『講談社、吉川英治、2018年11月3日以前(文芸・小説)』の電子書籍一覧
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著者の代表作となった『宮本武蔵』。その人気と反響のあまりの大きさに、小説と史実が混同されることをおそれる気持ちが、本書執筆の動機となった。伝記、史料、口碑、遺墨から浮かび上がる、“人間・宮本武蔵”に寄せる著者の情熱に胸が熱くなる。そして明かされる名作『宮本武蔵』創作の秘密――。吉川ファンはもちろんのこと、もっと武蔵を知りたい人、必読の一冊。
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鎌倉幕府が開かれてから130年、政治のひずみが到るところに噴出していた。正中ノ変はその典型的な例である。そして公武の亀裂はますます拡大し、乱世の微候が顕然となった。「天皇御むほん」さえ囁かれるである。当時は両統迭立(てつりつ)の世、後醍醐天皇が英邁におわすほど、紛擾のもととなった。この間、足利高氏が権門の一翼として擡頭し、再度の叛乱に敗れた日野俊基とは明暗を大きく分ける。
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平家が西海の藻屑と消えてわずか半年後、武勲第一の義経は、それまで指揮下にあった頼朝の兵に追われる身となった。吉野から多武ノ峰、伊勢、伊賀――息をひそめて主従7人、平家の残党の如く生きる。静(しずか)を見捨ててまでの潜行につぐ潜行。義経はひたすら東北の空に仰ぐ。そこには、頼朝の最も恐れる藤原3代の王国が――。人間の愚、人間の幸福をきわめつづけた吉川文学の総決算、ここに完結。
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義経必死の腰越状も、兄頼朝の勘気を解く手だてにはならなかった。義経斬るべしの声は、鎌倉方の決意となってゆく。そして堀川夜討ちは、両者決裂の烽火であった。頼朝は大軍を率いて黄瀬川に布陣。運命の皮肉と言おうか、あのとき手を取り合った弟を討つための夜営になろうとは!この日から義経は失墜の道を歩む。波荒し大物の浦、白魔に狂う吉野山。悲劇は義経1人にとどまらない……。
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足利高氏の心はすでに決している。彼は、名優さながら、なに食わぬ態(てい)で六波羅軍と合した。いつ、最も効果的に叛旗をひるがえすか? 高氏の打ちあげた烽火(のろし)は、まさに万雷の轟きとなった。石垣の崩れる如く、鎌倉幕府は150年の幕を閉じた。――さて建武の新政。台風一過と思ったのは、ひと握りの公卿たちで、迷走台風は再び引返して荒れ模様、武士たちの不平不満は尽きない。
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湊川に繰り広げられた楠木軍の阿修羅の奮戦。さしもの正成も“敗者復活”の足利軍に制圧された。正成の死は、後醍醐方の大堤防の決壊に等しかった。浮き足立つ新田義貞軍、帝(みかど)のあわただしい吉野ごもり。その後の楠木正行、北畠顕家の悲劇。しかし尊氏も、都にわが世の春を謳うとは見えなかった。一族の内紛?勝者の悲哀?彼は何を感じていたか。終章「黒白問答」が、その解答である。
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保元の乱前夜、爛れた世の病巣は、意外に深かった。院政という摩訶不思議な機構の上に、閏閥の複雑、堂上家の摂関争いの熾烈、その他もろもろの情勢が絡みあって、一時にウミを噴き出す。――かくて保元の乱は勃発したが、「皇室と皇室が戦い、叔父と甥が戦い、文字どおり骨肉相食(あいは)むの惨を演じた悪夢の一戦」であった。その戦後処理も異常をきわめ、禍根は尾をひいた。
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大作『新・平家物語』を完成した著者は、息つく暇もなく、南北朝を題材とする『私本太平記』の執筆にかかった。古代末期から中世へ――もはや王朝のみやびは影をひそめ、人間のどす黒さがあらわに出てきた時代、しかも歴史的には空白の時代である。史林の闇に分け入るとき、若者は使命感と創作意欲の高まりを禁じえなかった。開巻第1、足利又太郎(尊氏)が颯爽と京に登場する。
