『岡島慎二、「日本の特別地域」シリーズ(日本の特別地域)(実用)』の電子書籍一覧
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なんにもないのにいこごちがいい富山の謎
地域批評シリーズ「富山県」は北陸地方では「福井県」「石川県」に次いで第三弾目となります。
北陸新幹線が開業し、多くの観光客が石川県金沢へ流れて行き、富山はダダの通過点となるだろうとの予測でしたが蓋開けてみると意外に富山にも多くの観光客が来県している模様です。
もともと、富山県は石川県と一緒の県であり、明治後半に独立して富山県が誕生しました。
歴史を見ても、加賀藩の支藩であり、そのため、今でも石川県の下請け工場とも揶揄されています。
また、「富山の薬売り」は有名ですが、薬売りをしながら、各地方や京、江戸などの情報を手に入れ、つまり、今のスパイですが、その情報を加賀の殿様に伝えていました。
そのため、加賀の殿様は「富山の薬売り」を相当大事にしていたそうで、富山の人は薬売りがいたから加賀百万石として成り立ったのであり、富山のおかげで石川はあると県民は思っているようです。
富山は工業、漁業、農業とバランスよく発展をし、経済力も豊かでライトレールなど、まちづくりも斬新でアイデア豊富であり、
石川と比べ、新しいものにどんどんチャレンジして行き、全国から最も注目を集めてる県のひとつです。
その富山の秘密を解き明かして行きます。 -
隣人と対抗意識を燃やす静岡県民
静岡県は大きく分けて伊豆、駿河、遠江の3エリアに分けられます。
行政的にはもう一つ、御殿場を中心にした東部地域もあります。
それぞれ、特徴がある静岡県ですが、各エリアごとの特徴を余すことなく読める本になっております
静岡市や浜松市はライバル心が強く、いつも対決している状態! ?
富士山が世界遺産になったことなどで外国人の観光客を押し寄せ、伊豆地方は大混乱! ?
各地域は対決姿勢が強く、反発しあっている状態で静岡県としてのまとまりが全く無い! ?
…静岡県を知るための必読の一冊! ! -
実力がないのに気位だけは高い!?
北陸新幹線が開業して1年になり、多くの観光客で石川県は大繁盛といったところです。
これまでのところ、北陸新幹線の特需は相当、石川県には影響しているものと思われます。
しかし、この1年で見えてきた課題も多くあります。
石川県は大きく能登地方と加賀地方とに分けられます。
能登地方に住む住民は今でも加賀地方に住む住民とはうまくいっていないようで何かと加賀の人は冷たく、優柔不断で保守的で何事にも新しいものにチャレンジしない。
そのくせ、殿様みたいに常に上から目線で人を見下すと言っています。
加賀の人は能登の人(福井、富山も含む)をずるがしこくて人のものをコソドロのようにアイデアや伝統文化を盗んでいくとみています。
そういった地方での争いや独特の文化・風習など事細かに編集した一冊になります。 -
意地の張り合い!?でも、いざとなると団結する福岡県民
筑前、筑後、豊前、筑豊 いまだに、プライド合戦中!福岡県は人口510万人を有する九州を代表する県ですが
福岡県は大きく分けて筑前、筑後、豊前、筑豊というエリアに分かれています。
筑前は商業・経済の福岡市を中心にしたエリアで筑後はブリジストンを代表とする企業都市としての久留米市を中心にしたエリア、
豊前は新日鉄住金(八幡製鉄所)を代表とする工業地帯の北九州市を中心にしたエリア、
筑豊はかつて炭鉱で栄え、現在は観光・IT企業でガラッと変わった飯塚市を中心にしたエリアとなっております。
この4つのエリアは江戸時代からの藩によって風習・習慣・ことばなど同じ県なのにあたかも独立国家があるかの如く、まったく違う要素を今ももち、心の中では反目しています。
このような視点だけでも福岡県は謎の多い県なのです。
また、近年、九州新幹線開通や博多港整備により、国内だけでなく、海外からも多くの観光客が押し寄せています。
このように活況ある福岡県ですが、各エリアごとに格差が広がり、高齢化も深刻です。プライド高い福岡人の本音を深く探っていきます。 -
仙台以外ピンとこない宮城県の実態
全国各地ベストセラーのご当地本シリーズ待望の「宮城版」! !
