『戦記、文春ウルトラ電読フェア(実用、新書)』の電子書籍一覧
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特攻、これだけは伝えたい。
生還した11人からのメッセージ。
多くの“神話”と“誤解”を生んだ特攻。
その真実を知る最後の語り部たちが重い口を開いた。
四式重爆撃機「飛龍」、
百式重爆撃機「呑龍」、
四式連絡艇/四式肉迫攻撃艇「マルレ」、
九七式艦上攻撃機、
九七式戦闘機、
人間機雷「伏龍」、
零式艦上戦闘機、
一式陸上攻撃機、
四式戦闘機「疾風」、
九三式中間練習機。
心ならずも生き残った11人の元特攻隊員のロングインタビュー。
平和を知るために私たちの祖父、そして父たちの熱き想いに耳を傾けよ。
写真・図版多数。 -
上官の無謀な命令に抗い、部下を守ろうとした異色の将軍がいた!
当事者たちの記録や証言から真相に迫る「インパール」第2弾。
牟田口廉也中将が主導したインパール作戦において、
烈31師団長佐藤幸徳中将は、将兵の生命こそ至上であるとして、
補給なき最前線コヒマから独断で撤退し、師団長を解任される。
戦後著された佐藤、牟田口2人の回想録と、
豪雨と飢餓の飛散な情況に陥った将兵たちの証言を通じ、
群上層部の迷走と無責任を厳正に糺明にした、執念の戦記文学。
※この電子書籍は2019年8月に文藝春秋より刊行された文庫新装版を底本としています。 -
東京ドームの脇に「鎮魂の碑」という名の石碑が建っていることをご存知だろうか。
昭和五十六年(一九八一年)、後楽園球場の時代に造られ、東京ドームの完成に伴って今の場所に移築されたこの碑は、先の大戦で戦死したプロ野球(職業野球)の選手たちの御霊を鎮めることを目的として建立されたものである。「建立の趣旨」として、次のような言葉が刻まれている。
〈第二次世界大戦に出陣し、プロ野球の未来に永遠の夢を託しつつ、戦塵に散華した選手諸君の霊を慰めるため、われら有志あいはかりてこれを建つ〉
この碑には、計六十九名の選手が祀られている。名前の列記の中には、沢村栄治のように一般的に知られている著名な選手の名前もあれば、殆ど無名の方もいる。本書では、この碑に名前の刻まれている野球人たちの中から六名を選び、その生涯を紹介する。
更に、一口に「戦場に散った野球人」と言っても、それはプロ野球の選手だけではなく、学生野球で活躍した者たちも少なくなかったことを踏まえ、「伝説の大投手」こと嶋清一についての章を加えており、計七名の生涯の記録ということになる。この石碑に内包されている血と涙の記憶とは、どのようなものだったのか。時代の不条理とは常に単層構造ではありえず、その実相を描くには百万言あっても足りないが、僅かなりとも鎮魂の一助とすることを目的に著者が精魂こめて書き下ろしたノンフィクションである。 -
“大虐殺の首謀者”として裁かれた軍人は中国を深く愛していた。ついに明らかになる南京戦の全貌──。
折り重なる屍体。過酷な戦場の現実。押し寄せる日本軍に中国軍司令官は逃亡する。軍律に厳しい松井と血気にはやる師団長の確執。中国便衣兵の無法と日本兵の混乱……。その時、南京城内で何が起きたのか?
