『思想、講談社、3か月以内(実用、新書)』の電子書籍一覧
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・京都大学統合型複合科目「人工知能と人間社会」(2026年4月開講)の指定教科書!
・出口康夫氏推薦! 安野貴博氏推薦!
【推薦の言葉】
◆人間とAIからなるよりよい「われわれ(WE)」の作り方のレシピ、ここに誕生!
僕らは今「生成AI革命」の只中にいる。
この革命の行方、すぐそこの街角を曲がった先に広がる近未来は明るく便利な知のテーマパークか、
人間が知の主人公の座から転げ落ちた実存のディストピアか。
いや未来は当て物ではなく、皆で一緒に創るものだ。
技術としてのAI、心の哲学としてのAI、社会の中のAIを語らせたら右に出る者のいない最高のトリオが放つ、
人間とAIからなるよりよい「われわれ(WE)」の作り方のレシピ、ここに誕生!
――出口康夫(京都大学教授・京都哲学研究所共同代表理事)
*****
◆AIと暮らす時代を、前向きに考えたいすべての人へ。
AIの進化は、私たちに「人間とは何か」という根源的な問いを突きつけます。
技術の仕組みから、意識や感情をめぐる哲学、そして民主主義の未来まで。
本書は、AIという「他者」を通じて、テクノロジーの向こうにある「人間らしさ」を見つめ直すきっかけをくれる一冊です。
――安野貴博(チームみらい党首・AIエンジニア)
【主な内容】
AIと暮らす時代がやってきている。文系・理系といった枠を超え、社会のあらゆる分野の構成員が、AI技術だけでなく、それを支える哲学的視点や倫理観、そして関連する社会課題について理解することが、本質的に重要となっている。本書では、「技術としてのAI」「心の哲学としてのAI」「社会の中のAI」の三つに分けて、AIへの態度・問題関心を考える。
【目 次】
第0章 はじめに
第1章 社会の中のAI
第2章 AIとは何か?
第3章 記号的AIと計算機
第4章 パターン認識と機械学習
第5章 ニューラルネットワークと深層学習
第6章 大規模言語モデルと生成AI
第7章 ロボティクスと身体の知
第8章 AIから認知科学へ
第9章 AIは意識を持てるか?
第10章 AIは感情を持てるか?
第11章 AIは「人間」になれるか?
第12章 AIガバナンス
第13章 未来のAI社会
第14章 私たちとAI -
・「戦後文学」は鎖国の中でつくられた:青野聰・坂本龍一・中上健次と(1985年)
・〈分裂病〉をめぐって:木村敏、中井久夫、市川浩と(1988年)
・〈近代の超克〉をめぐって:廣松渉、浅田彰、市川浩と(1989年)
・芸術の理念と〈日本〉:磯崎新、岡﨑乾二郎、浅田彰と(1993年)
・中上健次をめぐって 双系性とエクリチュール:蓮實重彦、渡部直己、浅田彰と(1993年)
・〈戦前〉の思考 1930年代的状況と現在:小林康夫、絓秀実、西谷修、福田和也、山城むつみ、浅田彰と(1994年)
・日本文化とジェンダー 〈家父長制〉とその批判から始めて:水田宗子、上野千鶴子、浅田彰と(1994年)
・ハイパーメディア社会における自己・視線・暴力:浅田彰、大澤真幸、黒崎政男と(1995年)
・ 冷戦終結後の政治と文学 スーザン・ソンタグとの対話:スーザン・ソンタグ、浅田彰と(1995年)
・現状に切り込むための「足場」を再構築せよ 理念、社会、共同体:山口二郎、中島岳志と(2008年) -
古事記・日本書紀・風土記ってこんなにおもしろい!
・出雲の国引き神話を漁民の目で読むと?
・羽衣伝説と農耕の意外な関係とは?
・アマテラスはなぜ岩屋戸に隠れたのか?
・神武天皇が熊野の険しい山道を選んだワケは?
神話を国家から解放し、人びとの暮らし・風土・文化に注目すると、知られざる神と人間たちの物語が見えてくる!
これまでの研究では、ややもすれば神話を王権という政治性や国家の歴史に結びつけがちであったが、本書では目線を低くずらして、人間の生活が神話のなかに描かれているという視点に立ち、時に強くもあり、また弱くもある人間を見つめてみたいと思う。
それは大袈裟に言えば、神話を国家という縛りから解放する試みである。しかし、実際のところ本書はそのような大上段に構えた勇ましい考察ではない。神話のなかから村里で生きていた人、言い換えれば私たちのすぐ近くにいるような人たちの姿を掘り起こしてみたいと思うのである。そのような目で神話や伝説を読むと、じつにさまざまな人間の「生きざま」が、神の姿を借りて描かれていることに気がつく。――「はじめに」より -
「私の謎」は「人類の謎」につながる――左翼だった父、戦後文学者たちとの出会い、くじ引きで決まったアメリカ滞在、建築から哲学までに至る世界的知識人との交流、ある日突然「やってきた」交換様式論……現代日本の批評・思想を代表する哲学者の人生を彩るさまざまな出来事を振り返る。 メモワールにして柄谷思想への最良の入門書。朝日新聞好評連載を大幅増補のうえ書籍化!
