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『思想、講談社(実用、新書)』の電子書籍一覧

1 ~60件目/全1011件

  • シリーズ2冊
    8691,045(税込)
    著:
    東浩紀
    レーベル: 講談社現代新書
    出版社: 講談社

    注目の批評家による画期的論考!! 物語からデータベースへ。オタクたちの消費行動の変化が社会に与える大きな影響とは? 気鋭の批評家が鋭く論じる画期的な現代日本文化論!
  • 香りで読みとく『源氏物語』──薫物から源氏香まで、平安王朝の雅びへと誘う一冊

    平安の宮廷に漂う、ほのかな香の余韻。仏教の隆盛とともに渡来した薫香は、平安初期には宮廷や貴族の邸宅へと浸透し、王朝文化の一端として定着していきました。『源氏物語』が生まれたのは、まさにその文化がもっとも成熟した平安中期。文字、絵画、音楽、建築、造園といった芸術が形式美の極みに達し、「雅び」という美意識が時代を彩っていた頃です。
    香りは、そうした「雅び」を構成する、もっともとらえ難く、それゆえもっとも重要な要素のひとつでした。衣にたきしめる「衣香」、紙にうつす香り、室内にただよわせる「空薫物」、仏前にそなえる「名香」など、香りは日常の中に息づき、身分や教養、個性を表現する手段でもありました。後年、こうした香りの文化は、香道において「源氏香」に結実していきます。

    『源氏物語』において、香りは登場人物の心の揺らぎや人間関係の機微を伝える鍵として巧みに用いられています――
    ふと漂う香りから光源氏の訪れを察し、動揺する藤壺。
    落ちぶれてもなお、稀有な香木の香りをまとう末摘花の高貴さ。
    薫君の移り香を中君がまとっていることに気づき、ふたりの関係を疑う匂宮。
    護摩の芥子の香りから、自らが生霊となっていたことを悟る六条御息所。
    「光る君」の二つの面をそれぞれ継承した「匂宮」と「薫君」のまとう香りの違い。

    本書は、香りの描写から『源氏物語』の奥深い世界を繙いていきます。『源氏の恋文』『新訳源氏物語』全四巻など源氏関連の著作を多数執筆し、香道研究に従事して『香道蘭之園』の校訂・解題も手がけた著者による、珠玉の一冊。(解題:毬矢まりえ、森山恵)

    [本書の内容]
    序にかえて――源氏物語と薫香

    源氏の世界と香り
    薫香への道程
    六種の薫物
    たきもの拾遺
    匂宮と薫君
    「源氏香」について

    朝日選書版あとがき
    『薫集類抄』(群書類従版)より
    参考文献一覧
    解題 毬矢まりえ、森山恵

    本書の初版は、1986年に求龍堂から出版されました。文庫化にあたっては、1992年に朝日選書として朝日新聞出版より刊行されたものを底本としました。
  • 物語はなぜ苦しいのか?「物語」が過剰に要求される現代社会で、「人生とはかくあるべきだ」という押しつけに抗う。
    新進気鋭の美学者による「次世代の哲学」。

    【推薦の声、続々!】
    〇永井玲衣氏(哲学者・『水中の哲学者たち』『世界の適切な保存』)
    わたしたちは何のために哲学するのか。
    それは、もっと世界に出会うため、もっと広々とした場所に行くため、もっと可能性にめまいをおぼえるためなのかもしれない。難波さんは、考えれば考えるほど、自由になっていくみたいだ。

    〇田村正資氏(哲学者・『問いが世界をつくりだす』「あいまいな世界の愛し方」『群像』)
    ずっと、アイデンティンティを見つけなければと思っていた。
    でも、アイデンティティという名の物語に囚われていただけだったのかもしれない。難波さんの本はそんな僕に「世界を見くびるな。そこから出てこい!」と語りかけてくれる。

    【抜粋】
    清涼飲料水の広告の少女はいつもドラマティックな青春を謳歌しているし、「推し」はファンの期待した筋書きどおりに振る舞うし、就活面接では挫折経験を「美談」として語らねばならない。
    私は端的にこう思う。何かがおかしい、と。

    人々はあまりにも強い物語の引力に引き寄せられて、もはや物語に支配されつつあるのではないか、と私は危惧し始めた。
    だから、私はこれから、物語に対抗したいと思う。何かしらの物語が私たちの幸福を奪うのだとしたら、もはやそんな物語は廃棄されるべきだろう。私はよき物語を愛している。それゆえ、物語を批判したいと思う。愛するということは、支配されるわけでもなく、支配するわけでもなく、独特のバランスのなかで惹かれ合い、反発し合うことなのだと考えている。

    第一部の「物語篇」では、物語化の持つ魔力と危うさを論じていく。第二部の「探究篇」では、物語の危険を避け、物語を相対化できるような思考を「遊び」を手がかりに探索していこう。その中で、改めて物語との向き合い方がみえてくるはずだ。
    物語化批判、そして、遊びの哲学を始めよう。

    【内容紹介】
    〇 誤解を生む「自分語り」(第1章 物語批判の哲学)
    〇「感情的だ!」という批判をする人こそ、実はもっとも「感情的」(同上)
    〇 アイデンティティは服のように「着替えられる」(同上)
    〇 人生を「攻略」しようとする人が陥る「視野狭窄」(第2章 ゲーム批判の哲学)
    〇 なぜ人は「考察」と「陰謀論」にハマってしまうのか(第3章 パズル批判の哲学)
    〇 真のギャンブラーが欲しいのは「お金」ではない(第4章 ギャンブル批判の哲学)
    〇 残酷だけど創造的な「おもちゃ的生き方」(第5章 おもちゃ批判の哲学)
  • ◆◇自由に生きるって、こういうことなんだぜ!◇◆

    儒教の権威が失墜し、政治社会が揺れ動くアナーキーな魏晋時代、自由闊達な思想が炸裂した!
    詩を詠み、議論を戦わせ、楽器をかき鳴らし、そして心ゆくまで痛飲し、葛藤を抱えながら己の思想を貫こうとした彼ら。
    権力に睨まれ刑死した者あり、敢えて世俗にまみれた者あり、いずれも激烈に生きたその群像を、シャープな筆致で簡明に描ききる!

    中国史、中国思想に興味のあるものならば、「竹林の七賢」と彼らがおこなった「清談」というものについて、強い印象がのこっているだろう。
    しかしながら、彼らがどのような背景をもつ思想家で、どのような知的交流をしたのか、具体的なことを知っているだろうか?
    政治・社会が流動し価値観が変わりゆく時代にあって、それぞれの切実さをもって己の思想を生きた彼らは、いずれも「世俗を離れた、純粋な知的探求者」という一面的な見方ではとうてい捉えきれない思想家たちであった―
    彼らの人間くさい生き様と、為した仕事のエッセンスを知る、とてもコンパクトで、楽しい一冊。

    【本書「はしがき」より】
    七人の人物が「竹林の七賢」という一つのグループにまとめられはしたものの、そのなかにはさまざまのタイプの人間が含まれていて実に個性豊かである。それだけではなく、一人の人間についても、その性向と行動とが一見すると矛盾するかのように思われる場合すらないではない。その点においてもまた、儒教が唯一絶対の価値の源泉であった漢代とは異なって、価値が多様化した魏晋の時代の一つの指標をみとめることができるのだが、「竹林の七賢」の面々は、ある場合には文学作品や哲学論文によって、ある場合にはそのライフ・スタイルによって、それぞれに強烈でしたたかな自己主張を行なったのである。

    *本書の原本は、1996年に『風呂で読む 竹林の七賢』として世界思想社より刊行されました。
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    100ページで教養をイッキ読み!
    現代新書の新シリーズ「現代新書100(ハンドレッド)」刊行開始!!

    1:それは、どんな思想なのか(概論)
    2:なぜ、その思想が生まれたのか(時代背景)
    3:なぜ、その思想が今こそ読まれるべきなのか(現在への応用)

    テーマを上記の3点に絞り、本文100ページ+αでコンパクトにまとめた、
    「一気に読める教養新書」です!
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    ショーペンハウアー

    苦しみに満ちた人生を、いかに生きるべきか。
    欲望を原動力とした現代社会の歪みが、生きづらさに拍車をかけている。
    苦悩や葛藤から自由になる道を考え抜いた哲学者が導く「生きるヒント」とは。

    叱咤激励、小気味よいアイロニー。
    人生の悩みに効く「求道の哲学」と「処世の哲学」。


    【本書の内容】

    ●幼少期に目撃した人間社会の「生の悲惨さ」
    ●世界は「にせもの」なのかもしれない
    ●欲望から自由になるための「意志の否定」
    ●<悪>から私たちを解放する「共苦」と「芸術」
    ●日本の若者たちに刺さった「青春の哲学」
    ●人付き合いは「仮面をつけた化かし合い」である
    ●欠点は隠すよりも見せたほうがよい
    ●「生まれてこなければよかった」反出生主義に対する「救済の道」

    ……ほか
  • 501(税込) 2026/5/14(木)23:59まで
    著:
    蔡志忠
    訳:
    和田武司
    監:
    野末陳平
    レーベル: 講談社文庫
    出版社: 講談社

    ※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。

    マンガで読む「おもしろくてわかりやすい」中国の思想シリーズ第二弾!
    乱世の春秋戦国時代に、超然として心穏やかに自由に生きることを説いた荘子と老子の思想が、現代人の閉塞した心に突き刺さる!
    ※この商品は紙の書籍のページを画像にした電子書籍です。文字だけを拡大することはできませんので、タブレットサイズの端末での閲読を推奨します。また、文字列のハイライトや検索、辞書の参照、引用などの機能も使用できません。
  • トランプ大統領をはじめとする「ポピュリスト」の跋扈、旧社会主義諸国および中国など権威主義国家の台頭など、近年の世界の政治状況は、民主主義という制度の根幹を揺るがすかのような観を呈しています。日本の状況を見てみても、現行の政権が「民意」の正確な反映、すなわち「民主主義的な」政権だといわれると、頸をかしげる人も少なくないのではないでしょうか。はたして民主主義はもう時代遅れなのか? それとも、まだ活路はあるのか? 
    それを議論するためには、まず何よりも、民主主義とは、そもそもどのような制度なのかを「正しく」知らなければならないでしょう。今では自明視されている「民主主義」という制度ですが、人が創ったものである限りそれもまた歴史的な制度として、さまざまな紆余曲折を経て現在のようなものになったのであって、決して「自然」にこのようなになったわけでではないのです。
    そこで本書では、ギリシア・アテナイにおける民主主義思想の「誕生」から、現代まで、民主主義という制度・思想の誕生以来、起こった様々な矛盾、それを巡って交わされた様々な思想家達の議論の跡をたどってゆきます。その中で、民主主義という「制度」の利点と弱点が人々にどのように認識され、またどのようにその問題点を「改良」しようとしたのか、あるいはその「改革」はなぜ失敗してしまったのかを辿ることにより、民主主義の「本質」とは何なのか、そしてその未来への可能性を考えてゆきます。
    またあわせて、日本の民主主義の特質、その問題点についても分析してゆきます。
    民主主義という思想・制度を知るための、平易な政治思想史の教科書としても最適です。
  • 847(税込)
    著:
    南直哉
    レーベル: 講談社現代新書
    出版社: 講談社

    普通「仏教入門」と言えば、広汎にして複雑な仏教の思想・実践の体系、そしてその変遷の歴史などを、要領よく整理して大方の便宜に供する、という書物になるだろう。ということを十分承知の上で、今私が提出しようとしているのは、著しく個人的見解に着色され、偏向極まりない視点から書かれた入門書である。私はこれまで、仏教の思想や実践について、何冊かの本で自らの解釈を述べてきてはいるが、それを全体的にまとめて読める書物は出していない。そこで、ここらあたりで、自分の仏教に対する考え方を見渡せるものを作っておきたいと思った、というのが本書上梓の正直な理由である。しかし、これは要するに自己都合である。そこで、あえて読者の益になりそうなことを述べさせてもらえば、仏教を「平たく」解説する本などは、ずっとふさわしい書き手が大勢いるはずで、私に書かせても役にも立たないし、読んで面白くもないだろう。さらに言うと、およそ「平たい」記述など、私に言わせれば幻想にすぎない。すべては所詮書き手の見解である。ならば、本書ではその「見解」の部分を極端に拡大して、読者の興味をいくばくか刺激し、仏教をより多角的に考える材料を世に提供できたなら、そのほうが私の仕事としてふさわしいのではないか。こう愚考した次第である。(「はじめに」より)
  • 私たちの身体と心には、まだ開発されていない能力が無数にある。しかし、それは「学習」では開発できない。発達をリセットして、能力を形成すること。それは「名詞」ではなく「動詞」の経験であり、そのためには実際にやってみるのが唯一の方法である。本書では、オートポイエーシスの第一人者として知られる著者が、一人でもできるエクササイズを数多く紹介している。これらを実行したその先には、未知の自由が待っている。
  • 「『空虚な承認ゲーム』をどう抜け出すか。その『答え』ならぬ『考え方』を教える本書は、規範喪失の時代における希望の書である」(斎藤環氏)。現代社会に蔓延する承認の問題を真正面から捉えた注目書! 私たちを覆う「生きにくさ」の本質に迫る。
  • ※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。