南京事件の罪を問われ東京裁判で処刑された松井石根を、中国人は今も「日本のヒトラー」と呼ぶ。著者はこの悲運の将軍の生涯を追いながら、いまだ昭和史のタブーとされる事件全貌の解明に挑む。
【目次より】
第1章 日中友好論者への道
第2章 大亜細亜協会の台頭
第3章 上海戦
第4章 南京戦
第5章 占領後の南京
第6章 興亜観音
第7章 東京裁判
最終章 歿後 -
戦死者10222名。最後に残ったのは34名。
玉砕から75年、いま明かされるペリリュー戦の全貌。
フィリピンの東、小笠原諸島の南西に浮かぶ島国パラオ共和国。
戦後70年の節目となる2015年4月8日、天皇皇后両陛下(現在の上皇上皇后両陛下)は、この国の南部に位置するペリリュー島を訪問され、日米それぞれの慰霊碑に献花された。
宿泊されたのは巡視船内、移動は大型ヘリという強行軍であった。
そうまでして両陛下が慰霊のために訪問されたのはなぜか。
この島こそ、太平洋戦争でも有数の激戦地でありながら、人々の記憶から消えようとしているからではなかったか。
ペリリュー島にあった大型空港の確保を狙う米軍の総兵力は約4万2000人。
主力は米軍最強ともうたわれた第一海兵師団であった。
いっぽう日本の守備隊は約1万人。寡黙な九州男児である中川州男大佐に率いられた「陸軍最強の精鋭部隊」との声もある水戸の歩兵第二連隊が中心である。
自滅覚悟の「バンザイ突撃」を禁止し、太平洋の防波堤たらんと、守備隊は島じゅうに張りめぐらせた地下壕を駆使して、74日間にもおよぶ徹底抗戦を試みる。
昭和天皇から発せられた「お褒めのお言葉」(御嘉尚)は異例の11回。
米第一海兵師団は史上最悪ともいわれる損害をこうむった。
中川大佐の人生、満洲から転戦した歩兵第二連隊の記録を追いつつ、ペリリューでの壮絶な戦闘を、帰還兵の貴重な証言や現地取材などを通じて描き出すノンフィクション。 -
かつて、地中海からインドにかけて、壮大な大帝国を築いた青年がいた。その名は、アレクサンドロス――。
紀元前359年、ギリシャ辺境の地マケドニアの王子として生まれ、父フィリッポスの急死により弱冠20歳の若さで即位するや、東方アジアへの遠征を敢行。小アジア、エジプトを制圧し、ついに宿敵・ダレイオス王を破り、ペルシャ帝国を征服する。しかし、アレクサンドロスの野望は止まることを知らない。さらに東方へ兵を進めようとする矢先、病に倒れ、33年の短い一生を閉じる。大王の死後、40年に渡る後継者戦争の末、アレクサンドロスの妻子は殺され家系は断絶、彼が築いた帝国は臣下たちによって解体され、分割統治されることになる。
マケドニア生まれの一青年を「世界」の涯へと駆り立てたものは一体何だったのか? 友人で部下のリュシマコスの目を通して描かれる、大王の知られざる真実の姿とは――。
「アレクサンドロスは、もちろん俗人の域をはるかに超えていただろう。しかし、「超人」ではなかった、と思う。超人に対する畏敬の念ではなく、リュシマコス達は彼に深い愛情を抱いていたのではないか。敬意に加えて親しみを、畏れに加えて憐憫の情を。彼の短い人生と長い遠征に同伴した人々はみな感じていたのではないか。そう想像しつつ僕もつかの間、一兵卒として隊列の端に加わってみることにした」
(本書「あとがき」より)
『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』の巨匠・安彦良和が描く、歴史ファンタジーの傑作! -
救世主、悪魔つき、煽動家、それとも只の人──。「イエス」とは一体、何者だったのか?
ローマ帝国統治の下、大王ヘロデが君臨するパレスチナの地。予言者ヨハネから洗礼を受け、荒野での修行の後、イエスは故郷ガリラヤで教えを説き始める。病人を治し、死者を甦らせるなど数々の“奇蹟”を起こすイエスの周りには、多くの崇拝者が集まるが、その中にヨシュアという若者がいた。彼は、ある”密命“を帯びて、イエスに近づいてきたのだった。
イエスを敵視するユダヤ教聖職者たち、イエスを担いでローマ帝国に武装蜂起を企む一派など様々な思惑が渦巻くなか、イエスは自らの死を予感しつつ、聖地エルサレムへと向かう。イエスに心酔するヨシュアは、師を助けようとして事件を巻き込まれ、イエスと一緒に磔にされてしまう──。
