出動し、「パネー号」爆撃、南京攻略戦に参加。昭和16年(1941年)、空母蒼龍に乗り組みハワイ真珠湾攻撃に参加。その後、激戦地を転戦。重傷を負い、内地で航空教官となり終戦。戦後、公職追放の苦難の中、農業、酪農、八百屋、牛乳販売など様々な職業を経て、昭和43年(1968年)に託児所を開設。昭和47年(1972年)学校法人「ひかり幼稚園」として認可され、同時に園長に就任。歴戦の元零戦パイロットとしての使命と誇りを胸に、戦争の悲惨さ、平和の大切さを各地で講演すると共に亡き戦友の慰霊を続けた。平成22年(2010年)、園長を退いた後も、幼稚園で子どもたちと触れ合うのが日課だった。平成28年(2016年)5月、皆に惜しまれながら99歳で帰らぬ人となった。 -
シーボルトの『江戸参府紀行』は鎖国当時の外国人による数少ない記録であり、当時の日本人たちを知る上で貴重な資料。
【江戸参府紀行】シーボルト著 呉秀三 註訳(文語訳) シーボルトの江戸参府は1826年2月から7月にかけて行なわれた。本書はその紀行の日程に合わせて、序文と11章にわたり出来事が克明に記録されている。シーボルトはこの江戸参府に大きな期待を寄せ、序文では2年間を準備に当てたと書いている。滞在先では各地からやってくる、医師や蘭学者に面会して精力的に活動。医師たちに天然痘の講義、若千ながら手術を実演し、将軍家の日本人医師から訪問を受けている。各地で日本人と触れ合うことで、シーボルトの日本研究はより深まっていった。この『江戸参府紀行』は鎖国当時の外国人による数少ない記録であり、当時の日本人たちを知る上で貴重な資料。出版-駿南社(1928年)、出典-近代デジタルライブラリー
【著者】シーボルトPhilipp Franz Balthasar von Siebold(1796 -1866年)ドイツの医者。ドイツの名家に生まれ、ヴェルツブルグ大学にて医学、植物額、地理学、人類学を学ぶ。1822年オランダ領東インド陸軍病院少佐に任命され、バタヴィア(現ジャカルタ)を着任。1823年に鎖国中の日本・出島のオランダ商館医として来日。各地から集まった日本人医師に医学や諸科学を教え、日本の植物を収集した。1826年には将軍徳川家斉に謁見。1823年に『シーボルト事件』で国外追放となる。帰国後は日本研究をまとめ、西洋における日本学の発展に大きく影響を与えた。1866年、ミュルヘンで70歳没。
・キャンペーンの内容や期間は予告なく変更する場合があります。
・コインUP表示がある場合、ご購入時に付与されるキャンペーン分のコインは期間限定コインです。詳しくはこちら
・決済時に商品の合計税抜金額に対して課税するため、作品詳細ページの表示価格と差が生じる場合がございます。