「このインタビューを読み返すと、驚きと感慨を禁じ得ない。自分がこれまでたどってきた道が、偶然の連続であったことに思いいたるからである。そのなかにいるときには気づかなかったが、振り返ってみたとき、人生を決めるのは偶然であるとすら思えてくる。 私は、小学校に入ってから二年間、教室で口をきかなかった。そのような引っ込み思案な人間が、偶然の出会いが重なるなかで、自然と、日本のみならず外国でまで、著作を発表したり教えたりするようになっていったのだ。それは、努力したり目指したりして、実現したことではなかった。いわば、「向こうから来た」ことだった。」(あとがきより) -
本書は、「最後のローマ人」と評されるアニキウス・マンリウス・セウェリヌス・ボエティウス(475/77頃-526年頃)が生涯の最期に残した著作である。
ローマ貴族の家に生まれ、アテナイに留学したあと故郷で研究・執筆を行ったボエティウスは、プラトンやアリストテレスの著作をラテン語訳したほか、神学者としては三位一体論を扱う著作を書き、音楽の理論書である『音楽教程』(講談社学術文庫)を、数学の理論書である『算術教程』をものして、四学科(幾何学、算術、天文学、音楽)の基本的な体系を中世に伝えた。
プラトンの『国家』で語られる「哲人政治」を理想としたボエティウスは、政治家としても東ゴート王国のテオドリック王のもとで宰相の地位にまで昇り、510年には西ローマ帝国の執政官となる。しかし、コンスタンティノープルとローマ教会の首位権をめぐる抗争、東ローマ帝国と東ゴート王国の対立に巻き込まれ、叛逆罪の嫌疑をかけられてパヴィアに投獄、処刑された。本書は、獄中で処刑直前に書かれたものにほかならない。
散文と韻文が交互に配され、人格化された「哲学」との対話形式を採った本書は、中世には聖書に次いで読まれた著作として知られる。研鑽を積んできたギリシア哲学を土台としつつ、自身の悲痛な体験を背景に抱えながら、理性によって俗情を克服し、徳と善の中で生きる境地を示した本書は、古代哲学の倫理学的な美しさを今に伝える古典である。
本書の日本語訳は、これまで4種類を数える。その中で最も古いものが、スピノザの翻訳で知られる畠中尚志(1899-1980年)による1938年のものである。「旧字体・旧かな遣い」のままになっていたこの名訳を、「新字体・新かな遣い」にして、お届けしたい。今日の読者にとって読みやすくなる工夫を施すとともに、『畠中尚志全文集』(講談社学術文庫)で熱意あふれる解説を執筆した國分功一郎氏が再び解説を担当した本書は、最新の校訂・研究に基づく他の訳書が存在する中でも、唯一無二の価値を持ち続けるだろう。
[本書の内容]
第一部
第二部
第三部
第四部
第五部
ボエティウス――生涯・業蹟・文献
解 説(國分功一郎) -
すべては一匹の犬との出会いから始まった――。思いがけず犬を迎え入れることになった著者が過ごした、にぎやかで愛おしくも、ちょっぴり切ない日々を綴った哲学エッセイ。犬たちの他愛ないイタズラや、人生の転機、そして別れ……彼らとともに過ごすことで起きた大小さまざまな出来事を、英米哲学研究の第一人者でもある著者ならではのまなざしで描く。日常生活のすぐ隣に、こんなにも豊かな哲学の世界が広がっていることを教えてくれる。
「余は、大王のアレクサンドロスだ」という名乗りに「そして俺は、犬のディオゲネスだ」と答えた哲学者シノペのディオゲネス。「犬儒派」は、「キュニコス派」の訳であり、この紀元前4世紀ころの古代ギリシアの哲学者の名とともに知られている。犬儒派は価値の逆転を真骨頂とする哲学の潮流である。
「犬儒派」を宣言する本書は、ディオゲネスからさらに一歩進んで、犬の目線で世界を眺めることを提案する。
犬のまなざしで見ると、世界はどのような姿をしているのか。人間が動物とともに生きていくとは、どのような営みなのか――。哲学研究者である著者ならではのユーモアあふれる珠玉のエッセイ。
【本書の内容】
はじめに
序 哲学を選んだことの本意・不本意
第1章 しずかと牛若の日々
第2章 キュニコス派と犬儒派、そして「犬に酔える哲学」
第3章 「ハチ公物語」と犬儒派の哲学
第4章 犬儒派哲学への道のり
おわりに
文献表 -
海外でもっともよく知られる日本の思想家は、いかに生き、何をどのように考えたか。
対立と混迷が深まる時代だから、
いまこそ世界には「大拙」が必要だ!