「地域本」東北シリーズの最後を飾る宮城県。東北一の都市として、太平洋沿岸部から奥羽山脈の麓にかけて広大な平野部を持ち、ササニシキ・ひとめぼれなどの稲作中心の農業が行われており、米所として全国的にも有名です。
歴史的には、現在の宮城県の領域は古墳時代からヤマト王権の影響下にあり、雷神山古墳や陸奥国府と推定される官衙(郡山遺跡)が名取郡に置かれ、後に宮城郡に多賀城(陸奥国府・鎮守府)や陸奥国分寺、陸奥国分尼寺が置かれました。
室町時代になると、奥州管領となった大崎地方の大崎氏を中心に東北地方の支配体制が構築されます。
そして、17世紀にかの有名な伊達政宗が、大崎地方の岩出山城から宮城郡に移り、仙台城を築いて城下町を築き上げました。
その後、現在に至るまで、経済・産業・インフラ・文化などにおける、東北一の都市として、名を馳せてきました。
そんな、東北一の都市として、全国に名を轟かす宮城県ですが、県民の態度は高飛車といわれ、他の東北県民からは、総スカンを喰らっているのが実態です。
しかし、経済・産業・インフラ・文化などの面で、宮城県に依存せざるを得ないのも、他の東北県民にとって現実なのです。
東日本大震災から5年目を迎える2016年、復興の旗手としての役割を担いながら、東北のリーダとして注目を浴びつづける宮城県の、様々な課題やこれから歩むべき未来の姿を、徹底した現地取材と多様なデータを基に、探究していく一冊です。 -
素朴で我慢強い岩手民
南部VS伊達のプライド対決勃発中!日本の都道府県としては、北海道に次ぐ2番目に広い総面積を誇るのですが、可住居面積の割合は約24%(全国40位)と低く、内陸部と沿岸部に人口が集中し、あとはだだっぴろい平地と山があるだけ! 県内全体が豪雪地帯に指定されており(特に藪川は真冬に-30度を記録することもある)、本州最寒地としても有名です。
また、南北の所得格差に代表される、典型的な「南北問題」も起こっており(北上市など県南部では著しい経済発展により所得水準も大きく向上しているが県北の中心都市である二戸市や久慈市では所得水準が低いまま)、
県は今も根本的な解決策を見い出せない状況です。
近年では、NHKの朝ドラ「あまちゃん」のロケ地として、久慈市が一瞬だけ注目を集めましたが、
そのブームも終わり元の寂しい姿に戻ってしまいました。そんな現状を、故郷を「イーハトーブ(理想郷)」と称した宮沢賢治が見たらどう思うでしょう……。
東北を代表する理想郷(?)、岩手の現状とこれから進むべき未来を、様々な角度から熱く語り尽くす一冊です! -
発展著しい岐阜 実態は揉め事だらけ!
美濃と飛騨の確執は根深い!?知名度もビミョーで中途半端な印象の岐阜県。しかし、日本のへそ、日本の重心、美濃を制する者は天下を制す、ともいわれる日本のセンターにして交通の要衝。名古屋にもシッカリと依存し、中京(名古屋)圏の一角として産業集積も進み、発展も著しい。さらには現代産業ばかりでなく、刃物、焼物、そして2014年末に世界遺産に登録された美濃和紙など伝統工芸も盛ん。だが、発展しているのは名古屋に近く、交通の要衝に位置する美濃地方ばかり。
そうした影響もあり南北で明らかにコントラストが違う岐阜だが、それも仕方がない。間が山で遮られていることもあるが、美濃と飛騨はもともと同じ国ではないからだ。文化・風習・言葉・気質が違う。さらに歴史的にずっと疎遠な関係だったのに、強引にひとつの県にされてしまった因縁もあって、今でも両者には目に見えない確執やライバル心、はたまた羨望めいたものも存在する。
本書では、美濃・飛騨双方の地域性や確執、問題点、名古屋依存体質などを取り上げ、岐阜の素性を暴いていく。さらに県内各地の揉め事がいつまで続くのか? 南北融合は夢のまた夢なのか、その未来を追求していくことにしよう。 -
実はスゴイのにマイナーなワケ!?
幸福県と言われても……実感できない県民たちの本音某民間調査会社が発表した2014年の各都道府県の魅力度ランキングで福井県は45位。
ワースト3入りである。ところがよく調べてみると、下位は北関東3県(茨城・栃木・群馬)や
埼玉、佐賀など何かと揶揄される県ばかりで、福井も実は下位の常連県のひとつ。
悲しいかな、福井はそんなことも知られてないほど超マイナー県なのだ。
福井の名は知っていてもどんなところかあまりよく知られていない。
が、実際にはイマイチ県では断じてない。
第二次産業では繊維、電子部門が全国平均を大きく上回り、
眼鏡フレームに関しては国内生産量の9割を占める、知る人ぞ知る工業県である。
何といっても福井は「幸福度が日本一」。
福井の幸福はアクセスの悪い立地の上に成り立ってきたともいえる。
2015年に北陸新幹線が開業、敦賀への延伸も予定される
マイナーな福井におけるこうしたドラスティックな変化は、
幸福な県民の不幸の始まりになりはしないだろうか?
本書では、地元視点ではわからない本当の福井人気質を探りつつ、
嶺北・嶺南という「ふたつの福井」の現状と問題点にズバッと切り込んだ。
「幸福な独立国家・福井」。その本質と進むべき将来をこれから探っていこう。 -
対立侵略に揺れ動く長崎県
日本一の大合併で町はヒッチャカメッチャカ長崎県のイメージの良さは九州7県の中でもトップクラスだろう。
好印象をもたらしている要因は歴史と地勢にある。
長崎の地は古くから海外への玄関口として機能し、
江戸時代には鎖国政策が敷かれている中、唯一諸外国との接点が持たれた場所だった。
そのため長崎には異国情緒に溢れた街並みが形成され、
閉鎖性と無縁で生きてきた人々は開放的な気質を持つに至ったとされる。
お隣の佐賀県とは余りにも対照的だ。
しかし、このイメージは長崎市を中心としたもの。
実際の長崎県は、外から見るよりはるかに複雑で統一感もない。
長崎はもともと小藩が割拠していたため、旧藩エリアごとに分立していてまとまりが悪いのだ。
ただ、県よりも地域単位の結合がやたらと強く、平成の大合併では地域ごとによくまとまり、
日本一の市町村減少率を記録した。
だがその過程がヒッチャカメッチャカだったせいか、今も不平不満がアチコチで噴出。
「開放的で進取な県」のイメージから程遠いこの姿……
長崎ってホントは典型的なローカル県なんじゃないの!?
本書ではこれら県内の問題点をひとつひとつ取り上げ、
県民気質に言及しながら長崎の本質を解き明かしていく。
どうか最後までお付き合い願いたい。 -
閉鎖に分断 頑固な山形県民とは!?