「イエスは二千年前に生きた情熱的な宗教家です。彼は「自分はいったい何者であるのか」という疑問を宗教的に問い続けます。しかし、福音書の随所に表れるその問いのなんと動揺していることでしょう。時には弟子に向けられるその問いのなんと執拗なことでしょう。「神の子である」と、死に臨んでも断言しておりながら、見えすぎる眼が早くから彼に告知する「逃れられない死」に怯える彼の姿の、なんと弱々しく人間的なことでしょう」
(本書「あとがき」より)
『機動戦士ガンダムTHE ORIGIN』の偉才・安彦良和がオールカラー400ページで描く、歴史コミックの金字塔! -
“奇蹟の少女”ジャンヌ・ダルクの火刑から10年、一人の少女がジャンヌの幻を追って、歴史の荒波へと立ち向かっていく──。
ロレーヌ公爵の娘として生まれながら男子として育てられたエミールは、ジャンヌと運命の糸で結ばれていた。幼い頃に城でジャンヌと会っていたし、養父ボードリクールはジャンヌを祖国解放の戦いへと送り出した張本人だった。成長したエミールは、ジャンヌの幻影に導かれるように、フランスを救うため旅立つのだった。
英仏百年戦争も終局を迎え、ジャンヌ・ダルクの奇蹟的な戦いによってフランスは最大の国難を乗り越え、新王シャルル七世の下、失地を徐々に回復しつつあった。その矢先、重大事が勃発する。野望に満ちた王太子ルイが、父王シャルルに反旗を翻したのだ。弱気な王への信望は薄く、かつてジャンヌと戦った武将たちもこぞって王太子に味方し、フランスは分裂の危機に直面していた。エミールは王シャルルを救うべく、ジャンヌの足跡を辿るかのように、敵中を進んでいく──。
「人々が戦にあけくれていた暗黒の時代、ジャンヌの存在が奇蹟であるためにはほんの少しの超日常があれば良かったのではないか。彼女がその心の清浄さと義憤とによって一種のトランス状態に至ったのが実情だったとしても、その分だけ確かに通常の人の丈を超えて世界に開眼したのだとすれば、それを奇蹟と呼び、神がかりと呼んでもさしつかえないのではないか」
(本書「あとがき」より)
『機動戦士ガンダム・オリジン』の巨匠・安彦良和がオールカラー550ページで描く、圧巻の歴史ファンタジー! -
内戦を完璧に封じ込めた「1.0」=江戸、
包括的な近代化を達成した「2.0」=明治、
弱点を強みに変えた「3.0」=戦後。
そしていま、日本は自ら戦える国「4.0」に進化する!
世界的戦略家による緊急提言!
日本に核武装はいらない。
必要なのは「先制攻撃能力」と「作戦実行メンタリティ」だ。
[ルトワック語録より]
●日本のチャンスは北朝鮮の非核化が本格的に開始されてからだ。
●戦争で必要なのは、勝つためになんでもやるということだ。そこにはズルをすることも含まれる。目的は「勝つこと」であり、「ルールを守ること」ではないからだ。
●見事なパレードを行う軍隊は、ほぼ実戦で役に立たない。無駄なことにコストを使っているからだ。
●米中の対立の主戦場は、もはや軍事的な領域から、地経学(ジオエコノミックス)的領域に移りつつある。
●もし日本が本当にリアルな戦略を考えるならば、最優先されるべきは少子化対策だ。 -
特攻作戦の全貌を綿密な取材と膨大な資料を駆使して明らかにした入魂の大作。
ベストセラー『不死身の特攻兵』の鴻上尚史氏もリスペクトする戦史小説の金字塔!
菊池寛賞受賞。
レイテ決戦に執着する大本営が縋った特攻作戦。
9回出撃しても生還した“不死身の特攻隊員”佐々木友次伍長。
特攻隊を置き去りにして敵前逃亡した冨永軍司令官。
特攻隊の命中率は非常に悪かったのに、大本営は米艦撃沈のウソの発表をして、国民をだましつづけた。
大戦果をあげたはずの特攻隊員が、後で引き返してきたり島に不時着したりすると、この“生きた軍神”を直ちに“処刑飛行”に追い出すのだった。
次々と消耗品のように死地に投ぜられた若者の群像を描く。 -
二度と戻れないことを承知で、真珠湾の奥深く向った特殊潜航艇「甲標的」の搭乗員。敵潜水艦の危険を知りつつ、魔の海峡に突入した高雄型重巡戦隊。滅び去ることを目的に沖縄への特攻出撃を命じられた戦艦大和。幕末からわずか七十年足らずで世界三大海軍の一角を占めるようになりながら、3年8カ月の太平洋戦争によって消え去った日本の「いくさぶね」の姿が日米全調査で甦る。
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特攻作戦の全貌を綿密な取材と膨大な資料を駆使して明らかにした入魂の大作。
ベストセラー『不死身の特攻兵』の鴻上尚史氏もリスペクトする戦史小説の金字塔!