世界にもっとも知られた日本人思想家は、いかに生き何をどのように考えたか。
青年期からの西田幾多郎との濃密な交流をひとつの軸として、その霊性に満ちた生涯をたどりながら、東西を統合する新たな文明創造を期した思想の核心を読み解く。
大拙の孫弟子でもある著者が、もっとも重要なポイントにしぼって平易に語る、現代人のための決定的解説書。
[本書より]
禅体験に基づく「超個の個」の宗教哲学は、キリスト教の伝統的な神を失った欧米の思想界に、今後ますます大きな影響を与えていくであろうと思っております。
実際、大拙は、禅ないし仏教等に現われた「東洋的な見方」を、主客二元分裂以後しか見ていない西洋の人々に、何とかして伝えようとしたのでした。その伝道活動が欧米の世界に大きな影響を与えたことは、まぎれもない事実です。その意義は、人類の地球規模の思想史の中の画期的な出来事として、正当に評価されるべきでしょう。
[本書の内容]
第1章 大拙の生涯と西田幾多郎との出会い
第2章 自由への気概──禅に基づく自由論
第3章 釈宗演老師への参禅──アメリカ渡航まで
第4章 衆生無辺誓願度の覚り──大拙と西田 日米間の交流
第5章 浄土教への接近──学習院から大谷大学へ
第6章 戦争への悲嘆──大拙と西田の憂国の思い
第7章 日本的霊性について──絶対無条件の大悲に包まれて
第8章 日本禅宗史への視点──盤珪禅への敬慕
第9章 大拙の禅思想 I ──「即非の論理」と「超個の個」
第10章 大拙の禅思想 II ─ただはたらいてやまない境涯
第11章 東洋と西洋──二元分裂以後と以前
第12章 日本の復興を願って──華厳思想に基づく民主的社会の提言
*本書は、2023年にNHK出版より刊行された、NHKラジオ「宗教の時間」通年講座ガイドブック『鈴木大拙 願行に生きる その生涯と西田幾多郎との交遊(上・下)』を合本し、増補改訂したものです。 -
なぜ僕は存在するのか?
なぜ悪いことをしてはいけないのか?
刊行から30年、世代を超えて読み継がれる名著の完成版!
「哲学は向こう側にあるのではない。哲学史の本の中に「哲学」として登場してくるものは、もう哲学ではない。向こうにある哲学を学ぼうとすれば、哲学した人の残した思想を読んで理解し、共感を感じたり反感を感じたりできるだけだろう。哲学はこちら側にある。自分自身の内奥から哲学をはじめるべきだ」
「問いの後に 哲学とは?」より -
「同じでいる力」――それこそが、カオスな世界で生きる技法。
困難な時代の希望の在処を示す、新しい人間の哲学!
〈自閉〉の力、すなわち「同じでいる力」・「反復する力」。モノや情報が氾濫し、目まぐるしく転変し続ける世界に無防備でさらされながら、それでも臨機応変・当意即妙な応答を要求される時代に、暫定的かつ局所的なテリトリーを構築し、自己および世界との関係を構成していくその力は、それぞれの困難を生きる私たちがそれぞれの仕方で実践すべき生存の技法ではないか――。
病理や障害を欠如として語るのでも、美化するのでもない、〈自閉〉の力への信に貫かれた、気鋭の哲学者による新境地。
[目次]
はじめに いまを生き抜くカナリア
第1章 現代の生の様態としての〈現前〉
第2章 無人島と他者なき世界
第3章 流れない時間
第4章 リトルネロ――テリトリーの構築と自己の構成
第5章 可能的なものの技法――非音楽的な建築術
おわりに それぞれの〈現前〉のなかで
あとがき -
本書は、20世紀を代表するドイツのユダヤ系思想家であり、フランクフルト学派の中心人物テオドール・ヴィーゼングルント・アドルノ(1903-69)の波乱に満ちた生涯と、その不屈の思想を丁寧にたどる決定版ガイドです。
フランクフルト・アム・マインに生まれ、哲学、社会学、心理学、音楽学を貪欲に学んだ早熟の天才アドルノは、わずか21歳で哲学博士号を取得。コーネリウスのゼミで終生の友人ホルクハイマーと出会い、戦後にフランクフルト「社会研究所」の所長に就任します。ここに集った研究者たちとともに形成されたのが、後に「フランクフルト学派」と呼ばれる思想潮流です。
ナチス政権下で教授資格を剥奪されたアドルノは、イギリスを経て1938年にアメリカへ亡命します。1949年に帰国した後、ホルクハイマーと共に社会研究所を再建、亡くなるまでその活動を続けました。
近代合理性の闇を暴き、西欧文明の自己批判を徹底したアドルノ。アメリカの大衆文化批判、反ユダヤ主義への応答、そして「新しい主体」や芸術と哲学の連帯を模索する彼の思想は、現実とのすさまじい緊張関係の中から生み出されるもので、安易な解釈を許しません。