ビンボーだからまじめにコツコツ働くしかない!?東北地方を縦に分断している奥羽山脈。
その西側の山形県と秋田県は「裏東北」といわれ、
東北きっての大都会・仙台を中心にした「表東北」と比べて、「裏」のほうはさすがに地味……。
秋田はまだしも山形は周囲の8割強を高い山に囲まれ、
今でこそ太平洋側からの横断道が整備されてきたものの、
東北の中で隔絶されていた「秘境県」だった。
県内は村山、最上、置賜、庄内の4つの地域に分かれているが、
出羽山地によって内陸部(村山、最上、置賜)と沿岸部(庄内)が隔絶され、
内陸部では盆地ごとに異なる生活圏が形成されている。
山形は昔、多くの藩や幕領が複雑に交錯していたから、
強烈な地域間対立こそないものの、住民の文化・気質が地域によって違う。
それゆえ、小さな地域を強引にひとまとめにしようとした平成の大合併が不調に終わったのも当然といえる。
そんな閉鎖と分断の国・山形は、東北の風土特有の貧困に悩まされ続けた。
昭和40年代の山形県民の富裕度は全国最低レベルで、
多くの出稼ぎ者を生み出し、残された者たちもコツコツと働いた。
そうした時代を経て、交通網の発達、再開発、企業誘致、巨大商業施設の建設などで
生活レベルは上向いた。
今や山形は「豊穣の地」と称されるほど。
けど、ホントのところはどーなのよ!?
本誌では、保守的な山形の旧社会と伝統的な山形人にスポットを当て、
各地の問題点を浮き彫りにし、新旧が混濁する現代の山形社会の深遠に切り込んだ。
山形の真実の姿とは何なのか?
これからじっくりと解き明かしていこう。 -
地味~な滋賀の意外な発展!?
新住民急増で近江人もてんやわんや!?はじめに)
「畿内」という呼称がある。
昔から都と都に近い京都南部、奈良・大阪のほぼ全域、兵庫南東部は古くから「畿内」と呼ばれ、
日本を代表する大都市圏に位置付けられてきた。
ところが、滋賀は京都のすぐお隣なのに「畿内」に含まれていないのだ。
滋賀といったら、古代には都(大津京)が設けられ、「近江を制するものは天下を制す」といわれたほどの要衝の地。
にもかかわらず、まるで関西からハブられているような哀しさ……。
滋賀が目立たない要因は「通過県」という地域性にもある。
人の往来が活発で、当地に留まらずに通り過ぎてしまう「畿内の窓口」だった土地柄。
有名な近江商人にしても積極的に外に出ていって活躍している。
人の通過県にして流出県でもあるから、どうしても印象は薄くなってしまいがちだ。
ところが近年の滋賀には劇的な変化が起きている。
農業県から工業県へのシフトチェンジに成功し、人が流入する県に生まれ変わったのだ。
意外な発展による劇的で大規模な変化は、滋賀の根本(伝統)を揺るがす危険性をはらんでいるかもしれない。
そうした県内の現状を踏まえ、滋賀の将来が「三方よし」となれるか否か、本書で探っていきたいと思う。
出版社からのコメント)
滋賀県に住んでいる方には必ず読んで欲しい一冊。
我々編集部はこのデジタル大全盛の時代に、地道なローラー作成を持ってして街の方々に話を伺い、本書を作成しています。
滋賀県の隅の隅まで掘り下げました。
ガイドブックなどには載っていない衝撃的な話が目白押しです。 -
政令市になったはいいが本当に大丈夫!?
九州1位の自負は今でも根強い!熊本県の知名度が九州他県に比べて低かったことへの打開策のひとつとして誕生した「くまモン」は、
その期待に見事にこたえて「熊本の劇的な知名度アップ!」という逆転の大ホームランをかっとばした。
くまモンが地元・熊本県へもたらしたとされる経済効果は2年間で1200億円超。
県都・熊本市が政令指定都市になるかどうかという時期に重なったくまモン・フィーバーは、市の政令指定都市移行の絶好の追い風にもなった。
そして2012年4月、熊本市は政令指定都市として生まれ変わった。
その原動力となったのは熊本人のプライドと意地だ。
江戸時代、大藩だった熊本藩は「九州のお目付け役」を自認。
明治時代以降も、九州行政の中心的役割を担ったのは熊本市だった。
だが、今や九州内都市間のパワーバランスは福岡市に大きく傾き、鹿児島市の伸長も著しい。
そこで元九州一のプライドにかけ、存在感を上げたい熊本市は政令指定都市への移行を進めたともいえる。
しかし、全国20番目のピッカピカの新・政令指定都市といったら聞こえはいいが、問題は山積みだ。
インフラ整備は不十分だし、産業も農業主体で工業が心もとないから財政基盤は脆弱。
力を入れたい観光も、ほぼ熊本城頼みで観光客は頭打ち状態。
そもそもくまモン効果で熊本県の認知度は格段に上がったのに、熊本市が政令指定都市だという一般認知は十分ではなく……
最初の目論みからすれば「これでいいのか!」とツッコミたくもなる。
本書では熊本の街を歩き、市民への取材を行い、各種データも用いながら熊本市を多角的に分析。
新生・熊本市の真の姿を追った。
果たして九州の雄の復権はあるのだろうか!? -
江戸・昭和・平成の3つの時代が混在する江東区にまつわる「風説」や「評判」、経済、社会、アングラ事情までを長期密着取材!