    シリーズ『現代思想の冒険者たち』(全31巻)の月報に連載された好評4コマに、大幅に増補して刊行、ベストセラーとなった傑作が、ついに文庫化。マルクス、ニーチェから、フーコー、デリダ、エーコ、ハンナ・アレントまで、34人の思想家を笑い飛ばす! 思想のエッセンスを直観的に汲み取り、笑いに変えてしまう「いしいワールド」のエネルギーに、哲学者たちも毀誉褒貶。これは現代思想の「脱構築」か?哲学に対する冒涜か?
  • ハンナ・アレントの主著が『全体主義の起源』であることに異論はない。ところが、全三部から成るこの大著を愚直に読み、その構成や論の展開を跡づけた研究は今日に至るまで存在していない……。邦訳書が改訂を加えられたドイツ語版を底本とする中、本書は初版である英語版を順序どおりに精読する試みである。ナチズムとスターリニズムという20世紀がもたらした最大の謎にして災厄に取り組んだ大著の全容が、ついに明らかになる。(講談社選書メチエ)
  • 「私が私であること」「他者が存在すること」がわからなくなるという、多くの人が幼児期あるいは少年期に体験する「独我論的体験」。フッサール心理学はそれを正常な発達過程の一階梯ととらえ、その体験の内的構造を分析すべく現象学を援用して練り上げられた技法である。
  • 1,430(税込)
    2026/5/13 (水) 配信予定
    著:
    渡辺研二
    レーベル: 講談社学術文庫
    出版社: 講談社

    ヒンドゥー教や仏教と並ぶインドの伝統宗教、ジャイナ教。
    古代インドで仏教とほぼ同じ時代・地域に誕生したこの宗教は、やがて世界宗教としてインドから世界に広がっていった仏教とは異なり、いまもインドの地に深く根を下ろし、約2500年にわたりインドの文化や経済に大きな影響を与え続けている。
    「ジナ(輪廻から“勝利した者”)の教え」を意味するジャイナ教は、紀元前6ー5世紀ごろ、24人目のジナとされるマハーヴィーラという祖のもとで、反バラモン主義運動として興った。輪廻と業(カルマン)を前提とし、厳しい苦行によってそこからの解放を目指す宗教である。
    ジャイナ教の世界観では、宇宙は永遠に興亡を繰り返し、衰退の時代には救済者が現れて教えを説くとされる。人間はその世界での行為によって業が霊魂に付着し、果報を生むため、輪廻から逃れることができない。輪廻を断つためには、行為そのものをできる限り停止し、すでに付着した業を苦行によって落とさなければならないと考える。
    本書では、不殺生・非暴力の徹底と無所有を中心的な教義とし、あらゆる存在に生命を認め、その生命を何より尊重するという希有な宗教、ジャイナ教について、その知られざる歴史、教義、戒律、白衣派と空衣派という二大分派の違い、そして出家者と在家信者の実践をわかりやすくまとめた。

    [本書の内容]
    第1章 序言
    第2章 ジャイナ教の興起した背景
    第3章 六人の自由思想家の教説
    第4章 マッカリ・ゴーサーラ
    第5章 祖師マハーヴィーラの生涯
    第6章 白衣派の聖典
    愛7章 空衣派の聖典
    第8章 ジャイナ教の教義
    第9章 ジャイナ教の生活
    第10章 ジャイナ教の戒律
    第11章 ジャイナ教の在家信者
    第12章 不殺生の教えと霊魂の種類
    第13章 現在のジャイナ教教団
    第14章 ジャイナ教と仏教の比較

    ジャイナ教を知るための文献案内
    あとがき
    解説 河﨑豊

    *本書の原本は、2006年に現代図書から刊行されました。
  • 1,980(税込)
    2026/5/13 (水) 配信予定
    著:
    西垣通
    出版社: 講談社

    チャットGPTに代表される生成AIが世界的な注目を集めたのは2022年末。それから数年を経て、今や対話型生成AIは爆発的な普及を見せ、後戻りのきかない状況にある。これは、われわれ人類にとって僥倖なのか、それとも……? 前著『AI原論』(講談社選書メチエ、2018年)から8年、第一人者はこの状況を根源的に問うために、もう一度、筆をとった。
    チャットGPTやGeminiは、深層学習(ディープラーニング)に加え、大規模言語モデルという精妙な新技術に基づいている。その革新性ゆえに、生成AIが生産活動の効率を一挙に向上させ、巨大な経済成長をもたらすことは、おそらく間違いない。しかし、と著者は言う。「冷静に眺めれば、生成AIが内部で実行しているのは、単語の使用データを高速統計処理し、出現確率の高い単語を並べているだけだ。質問文の意味を本当に理解しているとは思えない。とんでもない内容の誤情報や偽情報も平気で出力する。そんなAIの回答をうやうやしく信奉し、人間のかわりに仕事の決定を任せて大丈夫なのか」と。
    「AIは人知を超える」という予測は、ますます現実味を帯びているように思える。しかし、そもそも「人類の知性」とは何か? それはコンピュータによるデータ処理と等価でありうるものなのか?―─こういったテーマを考えるには「生命と機械の異質性/同質性」や「無意識領域ではたらく情動」という難問に取り組まなくてはならない。少なくとも「情報」という概念を基礎から捉え直す学問が必要になるだろう。その新たな学問を創出する企てに取り組み続けてきた著者は、本書で人類学的な知見をも取り入れて、これらの根源的な問いに正面から向き合う。
    その先には、生成AIの進化と普及を踏まえた上での知的革命が予感されるだろう。AIを単純に肯定するのでも否定するのでもない「第三の道」を指し示す本書は、もはやAIと無縁で生きることのできないすべての人に向けられた重要なメッセージである。

    [本書の内容]
     第I部 生成AIをめぐる疑問
    第1章 脳型コンピュータの到来
    第2章 日本のデジタル敗因
    第3章 挫折した国産第五世代コンピュータ
     第II部 デジタルAIとはそもそも何か
    第4章 一神教から生まれたデジタル文明
    第5章 約束の地アメリカ
    第6章 科学と情報を問い直す
     第III部 生命と機械をつなぐ
    第7章 ネオ・サイバネティクスとは何か
    第8章 基礎情報学というステップ
    第9章 生命的な超倫理をつくる
    第10章 生成AI時代の情報学的転回
  • ・「戦後文学」は鎖国の中でつくられた:青野聰・坂本龍一・中上健次と(1985年)
    ・〈分裂病〉をめぐって:木村敏、中井久夫、市川浩と(1988年)
    ・〈近代の超克〉をめぐって:廣松渉、浅田彰、市川浩と(1989年) 
    ・芸術の理念と〈日本〉:磯崎新、岡﨑乾二郎、浅田彰と(1993年) 
    ・中上健次をめぐって 双系性とエクリチュール:蓮實重彦、渡部直己、浅田彰と(1993年)
    ・〈戦前〉の思考 1930年代的状況と現在:小林康夫、絓秀実、西谷修、福田和也、山城むつみ、浅田彰と(1994年)
    ・日本文化とジェンダー 〈家父長制〉とその批判から始めて:水田宗子、上野千鶴子、浅田彰と(1994年)
    ・ハイパーメディア社会における自己・視線・暴力:浅田彰、大澤真幸、黒崎政男と(1995年)
    ・ 冷戦終結後の政治と文学 スーザン・ソンタグとの対話:スーザン・ソンタグ、浅田彰と(1995年)
    ・現状に切り込むための「足場」を再構築せよ 理念、社会、共同体:山口二郎、中島岳志と(2008年)
  • 古事記・日本書紀・風土記ってこんなにおもしろい!

    ・出雲の国引き神話を漁民の目で読むと?
    ・羽衣伝説と農耕の意外な関係とは?
    ・アマテラスはなぜ岩屋戸に隠れたのか?
    ・神武天皇が熊野の険しい山道を選んだワケは?

    神話を国家から解放し、人びとの暮らし・風土・文化に注目すると、知られざる神と人間たちの物語が見えてくる!


    これまでの研究では、ややもすれば神話を王権という政治性や国家の歴史に結びつけがちであったが、本書では目線を低くずらして、人間の生活が神話のなかに描かれているという視点に立ち、時に強くもあり、また弱くもある人間を見つめてみたいと思う。
    それは大袈裟に言えば、神話を国家という縛りから解放する試みである。しかし、実際のところ本書はそのような大上段に構えた勇ましい考察ではない。神話のなかから村里で生きていた人、言い換えれば私たちのすぐ近くにいるような人たちの姿を掘り起こしてみたいと思うのである。そのような目で神話や伝説を読むと、じつにさまざまな人間の「生きざま」が、神の姿を借りて描かれていることに気がつく。――「はじめに」より
  • 「私の謎」は「人類の謎」につながる――左翼だった父、戦後文学者たちとの出会い、くじ引きで決まったアメリカ滞在、建築から哲学までに至る世界的知識人との交流、ある日突然「やってきた」交換様式論……現代日本の批評・思想を代表する哲学者の人生を彩るさまざまな出来事を振り返る。 メモワールにして柄谷思想への最良の入門書。朝日新聞好評連載を大幅増補のうえ書籍化!

    「このインタビューを読み返すと、驚きと感慨を禁じ得ない。自分がこれまでたどってきた道が、偶然の連続であったことに思いいたるからである。そのなかにいるときには気づかなかったが、振り返ってみたとき、人生を決めるのは偶然であるとすら思えてくる。 私は、小学校に入ってから二年間、教室で口をきかなかった。そのような引っ込み思案な人間が、偶然の出会いが重なるなかで、自然と、日本のみならず外国でまで、著作を発表したり教えたりするようになっていったのだ。それは、努力したり目指したりして、実現したことではなかった。いわば、「向こうから来た」ことだった。」(あとがきより)
  • 本書は、「最後のローマ人」と評されるアニキウス・マンリウス・セウェリヌス・ボエティウス(475/77頃-526年頃)が生涯の最期に残した著作である。
    ローマ貴族の家に生まれ、アテナイに留学したあと故郷で研究・執筆を行ったボエティウスは、プラトンやアリストテレスの著作をラテン語訳したほか、神学者としては三位一体論を扱う著作を書き、音楽の理論書である『音楽教程』(講談社学術文庫)を、数学の理論書である『算術教程』をものして、四学科(幾何学、算術、天文学、音楽)の基本的な体系を中世に伝えた。
    プラトンの『国家』で語られる「哲人政治」を理想としたボエティウスは、政治家としても東ゴート王国のテオドリック王のもとで宰相の地位にまで昇り、510年には西ローマ帝国の執政官となる。しかし、コンスタンティノープルとローマ教会の首位権をめぐる抗争、東ローマ帝国と東ゴート王国の対立に巻き込まれ、叛逆罪の嫌疑をかけられてパヴィアに投獄、処刑された。本書は、獄中で処刑直前に書かれたものにほかならない。
    散文と韻文が交互に配され、人格化された「哲学」との対話形式を採った本書は、中世には聖書に次いで読まれた著作として知られる。研鑽を積んできたギリシア哲学を土台としつつ、自身の悲痛な体験を背景に抱えながら、理性によって俗情を克服し、徳と善の中で生きる境地を示した本書は、古代哲学の倫理学的な美しさを今に伝える古典である。
    本書の日本語訳は、これまで4種類を数える。その中で最も古いものが、スピノザの翻訳で知られる畠中尚志(1899-1980年)による1938年のものである。「旧字体・旧かな遣い」のままになっていたこの名訳を、「新字体・新かな遣い」にして、お届けしたい。今日の読者にとって読みやすくなる工夫を施すとともに、『畠中尚志全文集』(講談社学術文庫)で熱意あふれる解説を執筆した國分功一郎氏が再び解説を担当した本書は、最新の校訂・研究に基づく他の訳書が存在する中でも、唯一無二の価値を持ち続けるだろう。

