『立川武蔵(実用、新書)』の電子書籍一覧
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「キリスト教のライバルは存在するか」。『聖なるもの』(一九一七年)で知られるドイツの宗教学者ルードルフ・オットーは、ヒンドゥー教の一派、ヴィシュヌ派こそが値すると考えた。「救済」をめぐって驚くほど類似が見られる両者の徹底的な検討を通して、宗教の本質に迫る。比較宗教学の古典。
「ヌミノーゼ」と名付けられた、非合理的な神秘経験を宗教経験の本質として析出した『聖なるもの』。ルター派の敬虔なプロテスタント神学者ルードルフ・オットー(1869-1937年)による洞察は、その後ミルチャ・エリアーデやロジェ・カイヨワに引き継がれ、宗教を研究するうえで重要な柱となる「聖と俗」をめぐる研究の土台を築いた。
『聖なるもの』と同時期に研究が進められていたと考えられるのが、本書『インドの宗教とキリスト教』である。18世紀後半、英国による植民地化を通じてサンスクリット文献がもたらされたされたヨーロッパでは、『リグ・ヴェーダ』や『バガヴァッド・ギーター』など次々にそれらの翻訳がおこなわれ、ヨーロッパの起源のひとつとしてオリエントへの関心が急激に高まっていた。
そのような文脈のなかで、オットー自身も『ヴィシュヌ・ナーラーヤナ』などのサンスクリット文献の翻訳・注釈に取り組み、そしてヒンドゥー教、そのなかでも彼が「献信の宗教」と呼ぶヴィシュヌ派に、キリスト教に匹敵する救済論を見出す。ルター派とヴィシュヌ派の比較の末に見いだされる、真の救済とは―。
オットーが終生、一貫して求めたものは、「聖なるもの」の普遍的な弁証であった。ルター派という一つの神学に自らの立場を置きながら、他の神学にも心を開き、あまつさえ神学を有しない宗教体験に対しても視野を開いたオットーの独自性がいかんなく発揮されたインド宗教研究の古典にして比較宗教学の名著。(原本:『インドの神と人』人文書院、1988年)
【本書の内容】
序
第一章 キリスト教のライバル―ーインドの恩寵(恵み)の宗教
第二章 神をめぐる戦い――シャンカラとラーマーヌジャ
第三章 救済の問題ー―いかにして達成されるか
第四章 インドの恩寵の宗教とキリスト教――異なる精神、異なる救い主
結 び
補 説
一 隠れたる神と献信者の神
二 贖いと贖罪
三 本源的堕落の理念
四 同一性神秘主義の同一体験
五 神は個人的存在ではない
六 すべては恩寵から
訳者あとがき
学術文庫版あとがき -
初期般若経典に、初めて論理的学説を与えた古代インドの名僧・龍樹(150-250、あるいは100-200)。主著『中論』は約450の偈、27の章から、あらゆるものの存在を否定しつくし、反対論者への反駁も執拗にして圧倒的だった。その非常に難解で、さまざまな解釈や誤解を生む古典的名著を、「聖なるもの」「俗なるもの」という2方向のヴェクトル概念を用いて、根気強く考察。インド哲学の泰斗が若かりし頃に記した、エネルギー溢れる筆致が、「俗」から「空」、「悟り」「聖なる世界」へ解脱の境地へと誘う!
はじめに、より
現代に生きるわれわれにとって『中論』が何を教えるのか?
千数百年後のわれわれにまで、直截に伝わるほどの気迫を込めて、龍樹が追求したものはなんだったのか。
さまざまな領域、次元でさまざまな見解があり得るであろう。
しかし、どのような場合においても龍樹が言わんとしたところをできる限り正確に受けとめることから出発しなければならない。 (巻頭言要約)
目次
はじめに
第1章 『中論』における「聖なるもの」と「俗なるもの」
1 『中論』の歴史的位置
2 『中論』の思想的位置
3 『中論』における世俗と最高真理
第2章 「空」の構造
1 「俗なるもの」の構造
2 「俗なるもの」の否定(一)
3 「俗なるもの」の否定(二)
4 「俗なるもの」の否定(三)
5 「俗なるもの」の否定(四)
6 「俗なるもの」から「聖なるもの」へ
7 「聖なるもの」から「俗なるもの」へ
8 「俗なるもの」の聖化(一)
9 「俗なるもの」の聖化(二)
むすび
あとがき
学術文庫版あとがき
索 引
本書の原本は1986年11月、「空」の構造 『中論』の論理 として、第三文明社 レグルス文庫より刊行されました。 -
人は必ず死ぬのに、なぜ今を生きるのか? 二大巨頭の思想に探る究極の問い
今この世界を生き、やがて死を迎え消滅する。あらゆる生命がたどるこのプロセスを仏教はどのように考えてきたのか。死と浄土、世界と聖性をめぐる究極の問いを、親鸞『正信偈』と空海『即身成仏義』に探る。
【目次】 *変更になる場合があります
第一章 インド思想から日本仏教へ
第二章 日本仏教の二つの典型──親鸞と空海
第三章 生命の意味と他者の存在
第四章 親鸞『正信偈』をよむ──死と浄土
第五章 空海『即身成仏義』をよむ──世界の聖化
終 章 -
諸宗教の多元的共存は可能か? 「仏教の神学」に挑む連続講義!