本書では、音楽への情熱、クラカウアーやベンヤミンとの友情、ホルクハイマーとの共同作業など、その思想を育んだ生涯をたどり、主要著作『啓蒙の弁証法』『否定弁証法』『美の理論』の読解を通して、危機の時代に生きた知の巨人の核心に迫ります。アドルノ研究の泰斗による、最良の概説書です。
[本書の内容]
まえがき
プロローグ 肯定的なアドルノを求めて
第一章 音楽の揺りかご
第二章 星々の友情
第三章 否定弁証法のオリジン
第四章 亡命のオデュッセウス
第五章 理性の原史をたずねて――『啓蒙の弁証法』の射程
第六章 新たな「唯物論」へ――『否定弁証法』と「客観の優位」
第七章 『美の理論』の告げるもの
エピローグ パウル・ツェランとアドルノ
主要著作ダイジェスト
キーワード解説
読書案内
あとがき
学術文庫版あとがき
アドルノ略年譜
*本書の原本は、1996年に「現代思想の冒険者たち」第15巻として小社から刊行されました。 -
イスラームは天文学を必要とし、天文学はイスラームなくして発展し得なかった。
論証と幾何学により天文現象をモデル化しようとした古代ギリシアの試みは、2世紀エジプト・アレクサンドリアのプトレマイオスに受け継がれ、その主著『アルマゲスト』において、天動説による宇宙モデルはひとつの完成を見た。
しかし、その後のローマ帝国において人々が必要としたのは、天文学という知的探求そのものではなく、占星術とホロスコープであり、星々の位置を定める手段のみであった。ギリシア科学やプトレマイオスによる幾何天文学を展開・発展させる者がヨーロッパ世界において現れるのは、コペルニクスの登場まで待たねばならなかった。
だが、地動説を打ち立て天文学のみならず科学を大きく転回させたコペルニクスは、明らかにプトレマイオスの天文学を受け継いでいた。7世紀には断絶を迎えていたはずの幾何天文学は、16世紀のコペルニクスまで、いかにしてたどり着いたのだろうか。
実は『天球回転論』では、サービト・イブン・クッラ、バッターニー、ザルカーリー、イブン・ルシュド、ビトルージーらイスラーム世界の学者への言及がされている。コペルニクスは、イスラーム地域の天文学者たちの成果を、参照すべき先人の業績とみなしていたのである。
イスラーム世界、とりわけアッバース朝では、それまでのペルシアの伝統を受け継ぎ、翻訳事業を振興し、占星術を重視した。他方で、異教徒との議論において自らの教義の正当性を揺るがぬものとするため、世界の仕組みについての合理的な説明を厳密に組み立てる「論証」が求められた。そうした要請のもとイスラームの学者たちは、古代ギリシアやインドの知的達成に学び、その中でプトレマイオスは再発見されたのである。さらに彼らは、天体モデルの整合性を追究し、観測結果に基づいてプトレマイオス天文学の修正を目指し、より厳密な幾何天文学を構築しようとした。その集大成を、地動説という形で成し遂げたのがコペルニクスだったのである。
コペルニクスの登場が近代天文学、ひいては近代科学の始まりであるとするならば、イスラームによる天文学研究は、近代科学の礎となる重要な活動であったと言える。
本書は、イスラーム世界において天体への考察が科学として磨き上げられていった歴史を、簡明かつ鮮やかに描き出すものである。
*本書の原本は、2010年に岩波科学ライブラリーより刊行されました。 -
手っ取り早く自分を変える「服捨て」の極意をこの一冊に。
ゴチャついたクローゼット、本当はやめたいのに続けている仕事、探しても探しても見つからない“やりたいこと”......。実はそれ、全部つながっています。
全部を一気に解決させる最強の方法は、ただ、「服を捨てる」こと。
「これを着ていれば褒められそう」「あの人のおすすめだから安心」など、服は自分ではなく他人に重きを置いて選びがちなもの。また、世間や親から刷り込まれた「こうすべき」が、無意識に反映されるものでもあります。
「服捨て」とは、知らず知らずのうちに他人に明け渡した人生を、自分に取り戻す作業そのもの。捨てれば思考が変わり、行動も勝手に変わっていくのです。
重版8刷の大反響を得た体験記『1000枚の服を捨てたら、人生がすごい勢いで動き出した話』の著者が、自分を解き放ち本当の望みを実現させる「服捨て」メソッドのすべてをお伝えします。
【目次】
第1章 「服捨て」とは何か
第2章 なぜ捨てられないのか
第3章 現状を選んでいるのは自分
第4章 捨てる服、残す服、入れる服
第5章 自分の本音を見つける
第6章 「服捨て」したら、世界の見方が変わっていく -
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不自由な身体と盲目の修道女が、口述筆記で遺した神秘体験の記録。神との合一を女性神秘家の豊かな感受性が内的メッセージとして伝える。