菊池寛賞受賞。
レイテ決戦に執着する大本営が縋った特攻作戦。
9回出撃しても生還した“不死身の特攻隊員”佐々木友次伍長。
特攻隊を置き去りにして敵前逃亡した冨永軍司令官。
冨永軍司令官は特攻隊の出撃のたびに、自分も最後の一機で突入すると激励した。
昭和20年1月9日、アメリカ軍がリンガエンに来襲するや、冨永軍司令官は特攻隊と諸部隊を置き去りにして逃走した。
さらに悪辣な計画をたて、最後の一機で台湾に逃げ去ったのだ。この史上最悪の敵前逃亡の真相をえぐる。 -
特攻作戦の全貌を綿密な取材と膨大な資料を駆使して明らかにした入魂の大作。
ベストセラー『不死身の特攻兵』の鴻上尚史氏もリスペクトする戦史小説の金字塔!
菊池寛賞受賞。
レイテ決戦に執着する大本営が縋った特攻作戦。
9回出撃しても生還した“不死身の特攻隊員”佐々木友次伍長。
特攻隊を置き去りにして敵前逃亡した冨永軍司令官。
特攻隊は“志願”と一般に思われているが、これは全くの間違いで、本人の意思を無視した強制であった。
「体当り機」は機首に“死の触覚”の起爆剤がついており、爆弾は機体に固着させ、投下装置がなく、体当りをせざるをえないように造られていた。
この非人道的な“棺桶飛行機”の体当り効果のウソをあばく。
(*荒垣秀雄氏の解説は収録していません。) -
太平洋戦争時、日本領土内で起こった劇的な出来事を発掘!
当事者に綿密な取材を行って書き上げられた衝撃の戦史小説
北海道の海辺の寒村に次々と流れ着く死体の群れ。沖合で潜水艦に撃沈された輸送船では、上陸用舟艇に載れたのは将校ばかりだった(「海の棺」)
ソ連軍の侵攻にさらされた樺太の炭鉱町で、看護婦たちが集団自決を図った。記者の取材に生き残った元看護婦たちは固く口を閉ざすが……(「手首の記憶」)。
昭和20年8月22日。戦争は終わったはずの北の海で、ソ連籍と思しき潜水艦の攻撃で沈没した「小笠原丸」の悲劇(「烏の浜」)。
沖縄戦で軍司令部の散発要員として軍に帯同した理髪師が見た、軍司令官自決の真実(「剃刀」)。
訓練中に不幸な事故で沈没した潜水艦・伊三十三。9年の歳月を経て引き上げられた艦内の一室からは、生けるが如き13名の遺体が発見された(「総員起シ」)。
全5篇を収録。 -
インド洋を横切り、アフリカ大陸を回りこんで大西洋を北上する3万キロの隠密行!
第二次大戦中、五回に渡って行われた遣独潜水艦作戦の全貌を描いた著者最後の戦史小説
太平洋戦争勃発後、連合国側に陸路・海路を封鎖され、日本と同盟国ドイツとの連絡は途絶した。この苦境を打破するため、海軍は潜水艦を単独でドイツに派遣する“遣独潜水艦作戦”を敢行した。
マラッカ海峡を抜けてインド洋を横断し、アフリカ大陸を南下、喜望峰を回りドイツ占領下フランスの大西洋岸の港まで、はるか3万キロを連合国側の厳重な対潜哨戒網をかいくぐって往復するという、過酷極まりない作戦。
伊30、伊8、伊34、伊29、伊52。五次に渡る作戦の中で、無事に日本に帰還したのは第二次の伊8一隻に過ぎなかった。
「文藝春秋」連載中から大きな反響を呼び文藝春秋読者賞を受賞。そして本作が著者最後の戦史小説となった。
解説・半藤一利 -
太平洋戦争で最も無謀だったといわれるインパール作戦。昭和19年3月、ビルマから英軍の拠点があったインド北東部・インパールの攻略を目指した日本軍は、この作戦で歴史的敗北を喫した。「インパールの悲劇」は“日本の東条”とビルマの“小東条”牟田口廉也の握手から始まった――史実に基づいた考証と冷静な筆致と気迫で、涙と憤りなしでは読めない、第一級の戦記文学を復刊!「何しろわしは、支那事変の導火線になったあの盧溝橋の一発当時、連隊長をしていたんでね。支那事変最初の指揮官だったわしには、大東亜戦争の最後の指揮官でなければならん責任がある。やるよ、今度のインパールは五十日で陥してみせる」功名心に気負いたつ軍司令官・牟田口中将の下、いたずらに死んでいった人間の無念。敗戦後は部下に責任転嫁し、事実の歪曲を押し通した軍人を許すまじ!本書はその実相を書き、牟田口廉也批判の口火を切った『イムパール』に、著者自ら大幅な改訂を加えた文庫決定版。
【目次】
戦いの日の回想―序にかえて―
インド征服の夢
先手後手
インパール見ゆ
狂奔
雨季
ビシェンプール攻撃
壊滅
死の道
肉体の限界
時期作戦準備中
戦記の中の真実―あとがきにかえて―
〈インパール作戦〉地図・部隊編成表 -
「昭和史」対話篇、待望の文庫化。
『世界史のなかの昭和史』が刊行され、代表作「昭和史シリーズ」が完結――それらのエッセンスを、12本の対談で理解できる!
