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『思想、白水社、1年以内(実用)』の電子書籍一覧

1 ~14件目/全14件

  • ロシア正教の倫理と共産主義の精神

    ロシアの共産主義はナショナルな特徴に根ざす現象であり、マルクス主義的な見地からのみでは決して説明しえない──ベルジャーエフは、ロシアにおけるボリシェヴィズムの必然性を、キエフ・ルーシから連綿と続くキリスト教精神と、インテリゲンツィアによって編まれる歴史・思想史のなかに探っていく。「ロシア本国において一九九〇年代から、ベルジャーエフも含めて、一九世紀末から二〇世紀初頭に登場したあまたのロシアの宗教哲学者たちが、西欧とは異なるロシア独自の精神的価値として、高く評価されるようになった。しかし、今日では、こうした見かたもまた一面的なものとして克服を迫られている。ベルジャーエフによる「ロシア的理念」にたいする批判的分析は、ベルジャーエフ自身も含めたロシア思想を新たな視点から再検討するうえでも重要な示唆を含んでいる」(本書解説[佐藤正則・九州大学教授]より)
  • 人間の歴史は、〈欲望〉の歴史である。

    1933年――ドイツでヒトラーが首相として就任した年――パリの高等研究院でアレクサンドル・コジェーヴによるヘーゲル講義がはじまった。本講義にはジョルジュ・バタイユ、ジャック・ラカン、ロジェ・カイヨワ、アンドレ・ブルトン、メルロ=ポンティなど、フランス哲学・文学の中心となる人物たちが多く参加している。
    「歴史が何であるかを知るためには、この歴史を実現する人間が何であるかを知らねばならぬ」――コジェーヴは『精神現象学』を精読しながら、プラトンからヘーゲルへといたる哲学と、キリストからナポレオンへといたる歴史とを重ね、動物から人間がいかに生まれ、自然から歴史がどのように発生したかを辿っていく。
    フランス現代思想を知る上で避けて通ることのできない記念碑的講義録を、訳者によるあらたなあとがきを加えて、Uブックスで待望の復刊。


    【目次】

    出版者の覚書
    第一章 序に代えて
    第二章 『精神現象学』の最初の六章の要約
        ──一九三七-一九三八年度、最初の三回の講義の全記録
    第三章 『精神現象学』第七章の一般的導入部の解釈
        ──一九三七-一九三八年度、第四回及び第五回講義の全記録
    第四章 一九三七―一九三八年度講義要約
        ──高等研究院・宗教学科の一九三八-一九三九年度年報からの抜粋録
    第五章 哲学と知恵
        ──一九三八―一九三九年度、最初の二回の講義の全記録
    第六章 永遠・時間・概念についての覚書
        ──一九三八-一九三九年度、第六回講義より第八回講義までの全記録
    第七章 『精神現象学』第八章第三部(結論)の解釈
        ──一九三八-一九三九年度、第一二回講義の全記録
    訳注
    『ヘーゲル読解入門』への後書き
  • ルソーの「幸福論」

    「この地上では、すべてが絶えざる流転のうちにある。そこではなにひとつとして一定不変の固定した形を持ち続けるものはない。だから、この世で得られるのは、せいぜいすぐに消え去る喜びでしかない。永続する幸福などといったものを、この世で味わう人がいるとは思えない」
    迫害のなかで「地上に一人きりになってしまった」ルソーは、もはや人間や社会の変革に希望を託すことはない。湖の岸辺に腰を下ろして、寄せては返す波の絶え間ない単調なリズムに、自身の存在=運命を感じ、また幸福を見出す……
    こうした自己の存在のほかいかなる幸福も感じない徹底的な自己充足の境地は、「絆」の素晴しさが自明視される今日、新たな意味をもって迫ってくる。『マルゼルブ租税法院院長への四通の手紙』を収録。訳者と川出良枝東大名誉教授の解説を付す。