    [本書の内容]
    第一部
    第二部
    第三部
    第四部
    第五部
    ボエティウス――生涯・業蹟・文献
    解 説(國分功一郎)
  • すべては一匹の犬との出会いから始まった――。思いがけず犬を迎え入れることになった著者が過ごした、にぎやかで愛おしくも、ちょっぴり切ない日々を綴った哲学エッセイ。犬たちの他愛ないイタズラや、人生の転機、そして別れ……彼らとともに過ごすことで起きた大小さまざまな出来事を、英米哲学研究の第一人者でもある著者ならではのまなざしで描く。日常生活のすぐ隣に、こんなにも豊かな哲学の世界が広がっていることを教えてくれる。

    「余は、大王のアレクサンドロスだ」という名乗りに「そして俺は、犬のディオゲネスだ」と答えた哲学者シノペのディオゲネス。「犬儒派」は、「キュニコス派」の訳であり、この紀元前4世紀ころの古代ギリシアの哲学者の名とともに知られている。犬儒派は価値の逆転を真骨頂とする哲学の潮流である。
    「犬儒派」を宣言する本書は、ディオゲネスからさらに一歩進んで、犬の目線で世界を眺めることを提案する。
    犬のまなざしで見ると、世界はどのような姿をしているのか。人間が動物とともに生きていくとは、どのような営みなのか――。哲学研究者である著者ならではのユーモアあふれる珠玉のエッセイ。

    【本書の内容】
    はじめに
    序 哲学を選んだことの本意・不本意 
    第1章 しずかと牛若の日々 
    第2章 キュニコス派と犬儒派、そして「犬に酔える哲学」 
    第3章 「ハチ公物語」と犬儒派の哲学 
    第4章 犬儒派哲学への道のり 
    おわりに 
    文献表
  • 海外でもっともよく知られる日本の思想家は、いかに生き、何をどのように考えたか。
    対立と混迷が深まる時代だから、
    いまこそ世界には「大拙」が必要だ!

    世界にもっとも知られた日本人思想家は、いかに生き何をどのように考えたか。
    青年期からの西田幾多郎との濃密な交流をひとつの軸として、その霊性に満ちた生涯をたどりながら、東西を統合する新たな文明創造を期した思想の核心を読み解く。
    大拙の孫弟子でもある著者が、もっとも重要なポイントにしぼって平易に語る、現代人のための決定的解説書。

    [本書より]
    禅体験に基づく「超個の個」の宗教哲学は、キリスト教の伝統的な神を失った欧米の思想界に、今後ますます大きな影響を与えていくであろうと思っております。
    実際、大拙は、禅ないし仏教等に現われた「東洋的な見方」を、主客二元分裂以後しか見ていない西洋の人々に、何とかして伝えようとしたのでした。その伝道活動が欧米の世界に大きな影響を与えたことは、まぎれもない事実です。その意義は、人類の地球規模の思想史の中の画期的な出来事として、正当に評価されるべきでしょう。

    [本書の内容]
    第1章 大拙の生涯と西田幾多郎との出会い
    第2章 自由への気概──禅に基づく自由論
    第3章 釈宗演老師への参禅──アメリカ渡航まで
    第4章 衆生無辺誓願度の覚り──大拙と西田 日米間の交流
    第5章 浄土教への接近──学習院から大谷大学へ
    第6章 戦争への悲嘆──大拙と西田の憂国の思い
    第7章 日本的霊性について──絶対無条件の大悲に包まれて
    第8章 日本禅宗史への視点──盤珪禅への敬慕
    第9章 大拙の禅思想 I ──「即非の論理」と「超個の個」
    第10章 大拙の禅思想 II ─ただはたらいてやまない境涯
    第11章 東洋と西洋──二元分裂以後と以前
    第12章 日本の復興を願って──華厳思想に基づく民主的社会の提言

    *本書は、2023年にNHK出版より刊行された、NHKラジオ「宗教の時間」通年講座ガイドブック『鈴木大拙 願行に生きる その生涯と西田幾多郎との交遊(上・下)』を合本し、増補改訂したものです。
  • 二十歳は、死を考えるのに最適な時期
    死を想う―学生たちの論作文70
    1 心の死を見つめて  生命の死、記憶の死
    2 死は解放か?     死と背中合わせの生
    3 他生への眼差し   農大生ならではの生死への思い
    4 人の死からの学び  身近な人の死から思う
    5 死を哲学する    時間・空間を超えて

    アンケートから見る、Z世代の死生観

    鵜飼秀徳エッセイ「死の言葉」

    学生たちの「辞世の句」
  • なぜ僕は存在するのか?
    なぜ悪いことをしてはいけないのか?

    刊行から30年、世代を超えて読み継がれる名著の完成版!

    「哲学は向こう側にあるのではない。哲学史の本の中に「哲学」として登場してくるものは、もう哲学ではない。向こうにある哲学を学ぼうとすれば、哲学した人の残した思想を読んで理解し、共感を感じたり反感を感じたりできるだけだろう。哲学はこちら側にある。自分自身の内奥から哲学をはじめるべきだ」
                                             「問いの後に 哲学とは?」より
  • 「同じでいる力」――それこそが、カオスな世界で生きる技法。
    困難な時代の希望の在処を示す、新しい人間の哲学!

    〈自閉〉の力、すなわち「同じでいる力」・「反復する力」。モノや情報が氾濫し、目まぐるしく転変し続ける世界に無防備でさらされながら、それでも臨機応変・当意即妙な応答を要求される時代に、暫定的かつ局所的なテリトリーを構築し、自己および世界との関係を構成していくその力は、それぞれの困難を生きる私たちがそれぞれの仕方で実践すべき生存の技法ではないか――。
    病理や障害を欠如として語るのでも、美化するのでもない、〈自閉〉の力への信に貫かれた、気鋭の哲学者による新境地。

    [目次]
    はじめに いまを生き抜くカナリア
    第1章 現代の生の様態としての〈現前〉
    第2章 無人島と他者なき世界
    第3章 流れない時間
    第4章 リトルネロ――テリトリーの構築と自己の構成
    第5章 可能的なものの技法――非音楽的な建築術
    おわりに それぞれの〈現前〉のなかで
    あとがき
  • 本書は、20世紀を代表するドイツのユダヤ系思想家であり、フランクフルト学派の中心人物テオドール・ヴィーゼングルント・アドルノ(1903-69)の波乱に満ちた生涯と、その不屈の思想を丁寧にたどる決定版ガイドです。
    フランクフルト・アム・マインに生まれ、哲学、社会学、心理学、音楽学を貪欲に学んだ早熟の天才アドルノは、わずか21歳で哲学博士号を取得。コーネリウスのゼミで終生の友人ホルクハイマーと出会い、戦後にフランクフルト「社会研究所」の所長に就任します。ここに集った研究者たちとともに形成されたのが、後に「フランクフルト学派」と呼ばれる思想潮流です。
    ナチス政権下で教授資格を剥奪されたアドルノは、イギリスを経て1938年にアメリカへ亡命します。1949年に帰国した後、ホルクハイマーと共に社会研究所を再建、亡くなるまでその活動を続けました。
    近代合理性の闇を暴き、西欧文明の自己批判を徹底したアドルノ。アメリカの大衆文化批判、反ユダヤ主義への応答、そして「新しい主体」や芸術と哲学の連帯を模索する彼の思想は、現実とのすさまじい緊張関係の中から生み出されるもので、安易な解釈を許しません。
    本書では、音楽への情熱、クラカウアーやベンヤミンとの友情、ホルクハイマーとの共同作業など、その思想を育んだ生涯をたどり、主要著作『啓蒙の弁証法』『否定弁証法』『美の理論』の読解を通して、危機の時代に生きた知の巨人の核心に迫ります。アドルノ研究の泰斗による、最良の概説書です。

    [本書の内容]
    まえがき
    プロローグ 肯定的なアドルノを求めて
    第一章 音楽の揺りかご
    第二章 星々の友情
    第三章 否定弁証法のオリジン
    第四章 亡命のオデュッセウス
    第五章 理性の原史をたずねて――『啓蒙の弁証法』の射程
    第六章 新たな「唯物論」へ――『否定弁証法』と「客観の優位」
    第七章 『美の理論』の告げるもの
    エピローグ パウル・ツェランとアドルノ
    主要著作ダイジェスト
    キーワード解説
    読書案内
    あとがき
    学術文庫版あとがき
    アドルノ略年譜

    *本書の原本は、1996年に「現代思想の冒険者たち」第15巻として小社から刊行されました。
  • イスラームは天文学を必要とし、天文学はイスラームなくして発展し得なかった。

    論証と幾何学により天文現象をモデル化しようとした古代ギリシアの試みは、2世紀エジプト・アレクサンドリアのプトレマイオスに受け継がれ、その主著『アルマゲスト』において、天動説による宇宙モデルはひとつの完成を見た。

    しかし、その後のローマ帝国において人々が必要としたのは、天文学という知的探求そのものではなく、占星術とホロスコープであり、星々の位置を定める手段のみであった。ギリシア科学やプトレマイオスによる幾何天文学を展開・発展させる者がヨーロッパ世界において現れるのは、コペルニクスの登場まで待たねばならなかった。

    だが、地動説を打ち立て天文学のみならず科学を大きく転回させたコペルニクスは、明らかにプトレマイオスの天文学を受け継いでいた。7世紀には断絶を迎えていたはずの幾何天文学は、16世紀のコペルニクスまで、いかにしてたどり着いたのだろうか。

    実は『天球回転論』では、サービト・イブン・クッラ、バッターニー、ザルカーリー、イブン・ルシュド、ビトルージーらイスラーム世界の学者への言及がされている。コペルニクスは、イスラーム地域の天文学者たちの成果を、参照すべき先人の業績とみなしていたのである。

    イスラーム世界、とりわけアッバース朝では、それまでのペルシアの伝統を受け継ぎ、翻訳事業を振興し、占星術を重視した。他方で、異教徒との議論において自らの教義の正当性を揺るがぬものとするため、世界の仕組みについての合理的な説明を厳密に組み立てる「論証」が求められた。そうした要請のもとイスラームの学者たちは、古代ギリシアやインドの知的達成に学び、その中でプトレマイオスは再発見されたのである。さらに彼らは、天体モデルの整合性を追究し、観測結果に基づいてプトレマイオス天文学の修正を目指し、より厳密な幾何天文学を構築しようとした。その集大成を、地動説という形で成し遂げたのがコペルニクスだったのである。

    コペルニクスの登場が近代天文学、ひいては近代科学の始まりであるとするならば、イスラームによる天文学研究は、近代科学の礎となる重要な活動であったと言える。
    本書は、イスラーム世界において天体への考察が科学として磨き上げられていった歴史を、簡明かつ鮮やかに描き出すものである。

    *本書の原本は、2010年に岩波科学ライブラリーより刊行されました。
  • 手っ取り早く自分を変える「服捨て」の極意をこの一冊に。

    ゴチャついたクローゼット、本当はやめたいのに続けている仕事、探しても探しても見つからない“やりたいこと”......。実はそれ、全部つながっています。
    全部を一気に解決させる最強の方法は、ただ、「服を捨てる」こと。

    「これを着ていれば褒められそう」「あの人のおすすめだから安心」など、服は自分ではなく他人に重きを置いて選びがちなもの。また、世間や親から刷り込まれた「こうすべき」が、無意識に反映されるものでもあります。

    「服捨て」とは、知らず知らずのうちに他人に明け渡した人生を、自分に取り戻す作業そのもの。捨てれば思考が変わり、行動も勝手に変わっていくのです。

    重版8刷の大反響を得た体験記『1000枚の服を捨てたら、人生がすごい勢いで動き出した話』の著者が、自分を解き放ち本当の望みを実現させる「服捨て」メソッドのすべてをお伝えします。

    【目次】
    第1章 「服捨て」とは何か
    第2章 なぜ捨てられないのか
    第3章 現状を選んでいるのは自分
    第4章 捨てる服、残す服、入れる服
    第5章 自分の本音を見つける
    第6章 「服捨て」したら、世界の見方が変わっていく
  • ・京都大学統合型複合科目「人工知能と人間社会」(2026年4月開講)の指定教科書!
    ・出口康夫氏推薦! 安野貴博氏推薦!