あの戦争の指揮官たちのそれぞれの戦後。
硫黄島の戦いに殉じた栗林中将の手紙。
東京空襲の夜に凧を揚げていた少年。
「阿部定事件」で中断した国会。
反安保デモの終わった夜――。
激動の「昭和史」を目撃した半藤氏と12人の対話がポスト平成時代に問いかける。
「私たちは『昭和』をこう生きた。君たちはどう生きるのか?」
もはや対談者の多くが鬼籍に入られたいま、この本そのものが「昭和史」です。
〈対談者とテーマ〉
●澤地久枝――ふたつの戦場 ミッドウェーと満洲
●保阪正康――指揮官たちは戦後をどう生きたか
●戸高一成――なぜ日本人は山本五十六を忘れないのか
●加藤陽子――天皇と決断
●吉村昭――東京の戦争
●梯久美子――硫黄島と栗林忠道
●野中郁次郎――撤退の本質
●野坂昭如――繁栄という名の貧窮
●宮部みゆき――熱狂の昭和
●丸谷才一――戦争と艶笑の昭和史
●佐野洋――清張さんと昭和史
●辻井喬――希望と喪失の世紀 -
第一次世界大戦100年目の真実。第一次世界大戦末期、1918年の「春季大攻勢」でドイツ軍は連合国軍の塹壕線を突破、戦術的な「大成功」を収めた。しかし、それからわずか半年後には降伏することとなったのはなぜなのか。ドイツ国内での革命や裏切りのために敗れたという歴史観もあるがそれは真実なのか。ドイツ軍の頂点に立ち、その強さの象徴であった参謀本部とそのリーダーたちは対処したのか。容赦なく勝つことはできても、上手に負けることができないドイツというシステムを徹底検証。19世紀から今日にまで続くドイツ・システムの強さの要因とともに、その危険性について探った!
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2016年末、米国新大統領に当選したトランプ氏と安倍総理がニューヨークのトランプ・タワーで電撃会見し、大きなニュースとなった。この会見で安倍総理をアテンドしたのが、安倍家と親しい米国弁護士の村瀬悟氏。悟氏は、米国の有名弁護士事務所のパートナーを務める日系人3世だ。
村瀬家は、米国の日系人サークルの中でも特別な地位を占める。そのルーツは、悟氏の祖父に遡る。悟氏の祖父は、軍医として日露戦争で活躍するも、日本の医学のレベルの低さを知り、米ニューヨークのメディカル・スクールに留学。現地で開業する。ここから、日系人・村瀬家が始まる。
そしてニューヨークで誕生したのが、本書の主人公、村瀬二郎氏だ。二郎氏は、日系2世として米国で育つが、「大和魂を忘れるな」という父の方針で中学のとき日本に帰国。しかし、旧制芦屋中学在学中に太平洋戦争が始まる。立派な軍国少年へと成長した二郎氏だが、国籍の問題は常に二郎氏を悩ませる。そして戦争が終わり、米国に戻ると、今度は米国陸軍への徴兵が待っていた……。
青春時代に戦争にぶつかり、「二つの祖国」の狭間で悩み、苦しんだ二郎氏は、その後、アメリカで弁護士になるが、こんどは日米貿易摩擦の矢面に立たされる。「戦争前夜」とまでいわれた日米関係の悪化。そのとき、二郎氏は日本のために、摩擦解消に陰に日向に尽力する。
激動の20世紀に「二つの祖国」を生き抜いた男は、「大和魂」と「アメリカンスピリッツ」の狭間で何を考え、どう行動したのか。
「堤清二『最後の肉声』」(「文藝春秋」掲載)で2016年(第47回)大宅壮一ノンフィクション賞(雑誌部門)を受賞した筆者の受賞第一作の大型評伝! -
21世紀の日本人は「あの戦争」から何を学ぶべきなのか?