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源三位頼政は、殲滅された源氏一族にあって、異例といえるくらい、清盛の殊遇をうけた人であった。その彼が、なにゆえ76歳の高齢もかえりみず、平家打倒に起ちあがったのか。そして戦いは断橋の悲痛な叫びを残して終ったが、これを境に反平家の勢力は、燎原の火の如く各地に蹶起する。――伊豆での旗拳げに1度は失敗した頼朝も、鎌倉に本拠を定めて、都を窺う。
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平家追討の院宣ならびに朝日将軍の称号を賜わり、生涯最良の日々を味わう義仲。だが、彼の得意満面の笑みも次第に歪みはじめる。牛車の乗りかたひとつ知らない田舎そだちだから、殿上づきあいは苦手だ。相手は老獪な後白河法皇。義仲の凋落は水島合戦から始まった。反撃の平家、背後から襲いかかる鎌倉勢、加えて院方――と義仲は四面楚歌。さすがの一世の風雲児も、流星の如く消えてゆく。
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平家には、もう明日はなかった。さかまく渦潮におのれの影を見るごとく、壇ノ浦に一門の危機感がみなぎる。寿永4年3月24日の朝、敵味方のどよめきのうちに戦は始まった。単なる海戦ではない。海峡独特の潮相と風位の戦である。潮をあやつり、波に乗るもの、義経か知盛か――。その夜の星影も見ず、平家は波騒(なみさい)に消えた。波の底にも都の候う、との耽美的な一語を残して。
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なぜ、建武の新政が暗礁に乗りあげたのか? 根本には、公卿は武家を蔑視し、武家は公卿を軽んじていたからである。それが端的に論功行賞に現れ、武家の不満は爆発した。武家は不平のやり場を尊氏に求めたが、この趨勢を心苦く思っていたのが、大塔ノ宮だった。尊氏を倒せ! その作戦は宮のもとで練られていた。北東残党の蠢動は激しく、宮には絶好の時かと思われたが……。
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平治の乱の実際の戦闘は、わずか半日だった。だが、この半日を境に源平の明暗は大きく分れる。源氏一門の棟梁義朝は、都を落ちてゆく途中で非業の最期を遂げ、その子義平、頼朝は勿論、常盤(ときわ)に抱かれた乳のみ児の牛若まで、業苦の十字架を背負って生きる。一方、宿敵の源氏を軍馬で蹂躙(じゅうりん)した清盛は、もはや公卿の頤使(いし)には甘んじていなかった。平家全盛の鐘は、高らかに鳴りはじめている――。
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もし頼朝が伊豆以外に配流となっていたとしたら、後の日本の歴史も違ったものになっていたに違いない。まことに奇(く)しき伊豆、そして火の国の女・政子との出会いであった。さすがの佐殿(すけどの)も、政子の情熱に寄り切られたのである。ここに最大の被害者は、政子の父・北条時政であった。――一方、都に目を移せば、反平家の気運は次第に強まり、洛中洛外、不穏な兵馬の動きにあわただしい。
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源平それぞれに明日の運命を賭けた寿永2年。――ひとくちに源氏といっても、頼朝は義仲を敵視しているから、三つ巴の抗争というべきであろう。最初の勝機は義仲がつかんだ。史上名高い火牛の計で、4万の平家を走らせた倶利伽羅(くりから)峠。勝ちに乗じた義仲は、一気に都駈けあがる。京洛の巷(ちまた)は阿鼻叫喚。平家は都落ちという最悪の事態を迎えるが、一門の心は決して1つではない。
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一夜にして人間の評価が変るのが乱世の慣い。尊氏が“筑紫隠れ”の朝、新田義貞は、凱旋将軍として、堂上の歓呼をあびていた。左近衛ノ中将の栄誉、それのみでなく、後醍醐の寵姫・勾当の内侍を賜ったのだ。それにひきかえ、貴顕に生命乞いする佐々木道誉の鵺(ぬえ)ぶり。また、朝敵たる汚名は逃れたものの、尾羽打ち枯らした尊氏。しかし彼は、北九州に勢力を養い、反攻を意図する。
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鹿ヶ谷事件は“驕(おご)る平家”への警鐘であったが、清盛にはどれ程の自覚があったろうか。高倉天皇の中宮(ちゅうぐう)徳子は、玉のような御子を産み、一門をあげて余慶にひたっていた。――だが、反平家の動きは、いまや野火の如く六波羅の屋形を包んでいた。その総帥はもちろん、清盛の圧力に屈せぬ後白河法皇、関白基房などの院方。そして意外と思われる人に、76歳の源三位頼政がいた。