知っているようで、知らない区。
それが江東区だろう。
江東区と都心の間には隅田川が流れている。
つまり、都心から見て、隅田川の向こう側が江東区ということになる。
でも、「隅田川の向こうの区は?」と、西東京あたりで無作為に聞くと、
10人中7人ぐらいの割合で墨田区という答えが返ってくる。
このふたつの区に知名度の差はないと思うが、名前が「墨田」区だからどうしても分が悪い。
江東区はマイナー区ではない(と思う)。
しかし、地元以外の人は江東区という名前を知っているが、江東区の町(駅)をよく知らない。
けれども門前仲町は別格だ。ここはたいていの人が存在と場所を知っている。
歴史の薫り漂う下町、観光スポットとしても人気がある。
が、ここまで。
比較的知名度の高いと思われた、東陽町、亀戸、豊洲クラスでも、名前は知っているのに、
江東区にあるということを知らない人が大勢いる。
東陽町なんて、江東区役所があるのに悲惨極まりない。
亀戸も不幸なことに錦糸町とセットで墨田区だと思われている。
豊洲のある臨海地域の大部分が、実は江東区だということも、案外知られていないのだ。
本書は地域批評シリーズとして、取材と各種のデータなどから、その地域の真実を探し出すことが目的である。
扱う地域はもちろん江東区だ。
その答えを探し出す作業はすなわち、江東区内の各地区住民の生態を明らかにすることにつながり、
ひいては江東区の知名度アップにもつながっていくと確信している。
果たして、下町と豊洲はどれだけいがみあっているのか?
それとも我々の一方的な誤解だったのか?
是非とも最後までお付き合いしていただきたい。 -
人口約83万人を抱える東京23区最大のマンモス区=世田谷。
金持ちというイメージは果たして本当の世田谷区全体の姿なのだろうか?完全に勘違いされている!
街というのは、何かしらのイメージを持たれるものだ。
世田谷区もその例に漏れず、しかも強固なイメージが存在している。
世田谷区は、江戸時代に多摩川の水を江戸市中に引き込むための
灌漑事業(玉川上水)が行われたことによって開発され、江戸の農産地帯として発展。
やがて1964年の東京オリンピックを契機に高度経済成長の流れに乗って、
農地の多くが宅地として開発され、世田谷は都心に近い郊外の住宅街に変貌した。
その住宅街の一部は、成城を筆頭にいわゆる「高級住宅街」と化していったが、
この高級住宅街というのが大きなポイントだった。
この印象がとにかく強過ぎるせいで、「世田谷=金持ち」のレッテルを貼られてしまったのだ。
そのほかに、世間一般の人々が世田谷を表現する言葉として、
「高級」「ハイソ」「セレブ」「オシャレ」などがある。
そのどれもが、聞くと思わず背中がムズがゆくなるくらいの「ゴマスリ言葉」ばかりだ。
内心では「違うのに~」と歯噛みする世田谷区民だって大勢いるのだ。
そこで、世田谷区の高級幻想の破壊を前提にした上で、東急と小田急という世田谷路線の二大巨頭を軸に、
さまざまな「対決」の図式を提示しながら、世田谷区という地域と、そこに住む人々を分析。
世田谷区が本当に進むべき、あるべき姿を追求していこうと思う。 -
絶妙なツギハギ感がタマらない「練馬区」。
数々の取材と膨大なデータをもとに、その街に住む住民像と練馬の本質、そして発展途上の練馬区の可能性に迫る。練馬区を語るとき、必ず出てくるキーワードが「田舎」である。
確かに練馬の北西部は至る所に畑や果樹園が残る陸の孤島。
エリア全体には牧歌的な空気が色濃く立ち込めている。
さらに北に広がるのはサイタマ県だ。
そんなサイタマとのボーダーレス状態も、練馬の田舎感を助長する原因であろう。
しかしそこから南に下って、都心に近い「練馬地区」になるとかなり趣が異なってくる。
区役所のある練馬駅、そしていかにも東京の私鉄沿線の大学町といった江古田駅の周辺はゴチャゴチャとして、
下町風の商店街や貧乏学生をやさしく受け入れるボロアパートがある風景など、
歩くととても同じ練馬とは思えない。
そして練馬の中心地を抜けて東西に横断する西武池袋線の存在が足かせになり、
これまで練馬は南北間が断絶していたのだ。
その負の歴史が練馬には重くのしかかっている。
それはまるで呪いのように、以後、練馬が立てる計画はことごとく頓挫。
あるいは中途半端に終わっているのだ。
たった60年ぐらいの歴史で完成してもらっては面白くもなんともない。
街は乱雑でメチャクチャだったりするのに、
取材中、練馬区民から「練馬っていいトコだよ」「ずっと住みたい」という声を多く聞いた。
こんなところにも未成熟な練馬の可能性の高さを感じたが、
これは単なる住民の幻想に過ぎないのだろうか?
本書では練馬の現状を綿密にリサーチ!
練馬のさまざまな「やりかけ・ツギハギ・計画倒れ」を白日の下に晒していきたい。
こうした作業によって練馬区住民の生態をも明らかにし、
さらに練馬の本質に幾分かでも迫れたものと筆者は確信している。 -
近代都市のようだがゴチャゴチャしている。場末の飲み屋でオッチャンが飲んだくれている。
そんな光もあれば影もある立川の未来をこれから探っていこう。たった18万。
この数字は何なのか? ズバリ立川市のおおよその人口である。
これまで東京23区や全国の大都市、
もしくは県単位で地域を批評してきた当シリーズにとって、
本書で扱う立川市はいかにも人が少ない。
だが、実際の立川には人が多い。
溢れ返っているぐらいである。
JR立川駅は、東京西部屈指のターミナル駅として大勢の人が乗り降りする。
駅周辺には大型の商業施設が充実し、
それらに交じって古くからある飲み屋、風俗店などが健在。
競馬や競輪といったギャンブルもでき、
とにかく老若男女が「遊べる」街だから人が大勢やってくる。
その一方、立川には、国の省庁機関や研究所が集積しており、ターミナル駅なので
オフィスも多く、労働者も大勢やってくる。
さらには周辺に学校も多いから学生も集う。
レジャー、買い物、働き場所、行政サービス、学校――。
立川には何でもあるので、立川市民はもとより、多摩民は立川より都心に行く必要がない。
すなわち、多摩民は立川ですべてが完結してしまうのだ。
つまり、立川とは多摩圏最大の「自己完結都市」といえる。
だが、立川はいつまでもそんな周囲の「腰かけ都市」でいいのだろうか?