書籍の刊行から10年を経て、いまも読み継がれる名著、待望の電子化!
対米戦争の目的は何だったのか? 陸軍エリートはどこで間違えたのか? 特攻、玉砕、戦艦大和……開戦から敗戦までの疑問を徹底的に掘り下げ、20世紀日本最大の失敗を最高のメンバーが論じた。その議論は戦略論、組織論、日本人論、エリート論など広範囲にわたり、戦後70年を過ぎたいまなお、輝きを失わない。
議論された人物、歴史的な出来事などに詳しい注がついているので、近現代史の入門書としても最適。
【目次】
<第一部>座談会 あの戦争になぜ負けたのか
1.対米戦争の目的は何だったのか
2.ヒトラーとの同盟は昭和史の謎
3.開明派・海軍が持つ致命的欠点
4.陸軍エリートはどこで間違えた
5.大元帥陛下・昭和天皇の孤独
6.新聞も国民も戦争に熱狂した
7.真珠湾の罠 大戦略なき戦い
8.特攻、玉砕、零戦、戦艦大和
<第二部>あの戦争に思うこと
●空しかった首脳会議(半藤一利)
●八月九日の最高戦争指導会議(保阪正康)
●私の太平洋戦争観(中西輝政)
●果たされなかった死者との約束(戸高一成)
●戦わなかった戦争から学ぶということ(福田和也)
●戦争を決意させたもの(加藤陽子) -
ユダヤ人「命のビザ」救出劇はもう一つ存在した!
リトアニアの外交官、杉原千畝(ちうね)が逃げてきた約六千人ものユダヤ人難民に対して特別ビザを発給し、その命を救った救出劇は多くの人に知られている。
しかし、その二年半前、満州のハルビン特務機関長だった樋口季一郎が、ナチスの迫害からソ満国境の地まで逃げてきたユダヤ人難民に対し特別ビザの発給を実現させた「オトポール事件」は歴史の中に埋没してしまった。
そのユダヤ人救出劇から5年、北方軍司令官となっていた樋口は札幌・月寒の軍司令部にいた。
彼の指揮下にあるアッツ島には無数の米軍上陸部隊が押し寄せていた。樋口は現地軍に対して一度は「増援部隊」を送ることを伝えた。しかし大本営の決定により、増援部隊の派遣は中止となる。樋口は涙を流しながら、その命令を現地に伝えたという。
アッツ島は玉砕。かつて満州の地において多くのユダヤ人を救った男は部下の命を助けることができなかった。オトポール事件の立役者は「日本初の玉砕戦の指揮官」という汚名をかぶることとなってしまう。
本書は運命に翻弄された元陸軍中将、樋口季一郎の生涯を追ったノンフィクションである。 -
生命を賭けて大空を飛んだ男たちの証言。
昭和15年、中国大陸での衝撃的なデビュー、真珠湾からラバウル航空戦、そして終戦間際の神風特別攻撃まで。現場にいた男たちが綴る。
「零戦搭乗員会」とは1978年に発足し、2002年まで運営された旧海軍搭乗員の会である。
その後継団体として発足した「零戦の会」が、「零戦搭乗員会」の会報「零戦」に掲載された回想を中心に、会員の私家版、雑誌記事などを加えてまとめたものが本書だ。
【目次】
第一章 零戦前史--海軍戦闘機隊の草創から支那事変まで
第二章 零戦の登場
第三章 大東亜戦争開戦
第四章 珊瑚海からミッドウェーへ
第五章 空と海を紅に染めて--死闘ソロモン
第六章 マリアナ沖から比島攻防戦へ
第七章 沖縄--本土防空戦
付 追悼・開発・復元
資料 海軍搭乗員の養成コース、関連年表ほか
※本書は『零戦、かく戦えり!』(文春ネスコ)を再編集したものです。 -
もっとも死ぬ確率が高い特殊部隊の創設者が語る究極の組織論。