    【目次】
    孤独な散歩者の夢想
    第一の散歩
    第二の散歩
    第三の散歩
    第四の散歩
    第五の散歩
    第六の散歩
    第七の散歩
     八
     九
     十
    マルゼルブ租税法院院長への四通の手紙
    第一の手紙
    第二の手紙
    第三の手紙
    第四の手紙
    訳者解説 孤独な散歩者の夢(佐々木康之)
    訳者解説 マルゼルブ租税法院院長への四通の手紙(佐々木康之)
    解説 ジュネーヴ市民から孤独な散歩者へ(川出良枝)
  • 「私は考えている、だから私は有る」

    デカルトは久しく近代思想の父とよばれてきた。それは中世のコスモスが崩れるなか、徹底的な懐疑の果てに、考える自我の直観から主体性を確立し、近代文明に道を開いたからである。
    近代のあけぼのに「いかなる人生の道に従い行くべきか」を思い迷いながら、「ひとりで、しかも暗闇のなかを歩いて行く」旅する人の遍歴と、その旅先の一夜の啓示と決断とを、〈私〉の精神の歴史としてここに語る。すなわち、〈方法〉とは「道に迷う、道に従う」ことである。
    数多の学問を修めながら、やがてそれらの真理性を徹底して疑い、しかしそれらについて思考している自分は何かでなければならないと気づき、「私は考えている、だから私は有る」という有名な第一原理に到達するまでを語った近代哲学の名著の清新な翻訳。養老孟司解説。

    [目次]
     訳者まえがき
    第一部
    第二部
    第三部
    第四部
    第五部
    第六部
     解説 脳の機能のきわめて明晰な表現 養老孟司
     解題 三宅徳嘉
  • 「言葉をもって空気をふるわす」

    専制体制下のロシアにおいて生涯をかけて、社会体制の変革と民衆=人民の解放に向けた言論活動を行なったチェルヌイシェフスキー。ここに集められた諸論攷の多くは一八六一年の農奴解放令に関連するものである。自由主義的な貴族や知識人からは「大改革」と称讃されたが、そこにはいくつか問題があった。農奴解放によって「農奴」は人格的自由を得たものの、同時に、分与された土地に対して膨大な額の支払い義務を負わされたことや、農村共同体の位置づけなどである。「土地つき解放」を求める彼の争点はここにあった。この「リベラルな」改革は真の意味での「農奴解放」とはいえず、圧倒的に不十分だったのだ。つまり、彼の闘争の矛先は、専制体制のみならず、不徹底なリベラリズムにも向けられている。
    これらの論攷は、検閲を避けるべく意図的に晦渋な文章で紡がれることも相俟って、かなりわかりづらい。だが、彼の活動がナロードニキ運動やレーニンに影響を与えるように、われわれが今そこから汲み取るべきは、偽りの「解放」を摑まされることなく、真の解放を求め、言論活動によってそれを具現化せんとするそのあくなき魂である。
  • 「社会学は人生から生まれ、人生へ帰っていく」

    清水幾太郎ほど毀誉褒貶のある人物はいない。
    東京帝国大学社会学研究室からの「破門」、マルクス主義を標榜しての社会学攻撃、進歩的文化人・安保同伴知識人として活躍、そして「転向」と核武装論……
    しかしながら、清水は社会学者としての長いキャリアにわたって、必ずしも場当たり的に翻身を繰り返していたわけではない。その膨大な業績を改めて振り返る時、いくつかの重要な主題によって貫かれていることを見出すことができる。
    とりわけ、本書が注目するのは、彼が自伝の執筆を通じて、「人生」を語る社会学者であったという点である。清水は自身の晩年期においてではなく、むしろそのキャリアの盛期を通じて、繰り返し自身の自伝を書き連ねてきた。
    さらに興味深いのは、社会学的な著述においても、しばしば回想風の叙述スタイルを採用していることである。これは単に自分語りが好きだったわけではなく、清水にとって社会学とは、人それぞれの人生のなかの「闘争」を捉える試みであったことによる。「社会学は人生から生まれ、人生へ帰っていく」という言葉がなによりそのことを語っている。
    清水へのまったく新しいアプローチ!