    【推薦の言葉】
    ◆人間とAIからなるよりよい「われわれ(WE)」の作り方のレシピ、ここに誕生!

    僕らは今「生成AI革命」の只中にいる。
    この革命の行方、すぐそこの街角を曲がった先に広がる近未来は明るく便利な知のテーマパークか、
    人間が知の主人公の座から転げ落ちた実存のディストピアか。
    いや未来は当て物ではなく、皆で一緒に創るものだ。

    技術としてのAI、心の哲学としてのAI、社会の中のAIを語らせたら右に出る者のいない最高のトリオが放つ、
    人間とAIからなるよりよい「われわれ(WE)」の作り方のレシピ、ここに誕生!

    ――出口康夫(京都大学教授・京都哲学研究所共同代表理事)

    *****

    ◆AIと暮らす時代を、前向きに考えたいすべての人へ。

    AIの進化は、私たちに「人間とは何か」という根源的な問いを突きつけます。
    技術の仕組みから、意識や感情をめぐる哲学、そして民主主義の未来まで。
    本書は、AIという「他者」を通じて、テクノロジーの向こうにある「人間らしさ」を見つめ直すきっかけをくれる一冊です。

    ――安野貴博(チームみらい党首・AIエンジニア)

    【主な内容】
    AIと暮らす時代がやってきている。文系・理系といった枠を超え、社会のあらゆる分野の構成員が、AI技術だけでなく、それを支える哲学的視点や倫理観、そして関連する社会課題について理解することが、本質的に重要となっている。本書では、「技術としてのAI」「心の哲学としてのAI」「社会の中のAI」の三つに分けて、AIへの態度・問題関心を考える。

    【目 次】
    第0章 はじめに
    第1章 社会の中のAI
    第2章 AIとは何か?
    第3章 記号的AIと計算機
    第4章 パターン認識と機械学習
    第5章 ニューラルネットワークと深層学習
    第6章 大規模言語モデルと生成AI
    第7章 ロボティクスと身体の知
    第8章 AIから認知科学へ
    第9章 AIは意識を持てるか?
    第10章 AIは感情を持てるか?
    第11章 AIは「人間」になれるか?
    第12章 AIガバナンス
    第13章 未来のAI社会
    第14章 私たちとAI
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    不自由な身体と盲目の修道女が、口述筆記で遺した神秘体験の記録。神との合一を女性神秘家の豊かな感受性が内的メッセージとして伝える。
    【目次】
    凡例   

    第一巻
    一 愛とお妃との会話 
    二 三つのペルソナと三つの賜物について
    三 魂の乙女たちと愛の仕打ちについて
    四 魂は参殿し、神が姿を現すこと
    五 地獄の苦しみと恵みについて
    〔略〕
    第二巻
    一 愛は魂に高みを造り、それはわがままを押し通して超人的な努力をしても及ばないこと
    二 愛の中で見た人を歌う愛の二つの歌
    三 神の舌。真理の光。九つの隊を射抜く神の四本の矢。三位一体。聖母マリアについて
    四 哀れな賤女について。洗礼者ヨハネのミサについて。ホスチアの小羊への変容について。天使の美しさについて。四人の聖人について。金貨について
    五 魂の神への五つの歌。神が魂の晴れ着であり、魂が神の晴れ着であること
    〔略〕
    第三巻
    一 天の国について。天使の九つの隊について。空白を満たす者。使徒たちと聖母マリアとキリストの座る玉座について。ドミニコ会修道士と殉教者と乙女たちへの褒美について。未洗礼の子供たちについて
    二 魂が神に捧げる七つの賛歌。膏薬。躊躇
    三 魂が小間使いであるという嘆き。神の愛について
    〔略〕
    第四巻
    一 五つのものを純粋な乙女はもつべきである
    二 本書は神から下された。魂は多くのことで讃えられること。魂には二人の天使と二人の悪魔が与えられること。彼女と一二の徳が肉と戦うこと
    三 罪ある者たちは神から抜け落ちる。知恵の三つの贈り物について。岩について。乙女たち、つまりキリスト教への賛美について
    〔略〕
    第五巻
    一 三つの悔い改めについて。一〇の効用について。天使の道と悪魔の道について
    二 二つの苦悩について。四つの効用について。罪の大集団について
    三 神は罪なく得たすべての苦しみと三人の血を秤にかける
    〔略〕
    第六巻
    一 修道院長や女子修道院長、またはそれ以外の長は弟子たちにどのように接するべきか
    二 ある司教座教会参事会員への規則について。彼がどのように行動すべきか。これは神が定められたことである
    三 神は権威を授ける。ヤギが羊に変容すること
    〔略〕
    第七巻
    一 主イエス・キリストが最後の審判の後に受ける王冠と王位について
    二 万霊節にすべての魂のために祈ること
    三 謙虚な畏れで絶えず心を見つめることの効用について
    〔略〕
    訳註 解説 あとがき 文献目録 索引(人名/用語)
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    中世哲学研究のみならず現代哲学や古代哲学研究にとっても第一級の原典を、正確な訳文にくわえ古代哲学とスコラ哲学、同時代の影響関係などを踏まえた詳細な註を付して、世界でも初めての完全な現代語訳として提供する。中世哲学の場から古代へ更には現代へと新たな光を放つ画期的訳業の冒頭を飾る本巻は、具象語と抽象語、概念、類と種、実体と質量など言葉・普遍・範疇について論じる第1部43章までを収める。

    【目次】
    語の区分(語の定義とその区分(総論)
    語の区分。「語」という名前は、様々な仕方で解されうる(各論) ほか)
    普遍は心の外のものではない―スコトゥスに対する反駁(互いに対立する、「普遍」と「個」という普通名辞について;普遍は心の外のものではない ほか)
    五つの普遍―ポルピュリオス『イサゴゲー』の註解(五つの普遍。それらで充分であることについて;普遍のもとに含まれる個について ほか)
    論理学者の用いる語(定義について。定義は、幾通りの仕方で言われるのか;「記述句」という名前について ほか)
    範疇―アリストテレス『範疇論』の註解(「範疇」という語について;範疇の数 ほか)
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    皇帝の側近にまで上り詰めたプルデンティウスは、晩年厳格な禁欲生活を入り、宗教詩、教訓詩、論争詩、賛美歌集、抒情詩を多く遺した。
    初期キリスト教最大のラテン詩人プルデンティウスは、聖アウグスティヌスのように青年時代を放縦な生活を過ごしたが、50代になって神の御前に無益だった生活を後悔し、それによって、異教と戦い、信仰・道徳を擁護し、昼夜神を賛美し、偶像の祭壇を粉砕し、殉教者・使徒を讃えた。この詩作品を粗末な土器にたとえ、このような土器でも神の家の片隅に置いてくださるようにといってささげた。
    (古代・中世教父の伝記・書館を集めた「ミーニュ教父全集」より編集した。)
    【目次】
    カテメリノン「日々の賛歌」
    序論
    内容
    意義
    本文
    序(プルデンティウスの詩全体の)
    第一歌 鶏鳴時の賛歌
    第二歌 早朝の賛歌
    第三歌 食前の賛歌
    第四歌 食後の賛歌
    第五歌 点燈の賛歌
    第六歌 就寝前の賛歌
    第七歌 断食の賛歌
    第八歌 断食後の賛歌
    第九歌 毎時の賛歌
    第十歌 死者埋葬の賛歌
    第十一歌 ご降誕の賛歌
    第十二歌 ご公現の賛歌

    プシコマキア「霊魂をめぐる戦い」
    序論
    内容

    本文梗概
    本文

    一 信仰と偶像崇拝の戦い
    二 純潔と情欲の戦い
    三 忍耐と憤怒の戦い
    四 謙遜と傲慢の戦い
    五 節制と快楽の戦い
    六 慈善と貧欲の戦い
    七 和合と不和との戦い
    注(本文中*印を附したものに行数を示して注をつけてある)
    解説
    プルデンティウスの生涯
    プルデンティウスの著作
    プルデンティウスの著作年代
    プルデンティウスのテキスト
    むすび
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    「トマスの『スンマ(神学大全)』を読み進んでゆくうちに、私は、いわゆる「がある存在」といわれる「存在」(エクシステンチア)は、トマスが神の本質と同じであるという「存在」(エッセ)とは、別のものではないだろうかという疑問をいだくようになってきた。そのような疑問が心に浮かんだのは、『スンマ』の神の存在論証の箇所を読んだときである。そこでトマスは、神の存在、すなわち「神がある」ということは理性によって証明できるとはっきりいっている。他面トマスは、神において存在と本質は同一であるといっている。それゆえもしこの存在が、「神がある」と言われる場合の存在と同じものであるとしたならば、当然、存在と同意なる神の本質も理性によって認識される筈である。しかるにトマスは別の箇所においては、神の本質は絶対に認識できないといっているのである。これはあきらかな矛盾ではなかろうか。この矛盾を解決しようと思うのならば、神においてその本質と同一視される存在(エッセ)は、いわゆる「がある存在」としての存在(エクイスシテンチア)とは別のものであるとしなければならない。トマス自身、神の存在が理性によって証明されるか否かを論じた箇所において、神の存在(エッセ)が不可知であることを根拠として「神がある」ことを論証できないと主張する説を、一つの異論として提示している。それに対するトマスの解答をみると、たしかに「存在の現実態」としての神の存在は人間の理性認識を超越するが、「神がある」という命題が真であることは、結果の存在から原因の存在を推定するア・ポステオリな論証によって証明できるのであるという。・・・
    しかしながら私はついに、この問題について単に「疑問をいだく」にとどまらず、断定を下さざるをえないところまで到達した。」
    【目次】
    まえがき
    一 エッセの探究
    二 存在とエッセ
    三 神の存在とエッセ
    四 神の内在と超越
    五 存在と本質
    あとがき
    人名索引
    文献表

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    京都学派四天王の一人の著作集。ハイデガーに師事し、ドイツ哲学を学び、のちに禅に立脚した独自の宗教哲学を展開した著者の著作集。
    【目次】
    第一部 宗教と文化
    ニイチェのツァラツストラとマイスター・エックハルト
    一 ニイチェに於ける生の根源性
    二 エックハルトに於ける生の根源性
    三 宗教的生と實證的精神
    宗教・歴史・文化
    一 宗教と歴史と文化との聯關
    二 宗教に於ける三つの立場
    三 宗教的生の構造
    四 近世に於ける人間自主性の立場
    五 信仰主義の立場。理性と信仰の對立
    六 絶對無の立場。理性と信仰の統一
    七 宗教に於ける自然性。辯證法の辯證法。純一の行
    八 辯證法に於ける生と論理。文化と宗教
    近代意識と宗教
    一 文化人と宗教
    二 宗教と原自然性
    三 近代の人間中心主義
    四 宗教的人格性
    五 絶對的否定即肯定の働き
    近世歐羅巴文明と日本
    一 現代歐羅巴のエトス的雰圍氣
    二 近世初期の精神
    三 近世中期の精神
    四 近代精神
    五 ヒットラー運動の精神
    六 日本の精神
    第二部 歴史と自然
    道徳に於ける時代性と恆常性
    一 道徳に於ける困難
    二 行爲の質料性(技術的行爲)
    三 カントに於ける「人間性」の理念
    四 行爲に於ける質料と理念
    五 理念の歴史的事實性。道徳と宗教
    六 道徳に於ける時代性と恆常性
    歴史的なるものと先天的なるもの
    一 アプリオリに關する種々の立場
    二 歴史主義。相存と現存
    三 歴史的現實在の根源としての人間存在
    四 根源の要求
    五 原動性即形式としてのアプリオリ
    六 實踐辯證法的「中」としての根源の要求
    人間解釋の類型性とその意義 歴史認識論の一つの試み
    一 人間解釋の類型性
    二 類型的解釋の特質
    三 解釋の立場の限界
    四 實踐的認識。解釋的操作の意義
    生に於ける個別と一般
    一 生きものと生命
    二 個別者そのものとしての一般
    三 種としての一般
    四 個別性と一般性の生命的不二とロゴス的不一
    五 類的生命と有自體
    六 無の隱蔽的現前としての自我性と意識界
    七 概念、判斷、推論、知的直觀。「もの」即無
    八 精神的生に於ける個別と一般(道徳、藝術、宗教)
    後記
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    宗教の「本質と根拠」を課題として一貫して研究した。実証的研究と哲学的研究の総合に取り組んだ宗教哲学者の著作集。また、著者は東北地方のオシラさま、巫女、行者の研究にも取り組み、機能人類学の知見も研究に取り入れた。
    【目次】
    編集によせて
    目次