※以下全5巻の合本版です。
1『聖なるもの 俗なるもの』
宗教という営みは何を目標としているのか? キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教、そして仏教。異なる世界を出発点としながらも、その上に伝達可能で整合的な知の体系を構築することは、神学的方法論によって可能になる。「聖なるもの」を問う、仏教学第一人者の野心的な講義がはじまる!
2『マンダラという世界』
聖書、インド思想、近代哲学、そして仏教。明快に語りおろす「世界」の本質。いま、社会の急激な変化に対して、仏教のうたう「普遍的な悟り」は有効なのか? 死すべき自分が「他者」の存在を理解できるのか? 各宗教の「世界」把握の方法論をたどり、現代日本に求められる世界観の体系を解明する。
3『仏とは何か』
あらゆる宗教の根源存在である「聖なるもの」は、仏教においてどのような姿でイメージされたのか。儀礼をキーワードに、仏・菩薩と人間との関わりかたの具体的なプロセスを通じて、いよいよ仏の本質へと迫る。
4『空の実践』
仏教の中核思想「空」とは何か。自己否定とそれを通してのよみがえりという「空」の実践のプロセスから、実践行為としての仏教の本質を考究する、碩学渾身の思考。
5『ヨーガと浄土』
仏教を構造的に分析し、宗教の普遍的本質にせまる画期的シリーズ最終巻。縁起・空・マンダラなど仏教の伝統的概念を更新し、混沌の21世紀にこそ必須の思想として再生をはかる。碩学畢生の「セオロジー」がついにここに完結する。 -
誕生から死、遺骨の分配まで――。ゴータマ・ブッダの全生涯を、仏教詩人・アシュヴァゴーシャが美文で綴った名著『ブッダチャリタ』。1893年に出版された14章までのサンスクリットテキストに、チベット訳、漢訳を丹念に補足しながら全28章を完訳。膨大な経典も編み、仏伝資料としての価値も備えた、もっとも古く、もっとも美しい、仏教叙事詩の誕生!「原始仏典」第10巻『ブッダチャリタ』(1985年)小社刊の文庫化
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宗教の人類史的意義を問い、「空」の思想を更新する。思考の集大成!
名講義「ブッディスト・セオロジー」を全面改稿、
仏教とは何か、いま仏教に何ができるかを問う完全版!
第1章 宗教の構造 ── 聖なるものと俗なるもの
第2章 世界について ── マンダラ
第3章 ブッダについて ── 如来の誕生
第4章 空について ── 言葉のよみがえり
第5章 実践について ── 「否定の手」
「あと一世紀も経てば、地球が食い尽くされてしまうのではないか。
水や空気、さらに他の資源をも人間たちは消費し尽くしてしまうように思える。(…)
わたし自身は、今日の人類の行為にかんしてもっとも必要なことは
自分たちの有している欲望を抑制することだと思っている。
そのような抑制に際しては仏教が培ってきた思想が
重要なヒントを与えるであろうと考えるのだ。」 (第5章より)
宗教の人類史的意義を問い、
「空」の思想を更新する──。思考の集大成! -
自然と世界は聖なるもの――。日本独自の仏教を生んだ二大巨頭の全貌に迫る
日本仏教千年の礎を築いた最澄と、力強い思考から密教の世界観を樹立した空海。アニミズムや山岳信仰の豊穣をとりこみ、インドや中国とも異なる「日本型仏教」を創造した二人の巨人、その思想と生涯に迫る。 -
一切は空である。神も世界も私すらも実在しない。インド仏教がその核心として生んだ「空の思想」は絶対の否定の果てに、一切の聖なる甦りを目指す。やがてこの全否定の思考は、チベット・中国・日本への仏教東漸の中で、「世界を生みだす無」「真理としての空」という肯定色を強めていく。アジアで花開いたラディカリズムの深い変容を追う二千年史。
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インドに始まり、アジアを貫く一大思潮である仏教。この初期仏教から上座部仏教、大乗仏教、密教までの、2500年を超える仏教の歴史とさまざまな教えを、碩学がわかりやすく解説する。ブッダ、阿弥陀仏、大日如来の違いとは何か?長年の著者の現地調査のエピソード等もまじえつつ、最新の知見をふまえ、仏教の基本とアジア各地で花開いた仏教思想と「ほとけ」の多様性を知ることができる、空前の仏教入門書。【目次】第一章 ブッダの一生/第二章 ブッダの面影と新しい仏/第三章 アジアに広がった仏たち/第四章 日本に花開いた仏教/第五章 回帰するブッダ
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