新安保法制が施行され、「自衛隊員の戦死」が現実味をおびてきた。しかし、今の日本という国家に「死ね」と命じる資格はあるのだろうか。国のために死ねる人間を作るにはどうしたらいいのか――。
【著者プロフィール】
1964年生まれ。日本体育大学から海上自衛隊へ。防衛大学校指導教官、「たちかぜ」砲術長を経て、イージス艦「みょうこう」航海長に。在任中の1999年、能登半島沖で不審船と遭遇。この事件を契機に創設された海上自衛隊内初の特殊部隊「特別警備隊」に配属され、現場突入部隊の初代指揮者として足かけ8年間在籍。42歳で退官し、ミンダナオ島に拠点を移し、日本を含む各国の警察、軍隊を指導。現在は日本の警備会社のアドバイザーを務めるかたわら、私塾を開いて、みずからの知識、技術、経験を後進へ伝えている。
【おもな目次】
第一章 海上警備行動発令
北朝鮮戦闘員の目/初めての海上警備行動/警告射撃開始 など
第二章 特殊部隊創設
特別警備隊準備室/レンジャー訓練の実態/自衛隊は弱いのか など
第三章 戦いの本質
拉致被害者を奪還できるか/相手に勝つということ/平時と非常時/常識を捨てられない問題 など
第四章 この国のかたち
あなたの国は、おかしい/トロい奴は餌/危うい行動美学 など -
なぜ日本はあの戦争に突入したのだろう? 二・二六事件当時の世相はどんなだったか? 木戸幸一の語った新事実とは? 陸軍の暴走はどのように始まったのか? 天皇の統帥権の実態とは? 元老西園寺・木戸・近衛と原田熊雄を中心に、貴重な談話・手紙・一次資料からの豊富な引用を交えた、立体的な昭和史。当代きっての事情通・原田熊雄の女婿ならではの情報力で描き出されたこの大河歴史ドキュメントは、歴史を多面的に知りたい人にとって、まことに平易かつ便利な通史である。
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神風特攻隊の先駆けとなった若者たちレイテ島沖で米空母に体当りをし、若い命を閉じた神風特別攻撃隊敷島隊の五人の若者たちは、何を思い、いかに生きようとしたのか
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“最後の文士”高見順が、第二次大戦初期から死の直前まで、秘かに書き続けた精緻な日記は、昭和史の一級資料たるのみならず、日記文学の最高峰の一つとなった。ここに収録されたのは昭和20年1月から12月までの記録で、自己をも押し流しながら破局へと突き進む空襲下の8月までと、すべて価値観が変わってしまった、連合軍の占領下にある年末までの日本の悲劇を、冷徹で仮借ない文学者の目をもって率直に活写した、ハイライトの部分である。
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昭和18年の秋、家族六人を支える中年の版下職人、松本清張のもとへ突然の召集令状がきた。34歳にして戦場へ送られた体験がこの作家の根底に残した深い傷へ、担当編集者だった著者が迫る。
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神風特攻隊から70年。大西瀧治郎中将は、なぜ「特攻」を命じたのか。「特攻隊の英霊に曰す 善く戦ひたり深謝す」。昭和20年8月16日、大西瀧治郎中将はそう書き遺して自刃した。自ら企図した特攻を「統率の外道」と称しながら、なぜ数多の若者に死を命じなければならなかったのか。生存者の証言をもとに、特攻の父と呼ばれた男の謎に迫る衝撃のノンフィクション!