【目次】
凡例
序
第一巻
一 愛とお妃との会話
二 三つのペルソナと三つの賜物について
三 魂の乙女たちと愛の仕打ちについて
四 魂は参殿し、神が姿を現すこと
五 地獄の苦しみと恵みについて
〔略〕
第二巻
一 愛は魂に高みを造り、それはわがままを押し通して超人的な努力をしても及ばないこと
二 愛の中で見た人を歌う愛の二つの歌
三 神の舌。真理の光。九つの隊を射抜く神の四本の矢。三位一体。聖母マリアについて
四 哀れな賤女について。洗礼者ヨハネのミサについて。ホスチアの小羊への変容について。天使の美しさについて。四人の聖人について。金貨について
五 魂の神への五つの歌。神が魂の晴れ着であり、魂が神の晴れ着であること
〔略〕
第三巻
一 天の国について。天使の九つの隊について。空白を満たす者。使徒たちと聖母マリアとキリストの座る玉座について。ドミニコ会修道士と殉教者と乙女たちへの褒美について。未洗礼の子供たちについて
二 魂が神に捧げる七つの賛歌。膏薬。躊躇
三 魂が小間使いであるという嘆き。神の愛について
〔略〕
第四巻
一 五つのものを純粋な乙女はもつべきである
二 本書は神から下された。魂は多くのことで讃えられること。魂には二人の天使と二人の悪魔が与えられること。彼女と一二の徳が肉と戦うこと
三 罪ある者たちは神から抜け落ちる。知恵の三つの贈り物について。岩について。乙女たち、つまりキリスト教への賛美について
〔略〕
第五巻
一 三つの悔い改めについて。一〇の効用について。天使の道と悪魔の道について
二 二つの苦悩について。四つの効用について。罪の大集団について
三 神は罪なく得たすべての苦しみと三人の血を秤にかける
〔略〕
第六巻
一 修道院長や女子修道院長、またはそれ以外の長は弟子たちにどのように接するべきか
二 ある司教座教会参事会員への規則について。彼がどのように行動すべきか。これは神が定められたことである
三 神は権威を授ける。ヤギが羊に変容すること
〔略〕
第七巻
一 主イエス・キリストが最後の審判の後に受ける王冠と王位について
二 万霊節にすべての魂のために祈ること
三 謙虚な畏れで絶えず心を見つめることの効用について
〔略〕
訳註 解説 あとがき 文献目録 索引(人名/用語)
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中世哲学研究のみならず現代哲学や古代哲学研究にとっても第一級の原典を、正確な訳文にくわえ古代哲学とスコラ哲学、同時代の影響関係などを踏まえた詳細な註を付して、世界でも初めての完全な現代語訳として提供する。中世哲学の場から古代へ更には現代へと新たな光を放つ画期的訳業の冒頭を飾る本巻は、具象語と抽象語、概念、類と種、実体と質量など言葉・普遍・範疇について論じる第1部43章までを収める。
【目次】
語の区分(語の定義とその区分(総論)
語の区分。「語」という名前は、様々な仕方で解されうる(各論) ほか)
普遍は心の外のものではない―スコトゥスに対する反駁(互いに対立する、「普遍」と「個」という普通名辞について;普遍は心の外のものではない ほか)
五つの普遍―ポルピュリオス『イサゴゲー』の註解(五つの普遍。それらで充分であることについて;普遍のもとに含まれる個について ほか)
論理学者の用いる語(定義について。定義は、幾通りの仕方で言われるのか;「記述句」という名前について ほか)
範疇―アリストテレス『範疇論』の註解(「範疇」という語について;範疇の数 ほか)
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皇帝の側近にまで上り詰めたプルデンティウスは、晩年厳格な禁欲生活を入り、宗教詩、教訓詩、論争詩、賛美歌集、抒情詩を多く遺した。
初期キリスト教最大のラテン詩人プルデンティウスは、聖アウグスティヌスのように青年時代を放縦な生活を過ごしたが、50代になって神の御前に無益だった生活を後悔し、それによって、異教と戦い、信仰・道徳を擁護し、昼夜神を賛美し、偶像の祭壇を粉砕し、殉教者・使徒を讃えた。この詩作品を粗末な土器にたとえ、このような土器でも神の家の片隅に置いてくださるようにといってささげた。
(古代・中世教父の伝記・書館を集めた「ミーニュ教父全集」より編集した。)
【目次】
カテメリノン「日々の賛歌」
序論
内容
意義
本文
序(プルデンティウスの詩全体の)
第一歌 鶏鳴時の賛歌
第二歌 早朝の賛歌
第三歌 食前の賛歌
第四歌 食後の賛歌