    [目次]
    第I章 問題設定——清水幾太郎と社会学
     〇 はじめに
     一 問題の所在——社会学と「人生」
     二 人生の中の闘争
     三 先行研究・議論の概観
     四 視角、対象と方法
    第II章 ある社会学者の出発
     一 社会学との邂逅
     二 青年論へ——「社会学青年」とともに
     三 小括
    第III章 生きた闘争の把握
     一 公私区分の再検討——往還とその動態
     二 生存の要求とその諸形態——『流言蜚語』(一九三七・一二)
     三 倫理学と闘争——「競闘」(一九四一・一二)
     四 小括
    第IV章 家族——生きるという闘いの場
     一 清水の家族道徳論批判
     二 清水の家族集団論
     三 小括
    第V章 「人生」を語り始める清水幾太郎
     一 若き社会学者の自伝
     二 人生を語る社会学
    終章 意義と展望
     あとがき
     文献/写真出典/註
  • 失われたディオニュソス的なものを求めて

    「ディオニュソス的とは何か? それが問題なのだ。その答えがここにある。」
    悲劇を死に導いたソクラテス以降の理性的、アポロン的なものへと傾いていくヨーロッパを鋭く批判する、ニーチェ哲学の起原。それは、彼の処女作にして「最大の問題作」の一つであった。古代ギリシアから当時のドイツにいたるまで、音楽や宗教に関する様々な論の飛躍を繰り返すその筆致は、論理よりもパトスにまかせて書き上げられた、ある種の迷宮のように思われる。ニーチェはそこに「アポロン的なるものとディオニュソス的なるものとの相剋」という迷宮脱出の糸口を読者に提示し、古代ギリシア悲劇に、理性と恍惚の融合として芸術の極致を見出すのだった。一九七九年刊『ニーチェ全集』より、新たに納富信留(東京大学大学院教授)の解説を加えた、「白水社のニーチェ・コレクション」第二弾。
  • 生死をめぐる「差延」の論理について語る、1975~76年の高等師範学校での講義

    1970年代、デリダは高等師範学校において哲学教授資格試験準備講座を担当していた。すなわち、高等学校以上の教育資格であるアグレガシオンや、中学校での教育資格である試験のテーマについて、受験希望者に対策をほどこす講座である。1976年度アグレガシオンの哲学の試験のテーマのひとつが「生と死〔la vie et la mort〕」だった。だが、デリダは生と死が対立するという伝統的な論理に疑義を呈し、生と死が不可分であること、ひいては死こそが生を可能にすると説く。そしてそのために、試験のテーマから接続詞の「と〔et〕」を削除した「生死〔la vie la mort〕」を自らの講義のテーマとした。
    生と死は、はたして対立すべきものであるのか? DNA、遺伝子、細胞……生き物にプログラムされた「非音声的エクリチュール」を踏まえながら問いかけ、ジャコブ、ニーチェ、フロイトを脱構築的に読解することで、再生産や新陳代謝のメカニズムを哲学する──「生死」をともにする全14回の講義。
    生命科学を探究する、差延の論理! 性的差異、自伝、二重拘束、補綴、隠喩……デリダ的な圧巻のテーマが語られてゆく驚くべき講義録。
  • ショーペンハウアーの「幸福論」

    「いっさいの生は苦しみである」とみなしたショーペンハウアーが、逆に「生活をできるだけ快く、しかも幸福に過ごす」方法を説いたのが本書である。
    『意志と表象としての世界』の哲学が「生活の知恵」として日常生活のなかにいかに応用されるか、ショーペンハウアー本人が具体的に記述している。
    ショーペンハウアーにとって「生活の知恵」とは、襲いかかる運命から身を守る方法、この世でもてはやされるものの空虚さを知り、本質的なものを考える力であった。
    「私は生活の知恵という概念をまったく独特な意味にとる。つまり生活をできるだけ快く、しかも幸福にすごすてだてと考える。そのための方策を幸福論と名づけてもよい。生活の知恵とは、実は幸福な暮らしかたを教えるものである。」
    ゲーテやシェイクスピアなどの引用に富み、楽しく高雅な、厭世的哲学者による「幸福論」。