そこで本書では、開発、南北地域の違いといったものをデータや取材で追いつつ
立川の本質を探り、さらに広域防災基地としての立川の実力もチェックした。
防災都市なのに断層がある。
近代都市のようだがゴチャゴチャしている。
場末の飲み屋でオッチャンが飲んだくれている。
そんな光もあれば影もある立川の未来をこれから探っていこう。 -
危ない!汚い!怖い!といった悪いイメージが一般人にこれだけ蓄積していて、しかも頑固だという都市は全国でも稀だろう。
そんな魅惑の「哀愁都市」川崎市を徹底検証する!みなさんは「川コン」という言葉をご存じだろうか?
これはある言葉を略した造語で、川は川崎を表している。
ではコンのほうは? コンビナート?
いやいや川崎だけにそう答えたいところだが、コンはコンプレックスの略。
そう川コンとは「川崎コンプレックス」のことなのだ。
この地域批評シリーズで川崎市を扱うことになり、
手始めに川崎市について川崎市民に話を聞いてみると、
その歴史からくる負のイメージのために、「おらが町」に対してコンプレックスというか、
自信を持てない人がけっこういるんだなあと、つくづく思った次第。
「どうせ川崎だから……」街が再開発で立派になって市民は喜んでいるものの、
内心では疑心暗鬼。
またこれと同じセリフが、川崎市を挟む東京都や横浜市の住民からも聞かれる。
そこには「どんなにパッケージは良くなっても所詮は川崎」という悪意が込められている。
これでは川崎市民が卑屈になり、我が街に誇りを持てなくなるのも無理はない。
危ない、汚い、怖いなどのイメージでくくられてしまう川崎。
しかし、それだけで川崎を考えるのはいかにも短絡的である。
東京と横浜に挟まれた細長い川崎は、
地域によっては東京あるいは横浜との関係が強いため、
市内間の連携が薄いという特徴がある。
ゆえにそれぞれの地区が独自の進化を遂げている。
単一イメージでくくれるほど、川崎市とは浅はかな街ではない。
では、進化を遂げた今の川崎市とは一体どんな街なのだろう。
それを各種データと取材をもとに解き明かしていこうと思う。
大都市・川崎だけに、本書でそのすべてを語り尽くすことはさすがに難しいだろうが、
その真の姿の一端は垣間見えるはずだ。 -
湘南にこだわり、翻弄される人々を内包する湘南は、今後どうなるのか?
イメージを破壊して、新しい湘南へと変貌を遂げられるのか?それとも時代に取り残されるのか?都心から目と鼻の先にある洗練されたオーシャン・リゾート。
世間一般から見た湘南は、そんなイメージで完全に固まっている。
ただしそれはメディアによって強調された湘南の一面でしかなく、
本当の湘南は、もっと多面的で魅力的なエリアだ。
多面性を持つ要因は、湘南がひとつの自治体ではなく、広域であるということ。
湘南は広い。
けど広いってどれくらい?
当シリーズで湘南エリアを取り上げるってことになったとき、
「それは面白い!」と思ったと同時にハタと困った。
湘南って一体どこなのよ?手始めに地元民に聞いてみると千差万別。
「あそこは湘南と認めない」「あそこは湘南と認めてもいいかな」といった
エゴ丸出しの意見。
どうも地元民は湘南に対するプライドが強過ぎるのか、湘南論議になると案外狭量だ。
そのため、湘南エリアは各自治体同士の連携が弱く、ひとつにまとまらない。
そこにはやはり湘南が憧れの場所として認知されている、ということも大きい。
好イメージの湘南を我がモノとしたい各自治体。
地元民も「湘南はいうほどオシャレな場所じゃない」というけれど、
それは建前で本当は洒落た場所に住んでいるという自負がある。
湘南は外と内で感じるイメージは違うというけれど、
メディアによって作られた湘南イメージに翻弄されているのは自治体であり、
地元民たちなのかもしれない。
湘南にこだわり、翻弄される人々を内包する湘南は、今後どうなるのか?
イメージを破壊して、新しい湘南へと変貌を遂げられるのか?
それとも時代に取り残されるのか?
本書ではそれをデータや現地取材によって解き明かす! 新しい湘南を見つけ出すヒントになれば満足である。 -
実は多摩圏民は相容れない関係なのだ!?