第五歌 点燈の賛歌
第六歌 就寝前の賛歌
第七歌 断食の賛歌
第八歌 断食後の賛歌
第九歌 毎時の賛歌
第十歌 死者埋葬の賛歌
第十一歌 ご降誕の賛歌
第十二歌 ご公現の賛歌
注
プシコマキア「霊魂をめぐる戦い」
序論
内容
序
本文梗概
本文
序
一 信仰と偶像崇拝の戦い
二 純潔と情欲の戦い
三 忍耐と憤怒の戦い
四 謙遜と傲慢の戦い
五 節制と快楽の戦い
六 慈善と貧欲の戦い
七 和合と不和との戦い
注(本文中*印を附したものに行数を示して注をつけてある)
解説
プルデンティウスの生涯
プルデンティウスの著作
プルデンティウスの著作年代
プルデンティウスのテキスト
むすび
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「トマスの『スンマ(神学大全)』を読み進んでゆくうちに、私は、いわゆる「がある存在」といわれる「存在」(エクシステンチア)は、トマスが神の本質と同じであるという「存在」(エッセ)とは、別のものではないだろうかという疑問をいだくようになってきた。そのような疑問が心に浮かんだのは、『スンマ』の神の存在論証の箇所を読んだときである。そこでトマスは、神の存在、すなわち「神がある」ということは理性によって証明できるとはっきりいっている。他面トマスは、神において存在と本質は同一であるといっている。それゆえもしこの存在が、「神がある」と言われる場合の存在と同じものであるとしたならば、当然、存在と同意なる神の本質も理性によって認識される筈である。しかるにトマスは別の箇所においては、神の本質は絶対に認識できないといっているのである。これはあきらかな矛盾ではなかろうか。この矛盾を解決しようと思うのならば、神においてその本質と同一視される存在(エッセ)は、いわゆる「がある存在」としての存在(エクイスシテンチア)とは別のものであるとしなければならない。トマス自身、神の存在が理性によって証明されるか否かを論じた箇所において、神の存在(エッセ)が不可知であることを根拠として「神がある」ことを論証できないと主張する説を、一つの異論として提示している。それに対するトマスの解答をみると、たしかに「存在の現実態」としての神の存在は人間の理性認識を超越するが、「神がある」という命題が真であることは、結果の存在から原因の存在を推定するア・ポステオリな論証によって証明できるのであるという。・・・
しかしながら私はついに、この問題について単に「疑問をいだく」にとどまらず、断定を下さざるをえないところまで到達した。」
【目次】
まえがき
一 エッセの探究
二 存在とエッセ
三 神の存在とエッセ
四 神の内在と超越
五 存在と本質
あとがき
人名索引
文献表
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京都学派四天王の一人の著作集。ハイデガーに師事し、ドイツ哲学を学び、のちに禅に立脚した独自の宗教哲学を展開した著者の著作集。
【目次】
第一部 宗教と文化
ニイチェのツァラツストラとマイスター・エックハルト
一 ニイチェに於ける生の根源性
二 エックハルトに於ける生の根源性
三 宗教的生と實證的精神
宗教・歴史・文化
一 宗教と歴史と文化との聯關
二 宗教に於ける三つの立場
三 宗教的生の構造
四 近世に於ける人間自主性の立場
五 信仰主義の立場。理性と信仰の對立
六 絶對無の立場。理性と信仰の統一
七 宗教に於ける自然性。辯證法の辯證法。純一の行
八 辯證法に於ける生と論理。文化と宗教
近代意識と宗教
一 文化人と宗教
二 宗教と原自然性
三 近代の人間中心主義
四 宗教的人格性
五 絶對的否定即肯定の働き
近世歐羅巴文明と日本
一 現代歐羅巴のエトス的雰圍氣
二 近世初期の精神
三 近世中期の精神
四 近代精神
五 ヒットラー運動の精神
六 日本の精神
第二部 歴史と自然
道徳に於ける時代性と恆常性
一 道徳に於ける困難
二 行爲の質料性(技術的行爲)
三 カントに於ける「人間性」の理念
四 行爲に於ける質料と理念
五 理念の歴史的事實性。道徳と宗教
六 道徳に於ける時代性と恆常性
歴史的なるものと先天的なるもの
一 アプリオリに關する種々の立場
二 歴史主義。相存と現存
三 歴史的現實在の根源としての人間存在
四 根源の要求
五 原動性即形式としてのアプリオリ
六 實踐辯證法的「中」としての根源の要求
人間解釋の類型性とその意義 歴史認識論の一つの試み
一 人間解釋の類型性
二 類型的解釋の特質
三 解釋の立場の限界
四 實踐的認識。解釋的操作の意義
生に於ける個別と一般
一 生きものと生命