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12世紀の初め、藤原政権の退廃は、武門の両統“源平”の擡頭をもたらした。しかし、強者は倶に天を戴かず。その争覇興亡が古典平家の世界である。『新・平家物語』も源平抗争の歴史を描くが、単なる現代訳でなく、古典のふくらんだ虚像を正し、従来無視された庶民の相(すがた)にも力点を置く。――100年の人間世界の興亡、流転、愛憎を主題に、7年の歳月を傾けた、著書鏤骨の超大作。
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打倒平家の旗のもとに鎌倉を進発した源氏軍と意気あがらぬまま東下した維盛(これもり)の頼朝征討軍。両軍は富士川をはさんで対峙する。“水鳥の羽音”で敗走した平家には、著者一流の解釈がある。――黄瀬川の陣で、末弟義経と初の対面をした頼朝。いよいよ活気づく源氏勢に手を焼く平家は、腹背に敵を受けた。木曽義仲の蜂起は平家一門の夢を劈(つんざ)き、北陸路もまた修羅の天地であった。
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平治の乱以後、平家は目覚しい興隆期に突入した。一門の総帥清盛は、またたく間に位人臣をきわめ、平相国(へいしょうこく)と呼ばれる。一族の栄達はいうまでもない。その矢先に起った“車あらそい”の事件。娘徳子の入内(じゅだい)、厳島の造営など、彼の見果てぬ夢はつづくが、先の嵐に吹き堕ちた源氏の胚子(たね)も、無視できない大きさに。――爛熟と発芽と。相容(あいい)れぬ2つの世界があり、明日を待っている。
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一ノ谷の合戦から屋島の合戦までには、1年の月日が流れている。さきの合戦に大功をたてながら、なんら叙勲の沙汰もうけぬ義経。そしていったん任官後は、鎌倉に断りもなく、と不興を買い、平家追討使の大役も範頼に奪われた義経。鎌倉どの差向けの花嫁も、彼の心を暗くする。だが、源氏は義経をまだ必要としていた。――西国攻めの範頼軍は備前児島に立往生し、平家軍が猛威をふるう。
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元弘3年は、また正慶2年でもあった。敵味方によって年号が違うのも異常なら、後醍醐帝が隠岐に配流という現実も、尋常の世とはいえない。眇たる小島は風濤激化、俄然、政争の焦点となった。不死鳥の如き楠木正成は、またも天嶮の千早城に拠って、5万の軍勢を金縛りに悩ましつづけている。一方、去就を注目される足利高氏は、一族4千騎を率いて、不気味な西上を開始する。
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日本のなかば以上を所領した平家が、いま寸土も失って、水鳥の如く波間に漂う。思えば、入道清盛逝きて、わずか4年後の悲運である。最後の夢を彦島のとりでに託して、一門の船団は西へ西へと向う。史上名高い那須余一の扇の的、義経の弓流しなど、源氏がわの武勇をたたえる挿話のみが多い屋島の合戦――。著者は眼を転じて、追われる平家の厳島(いつくしま)祈願に込められた、惻々たる心情に迫る。
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源氏の内輪もめが幸いして、都落ちした平家は急速に勢力を挽回していた。西海は一門の軍事力の温床、瀬戸内には平家の兵船が波を蹴たてて往きかい、着々と反攻の秋(とき)を窺っていた。わけて一ノ谷は天険の要害、平家自慢の陣地だった。加えて兵力では、平家は源氏の何倍も優位にある。しかし、地勢と時と心理とは、まったく平家に不利だった。義経軍の坂上からの不意打ちに算を乱して敗走する。
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後醍醐の切なるご催促に、楠木正成は重い腰をもち上げた。水分(みくまり)の館(たち)から一族500人の運命を賭けて――。すでに主上は笠置落ちの御身であった。また正成も、2万の大軍が取り囲む赤坂城に孤立し、早くも前途は多難。一方、正成とはおよそ対照的なばさら大名・佐々木道誉は幽閉の後醍醐に近づき、美姫といばらの鞭で帝の御心を自由に操縦しようとする。かかる魔像こそ、本書の象徴といえよう。