    【目次】
    はじめに
    第一章 基礎になるまえがき
    第二章 人にそなわるものについて
    第三章 人が所有するものについて
    第四章 他人がいかに思うかについて
    第五章 さまざまな教訓と原則について
    第六章 年齢のちがいについて
    あとがき(金森誠也)
    解説(梅田孝太)
  • 日本独自編集版のアンソロジー

    「ショーペンハウアーがけっして世捨人のような孤独な哲人ではなく同時代の社会の動きにも大きな関心を抱いていること……通俗的な事柄にも独自の見解を示していることに感心した。彼は真面目一方の学者ではなく、広く人生の諸相を観察し、かつそれを批判した人であった」(訳者あとがき)
     
    主著『意志と表象としての世界』『倫理学の二つの根本問題』を中心とする著作から、ワーグナーに大きな影響を与えた有名な「音楽の形而上学」をはじめ、認識論・人生論・道徳論・芸術論等を抽出編集した、日本独自のアンソロジー。
     
    苦悩としての生を説いた哲学者の、生の苦悩とそこからの救済をめぐる珠玉の警句がちりばめられた考察を精選。嫉妬、不安、野心、尽きせぬ欲望に満ちた世界を、われわれはいかにすれば逃れることができるのか。ショーペンハウアー入門にふさわしい一冊。梅田孝太解説
  • 戦争の時代に戦後の原点へ

    「反戦」や「非戦」、「アジアの連帯」が語られなくなって久しい。
    戦後民主主義の記憶も遠くなり、中国・韓国はじめアジア諸国が台頭するなかで、ナショナリズム感情を煽る言説やパワーポリティクス論が巷に氾濫している。
    本書は「反戦」や「非戦」、「アジアの連帯」といういまや打ち捨てられようとしている問題群に、現代の世界情勢を踏まえて再接近しようとする試みである。
    まず、ウクライナ戦争やガザ戦争を受けて、真の「現実主義」がなにかが問われる。
    本書によると、それは、たとえば、井伏鱒二『黒い雨』における「戦争はいやだ。勝敗はどちらでもいい。早く済みさえすればいい。いわゆる正義の戦争よりも不正義の平和の方がいい」という言葉に端的に現れているという。
    そして「正義の戦争」の欺瞞、軍隊の理不尽という戦後日本の原点が何度も確認される。続いて、いまでは忘れ去られた近代日本における反戦非戦の系譜に光が当てられる。
    反戦・非戦の視点を恢復してみると、アジアはまったく異なってみえてくる。アジアの人々はだれも戦争や強権を望んでいるわけではないのだ。戦争の時代に広く読まれてほしい一冊。

    [目次]
     はじめに
    第I章 真の現実主義とは
     1 戦争と軍隊の理不尽
     2 もし武力侵攻されたら
    第II章 日本の反戦非戦の系譜
     1 日清戦争に反対した勝海舟
     2 足尾鉱毒問題に生涯をかけた田中正造
     3 幸徳秋水の平民主義・社会主義・平和主義
     4 内村鑑三の非戦論
     5 石橋湛山の「小日本主義」
     6 戦後の平和運動の担い手たち
     7 アフガニスタンで井戸ほりをした中村哲
    第III章 台湾海峡の緊張をどう解きほぐすか
     1 中台の攻防の歴史
     2 台湾の戒厳令の時代
     3 台湾アイデンティティの形成
     4 台湾の選択
     5 台湾と中国の交流
     6 共通する文化の土壌
    第IV章 香港の民主化運動はどこへいく
     1 香港の民主化デモと中国の介入
     2 植民地としての香港の歴史
     3 植民地主義をどうみるか
     4 香港の自立のディレンマ
     5 香港の相対的地位の低下
     6 香港のこれから
    第V章 中国とどう向きあうか
     1 中国とアメリカの応酬
     2 中国のアキレス腱
     3 中国への対応
    第VI章 アジア・ビジョンをどう描くか
     1 反戦非戦と文化力
     2 戦前と戦後のナショナリストのちがい
     3 アメリカと中国の反戦非戦
     4 魅力ある国とは
     おわりに
  • ポスト戦後の精神史