    第一章 問題の所在と取扱い方
    一 実相論所顕の端的
    二 研究上の態度及び用意
    第二章 諸法実相の所在と在りよう
    一 主体化の究極 在るものの在りのままなる極処
    二 心の問題 三法無差に就いて
    三 実相の所在と妙
    第三章 教法及び教相の問題
    一 具成せられたる実相の境地とその説示とのひらき
    二 方便の問題
    三 教相論
    第四章 諸法実相の開顕
    一 実相と三諦
    二 一即一切の極相 三千の法相
    三 とくに十界互具に就いて
    四 三世間論
    第五章 諸法実相の唯心論的解釈とその吟味
    一 宋朝天台における観境に関する論争とその吟味 とくに源清、宗■(日に立)、慶昭の所論を中心として
    二 智円、仁岳の観境論
    三 知礼の発揮
    第六章 天台止観の特質
    一 天台止観の種類と意義及び結構
    二 止観の行儀
    三 謂わゆる「頓々止観」の主張とその吟味
    第七章 観法に関する論争の吟味
    一 三種観法に就いて
    二 事理二観の観法に就いて
    第八章 不思議境観
    一 約行正観の終始 とくに修観における二境及び境観の関係
    二 不思議境観
    横川法語 目次
    はしがき
    恵心僧都
    本文
    宗教的人間
    人間に生れたるよろこび
    本願にあう
    現実の肯定
    解説 (山折哲雄)

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    関西学院理事長、箕面自由学園園長を歴任した教育学の理論家であり実践家である著者が、子どもと親にむけて、幸福とはなにか、よい教育とはなにかを説いた著作。時代を超えて読み継がれるべき書である。
    【目次】
    校長通信 父母へ
    箕面自由学園校長となって
    体力気力の養成
    現代教育の問題点
    古武弥四郎先生に学ぶ
    一歩一歩と積み上げる
    学園と共に生きる
    人から認められて伸びる
    美しい礼儀を育てたい
    悪の芽は初期につみたい
    謙虚に学び、真理に服する
    古木家に学ぶこと
    寄宿舎完成にあたって
    寄宿舎の運営
    日本人の社会道徳
    幼少時のしつけを考える
    自分の歴史をつくる
    一人ひとりの中によきものを見出す
    独立人を育てたい
    被害者にも加害者にもならないように
    家庭教師の是非
    あたたかな心をもった生徒たち
    ある小学生の夏休み
    民主主義とヒューマニズムの教育
    『自由と規律』に学ぶ
    学園を「心のふるさと」として
    卒業生河盛成夫さんのこと
    過保護の問題
    深くこの人生を愛すること
    家庭の教育と父親の役割
    テレビ・勉強・あそび
    道徳的背骨のある家庭
    ある交通遺児の作文を読む
    新年の賀状から
    校長通信 生徒へ
    この夏をどう送るか
    二人の投手から学ぶ
    長い目で人間を見る
    私も弱い人間
    一日一日のたたかい
    四年間の高校生活
    やめないでがんばる
    悲劇を重ねないように
    自由について
    思うようにならない人生
    日記を書くこと
    いま自分を鍛えてほしい
    性の問題
    先生の目を見つめる
    父の労苦にこたえうるか
    人間の幸福と人間の教育
    中学時代・高校時代をどう送るか、どう送らせるか
    悔いなき青春、悔いなき人生
    教育について思うこと
    一隅の教育者の自叙伝

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    古代のキリスト教が神学として体系化して行く過程を、 ギリシア哲学を摂取し、再解釈して行く過程としてとらえた書である。
    本書は、 9つの章と1つの補論で構成されており、論文集で以下の内容を収録している。
    1. フィロンの歴史的背景
    2. ギリシア哲学へブル起源説
    3. 創造と数
    4. テロスと神
    5. 創造と悪
    6. 創造と必然性
    7. 自愛と他愛
    8. 初期クリスト教とギリシア哲学
    9. 「輪廻転生」と「復活」
    補論『テイマイオス (28B 7 ) 解釈史ノート。
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    第一回大宅壮一ノンフィクション賞受賞作! 太平洋戦争下、ニューギニア戦線の死闘のなかに探り取られた「人間」とは?
    【目次】
    第一部 序幕
    1 座礁
    2 遺書
    3 原始林にて―ウエワク―
    4 桃源境
    5 危機のかげに
    6 ゴム林にて―マダン―
    7 出撃
    8 光と闇
    9 狂乱
    10 会戦―フィンシハーフェン―
    第二部 転進
    1 ガリの転進―第一次山越え―
    2 続転進―第二次山越え―
    3 原隊復帰
    4 彷徨
    第三部 人と人
    1 戦場の倫理
    2 自然児とともに
    3 人を愛するということ
    4 暗い山小屋
    5 ある兵の死
    6 ピァビエの韜晦
    7 Y軍医という人
    8 M伍長の死
    9 わが墓穴
    10 アユスの周辺
    11 T曹長の死―土民の反撃―
    12 生死の岐路
    13 極限におけるエゴ
    14 裸の「人間」
    第四部 戦野
    1 幾山河
    2 孤愁
    3 爆撃
    4 時空の間際
    5 死の影
    6 飢餓
    7 奈落
    8 逃亡
    9 危し「人間」
    10 指揮官
    第五部 自然と人間
    1 雨
    2 蚊と蟻と
    3 極楽鳥
    4 舞踏
    5 安息のなかに
    6 信仰
    7 「タロ」とサクサクと
    8 大酋長
    9 土俗寸描
    10 ことば・言霊
    11 たばこ・ウィスキー
    12 いのちと豚と
    13 子どもの世界・女の一生
    14 信号
    15 倫理
    16 流れる雲と
    第六部 終戦
    1 玉砕宣言
    2 流言
    3 戦争と人間
    4 処刑
    5 髑髏隊
    6 武装解除
    7 配流―ムッシュ島―
    8 奴隷
    9 人間模様
    10 自由
    11 帰鳥
    12 権威と秩序
    13 二人の老人―浦賀港―
    14 浦賀検疫所
    15 召集解除
    16 廃墟―広島―
    あとがき
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    高度成長期を迎える時期に、日本と欧米の教育の違いを検証し、あるべき日本の教育を考える。戦後日本の教育史の貴重な資料でもある。
    【目次】
    はしがき
    一 歐米の教育と日本の教育
    二 資本主義と社會主義
    三 空の旅
    四 日本と西洋
    五 バンコックより歸りて
    六 日教組は革命團體なのか
    七 ポール・ブールジェの思想と文學
    八 テオドール・リップス著「倫理學の根本問題」
    九 チャールス・エイ・ビーァド著「ルーズベルト大統領と一九四一年の開戰」
    十 日本の青年と教師に寄せる
    十一 アメリカのある少年キャンプ
    十二 教會と食堂
    あとがき

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    美とはなにか? 芸術とは何か? 哲学的・美学的な視点から、「美」を捉え直す力作。
    【目次】
    序論 美の構造的特質の解明
    美学への警戒 美学以前 美の探求と問い【略】
    第一篇 美の探求における意識の問題
    第一章 美的判断と意識の問題
    カント哲学における第三批判の位置 美の探求における美的判断の性格【略】
    第二章 美的意識と意識の問題
    カントにおける美的判断と美的芸術との関係への省察 コーエンのカント美学の基礎づけの問題点【略】
    第三章 美的事象の根拠としての意識領域
    美的事象の根拠づけの要求 主客連関の事態より意識領域へ 意識領域における生起 美的事象への意識領域の機能【後略】
    第四章 美的観照と意識の問題
    第一節 美的観照における作用と態度
    観照的態度 自然観照の記録 美的観照の心理としての感情移入説 リップスの説の特性【略】
    第二節 美的観照の成立根拠
    自然観照と芸術観照 美的観照の心理的事項 美的観照の成立についての問い フォルケルトの美的意識の説明【略】
    第二篇 美の探求における現象の問題
    第一章 美の生起と現象
    第一節 美の生起とその条件
    美は既成のものであるか 通俗の見解及び在来の美学への反【略】
    第二節 美的事象の現象関係
    美の生起と美の所与方式 デューイにおける美及び芸術と現実との関係 美的事態より美の生起への局面の展開 ヘーゲルにおける人間存在の現実の処理【略】
    第二章 美的現象の設定
    第一節 現象・存在・意識
    生起の局面における存在賦与 シェリングにおける差別的現実への無差別の展相の作用 無差別化による美的現象の出現 ベッカーの関心の切断と喚起の同時性【略】
    第二節 現象様態と現象構造
    美的現象の時間性 ベッカーの芸術的企投の達成としての永遠の今 現象性の形成におけるクツニツキーのホリツォント 存在の反映と美的世界としての現象【略】
    第三篇 美の探求における意味の問題
    第一章 美的価値体験の反省
    オーデブレヒトの意識領域における美的体験の成立の説 対象体験としての美的体験 領域的意識のノエマ的客体の形成 美的価値の非享受性と領域的土台づけ 美的領域についてのカント及びコーエンの見解【略】
    第二章 意識の問題と現象の問題
    美の探求における二つの根源的な問い 意識の問題と人間存在との関係【略】
    第三章 意味の問題の特性
    人間存在への意味の問い ハイデッガーの現存在の存在論的考察【略】
    第四章 美的事象の意味構造
    人間存在の心情性としての不安 それよりの脱出 サルトルの人間存在に基づく意識の説【略】
    あとがき
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  • 宇多・醍醐・村上、三代の天皇は何を書きのこしたか。
    摂関政治への転換期に起こった政治的事象から、愛猫の消息まで、
    “天皇自身の筆による日記"を読む!

    貴族社会においては政事・儀式の慣例を示すものとして重んじられ続け、
    歴史・文学研究では第一級資料となる『宇多天皇御記』『醍醐天皇御記』『村上天皇御記』。
    古記録学の最新知見に基づき、断片的な逸文を博捜し、喪われた本文を可能な限り復元・現代語訳。
    後の世に「延喜・天暦の治」と称えられる醍醐・村上による「親政」の実態、藤原氏による摂関政治の形成過程、そして天皇の日常の姿……平安の歴史が時代の空気とともに蘇る。

    [本書の内容]
    はじめに
    凡例
    「宇多天皇御記」:仁和三(887)~寛平九(897)年 *年月日不詳を含む
    「醍醐天皇御記」:寛平九(897)~延長七(929)年 *同
    「村上天皇御記」:天慶九(946)~康保四(967)年 *同
    用語解説
    人物注
    略年表
    関係地図
    平安宮内裏図
    方位・時刻

    *本書は当シリーズのための訳し下ろしです
  • 「人類が最も幸福だった時代」と後世の歴史家に称された、2世紀のローマ帝国。
    その最盛期に生きた人々が切実に願っていたのは、愛する家族に囲まれ仕事に誇りをもち、幸せに生きたことを、後の世に記憶してもらうことだった。
    政治史を中心としてきた著者が、帝国エリートはもちろん、市井の人々や被征服地の民に至るまで、古代人の「思い」に迫る。広大なローマ帝国の統合を支えたのは、彼らのどのような「心」だったのか。
    新たな視点から浮かび上がる、巨大帝国の知られざる素顔。