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日露戦争で勇名をはせ海軍大将まで昇りつめた鈴木貫太郎は、侍従長としても天皇の信頼が厚かった。敗色濃い昭和20年4月、鈴木は老齢ながら「最後のご奉公」と総理大臣に就任。徹底抗戦、一億玉砕論渦巻くなか、太平洋戦争に終止符を打つために動く。天皇は「この際、自分のできることはなんでもする」と御前会議で語り、“聖断”により戦争は終わった。平和を希求される天皇と、国家の分断を阻止し、狂瀾を既倒に廻らす大仕事をなす宰相の感動の終戦実録。
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神風特攻隊の先駆けとなった若者たちレイテ島沖で米空母に体当りをし、若い命を閉じた神風特別攻撃隊敷島隊の五人の若者たちは、何を思い、いかに生きようとしたのか
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いまこそ歴史を武器に変えるとき!「歴史が人間によってつくられる限り、われわれはまた、同じような判断ミスを犯すだろうし、似たような組織をつくる」(半藤一利)「戦後70年が経って、戦争が遠くなったのではなく、新たな戦争が近づいていると感じています」(佐藤優)昭和史研究とインテリジェンスの第一人者が、731部隊、ノモンハン事件、終戦工作、昭和陸海軍と日本の官僚機構・・・昭和史の中に組み込まれている悪の構造を顕在化させることに挑んだ。目次第一章 よみがえる七三一部隊の亡霊第二章 「ノモンハン」の歴史的意味を問い直せ第三章 戦争の終わり方は難しい第四章 八月十五日は終戦ではない第五章 昭和陸海軍と日本の官僚組織第六章 第三次世界大戦はどこで始まるか第七章 昭和史を武器に変える十四冊
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「戦後30年、私は未だ復員しきれていないような気がする。軍隊の理不尽に耐えていた期間と、生死のはざまをナロウ・エスケープした100日間の体験は、確かに私に終生のテーマとするものを怨念として与えた。それをフィクションとして表現したのが『人間の条件』であり、ドキュメントとして誌したのが本書である」(あとがきより)。日本帝国陸軍野望の象徴「関東軍」はかく壊滅せり! 元関東軍の兵士だった著者が怨念をこめて綴る力作長編。
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日本は太平洋戦争をどのような目算で戦ったのか? 負けが込んできてからの情報は上層部にどう伝えられたか? 敗戦前後、権力の中枢にある政治家や軍人たちはどう振舞った? 蘆溝橋事件、三国同盟、日米開戦そして敗戦──そのとき天皇の周辺のみが知り得た膨大な事実の証言をもとに描く、昭和史の悲劇のクライマックス。著者(当代きっての事情通・原田熊雄の女婿)ならではの情報力で、元老西園寺・木戸・近衛と原田熊雄を軸に描かれる、分かりやすく迫力ある昭和史。
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世界に冠たる傑作機「零戦」。真珠湾攻撃、比島制圧、ラバウル進攻、豪州ダーウィン攻撃、山本五十六長官撃墜、ミッドウェー海戦、神風特別攻撃隊など、ひとつの戦闘機がたどった戦史を、七人の搭乗員たちの歩みと重ね合わせて描く。それぞれの兵士の肉声を通じて浮かび上がる、あの戦争の実相とは。
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「絶対悪」が、背広をきてソファに座っている……著者が辻政信に初めて会った感慨である。師団によっては76%という絶望的な損耗率のノモンハン事件を扇動しながら、狂いもせず、戦後は国会議員となった男。この戦いを可能にしてしまったのは、いったい何だったのか? 参謀本部作戦課と関東軍作戦課、二つのエリート集団が齟齬をきたし、満蒙国境の悲劇がはじまった。モスクワのスターリン、ベルリンのヒトラーの野望、中国の動静を交えて雄壮に描く、ノモンハン事件の決定版。
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戦火のサイゴンで日本の新聞記者が、大輪の花のような笑顔に惹かれて子連れのベトナム女性と結婚した。サイゴン陥落後、日本に移り住んだ親子3人だったが、妻のベトナム式生活ぶりと子育て方はまったく変わらず。親に絶対服従のスパルタ教育にショックを受け、可愛いペットのウサギ料理に度肝を抜かれ……毎日のように巻き起こる小事件を通して、アジア人同士のカルチャーギャップを軽妙な筆で描く。大宅壮一ノンフィクション賞受賞作品。
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沖縄戦の直後、アメリカ陸軍は兵士向けに、日本軍との戦闘用マニュアル『卑怯な日本軍』を刊行した。その小冊子には、太平洋戦争の末期、アメリカ軍が日本軍に対して抱いていた「卑怯」というイメージがあふれている。本書の第一章では、その記述や写真・図版をもとに、アメリカ軍がいかに、日本軍の不意打ち、地雷、トラップといったゲリラ戦術を警戒していたのか明らかにする。第二章以降では、逆に日本軍が作成した対アメリカ戦闘用のマニュアルを紹介する。対米戦マニュアルの原型は対中国戦向けであり、日本軍の戦法についていえば、日中戦争と日米戦争は不可分であった。また、対米戦法の模索をみながら、日本の軍人たちがどこに勝機を求めていたのかを考察。気鋭の歴史学者が、マニュアルを読む日米兵士の立場から、あの戦争について考える。当時の両国兵士の意識を知ることは、日米関係の将来を冷静に考えるためにも必要ではないだろうか。
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