    数は減ったとはいえ、学者になりたい人は一定数いるはずだ。本書はそうした人たちに向けて、学者のなり方、職業としての学問を説く試みである。
    磯前さんは静岡大学の歴史学科を卒業して、生まれ故郷の茨城で高校教師になったものの、学者になることをあきらめきれず、勉強し直して、東大院の宗教学専攻に入ったという変わり種だ。
    高校教師として働きながら(そして、結婚して子どもを抱えながら)の大学院受験は一筋縄ではいかず、語学学習のやり方からはじまり、東大や京大の大学院をさまざま受けた(落ちた)ことまで赤裸々に語られている。
    磯前さんの進学先とその時代が、この本を単なるハウツーや体験記を超えたものにする。
    磯前さんは東大院で島薗進さんに師事した。このことが人生を大きく変えていく。そして当時、東大宗教学は、スピリチュアルやニューアカに乗じて、スターを輩出しつつあった。
    こうしたブームは、オウム真理教事件によって無残に瓦解した。磯前さんは事件以降、宗教学批判を展開し、酒井直樹さんらと意気投合してポストコロニアル研究に向かう。本書はこうした一大転換の貴重な記録にもなっている。

    【目次】
    はじめに 学者って何者?
    第一章 書物が友だちだった――私の生い立ち
    少年探偵団と活字の匂い/ドリトル先生物語/キリストの死
    古代の息吹
    第二章 学問への目覚め――シラケ世代の悩み
    いつでも音楽があった/放任主義とシラケ世代
    マルクス主義歴史学と感情/ロンドンと異星人
    第三章 修行時代――自立という課題
    高校教師失格/大学院受験/大学院合格/東大助手になる
    第四章 大学教員という仕事――意気揚々の時代
    オウム真理教事件/資料の公開/国際学会/ロンドンの闇
    第五章 国際日本研究――ひとつの回心
    ハーバード滞在/国際日本研究文化センター
    東日本大震災/ザ・タイガース
    終章 世界が自分の家だから
    あとがき――存在の語りのあわいに
  • もっとも読みやすい幸福論

    「本物の不幸もかなりあるにはある。そうだとしても、人々が一種の想像力の誘惑によって不幸をいっそう大きくしていることには、依然としてかわりない。自分のやっている職業について不平を言う人に、あなたは毎日、少なくともひとりぐらいは出会うだろう。そして、その人の言い分は、いつでも十分もっともだと思われるだろう。どんなことでも文句をつけられるものだし、なにも完全なものなどないからだ」
    リセで哲学教授として長らく教鞭を執っていたアランの哲学は、想像力の暴走に身を委ねたり、抽象思考に終始するのでなく、また何か特別な状況を必要とするのでもない。日常を生きる場で、幸福への道筋を見つけだしていくのである。
    自分自身の気分の揺らぎがときには不幸の悪循環をもたらす。不安に苛まれる時代にあって、いかに幸福を得るかの心の持ちようを教えてくれる、アラン畢生の名著。
  • 「私はキリスト教に有罪の判決を下す。」

    「私以前にはいかにいっさいの物事が逆立ちしていたかについて、手取り早く知りたいと思う方がいたら、まずこの本から取り掛かって頂きたい」(『この人を見よ』より)
    「ニーチェは歴史を頭から否定し、またいちばん最後から否定する」(吉本隆明、本書解説より)
    ニーチェ最晩年に書かれ、彼の否定の系譜をたどる二作品を収録。キリスト教世界における神、真理、道徳、救済を否定し、ソクラテス、プラトン、カントを否定し、いま生きる現実と身体の価値を見つめなおす、いわばニーチェによるニーチェ思想の概説書。
    一九九一年「イデー選書」より吉本隆明の解説を再録し、三島憲一書き下ろしの解説を追加し、ニーチェの入門書としても読むことができる一冊。

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