二 個別者そのものとしての一般
三 種としての一般
四 個別性と一般性の生命的不二とロゴス的不一
五 類的生命と有自體
六 無の隱蔽的現前としての自我性と意識界
七 概念、判斷、推論、知的直觀。「もの」即無
八 精神的生に於ける個別と一般(道徳、藝術、宗教)
後記
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宗教の「本質と根拠」を課題として一貫して研究した。実証的研究と哲学的研究の総合に取り組んだ宗教哲学者の著作集。また、著者は東北地方のオシラさま、巫女、行者の研究にも取り組み、機能人類学の知見も研究に取り入れた。
【目次】
編集によせて
目次
序
第一章 問題の所在と取扱い方
一 実相論所顕の端的
二 研究上の態度及び用意
第二章 諸法実相の所在と在りよう
一 主体化の究極 在るものの在りのままなる極処
二 心の問題 三法無差に就いて
三 実相の所在と妙
第三章 教法及び教相の問題
一 具成せられたる実相の境地とその説示とのひらき
二 方便の問題
三 教相論
第四章 諸法実相の開顕
一 実相と三諦
二 一即一切の極相 三千の法相
三 とくに十界互具に就いて
四 三世間論
第五章 諸法実相の唯心論的解釈とその吟味
一 宋朝天台における観境に関する論争とその吟味 とくに源清、宗■(日に立)、慶昭の所論を中心として
二 智円、仁岳の観境論
三 知礼の発揮
第六章 天台止観の特質
一 天台止観の種類と意義及び結構
二 止観の行儀
三 謂わゆる「頓々止観」の主張とその吟味
第七章 観法に関する論争の吟味
一 三種観法に就いて
二 事理二観の観法に就いて
第八章 不思議境観
一 約行正観の終始 とくに修観における二境及び境観の関係
二 不思議境観
横川法語 目次
はしがき
恵心僧都
本文
宗教的人間
人間に生れたるよろこび
本願にあう
現実の肯定
解説 (山折哲雄)
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関西学院理事長、箕面自由学園園長を歴任した教育学の理論家であり実践家である著者が、子どもと親にむけて、幸福とはなにか、よい教育とはなにかを説いた著作。時代を超えて読み継がれるべき書である。
【目次】
校長通信 父母へ
箕面自由学園校長となって
体力気力の養成
現代教育の問題点
古武弥四郎先生に学ぶ
一歩一歩と積み上げる
学園と共に生きる
人から認められて伸びる
美しい礼儀を育てたい
悪の芽は初期につみたい
謙虚に学び、真理に服する
古木家に学ぶこと
寄宿舎完成にあたって
寄宿舎の運営
日本人の社会道徳
幼少時のしつけを考える
自分の歴史をつくる
一人ひとりの中によきものを見出す
独立人を育てたい
被害者にも加害者にもならないように
家庭教師の是非
あたたかな心をもった生徒たち
ある小学生の夏休み
民主主義とヒューマニズムの教育
『自由と規律』に学ぶ
学園を「心のふるさと」として
卒業生河盛成夫さんのこと
過保護の問題
深くこの人生を愛すること
家庭の教育と父親の役割
テレビ・勉強・あそび
道徳的背骨のある家庭
ある交通遺児の作文を読む
新年の賀状から
校長通信 生徒へ
この夏をどう送るか
二人の投手から学ぶ
長い目で人間を見る
私も弱い人間
一日一日のたたかい
四年間の高校生活
やめないでがんばる
悲劇を重ねないように
自由について
思うようにならない人生
日記を書くこと
いま自分を鍛えてほしい
性の問題
先生の目を見つめる
父の労苦にこたえうるか
人間の幸福と人間の教育
中学時代・高校時代をどう送るか、どう送らせるか
悔いなき青春、悔いなき人生
教育について思うこと
一隅の教育者の自叙伝
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古代のキリスト教が神学として体系化して行く過程を、 ギリシア哲学を摂取し、再解釈して行く過程としてとらえた書である。
本書は、 9つの章と1つの補論で構成されており、論文集で以下の内容を収録している。
1. フィロンの歴史的背景
2. ギリシア哲学へブル起源説
3. 創造と数
4. テロスと神
5. 創造と悪
6. 創造と必然性
7. 自愛と他愛
8. 初期クリスト教とギリシア哲学
9. 「輪廻転生」と「復活」
補論『テイマイオス (28B 7 ) 解釈史ノート。
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第一回大宅壮一ノンフィクション賞受賞作! 太平洋戦争下、ニューギニア戦線の死闘のなかに探り取られた「人間」とは?