東京都の西部にドーンと控える大都市・八王子。
多摩地域の中心都市にして人口約58万人。
だがそんなに人がいても、ハコ(市の面積)自体が巨大だから
人口密度は高くなく、豊かな自然に恵まれていることもあり、
どことなくゆったりとした雰囲気を醸し出している。
市街地を少し離れると、
「えっ、ここどこの田舎?」と思わず口ずさんでしまうぐらいの“スカスカ感”で、
その見てくれは東京の都市というより地方の巨大都市といった風情である。
そんな八王子は歴史のある街だ。
江戸時代には甲州街道最大の宿場町として繁栄し、商都として発展してきた。
こうした歴史のある街は、得てして古くから住んでいる
“旧住民”の存在感が強い。旧住民(特に高齢者)たちは、
この街を自分たちが作ってきたという意識があるためプライドが非常に高いのだ。
そうした閉鎖的な旧型社会に飛び込んできたのが“新住民”たちである。
1960年代以降、多摩ニュータウンを筆頭に大規模な宅地開発が行われ、
八王子と縁もゆかりもなかった人々が大量に当地に流入してきた。
近年も新たなニュータウンの開発が行われており、
八王子とその周辺は新たな住民を飲み込み続けている。
だが、こうした新たな人の流入が、大なり小なり摩擦を生んでいるのもまた事実だ。
そこで本書では、八王子の旧住民と新住民、
それに加えて学都として発展したことで増えた“学生(大学生)”の3者を
テーマの中心に据えて取材や調査を敢行。
現在の八王子市の実態を浮き彫りにすると共に、
新住民の巣窟たる多摩ニュータウン全域まで調査エリアを広げて、
その実状と問題点を探っていった。
ぜひ最後までお付き合い願いたい。 -
衰退しまくりの新潟はもっと落ちぶれるのか?日本列島改造計画に翻弄された県民の今!?
新潟県でイメージするもの。
豪雪、田中角栄、アルビレックス新潟……人によってさまざまだろうが、
リサーチすると「食」がもっとも多いそうだ。
なるほど、グルメに関心が無い人でも、
新潟と聞けば「コシヒカリ」ぐらいは思い浮かべるかもしれない。
魅力的な食コンテンツを持つ新潟の好感度は、
都道府県のなかでもけっこう高いのだ。
だがこれはあくまでも県外者の視点である。
飯がウマい、酒がウマい、名湯や自然が豊富――。
そんな新潟はまるでパラダイスのようだ。
しかし! その新潟から人が減り続けている。
おそらく県外者が感じる好印象とは裏腹に、
県の内側には大きな問題が潜んでいるのではないだろうか?
もともと新潟には驚くほど人がいた。
やがて大量の出稼ぎにより、人が県外に流出した。
さらに上越新幹線や関越道などのインフラ整備によって、
多くの若者が新潟を後にした。
県も人口の流出を食い止めたい。
でも雇用が無いから地元に留まらないし、出て行った若者も戻れない。
新潟にウマい飯はあっても、その食い扶持を得る手段が不足しているのだ。
さらに若者がいないから高齢化が進み、
過疎に怯える地域は広域合併に頼り、
多くの市町村(故郷の名前)が住民の願いむなしく消失していった。
廃れまくる新潟。
県は過去の栄光を取り戻そうとするかのように
「新潟州構想」を打ち出したが、それもどうなのよ!!
本書では新潟県を構成する
さまざまなファクターを取り上げて丹念に調査・取材し、
新潟の本質や問題点を探った(最後に提言もさせていただいた)。
これを読んでみなさんはどう感じるだろうか?
まあ、地酒でも飲みながら肩肘張らず読んでいただければ幸いです。 -
房総に生息する千葉原住民の正体とは?
野武士の底力が千葉の未来を明るくする!?本書は『東葛』『葛南』『千葉市』に続く千葉シリーズ4作目である。
上記の3エリアは、千葉県の総面積の6分の1にも満たないが
県内総人口の半数以上が住む地域で、
東京で働く人のベッドタウンとして重要な役割を担っており、
その住民の多くは「千葉都民」と呼ばれている。
他県からの移民が多く、住み心地重視で地域の発展は二の次だから、
郷土愛など期待できるはずもない。
では、郷土愛に溢れた千葉土着の原住民はどこに住んでいるのだろうか?
それはまぎれもなく、今回メインで扱う南房総と外房・内陸(北総)エリアだろう。
しかし、悲しいかな、県外の人たちが「千葉」と聞いてイメージするのは
先述の人口が密集した北西部エリアに偏っており、
南房総や外房を思い浮かべるのはゴルフ好きのオジサンかサーファーくらい。
内陸(北総)エリアにしても「空港と成田山以外に何があるの?」といった印象。
ほとんどの地域で過疎化が著しいし、
南房総市に至っては3人に1人が老人と高齢化がハンパない。
しかし、だからこそ当エリアには純粋培養された千葉原住民がいると断言できるのだ。
かつては北条氏と戦いを繰り広げた『南総里見八犬伝』の里見氏を筆頭に、
数々の小藩によって治められてきた原住民には「野武士」の血が連綿と受け継がれている。
本書ではそんな「原住民」の生態を明らかにすると共に、
各地域のさまざまな問題を取り上げ、
時にサイタマとの「関東3位」の攻防を繰り広げつつ、
リアルな千葉県の姿に迫ってみた。
「千葉愛」なら誰にも負けない! という房総っ子を含めて、
多くの千葉県民の心に刺さる一冊になっているはずである。 -
今でも続く長州維新魂! なのに寂れる山口の実情
300年思考が止まって県民の保守体制とは!?本州の端っこという覚えやすさもあり、山口県の認知度は意外に高いが、
山口県に何があるかを問われたら多くの人が首を傾げてしまう。
しかし、山口県民に向かって「山口県って何も無いよね」などと言ったらいけない。
自虐的に自県を捉えられない山口県民からお叱りを受けるやもしれないからだ。
山口県民は、自尊心が高くて「ええかっこしい」な性分といわれる。
そうした気質を人々に芽生えさせ、かつ山口県をドラスティックに変えたのは明治維新だ。
その時に築き上げた「長州閥」といわれる政治勢力は、以後も厳然たる力を持ち、
山口は政治の場に多くの人材を送り込んだ。
そんなわけで、県民はいつしか
「今の日本があるのは自分たちのおかげ」
「自分たちが日本を動かしてきた」
という意識を持つに至る。
そして我が国の本流を成す県として、維新の原動力ともなった革新的でイケイケな気風はどこへやら、
国内屈指の保守県へと生まれ変わったのだ。
だが、この保守的で中央志向の気風が山口県を寂れさせる要因になっているかもしれない。
地元よりも日本のために情熱を傾ける気風は賞賛すべきだが、
中央志向の人材(若者)が外に流出して高齢化が進み、
地域経済も停滞。中央(東京)はこれから五輪景気にわくかもしれないというのに、
山口県への波及は不透明だし、
そもそもアベノミクスにしてもお膝元に利をもたらしていない。
見返りもキレイな道路だけじゃ県民だって不十分だろう。
本書では長州気質をベースに置き、
理想と現実に揺れる山口県のジレンマを描きつつ、さまざまな問題点に切り込んだ。
見栄えを気にする気質の山口県民にはちょっとウザい内容もあるかもしれないが、
ぜひ一読していただきたい。 -
群馬・茨城の“いじめ”を受け流す県民性とは?地味~な栃木の地味~な生き方
関東でもっとも面積の広い県はどこ?