    18世紀の歴史家エドワード・ギボンは、『ローマ帝国衰亡史』のなかで、2世紀のローマ帝国を「人類が最も幸福だった時代」と評した。
    「ローマの平和」と呼ばれる時期に入り、帝国の版図が最大となったこの時代、人々は珍味に満ちた饗宴を楽しみ、剣闘士の戦いに熱狂し、公共浴場の快適さを味わいながら、満ち足りた日々を送っていた――本当にそうだったのだろうか。
    帝国の基本構造、ローマ人の一日、そして一生などに始まり、小プリニウスやタキトゥスをはじめとする帝国エリートはもちろん、奴隷や戦争の結果征服された土地である属州の民ににいたるまで、彼らがいかなる思いで帝国を生きたのかに迫る。
    最盛期の帝国はまた、無数の碑銘が死者に捧げられた帝国でもあった。碑銘は広く人々に開かれた表現の場であり、誰もがそれを立てて、自ら、あるいは愛する者が、家族に囲まれ、仕事に誇りをもって幸せに生きたことを後世に伝えようとした。その思いは、老若男女を問わず、帝国のエリートから市井の人々、さらに被征服地である属州の民にまで共有されていた。この古代人の心こそが、広大な帝国を結びつける力だった……!
    政治史を中心に研究を重ねてきた著者が、新たな視点から描き出す巨大帝国の内なる世界。

    【本書の内容】
    序 章 ローマ人の心を碑銘に読む
    第1章 ローマ人はどんな世界に生きていたのか
    一 ローマ国家の歴史/二 ローマ社会の仕組み/三 ローマ市民の「一日」/四 ローマ市民の「一生」
    第2章 帝国エリートたちの生きざま
    一 プリニウスの生き方/ 二 元老院議員の理念と生活様式/三 タキトゥスの考え/四 ローマ皇帝の下で生きること
    第3章 生と死から見る家族の肖像
    一 家族の形とつながり/二 死の習俗と家族/三 家族の外の世界
    第4章 属州の人々の心
    一 被征服地の変化と住民の心/二 属州支配の進展/三 支配に加わる人々と抗う人々
    第5章 平穏な帝国の暮らし
    一 平穏な時代のガリア/二 ガリア住民の信仰/三 墓碑や記念碑に見えるアイデンティティと生き方/四 構築された新しいアイデンティティ
    終 章 帝国の危機とローマ人の心
  • フリードリヒ・ニーチェ(1844-1900年)は、1889年初頭に狂気の闇に沈み、健全な精神活動をなしえないまま生涯を送った。本書は、その直前にあたる1887年11月に出版された哲学者としての最晩年の著作である。
    本書の主題は、表題にあるとおり「道徳(Moral)」である。これは日本語では「価値観」とも言い換えることができる。では、なぜニーチェは価値観を問題視したのか。言うまでもなく、それはその価値観が自明視できなくなっていたからであり、そのままでは通用しなくなっていたからである。
    従来の価値観が通用しなくなっているにもかかわらず、それが依然としてニーチェ自身を含む人々の考え方や生き方を制約し、生きる意味を規定してしまっている、という矛盾した現実。それこそがニーチェを突き動かし続けた思想的動因にほかならなかった。それゆえ、新たな価値観を模索し、あらゆる基本的価値の転換を果たすことが最も重要な思想的課題である、というのがニーチェの時代診断である。
    ニーチェにとって、従来の価値観とはヨーロッパを支配してきたキリスト教的道徳の伝統の中で普遍的なものとされてきたものだったが、それは歴史的現象として発生し、揺れ動いてきたものでしかない。それゆえ、この主題は「系譜学」という手法で取り組む必要がある。――本書は、初めてその認識に立った者による探究の開始を告げるものであり、だからこそニーチェは刊行2ヵ月後にあたる1888年1月、友人オーヴァーベックに宛てて次のように書いた。
    「本書を構成する三論考は、それぞれ個別的な第一動因を表現しています。〔…〕多様きわまりない要因すべてを最終的に勘案し、とりまとめて、道徳をある種、清算することも同様です。そういうことをするには、われわれはまだわたしの哲学の「前奏」段階にいます」。
    つまり、本書は、たとえ重要な成果をもたらしているとしても、まだほんの入り口にすぎず、この課題はここから続行される必要がある、とニーチェは考えていた。それゆえ、従来は『道徳の系譜』と訳されることが多かった本書の表題Zur Genealogie der Moralは、「道徳」という主題を「系譜学」という手法で扱う企てのマニフェスト、という意味で『道徳の系譜学に向けて』と訳さなければならない。
    長年にわたってニーチェを主要な研究対象としてきた大家が満を持して送り出す決定版新訳、ついに完成。

    [本書の内容]
    序 論
    第一論考 「善良と邪悪」、「優良と劣悪」
    第二論考 「負い目」、「やましい良心」および関連事項
    第三論考 禁欲主義的諸理想は何を意味するか

    訳者解説 試行としての鳥瞰
    訳者あとがき――タイトル頁裏の「付言」について
  • 人間の限界を突破し、時空間の無限に到達せよ!

    宗教哲学者フョードロフの「人類復活」、共産主義者ボグダーノフの「血液交換」、ロケット工学の父ツィオルコフスキーの「完全生物」、生物地球化学者ヴェルナツキーの「精神圏」、歴史学者グミリョフの「新ユーラシア主義」……人間の不死・復活および宇宙進出を謳う「ロシア宇宙主義」。その法外な思想に一貫して賭けられていたのは、個と全体のありうべき関係をめぐる理念、そして「独自のロシア」の構築だった! 西欧との同時代的相関性も睥睨しながら、現代のアメリカ・シリコンバレーを熱源とするトランスヒューマニズムや人新世の問題にまでのびてくるその射程を「全史」として描き切る、第一人者による総合的かつ野心的な試み!

    イーロン・マスクと同じ夢を100年前のロシアで見た人たちがいた――

    [目次]
    はじめに
    第一章 近代ロシアの空間表象――ロシア宇宙主義前史
    一 無から無限へ
    二 ロシアとアメリカ
    第二章 フョードロフ――全人類の集合神化
    一 人類復活の事業
    二 人間の神化
    三 自然統御の工程
    四 メシアニズムの地政学
    第三章 宗教哲学とコミュニズム――集団神化の実践へ
    一 宗教哲学ルネサンス
    二 コミュニズム
    第四章 ツィオルコフスキー――無限の進化と優生思想
    一 革命文化とロシア宇宙主義
    二 無限の進化の夢
    三 個と全体の原子論
    第五章 ヴェルナツキー――進化の統御(不)可能性
    一 太陽と生物圏
    二 「生の跳躍」から「精神圏」へ
    第六章 トランスヒューマニズムと人新世――ロシア宇宙主義後史
    一 テイヤールからトランスヒューマニズムへ
    二 ヴェルナツキーから人新世へ
    おわりに
  • 幽閉・排除すべき狂気から治療・ケアすべき精神疾患へ――近代の精神医学はここからはじまった。

    近代精神医学の祖とされるフィリップ・ピネル(1745-1826年)。自由・平等・博愛といった啓蒙精神と人類愛が高まる革命期のフランスで、精神疾患に罹患した友人の治療に関わったことを機に精神医学に関心を覚えたピネルは、ビセートル病院とサルペトリエール病院の医長を歴任し、監護人ピュサンとともに「狂人」と呼ばれ鎖に繋がれていた精神病者を解放し、人道的な治療を始めた人物として知られる。その狂気の分類・治療実践と狂人の解放神話はヘーゲルやミシェル・フーコーにも取り上げられ、医学のみならず哲学分野にも大きな影響を与えた。
    ピネルの思索と実践を記録した本書は、精神医療の改革と近代化をうたった最初期の重要文献のひとつである。同じタイトルながら内容がかなり異なる第二版が存在することが知られている本書。さまざまな「精神病」の疾病分類を体系的に行おうとする第二版とは異なり、初版である本書では、マニー(躁病、気分障害、統合失調症、妄想、パーソナリティ障害などを含む概念)の疾病分類がなされ、それまでの瀉血や薬物、水療法など身体を対象とした療法ではなく、「心」にアプローチする「心的療法(モラル・トリートメント)」が提唱される。この療法は食事や労働などの生活習慣、社交、そして感情への配慮をもとにしたもので、「ケア実践」の源泉といえる。ピネルが臨床経験を重視し実践家に学びながら、新しい治療法を確立しようとした苦難の軌跡である。
    巻末には、ピネルの略伝、著書刊行年の謎、鎖からの解放神話の真相、ピネル研究史などを丁寧に論じた訳者による「あとがきに代えて」「講談社学術文庫版あとがき」、さらにフーコーを軸に本書の意義を明らかにする精神医学研究の気鋭・上尾真道による詳細な「解説」を付した。
    ピネル没後200年にあたる2026年、近代精神医学の誕生を告げる記念碑的著作を文庫として刊行する。

    *本書の原本は、1990年に中央洋書出版部から刊行されました。

    (主な内容・目次)
    マニー論 本書の全体的構成
    第一章 周期性もしくは間歇性マニー
    第二章 精神病者の心的療法
    第三章 精神病者の頭蓋の形態的欠陥についての解剖学的研究
    第四章 精神病の明確な種類の分類
    第五章 精神病者の救済院で確立されるべき院内規律と監護
    第六章 精神病者の医学的療法の諸原則
    あとがきに代えて
    講談社学術文庫版あとがき
    解説 精神医療とモラル フーコーと読むピネル『精神病に関する医学=哲学論』(上尾真道)
     (上尾真道)
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    ★初版発行から多くの学校で採用されている定番テキストの改訂版
    ★事例をアップデートするとともに、AI倫理、SNS倫理、環境倫理などの最新動向を平易に解説。
    ★初学者に最適なカラーテキストが、さらにパワーアップ!

    【主な内容】
    第1章 技術者の社会的責任と倫理
    第2章 技術者の行動規範
    第3章 研究倫理
    第4章 説明責任
    第5章 技術情報と知的財産の保護
    第6章 内部告発
    第7章 製造物責任
    第8章 ヒューマンエラー
    第9章 化学と倫理
    第10章 生命と倫理
    第11章 情報ネットワーク社会と倫理
    第12章 人工知能と倫理
    第13章 環境保全と倫理
    第14章 企業と倫理
    第15章 多様性社会と技術者倫理
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  • 20世紀後半を代表する思想家ミシェル・フーコー(1926-84年)が残した膨大な仕事の中で、最初の大きな山が「狂気」と「精神医学」を焦点とするものだった。1961年に34歳のフーコーが世に問うた『非理性と狂気』は、のちに『狂気の歴史』と改題されて今日まで読み継がれ、『言葉と物』や『知の考古学』と並ぶ代表作の一つとなっている。ところが、「狂気」というテーマは、その後の著作活動の中で背景に退いていき、フーコー自身、かつての狂気研究の価値を小さく見積もる発言さえ残している。
    このことは何を意味しているのか? 「狂気」の問題はフーコーの関心の外に追いやられたのか、それとも、どこかに姿を隠しただけなのか。本書は、迷子のようになった「狂気」という問題の行方を探ることを目的としている。
     そもそも「狂気(folie)」という言葉は、病気としての精神疾患を一義的に指すわけではなく、多様な意味をもつ。にもかかわらず、多くの研究者はフーコーの言う「狂気」を精神疾患と同一視し、その著書を批判的立場からの精神医学史とみなしてきた。本書は、その前提を疑うところから出発し、以下のように展開する。
     『狂気の歴史』執筆の背景とアウトラインおよび方法、出版後の社会的反響、特に反精神医学運動による聖典化。フーコーを反精神医学の代表的論客とみなす定説の批判的検証。この定説の一つの根拠となった「精神病者を鎖から解放した大博愛家フィリップ・ピネル」という神話のフーコーによる破壊の内実。中期フーコーが権力を中心課題に据える中での狂気の位置づけの変化。夢と狂気に関するデカルトのテクストのフーコーによる解釈とそれにまつわるジャック・デリダとの論争。芸能、文学、造形作品に表現された文化的表象としての狂気とそのフーコーによる理解。レーモン・ルーセルという特異な作家の作品との出会いがフーコーにもたらした衝撃。
    本書は、長年にわたる臨床経験に立脚しながらフーコーにおける「狂気」の問題を徹底的に追求する稀有な試みであり、その根底には「人が狂うことにはどのような意味があるか」という根本的な問いがある。

    [本書の内容]
    第1章 初期フーコーと狂気の問題
    第2章 反精神医学の神殿へ
    第3章 フーコーはピネル神話を破壊したか
    第4章 精神医学権力――コレージュ・ド・フランス講義
    第5章 愚かさと狂気――『阿呆船』と『痴愚神礼讃』
    第6章 フーコーはデカルトをどのように読まなかったか
    第7章 想像力の世界と狂気
    第8章 ルーセルの衝撃
    第9章 ソクラテスとフーコー
  • この生は生きるに値するか。
    世界は人間にとって意味ある生を保証するか。

    美と崇高、あるいは世界の目的論的理解をめぐる『判断力批判』の考察は、生の目的、および世界の存在の意味をめぐる真率なる思考に貫かれている。テクストの隠されたモチーフをも跡づけつつ碩学がよみがえらせる、鮮烈なる「カント」!