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講談社吉川英治歴史時代文庫を底本にした、一気に読める全八冊合本版。古代末期から中世へ――もはや王朝のみやびは影をひそめ、人間のどす黒さがあらわに出てきた時代、しかも歴史的には空白の時代である。史林の闇に分け入るとき、若者は使命感と創作意欲の高まりを禁じえなかった。開巻第1、足利又太郎(尊氏)が颯爽と京に登場する。
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講談社吉川英治歴史時代文庫を底本にした、一気に読める全四冊合本版。中国は宋朝の時代、勅使として龍虎山に派遣された洪信は、厳しく禁じられた石窟の中を掘ったため、封じられた108の魔星はどっと地上に踊り出た。やがて、その一星一星が人間と化して、梁山泊をつくり、天下を揺さぶる。
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講談社吉川英治歴史時代文庫を底本にした、一気に読める全十一冊合本版。動乱の中世に終止符を打ち、新世紀を開いた豊臣秀吉の生涯を描く、規模雄大な出世物語が本書である。民衆の上にあるのではなく、民衆の中に伍してゆく英雄として、秀吉は古来、誰からも愛されてきた。――奔放な少年時代を過ごした日吉が、世間を見る眼も肥え、生涯の主君として選んだのが、うつけで知られる織田信長であった。
【収録作品】
新書太閤記(一)
新書太閤記(二)
新書太閤記(三)
新書太閤記(四)
新書太閤記(五)
新書太閤記(六)
新書太閤記(七)
新書太閤記(八)
新書太閤記(九)
新書太閤記(十)
新書太閤記(十一) -
講談社吉川英治歴史時代文庫を底本にした、一気に読める全三冊合本版。義経が牛若といって鞍馬にあった頃、同じ源氏の血をうけて十八公麿(まつまろ)(親鸞)は生れた。平家全盛の世、落ちぶれ藤家(とうけ)の倖として育った彼は、平家一門のだだっ子寿童丸の思うままの乱暴をうける。9歳で得度を許された親繋の最初の法名は範宴。師の慈円僧正が新座主となる叡山へのぼった範宴を待っていたのは、俗界以上の汚濁であった。
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講談社吉川英治歴史時代文庫を底本にした、一気に読める全十六冊合本版。12世紀の初め、藤原政権の退廃は、武門の両統“源平”の擡頭をもたらした。しかし、強者は倶に天を戴かず。その争覇興亡が古典平家の世界である・平。古典のふくらんだ虚像を正し、従来無視された庶民の相(すがた)にも力点を置く。――100年の人間世界の興亡、流転、愛憎を主題に、7年の歳月を傾けた、著書鏤骨の超大作。
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野に伏す獣の野性をもって孤剣をみがいた武蔵が、剣の精進、魂の求道を通して、鏡のように澄明な境地へ達する道程を描く、畢生の代表作。若い功名心に燃えて関ケ原の合戦にのぞんだ武蔵(たけぞう)と又八は、敗軍の兵として落ちのびる途中、お甲・朱実母子の世話になる。それから一年、又八の母お杉と許嫁のお通が、二人の安否を気づかっている作州宮本村へ、武蔵は一人で帰ってきた。(吉川英治歴史時代文庫)。
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不朽の名作、吉川三国志を一気に読める完全版。日本では卑弥呼が邪馬台国を統治する頃、中国は後漢も霊帝の代、政治の腐爛は黄巾賊を各地にはびこらせ、民衆は喘ぎ苦しむ。このとき、楼桑村の一青年劉備は、同志関羽、張飛と桃園に義盟を結び、害賊を討ち、世を救わんことを誓う――以来百年の治乱興亡に展開する壮大な世紀のドラマ。その華麗な調べと哀婉の情は、吉川文学随一と定評のあるところである(吉川英治歴史時代文庫)。
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一介の毬使いから近衛大将にまで成り上がった高キュウ。専権をほしいままにする彼が腐敗政治を生み、庶民の血と涙が反骨の英雄を生む。禁軍の師範だった林冲、王進、楊制使の楊志、下級官吏の魯達など、官に不満を抱く諸豪傑、今孔明の異名を持つ呉学人や宋江、武松らいずれ劣らぬ錚々たる面々は、烈々たる想いを胸に、梁山泊への道を歩んでくる。聚議庁に同志の数の灯がともる。