と問われたら、なんとなく茨城、群馬か千葉のいずれかだろうと想像する。
でも「正解は栃木県です」といわれても、どうもピンとこない。
栃木にデカい県というイメージがないからだ。
県を擬人化するのもなんだが、群馬と茨城に挟まれる栃木は、やけに肩身が狭そうで、
そんなところも実際より小さな県と感じてしまう要因かもしれない。
では、その栃木には何がある?
と、さらに問われたら……県外者はこっちのほうがおそらく困るはず。
栃木の存在は知っていても、その実態はおぼろげという人は驚くほど多いのだ。
とにかく栃木は存在が地味。
しかし、県のポテンシャルはやたらと高く、
首都圏という好立地を生かして関東の内陸型工業地域の中心を担っており、
さらに観光産業もすこぶる盛ん。
また当然ながら農業も盛んで、しかも災害も少ないという、まさに「豊穣の地」なのである。
その一方で、たとえ自らを卑下しても他人に土足で踏み込ませない領域(地雷源)は持っている。
大人しい様でいて、踏み込んで来たら苛烈に攻める専守防衛が栃木人スタイル。
それはまるでジキルとハイドだ。
本書ではそうした栃木人気質をベースに置きつつ、県内各地域の特徴や問題点、
さらに北関東3県内での栃木の立ち位置や防災の話など、
さまざまなテーマで現在の栃木の実像を捉え、僭越ながら先々への提言もさせていただいた。
さて、これから栃木人の“地雷”を踏みまくっていくとしますか。 -
悲運な福島の今までとこれから
不平・不安入り乱れる福島の未来とは!?2011年3月11日に発生した東日本大震災とそれに伴う原発事故という未曾有の大災害は、福島県を激変させてしまった。
平和だった地に突然舞い降りた悲劇が、福島県民にもたらした嘆きと絶望感の大きさは計り知れない。
福島は、寒冷で厳しい風土の東北の中にあって比較的気候に恵まれており、農産物が豊かに実るまさに「豊穣の地」だ。
面積は広大だが全体の約7割が山地という福島は、奥羽山脈と阿武隈山地によって県が3つの地域に区分されている。
東から太平洋に面する浜通り、夏冬の寒暖差激しい盆地の中通り、そして豪雪地帯の会津。
先の災害によって直接的な被害を被ったのは浜通りだが、
中通りやさらに遠く離れた会津でも原発事故による風評被害に襲われ、
福島全体でいわれのない差別を受けてしまった。
さらに「福島はもう終わった」との無責任な外部からの声。
だが、福島県民は今、そうした状況から不屈の精神で立ち上がろうとしている。
ただし、復興に向けて県全体が一枚岩になって進もうにも、
県内には独立国家が3つあるようなものだから、まとまりに欠けるという指摘もある。
そこで本書では、福島県の各地域の歴史や特徴、問題点などを現地取材から明らかさせていただいた。
福島は悲運だと嘆くばかりではなく、
現実をしっかりと見つめて未来へと歩を進めるための一助になれれば幸いだ。 -
一触即発!長野と松本のバトルは永遠か?
革新的・幸福的・信州的生き方のすすめ30年越しで取り組んできた減塩運動の成果が実り、男女の平均寿命が全国一位。
さらに、幸福度ランキングでも全国ナンバー1。
「日本一健康で幸せ」な長野県は、いま全国からもっとも羨望を集める注目県だ。
ブランド力はありながら決して1位にはなれなかった「信州」にとって、これはまさに面目躍如!
かつて「日本のチベット」と揶揄された僻地が、他県民も羨む住みよい街として名実ともに「日本のセンター」となる日が、
ようやく来たのだ。
だが一方で、問題も山積みだ。
近代の夜明けとともに勃発した北信(東北信)と南信(中南信)の争いは、いまだに火種がくすぶったまま。
スリム化を目指して全国的に加速した平成の大合併も、長野県はドタバタ続きで不発だった。
平均寿命の高さは高齢化の裏返しとも言えるだろう。
だからこそ思うのは、長野県民は本当に幸せを実感しているのだろうか?ということだ。
本書の制作にあたり、県内を隅々まで歩き回ることで、
長野県が抱える課題と県民の真の姿が見えてきた? -
プッツン! キレまくる茨城の修羅場
南北対立! 格差拡大! そろそろ整理整頓してみっぺ前作「これでいいのか茨城県」では、茨城の本質を暴くことに加え、東日本大震災をターニングポイントとした茨城の変化や将来への道筋をいろいろと探ってみた。
その前作の発売から2年あまり。
今の茨城はどうなってるの?