    [目次]
    まえがき
    第1章 美とは目的なき合目的性である――自然は惜しみなく美を与える
    第2章 美しいものは倫理の象徴である――美への賛嘆は宗教性をふくんでいる
    第3章 哲学の領域とその区分について――自然と自由あるいは道徳法則
    第4章 反省的判断力と第三批判の課題――美と自然と目的とをつなぐもの
    第5章 崇高とは無限のあらわれである――隠れた神は自然のなかで顕現する
    第6章 演繹の問題と経験を超えるもの――趣味判断の演繹と趣味のアンチノミー
    第7章 芸術とは「天才」の技術である――芸術と自然をつなぐものはなにか
    第8章 音楽とは一箇の「災厄」である――芸術の区分と、第三批判の人間学的側面
    第9章 「自然の目的」と「自然目的」――自然の外的合目的性と内的合目的性
    第10章 目的論的判断力のアンチノミー――反省的判断力の機能と限界について
    第11章 「究極的目的」と倫理的世界像――世界はなぜこのように存在するのか
    第12章 美と目的と、倫理とのはざまで――自然神学の断念と反復をめぐって
    あとがきにかえて――文献案内をかねつつ

    (*本書の原本は2017年に講談社より刊行されたものです。)
  • 2,189(税込)
    著:
    福尾匠
    レーベル: ――
    出版社: 講談社

    コロナ禍以降、社会は置き配的なものとなった――

    「紀伊國屋じんぶん大賞2025 読者と選ぶ人文書ベスト30」の1位に輝いた気鋭の批評家が放つ最初にして最高の2020年代社会批評!

    群像連載の「言葉と物」を単行本化。酷薄な現代を生き抜くための必読書!

    「外出を自粛し、Zoomで会議をし、外ではマスクを着け、ドアの前に荷物が置かれるのに気づくより早く、スマホで通知を受け取る。個々人の環境や選択とはべつに、そのような生活がある種の典型となった社会のなかで、何が抑圧され、何が新たな希望として開かれているのか。そうした観点から、人々のありうべきコミュニケーションのかたちを問うこと、それがこの本のテーマです。(中略)
     つまり、狭義の置き配が「届ける」ということの意味を変えたのだとすれば、置き配的なコミュニケーションにおいては「伝える」ということの意味が変わってしまったのだと言えます。そして現在、もっとも置き配的なコミュニケーションが幅を利かせている場所はSNS、とりわけツイッター(現X)でしょう。保守とリベラル、男性と女性、老人と若者、なんでもいいですが、読者のみなさんもいちどは、彼らの論争は本当に何かを論じ合っているのかと疑問に思ったことがあるのではないでしょうか。
    (中略)置き配的な社会を問うことは、書くことの意味を立ち上げなおすことにも直結するはずです。」(本文より)
  • 「上司のひと言をさらっと聞き流せない」「ゆらいでしまう自分でなくなりたい」「気づけば自己否定の穴に落ち……」――。
    著者の稲葉俊郎さんは、こうした状態なら「いのちの泉が枯れている」場合が多いといいます。
    生きにくさや不安さえも豊さに変えられるのが「いのちの力」です。いのちの力が強まったとき、悩みは成長の糧になります。
    いのちの力を強めるためのウェルビーイング(個人も社会もよい状態)の活動を行っている稲葉さんは、西洋医学だけではなく伝統医療や心理学など幅広く修めてきた医師です。

    「死んでからでは遅い。生きているうちに気づかなきゃ!」
    横尾忠則氏(現代美術のレジェンド)が本書の必要性をこう述べています。

    稲葉さんは、心の豊かさや人生哲学をテーマにしたテレビ番組や雑誌にも多く登場。
    治療現場や旅先での出会い、温泉、演劇、アート、本などを通して、いのちという視座を自然に気づかせてくれるかけがえのない一冊です。

    〈目次〉
    はじめに ~いのちはゆらぎに包まれている

    【第1章】よみがえる力
    肯定からあなたの物語は始まる
    願いのかなえ方
    心の間合い
    病気学から健康学へ
    消費者から創造者へ

    【第2章】はなれる力
    聞き手になる
    どこを通っても道はつながる
    解毒する
    「きれい」のものさし

    【第3章】ひとことの力
    体と言葉
    「なおす」と「なおる」
    主語と目的語を入れかえる
    いのちの糸
    人生はすべての瞬間が始まり
    あなたの中の子どもが走り出す
    苦しみを分かちあう

    【第4章】たましいの力
    馬に乗る
    こどもと もとこども
    心の井戸を覗く
    水と太極
    いのちは沈黙の中で叫ぶ
    たましいに入り込む
  • 本書の副題にある「生命の再生産」という言葉を目にするとき、何を思い浮かべるでしょうか。
    親から子どもが生まれ、その子どもが成長して親となり、またその子どもが生まれる、という世代の連鎖でしょうか。それとも死者の生まれ変わりとしての生者というようなイメージでしょうか。取り沙汰されることの多い「少子化問題」を思い浮かべる人もいるかもしれません。
    出生数の減少が社会に負の影響を及ぼしている、という議論がなされています。そこでは、「生むこと」をしない人が増えたことに危機感を抱き、次世代に対する責任が説かれたり、「生むこと」をめぐる個人を取り巻く環境を整備する必要性が訴えられたりします。
    しかし、本書は「生むこと」を「人類の存続」や「社会の繁栄」や「種の繁殖」といった大義のために「当たり前に必要なこと」とは考えません。「人類」や「社会」や「種」を構成する人々の数が増えるか否かという尺度で「生まれること」を意味づける考え方から距離を置き、「生まれること」をそれ自体として意味づけることを試みるのです。そのためには、各々の経験の個別性や唯一性を捨象せず、どのような経験をした人にも共通して開かれた地平で「生まれること」について考えなければなりません。
    本当は誰にとっても関わりのある「生命の再生産」という問題をマルクスに立ち戻ってそれ自体として考察する中で、フォイエルバッハや田辺元といった者たちの思考を再検討する本書は、マルクスの思考には今日の重要な課題である「人新世」の始まりやエコロジーに通じるものがあることを明らかにするでしょう。
    『高群逸枝の夢』で注目を集めた著者が満を持して放つ渾身の論考がついに姿を現します。

    [本書の内容]
    第一章「息子たちは父をもたない」
    1 誕生以前の生き物は己の生まれる夢を見るか?
    2 父でなく、父たること
    3 二人のルイ
    第二章 資本、父と子、自己増殖
    1 算術への反乱
    2 自己増殖する怪物
    3 再生産論再考
    4 「人類の不死性」をめぐる対話
    5 「神学者」マルクス
    第三章 労働の彼方
    1 宿命の名の下に――自然と人間の物質代謝
    2 時間の弁証法
    3 「自由の国」の必然性
    4 労働は永遠に?
    5 幽霊的労働
    第四章 種と性とフォイエルバッハ
    1 二人の「類」(1)――マルクス
    2 二人の「類」(2)――フォイエルバッハ
    3 種としての個体
    4 想像の集合体
    5 「超人への橋」、種の終わり
    第五章 幼虫の形態学
    1 「人間の生成」
    2 田辺元、否定のロンド
    3 運命の夜、偶然の星
    4 種のメタモルフォーゼ
    5 出会いの系譜学
  • 病いに苦しむことと手を差しのべることは、同じ出来事の二つの現れである――。

    パーキンソン病・統合失調症・小児・末期ガン・緩和ケア……〈ケア〉という営みは、病む人の苦しみに引き寄せられ、ときに痛みや辛さの表情に押し戻され、それでもその傍らにとどまり続ける態度のなかにすでに現れはじめている。看護学生と新人看護師の経験と語りを「鏡」として探る、来たるべき「ケア共同社会」への道しるべ。

    [目次]
    序 〈病い〉は患者のなかに閉じられているのか
    ■一 身体に耳をすます――看護学生の経験から
    第1章 動かぬ身体との対話
    第2章 押し戻す〈病い〉/引き寄せる〈病い〉
    第3章 「患者の立場に立つ」ということ
    第4章 〈病い〉の経験が更新されるとき
    ■二 二人でひとつの〈病い〉をつくる――新人看護師の経験から
    第5章 看護がよくわからない
    第6章 協働する身体
    第7章 「気がかり」が促す実践
    第8章 他者の痛みを感じとる――病名告知と〈病い〉経験
    終章  〈ケア〉を捉えなおす
    注および引用文献
    あとがき
    学術文庫版へのあとがき ケア共同社会への里程標

    (*原本:『交流する身体――〈ケア〉を捉えなおす』NHKブックス、2007年)
  • 日本史上、約700年にわたって権力の座にあった「武士」とは、いかなる存在だろうか。1970年代以降の中世史や社会史の研究の進展によって、「武士像」は大きく書きかえられてきた。王朝国家の中央「軍事貴族」として登場してきた武士は、必ずしも古代王朝の「貴族」と対立する存在ではないという。そうした武士の「闘う存在」としての側面だけではなく、「色恋模様」から、武士の本質と武家社会の裏面史に迫る異色作。
    中世社会においては、「恋」は「権力」に直結する問題だった。その成就、ひいては婚姻関係、感情のもつれなどが、権力の失墜あるいは強化をもたらし、以後の家格にも影響を与えたのである。
    多情多恨の女房歌人・和泉式部の最後の男性、藤原保昌。秀歌の褒美に鳥羽院の女房・菖蒲御前を賜った源頼政。分不相応の恋の切なさを断ち切って出家した佐藤憲清あらため西行。将軍源頼家に恋女房を横取りされて激昂した御家人・安達景盛。夫唱婦随の「権力の夢」に破れた北条時政と牧の方の陰謀事件。近世の歌舞伎の題材にもなった婆娑羅大名・高師直の無軌道な邪恋。『吾妻鏡』『太平記』などに語られる逸話の数々は虚実ともどもだが、まさに「恋は歴史を紡ぐリンケージとして作用した」ことを示している。
    『恋する武士 闘う貴族』(山川出版社、2015年)の第1部を原本として文庫化。

    目次
    はしがき
    第一章 王朝武士の色とりどり
    1 王朝武者の恋の系譜
    2 内乱期、武士の恋模様
    第二章 鎌倉武士の懸想
    1 懸想の顛末
    2 色々の執心
    第三章 動乱期南北朝と修羅の恋
    1 「偕老の契り」と修羅の諸相
    2 武将たちの恋の深淵
    学術文庫版のあとがき
  • 1762年に入学したケーニヒスベルク大学で神学と哲学を学び、私講師を務めていたカントの薫陶を受けたヨハン・ゴットフリート・ヘルダー(1744-1803年)は、同じ時期にヨハン・ゲオルク・ハーマンと出会い、私淑したことが知られる。その後、1769年にフランスに渡り、ハンブルク、ダルムシュタットを経て、シュトラスブルク(ストラスブール)に到着したヘルダーは、ゲーテとの決定的な邂逅を経験した。大きな影響を与えたゲーテとともに、ヘルダーは「疾風怒濤(シュトルム・ウント・ドランク)」運動を推進するとともに、プロイセン王立ベルリン学術アカデミー(ベルリン・アカデミー)の懸賞課題に応えて執筆した『言語起源論』を1772年に公刊して、その名を轟かせる。
    1776年にゲーテの尽力でヴァイマールの宗務管区総監督・主任牧師に迎えられたヘルダーは、主著『人類歴史哲学考』(1784-91年)を執筆・公刊したが、旧師カントから厳しい批判を浴びた。1799年に公刊された本書は、その表題が示しているとおり、カントの『純粋理性批判』(初版1781年、第2版1787年)に対する「批判」──「批判の批判」としての「超批判(メタクリティーク)」である。
    各章は『純粋理性批判』のテクストを引用し、それに批判的なコメントを加えたあと独自の考察を展開する、という構成になっている。その主張は「思惟し、意志し、理解し、感覚し、理性を訓練し、欲求するのは、同一の魂である」(一元論テーゼ)、「人間の魂は、言葉とともに思惟する」(理性即言語テーゼ)の二つに要約できる。これらのテーゼを、ヘルダーはスラングを多用した独特な文体で、時には嘲笑を交えながら展開した。
    本書は、程なく勃興するドイツ観念論の先駆をなしている。そうした重要な役割を演じた著作の本邦初訳を、ここに文庫版でお届けする。