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信長の死後1年、めまぐるしい情勢の変化だった。しかし、賤ケ嶽の一戦をもって、信長の衣鉢はすべて、秀吉に継承されたといえよう。ただ一人、秀吉には強敵が残った。海道一の弓取り家康である。その家康も名器“初花”を秀吉に献じて戦勝を祝した。――だが、秀吉の天下経営に不満を抱く信長の次子・信雄は、家康と結び、秀吉に敵対する。かくて小牧山に戦端が開かれる。
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いまや、武蔵は吉岡一門の敵である。清十郎の弟・伝七郎が武蔵に叩きつけた果し状! 雪の舞い、血の散る蓮華王院。つづいて吉岡一門あげての第二の遺恨試合。一乗寺下り松に、吉岡門下の精鋭七十余人が、どっと武蔵を襲う。--「一回一回の原稿が出来上がるまでは、主人の気迫が反映して、私どもまで緊張につつまれる毎日」だったと、文子夫人は当時の著者を回想している。
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梅里先生とは徳川光圀のこと。政務を離れ、西山に隠棲する光圀を称ぶにふさわしい。だが光圀、けっして閑日月ではなかった。終生の事業、大日本史の修史をつづける一方、炯々たる眼光をもって世情を睨む。浮華な元禄の世、その上に立つ将軍綱吉、寵臣柳沢吉保。光圀にとって苦々しいのは、その柳沢と藩老藤井紋太夫とが手を結んでいることだった。光圀の周辺には、不気味な動きがある。黄門漫遊記からはうかがい知れぬ水戸光圀の実像を描く秀作。
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将門は著者の最も食指を動かした人物の一人である。反逆者としての歴史の刻印を除きたい気持ちもあったが、純粋で虚飾のない原始人の血を将門にみたからだ。都にあっては貴族に愚弄され、故郷では大叔父国香に父の遺領を掠められ、将門はやり場のない怒りを周囲に爆発させる。それは天慶の乱に発展し、都人を震撼させる。富士はまだ火を噴き、武蔵野は原野そのままの時代だった。
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武勇すぐれた伊那丸主従であったが、その軍備も蟷螂の斧に似て、最後の砦、小太郎山も敵手に陥ちた。平和な緋おどし谷に、乙女らは胡蝶の陣を組む。そして舞台は、甲斐から武蔵へ――。御岳山上の兵法大講会に、武田一党は如何なる波瀾を呼ぶか? この小説の楽しさの一つは、読者の空想を羽ばたかせること。読者みずから竹童、蛾次郎とともに、鷲のクロに乗ることも……。
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黄巾賊の乱は程なく鎮圧されたが、腐敗の土壌にはあだ花しか咲かない。霊帝の没後、十常侍に代って、董卓が権力の中枢に就いた。しかし、群雄こぞっての猛反撃に、天下は騒然。曹操が起ち袁紹が起つ。董卓の身辺には、古今無双の豪傑呂布が常に在り、刺客さえ容易に近づけない。その呂布が恋したのが、董卓の寵姫貂蝉。傾国という言葉は「三国志」にこそふさわしい。
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美しい玉日の代りに善信(親鸞)が得たものは、宗門を挙げての非難、迫害であった。それは、法然、慈円、親族にも及ぶ糾弾であった。遠流も辞せず! 善信の不退転の決意は揺るぐことなく、未曾有の法難に耐えぬく。――発表当時、菊池寛は、「親鸞の信仰は時代を抜きにしては語れない。この時代の中に親鸞を捉えるという大手腕は、この著者をおいては考えられない」と評した。
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弦之丞を恋するお綱、お綱を追うお十夜。弦之丞はお千絵を想い、お千絵は旅川周馬に迫られる。恋と剣のまんじ巴は、木曽から鳴門の汐路へとつづく。阿波藩を動かす竹屋三位卿は、弦之丞の前に立ちはだかる強敵であり、剣山の間者牢に年久しくつながれる甲賀世阿弥の死命をあずかる非情の人でもあった。いま、山頂の牢を前にして、幕府方、勤王派の最後の死闘が繰り広げられる。
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吉岡清十郎と雌雄を決す! 武蔵の年来の宿望は、ここに実現の運びとなった。時、慶長十年正月九日。場所は京都・蓮台寺野。もし武蔵が勝てば、その名声は京畿を圧するだろう。--武蔵は思いのまま戦い、勝利をおさめたが、彼の得たものは、心の虚しさでしかなかった。一方、蜂の巣を突いたような吉岡一門から、一門きっての暴れん坊、吉岡伝七郎が鎌首をもたげてきた。