現地を訪れてみると、被災地の復旧はまだまだ道半ばだが、茨城県民の生活はすでに通常通りに戻っている。
と同時に、復興へと盲目的に突っ走っている状態では分からなかった地域の問題点がハッキリと見え出し、その「ごじゃっぺ」ぶりに対して、かなり「いじやけて」いたのだ。
地域格差を要因とした南北問題。
市町村合併後の住民間の歪み。
新旧住民のバトル。新たな市町村合併の模索。
自治体同士のいがみ合いなどなど――。
県内にはさまざまな問題が山積し、それらに対しての怒りが満ち溢れていた。
しかも、相変わらず自己中心的な考えが横行しているから、県内はどうにもこうにもグチャグチャな状態。
もともと茨城は県としてのまとまりが非常に悪いけれども、前作で震災を契機にひとつにまとまるんじゃないかと思ったのは、いささか浅はかな考えだったのだろうか?
とはいえ、「怒り」というファクターは決して悪いものではない。
震災で沈んでいた茨城県民に元気が出てきた証拠でもある。
それならいっそ元気なうちに、思いっ切りキレるだけキレてみればいい。
怒りを内に溜め込むことなく腹を割り、全部吐き出してお互いがスッキリすれば、解決策だって見えてくるかもしれない。
茨城県第2弾では、そんな「キレる茨城」をテーマに筆を執ってみた。
本書を読んで、おそらく相当数の茨城県民が「いじやける」ことになるだろう。
ただ、そこから何かを感じ取ってくれたら……と願ってやまない。 -
地域批評シリーズ初の一県まるごとピックアップ!
全国ブランドイメージ調査で2年連続最下位の茨城県。
県内はバラバラの印象が強かったが、3.11大震災で県民の意識がひとつになった?『日本の特別地域』シリーズで、丸ごと一県を取り上げることになった初作品が本書「これでいいのか茨城県」である。
もっとメジャーな県はいくらでもあるというのに、なぜ今茨城なのか?
そこには茨城の哀しき現状が理由としてある。関東地方にありながら関東の県だと思われていない茨城。
農業が盛んで田舎呼ばわりされている茨城。
県民の訛りが非常に強く、言葉が汚いと揶揄される茨城。
イバラキなのにイバラギと県名を正しく覚えてもらえない茨城。
そしてトドメは、全国47都道府県の地域ブランド調査で2年連続最下位に甘んじた茨城。
現在、これだけ負のイメージにさいなまれている県は全国的にも珍しいぞ!
茨城のこうした現状を踏まえて、県全体が一枚岩となってイメージの打開を図りたいところだが、県内の各地域(行政区分は県央・県北・県南・県西・鹿行の5つ)は、それぞれ「勝手にやっぺ」とひとつにまとまらない。
特に水戸を中心とした県央と、つくばを中心にした県南がなかなか手を取り合おうとしないのである。
今のままではイメージが最悪のまま、時代に取り残されるだけ。見栄っ張りで頑固な水戸周辺の茨城県民にしてみたら、この状況が続くのは我慢ならないだろう。
彼らは郷土に誇りと自信を持っている。
だが、外にアピールする「タマ」を残念ながら持っていないのだ。
そこで本書では茨城が内包する様々な魅力的要素を取り上げつつ、データと取材を元に各地域の特徴や問題点を指摘。
一般的なイメージやレッテルに流されず、茨城の本質と今後の進むべき方向性を探っていこうと思う。
是非最後までお付き合い願いたい。 -
世田谷民の小ずるい生き方
社会問題続出!!
1.5流民の実態に迫る!当シリーズでは以前に1度、世田谷区を扱っており、今回はその第2弾である。
前作では、まず世田谷の高級イメージをぶち壊すところから始め、そこから世田谷の現実と真の姿を見出そうとした。
その試みは成功したと自負しているが、前作から約4年、相も変わらず世田谷は「高級幻想」に苛まれている。
世田谷の高級幻想とは何か?
多くの芸能人や金持ちが実際に住んでいる世田谷は、高級住宅地、セレブタウンとして認知されている。
さらに今、下北沢や三軒茶屋、二子玉川といった人気タウンを筆頭に、区内の多くの駅とその周辺が再開発で変貌を遂げつつあり、世田谷という街の「パッケージ」は洗練度を増している。
だが、そうした「かたち」にこだわっているのは得てして余所者。
彼らが世田谷に住んだ、あるいは住みたいという背景には、自己顕示欲の充足という意図が多分にある。
彼らが世田谷に求めるのは「ステータス」であり、「一流」の看板。
とはいえ、単に世田谷に住んだからって一流ではない。
高級幻想を抱きつつ世田谷へ住み、一流だと勘違いした者たちは、成り上がり精神全開で、小ずるく狡猾に世田谷ライフを謳歌しているのだ。
もともと農村地帯だったのに、やがてハイソと呼ばれるようになった世田谷は、そもそもが成り上がりの街ではある。
だが、ハイソ(一流)な部分はあっても、いい感じに田舎臭くて自然体なのが世田谷の美点である。
世田谷とは本来、一流でも二流でもなく“1.5流”ぐらいがしっくりくる街。
そんな「中の上」を地で行く世田谷民こそ、「世田谷の正統派」といえるだろう。
本書では、冒頭に書いた前作のテーマを引き継ぎつつ、現在の世田谷の問題点を取り上げ、さらに区内にうごめく新旧世田谷民の実態に迫ってみた。
知っているようで知らなかった世田谷がここにはある!
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