    [本書の内容]
    第一部 悟性と経験
    序 文
    1 題名と序論
    2 いわゆる超越論的感性論の超批判
    3 いわゆる超越論的分析論の超批判
    4 純粋悟性概念の図式論
    5 純粋悟性のすべての原則の体系の超批判
    6 観念論と実在論について
    7 あらゆる現象の隣および背後にある物自体について
    付 録 経験的悟性使用を超越論的悟性使用と混同することによる反省概念の多義性について

    第二部 理性と言語
    8 超越論的弁証論の超批判
    9 純粋理性の誤謬推理について
    10 純粋理性の二律背反について
    11 純粋理性の理想について
    12 理性の統制的使用について
    13 純粋理性を訓練することについて
    14 純粋理性の規準について
    15 純粋理性の誤った批判
    付 録 純粋理性の批判的学部についての最新情報
  • ※ この商品には出版社独自のフォントが実装されています。より良い読書体験を得るためには、iOS・Android端末での閲読を推奨します。それ以外の環境では、独自フォントでの正しい表示を保証できません(通常フォントでの閲覧には問題ありません)。

    「生きる」を肯定し続けてきた音楽家にして実践哲学の人、プリンスーー
    悲観したくなるこの世界に、いまこそ必要なのは、
    絶望に抗う、不滅のメッセージ

    2016年4月21日、57年の生涯に幕を閉じた孤高の天才音楽家、プリンスーー。 彼は「唯一無二」「奇才」といった常人離れした言葉で語られがちですが、実際には人を愛し、世の中の分断や偏見、差別や不正と戦い続けた人でした。「人々が好むもの」ではなく「人々に必要なもの」を作品として発表し、「答え」ではなく「問い」を投げかける。それが、覚醒させる芸術家=プリンスの真骨頂でした。本書は、完璧なアイコンではなく、喜びも怒りも葛藤も矛盾も抱えた人間・プリンスの足跡を、40の視点で追いかけています。プリンスほど「生と死」をテーマにしてきた現代音楽家はいません。自らも医師として人の生死に向き合い、時にプリンス本人や側近たちとの対話も果たしてきた著者が、プリンスの哲学をわかりやすく紐解きます。混迷極まる時代にあって、プリンスの魂があなたの歩みを照らす光のひとつとなりますように。 

    -----
    未来があるんだ。戦い続ける価値のある未来が。
    There’s a future. A future worth fighting 4
    ―「Graffiti Bridge」(1990)
    -----
  • 1,100(税込)
    著:
    高橋巖
    レーベル: 講談社学術文庫
    出版社: 講談社

    魂の深奥にふれる学び──神秘学が導く、高次の自己への旅

    神秘学は、哲学・芸術・科学・政治など、人類文化の根幹に深く関わってきた知の体系です。本書はその神秘学の基本的な考え方と歴史的展開を、古代ギリシア哲学から現代に至るまで、わかりやすく解説します。神秘学は、単なる知識の提供ではなく、思考と感情を喚起することで「目に見えない世界」への認識を深めます。それは別の世界への逃避ではなく、日常の中に眠る「高次の人間」を目覚めさせ、生き方が変わらざるをえないような学びです。
    ゾロアスター教以来の西洋のグノーシス的二元論と、儒教・仏教・道教・シャマニズムなど東洋の一元論的世界観を対比し、影響関係をたどることで見えてくる、神秘学の普遍性と多様性。シュタイナー研究の第一人者が、シュタイナーの思想を縦糸として古今東西の神秘学をたどり、魂を探る旅への扉をひらきます。(解説:若松英輔)


    [本書の内容]
    I 神秘学とは
    1 神秘学の原風景
    2 古代の秘儀参入
    3 古代東方
    4 魂の遍歴者たち
    5 アカシャ
    6 一元論
    7 後天開闢
    8 ガイア

    II 美学としての神秘学
    9 美学者シュタイナー
    10真・善・美
    11アストラル・ヴィジョン
    12フォルク
    13恨の美
    14南溟の果て

    あとがき
    解 説 若松英輔

    *本書の原本は、2000年にちくまプリマーブックスとして筑摩書房から刊行されました。
  • いとうせいこう氏絶賛!
    「新しく繁茂している植物学の葉の先端や根っこを余すところなく紹介しながら、一人の園芸家がヒトと自然の関係を深く掘り進む。目から枯れ葉が何枚も落ちた。」

    東畑開人氏推薦!
    「とにかく植物がすごすぎる。人間は全然かなわない。園芸家はそのすごすぎる自然と取っ組み合いになりながら、『いのち』の臨床をしていた。」

    「人為なき自然は人を癒さない」「人は植物に対してもっと『不真面目』でいい」――。
    地球温暖化、SDGs、樹木伐採にオフィス緑化……自然と人間が対立し、自然をめぐって人々が分断される時代に、私たちは植物とどのような関係を築けるだろう。
    園芸業界初の植物ケアサービス「プランツケア」を創始していま大注目の「哲学する園芸家」が、その特異な経験から紡ぎ出す、「自然とよりよく生きる」ための言葉と実践! 

    [目次]
    はじめに
    第1章 園芸二重スパイをめぐって
    1 園芸家系に生まれて
    2 園芸左翼と園芸右翼
    3 園芸二重スパイ誕生秘話
    第2章 超越としての植物
    1 植物は人を凌駕する
    2 超越的寿命
    3 超越的身体
    4 超越的知性
    5 超越的戦略
    第3章 園芸とは超越の飼い慣らしである
    1 園芸を問い直す
    2 飼い慣らし入門
    3 プランツケアの哲学
    第4章 自然は人を癒すのか
    1 自然愛と自然嫌悪
    2 自然と人為
    3 自然の自然さについて
    おわりに
  • 近代神経学の創始者ジャン=マルタン・シャルコー(1825-93年)は、パリ大学で学び、パリ医科大学の病理解剖学の教授を務めたあと、1882年にはサルペトリエール病院の神経病学の教授となった。同病院での膨大な臨床経験を通して神経学を確立したシャルコーの理論は、『火曜講義』と呼ばれる公開講義を通して知られるようになる。ヒステリー患者のパフォーマンスも行われたこの講義の様子は、アンドレ・ブルイエ(1857-1914年)の絵画(1886年)に描かれている。
    カタレプシー、嗜眠、夢中遊行という三つの状態をたどる「大ヒステリー=大催眠理論」を打ち出したシャルコーは、精神病理の領域に催眠術を導入したことで知られ、その理論はジークムント・フロイトやピエール・ジャネのほか、ジョセフ・バビンスキー、ピエール・マリーらに影響を与えた。
    本書の前半では、金曜日に行われていた『神経病学講義』を基にシャルコーの理論を概観し、さらにその生涯の事績を跡づけていく。その上で、後半では、医学を超えて思想や文学の領域にも見られるシャルコーの残響を見ることで、著者が「シャルコー的問題」と呼ぶものの広がりを示す。
    「神経病学のナポレオン」あるいは「科学界の帝王」と呼ばれたこの知の巨人は、『神経病学講義』や『火曜講義』の全訳が存在しないこともあって、日本ではよく知られているとは言いがたい。生誕200年を迎える2025年、すでに定評を得た概説書である本書を、全面的な改訂を施した決定版として、ここに刊行する。

    [本書の内容]
    第一章 すべてはシャルコーからはじまる
    第二章 男性ヒステリーとは?――『神経病学講義』より
    第三章 シャルコー神経病学の骨格
    第四章 大ヒステリー=大催眠理論の影響――フロイト、ジャネ、トゥーレット
    第五章 シャルコーとサルペトリエール学派
    第六章 『沙禄可博士 神経病臨床講義』――『火曜講義』日本語版の成立と三浦謹之助
    第七章 シャルコーの死とその後
    第八章 シャルコーと一九世紀末文化――ゴッホのパリ時代と『ルーゴン・マッカール叢書』
    終 章 ヒステリーの身体と図像的記憶

    文献一覧
    あとがき
    学術文庫版あとがき
  • 生前の埴谷雄高は作家としての時間と労力を可能なかぎり長篇『死霊』の執筆に注いだが、いっぽう思想家としてはさまざまな発信をつづけた。
    吉本隆明は埴谷の作品と思想の真価をもっとも深く受けとめた一人である。
    『死霊』五章以降、その発表時にはもちろん、折に触れて埴谷の言葉に誠実に応答しつづけた。
    ときに鋭い対立をはらんだが、吉本は埴谷への尊敬の念を保ちつづけた。それは埴谷への追悼文「埴谷雄高さんの死に再会して」に明らかである。
    長篇『死霊』についての作品論、短篇小説集に付した解説、エッセイ集などへの書評、政治的論文への批評、戦後文学が有効性を失ったと見えた時期になされた論争……と、様々な角度で吉本隆明が埴谷雄高と交わした応酬を本書では集大成する。
    本書を読むことは、個人が世界といかに対峙するか知るための、絶好の道しるべとなるであろう。
  • 2,607(税込)
    著:
    絓秀実
    レーベル: ――
    出版社: 講談社

    大江健三郎、大西巨人、金井美恵子、戦後民主主義と八月革命、「政治と文学」とケア……
    「文学のプロヴォカトゥール」による
    文学、思想、歴史を煽動する転覆的文芸批評の集大成!
  • 今日に至るまで絶大な影響を及ぼし、議論を引き起こし続けているフランスの哲学者ジル・ドゥルーズ(1925-95年)は、デイヴィッド・ヒュームやアンリ・ベルクソンなどを対象とした哲学史研究から学問的経歴を開始し、主著『差異と反復』(1968年)、そして『意味の論理学』(1969年)を公刊して、その地位を確かなものとした。
    飛躍を求めたドゥルーズは、精神科医フェリックス・ガタリ(1930-92年)との「二人で書く」企てに挑戦し、物議を醸した『アンチ・オイディプス』(1972年)、『千のプラトー』(1980年)を送り出す。さらに晩年には映画論や芸術論に取り組み、その全容は公刊が始まった講義録を通して、より明らかになりつつある。
    こうした多彩な相貌を見せるドゥルーズの「哲学」全体を貫く「原理」はあるのか? あるとすれば、それはどのようなものだったのか? 「20世紀最後の哲学者」の方法と対象を精緻に分析し、その核心と実践的意義に迫った本書は、広く評価され、多くの読者を得てきた。生誕100年、没後30年を迎える2025年、改訂を施し、新稿を加えた決定版として、講談社学術文庫に登場する。

    [本書の内容]
    第I章 自由間接話法的ヴィジョン――方 法
     1 自由間接話法
     2 哲学研究の課題
     3 哲学の課題
    第II章 超越論的経験論――原 理
     1 超越論哲学と経験論哲学
     2 無人島
     3 出来事
     4 超越論的な原理
     5 超越論的な原理の発生
    第III章 思考と主体性――実 践
     1 思考の強制
     2 思考の習得と方法
     3 物質に付け加わる主体性
    第IV章 構造から機械へ――転 回
     1 ガタリとの出会い
     2 構造と機械
     3 構造と構造主義
     4 セリー、ファルス、原抑圧
     5 『アンチ・オイディプス』と分裂分析
    第V章 欲望と権力――政 治
     1 ミシェル・フーコーの歴史研究
     2 『監獄の誕生』における二つの編成
     3 権力と二つの編成
     4 一元論と二元論
     5 欲望と権力
     6 欲望のアレンジメントと権力装置

    文献一覧

    研究ノート
    I 自然主義について
    II 総合的方法
    III 法/制度/契約
    IV 個の心と衆の心
    V 国家と考古学

    追加された研究ノート
    I スピノザにおける個体の概念と微分法
    II 類似的他者の概念
    III ドゥルーズの政治的発言
    IV 絵画とアナロジー
    V 目と手、ビジュアルとマニュアル、エジプトとギリシア

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