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桶狭間の大勝は、尾張に信長あり、と武名は喧伝されたが、天下統一へは第一歩を踏み出したにすぎない。次なる目標は、美濃の攻略である。その拠点ともなるべき洲股。濃尾の国境をながれる天然の要害の地に、織田軍団の足場をつくりたい。これが信長の渇望であった。だが言うは易く、工事は至難。重臣、みな反対である。時に藤吉郎ひとり、賛成論をブッた。当然、大命は藤吉郎に。
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大坂の武家屋敷の仲間(ちゅうげん)、のんびり屋の貝殻一平。ある人物と人相はもちろん、ホクロの位置までそっくりという奇縁が彼の人生を大きく変えた。その人物とは、新撰組につけ狙われる志士・沢井転(うたた)。かくて、一平の身に思いもかけぬ白刃が襲いかかる。飛騨谷一万石を賭けた藩主の遺児探索騒動もからみ、物語はなおもスリリングに展開していく。吉川文学の特色であるあたたかい眼が行間に溢れる出色の時代長編。
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刃傷事件から討入りまで、忠臣蔵はどこをとっても胸を搏つドラマである。元禄の事件より二百七十年以上もたった今、吾々の心をかくも動かすのは人生の縮図を形をかえてみるからだろう。振幅の激しかった大石。また大石と共に立ち上がりつつも、消えてゆく同志。偽りの恋に情熱のすべてをかける女心の哀れさ。また吉良方にも義士ありということ。――本書の執筆は「宮本武蔵」の起稿と同年、著者の心気いやが上にも充実する時だった。
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赤壁の大敗で、曹操は没落。かわって玄徳は蜀を得て、魏・呉・蜀三国の争覇はますます熾烈に――。呉の周瑜、蜀の孔明、両智将の間には激しい謀略の闘いが演じられていた。孫権の妹弓腰姫と玄徳との政略結婚をめぐる両者両様の思惑。最後に笑う者は、孫権か、玄徳か? 周瑜か、孔明か? 一方、失意の曹操も、頭角を現わし始めた司馬仲達の進言のもとに、失地の回復を窺う。
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他国者は容易に近づけない、密国阿波に潜入した幕府隠密・甲賀の宗家、世阿弥が消息を絶って十年。家名の断絶を目前にして、悲嘆にくれる娘のお千絵を見かねて、二人の男が阿波渡海をはかった。だが夜魔昼魔、お十夜孫兵衛、見返りお綱が二人の邪魔に入る。――昭和初年に発表され、人気沸騰した名作「鳴門秘帖」は争って読まれ、虚無僧姿の法月弦之丞は銀幕のヒーローに。
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山崎、賤ケ嶽の合戦と、破竹の勢いで進んできた秀吉軍が、たとえ一部隊にせよ、長久手で家康軍に完敗したことは、今後の戦局、いや政局に微妙な翳を落とさずにはおかない。秀吉には苦汁を、家康には遅まきの美酒を。――家康の不撓不屈の闘志と、秀吉の天才的なヨミが激突する。そして秀吉が一歩先を制した。長らく信長の陰に隠れていた秀吉の“力”が、ここに全容をみせる。
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黄巾賊の乱より十年、天下の形勢は大いに変っていた。献帝はあってなきものの如く、群雄のうちにあっては、曹操が抜きんでた存在となっていた。劉備玄徳は、関羽、張飛を擁するものの一進一退、小沛の城を守るのみ。打倒曹操! その声は諸侯の間に満ち、国舅董承を中心に馬騰、玄徳など七人の謀議はつづく。誰が猫の首に鈴をつけるのか。――選ばれたのは、当代一の名医吉平。
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大正末から昭和初めの「少年倶楽部」の目ざましい躍進期に、その中心読み物となったのが、佐藤紅緑の諸作と「神州天馬侠」である。織田・徳川の連合軍に滅ぼされた武田勝頼の遺子・伊那丸が、忠義の士に護られて、健気にもお家の再興をはかる。しかし、戦国群雄の圧力の前には――。当時、子供も大人もこの小説に熱狂した。今も、その底力を保ちつづける大衆児童文学の記念碑。
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隠密の掟ゆえに、お千絵と弦之丞の恋は許されようもない。といって、お千絵に執拗につきまとう旅川周馬の邪恋は迷惑至極。弦之丞も家を捨て恋を捨て、一管の竹に漂泊の旅を重ねるが、お千絵への思いはきっぱり絶っているだろうか。その弦之丞に、阿波二十五万石の存立にかかわる隠密の命令が下る。無論、阿波藩士が手を拱いて待っている訳がない。弦之丞を取り巻く蜘蛛手の網。