【目次】
第一部 序幕
1 座礁
2 遺書
3 原始林にて―ウエワク―
4 桃源境
5 危機のかげに
6 ゴム林にて―マダン―
7 出撃
8 光と闇
9 狂乱
10 会戦―フィンシハーフェン―
第二部 転進
1 ガリの転進―第一次山越え―
2 続転進―第二次山越え―
3 原隊復帰
4 彷徨
第三部 人と人
1 戦場の倫理
2 自然児とともに
3 人を愛するということ
4 暗い山小屋
5 ある兵の死
6 ピァビエの韜晦
7 Y軍医という人
8 M伍長の死
9 わが墓穴
10 アユスの周辺
11 T曹長の死―土民の反撃―
12 生死の岐路
13 極限におけるエゴ
14 裸の「人間」
第四部 戦野
1 幾山河
2 孤愁
3 爆撃
4 時空の間際
5 死の影
6 飢餓
7 奈落
8 逃亡
9 危し「人間」
10 指揮官
第五部 自然と人間
1 雨
2 蚊と蟻と
3 極楽鳥
4 舞踏
5 安息のなかに
6 信仰
7 「タロ」とサクサクと
8 大酋長
9 土俗寸描
10 ことば・言霊
11 たばこ・ウィスキー
12 いのちと豚と
13 子どもの世界・女の一生
14 信号
15 倫理
16 流れる雲と
第六部 終戦
1 玉砕宣言
2 流言
3 戦争と人間
4 処刑
5 髑髏隊
6 武装解除
7 配流―ムッシュ島―
8 奴隷
9 人間模様
10 自由
11 帰鳥
12 権威と秩序
13 二人の老人―浦賀港―
14 浦賀検疫所
15 召集解除
16 廃墟―広島―
あとがき
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高度成長期を迎える時期に、日本と欧米の教育の違いを検証し、あるべき日本の教育を考える。戦後日本の教育史の貴重な資料でもある。
【目次】
はしがき
一 歐米の教育と日本の教育
二 資本主義と社會主義
三 空の旅
四 日本と西洋
五 バンコックより歸りて
六 日教組は革命團體なのか
七 ポール・ブールジェの思想と文學
八 テオドール・リップス著「倫理學の根本問題」
九 チャールス・エイ・ビーァド著「ルーズベルト大統領と一九四一年の開戰」
十 日本の青年と教師に寄せる
十一 アメリカのある少年キャンプ
十二 教會と食堂
あとがき
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美とはなにか? 芸術とは何か? 哲学的・美学的な視点から、「美」を捉え直す力作。
【目次】
序論 美の構造的特質の解明
美学への警戒 美学以前 美の探求と問い【略】
第一篇 美の探求における意識の問題
第一章 美的判断と意識の問題
カント哲学における第三批判の位置 美の探求における美的判断の性格【略】
第二章 美的意識と意識の問題
カントにおける美的判断と美的芸術との関係への省察 コーエンのカント美学の基礎づけの問題点【略】
第三章 美的事象の根拠としての意識領域
美的事象の根拠づけの要求 主客連関の事態より意識領域へ 意識領域における生起 美的事象への意識領域の機能【後略】
第四章 美的観照と意識の問題
第一節 美的観照における作用と態度
観照的態度 自然観照の記録 美的観照の心理としての感情移入説 リップスの説の特性【略】
第二節 美的観照の成立根拠
自然観照と芸術観照 美的観照の心理的事項 美的観照の成立についての問い フォルケルトの美的意識の説明【略】
第二篇 美の探求における現象の問題
第一章 美の生起と現象
第一節 美の生起とその条件
美は既成のものであるか 通俗の見解及び在来の美学への反【略】
第二節 美的事象の現象関係
美の生起と美の所与方式 デューイにおける美及び芸術と現実との関係 美的事態より美の生起への局面の展開 ヘーゲルにおける人間存在の現実の処理【略】
第二章 美的現象の設定
第一節 現象・存在・意識
生起の局面における存在賦与 シェリングにおける差別的現実への無差別の展相の作用 無差別化による美的現象の出現 ベッカーの関心の切断と喚起の同時性【略】
第二節 現象様態と現象構造
美的現象の時間性 ベッカーの芸術的企投の達成としての永遠の今 現象性の形成におけるクツニツキーのホリツォント 存在の反映と美的世界としての現象【略】
第三篇 美の探求における意味の問題
第一章 美的価値体験の反省
オーデブレヒトの意識領域における美的体験の成立の説 対象体験としての美的体験 領域的意識のノエマ的客体の形成 美的価値の非享受性と領域的土台づけ 美的領域についてのカント及びコーエンの見解【略】
第二章 意識の問題と現象の問題
美の探求における二つの根源的な問い 意識の問題と人間存在との関係【略】
第三章 意味の問題の特性
人間存在への意味の問い ハイデッガーの現存在の存在論的考察【略】
第四章 美的事象の意味構造
人間存在の心情性としての不安 それよりの脱出 サルトルの人間存在に基づく意識の説【略】
あとがき
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