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乱世の姦雄を自称し、天下を席捲した曹操も、関羽には弱かった。いかな好遇をもってしても、関羽の心を翻すことはできない。玄徳を慕って千里をひた走る関羽。そして劇的な再会。その頃、兄孫策の跡を継いだ呉の孫権は、恵まれた自然と豊富な人材のもと、国力を拡充させていた。失意の人玄徳も、三顧の礼をもって孔明を迎えることができ、ようやく天下人として開眼する。
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家康と信長の援軍が三方ケ原で完敗を喫してから3年、信長・家康の連合軍は宿敵武田軍に潰滅的な打撃を加えた。世にいう長篠の合戦である。武田の騎馬軍団を織田の鉄砲軍団が完膚なきまでに叩きのめした一戦であり、実戦に鉄砲の威力を採り入れた信長の炯眼が光っていた。また、三河武士の名をあげたものに、鳥居強右衛門の懦夫をも起たす鬼神の働きがあり、家康も面目を施す。
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曹真をはじめ多士済々の魏に対して、蜀は、玄徳の子劉禅が暗愚の上、重臣に人を得なかった。蜀の興廃は、ただ孔明の双肩にかかっている。おのが眼の黒いうちに、孔明は魏を叩きたかった。――かくて祁山の戦野は、敵味方五十万の大軍で埋まった。孔明、智略の限りを尽くせば、敵将司馬仲達にもまた練達の兵略あり。連戦七年。されど秋風悲し五丈原、孔明は星となって堕ちる。
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みごとな仕上がりで、思わず息をのませる短編の名品佳作。――江戸を荒しまわった揚句、上方に高飛びしてほとぼりの冷めるのを待っていた鼠小僧。ムズムズしてきた例の手くせと持ち前の義侠心が、女のことから暴発した表題作「治郎吉格子」。ほかに「増長天王」「醤油仏」「八寒道中」「野槌の百」「銀河まつり」「無宿人国記」「雲霧閻魔帳」の7編を精選して収録する短編名作集。
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長い遍歴をともに重ねてきた城太郎は、木曽路でぷっつり消息を絶ち、武蔵は、下総の法典ケ原で未墾の荒野に挑む。恃むべき剣を捨て、鍬を持った武蔵。これこそ一乗寺以後の武蔵の変身である。相手は不毛の大地であり、無情の風雨であり、自然の暴威であった。--その頃、小次郎は江戸に在って小幡一門と血と血で争い、武蔵の“美しい落し物”も、江戸の巷に身を寄せていた。
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野に伏す獣の野性をもって孤剣をみがいた武蔵が、剣の精進、魂の求道を通して、鏡のように澄明な境地へ達する道程を描く、畢生の代表作。若い功名心に燃えて関ケ原の合戦にのぞんだ武蔵と又八は、敗軍の兵として落ちのびる途中、お甲・朱実母子の世話になる。それから一年、又八の母お杉と許婚のお通が、二人の安否を気づかっている作州宮本村へ、武蔵は一人で帰ってきた。
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名君と評判の徳川八代将軍吉宗は、本来なら三万石の大名で終るべき身分の人だけに、身辺に隙があった。登用した江戸町奉行大岡越前守忠相は名奉行と市井の喝采をあびる。越前が必死に捕えんと追う密貿易船(ぬけがいぶね)は一網打尽にしたが、彼を悩ます怪人が江戸に現れた。将軍ら四人に復讐を誓う四ツ目菱の袷を着た一ツ目男――。人間描写の巧みさで、運命に翻弄される人物を描く、傑作伝奇小説。
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頼朝を描くことは、平氏一門を描くことでもある。また弟義経の数奇な運命にも触れなければならない。――捕らわれて死すべき命を池禅尼の恩情に救われ、長じては政子との恋に花を咲かす頼朝。監視役・北条一族を味方に引き入れた辣腕。禅尼の訓誡に背いた石橋山の挙兵。やがて旗下に馳せ参ずる義経一党。運命の皮肉、流転相剋の数々。武将の明暗のうちに、人生を凝視した力作。
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