『江藤淳(文芸・小説、実用)』の電子書籍一覧
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知の巨人たちの人生を賭けた学問の追究、その集大成を読む。
日本の知の礎を築いたのは、飽くなき探求心を持ちつづけた学者たちだった。土居健郎は言う、「まず「わかる」とはどういうことかということをわかる必要があるでしょう」。禅の本質を説く鈴木大拙、インド思想史に人類史的な普遍性を見た中村元、心理療法の目的を自身の物語の発見に見いだした河合隼雄、人間と自然の関係の変化が歴史学に課題をもたらしたと指摘する網野善彦……。日本を代表する「知の巨人」たち、その学問の総決算ともいえる最終講義を精選したアンソロジー。「学究の極み」篇では、日本の知の礎を築いた学者たちが生涯をかけて追究した研究テーマ、その集大成を披露した講義を収録。冒頭に各講義の要約を付し、難解な講義も概要をつかみやすくした。推薦・若松英輔 -
慶子、君はやっぱりここにいたじゃないか、
ずっとぼくと一緒にいてくれたじゃないか
日本中を涙で濡らした愛妻看取りの記がいま甦える!
四十年以上連れ添った妻に下った末期癌の診断。告知しないと決め、夫・江藤淳は渾身の看護を続ける。視力の衰え、呼吸困難など病状は進み、診断から約九ヶ月後に臨終を迎えた。自身も重篤な病に冒されるが、気力を振り絞って夫婦最期の日々を記した手記「妻と私」は翌春雑誌に発表され、大きな話題を呼んだ。が、同年夏の雷雨の日、あまりにも有名な遺書をのこし自裁。絶筆となった「幼年時代」、石原慎太郎ら同時代人の追悼文も採録。解説・與那覇潤
目次:
妻と私
幼年時代
追悼
江藤淳氏を悼む 福田和也
江藤淳記 吉本隆明
さらば、友よ、江藤よ! 石原慎太郎
江藤淳年譜 武藤康史編
解説 批評家の最後の闘争 與那覇潤
江藤 淳(えとう じゅん)
1932年、東京生まれ。文藝評論家。慶應義塾大学文学部英文科卒。在学中の56年に『夏目漱石』を上梓。58年に『奴隷の思想を排す』、59年に『作家は行動する』を発表し、評論家としての地位を確立する。『小林秀雄』『成熟と喪失』『近代以前』などの文藝批評のみならず、『海舟余波』『漱石とその時代』などの評伝、『海は甦える』などの史伝も執筆し、『一九四六年憲法――その拘束』『閉された言語空間』など、米国が作った戦後憲法や日本の言説空間を鋭く批判する仕事も続けた。99年没。
※この電子書籍は、2001年7月に文藝春秋より刊行された文庫をもとにした文春学藝ライブラリー版(2024年2月刊)を底本としています。 -
近現代史に前例をみない激動の政局に日本と世界の大空白を衝く――時務論、談話筆記、対談の数々を集めた著者渾身の評論集。
外に在っては、旧ソ連がついに崩壊し、冷戦構造が音を立てて崩れ去った。その余波は、アメリカのブッシュ政権を一期だけに終わらせたにとどまらず、クリントン新大統領の足元をも危くしつつある。内に在っては、バブルに湧いた未曾有の好況が一瞬のうちに暗転し、円高下の「平成不況」は日増しに深刻の度を加えている。内閣も、海部内閣から宮澤内閣に交替したが、日本の政治は、いまだにこの“大空白の時代”を乗り切る指針を得たというにはほど遠い混迷を示している。 ――近現代史に前例をみない激動の政局に日本と世界の大空白を衝く、著者渾身の評論集。 -
ひと時の常識に流されぬ、時代を越えた「こもんせんす」とは何か。世相・文化・風俗・時事など、多岐にわたる話題の本質を見抜き、読者の賞賛を浴びた好評シリーズ全八巻から、53篇を再抄録。
ひと時の常識に流されぬ、時代を越えた「こもんせんす」とは何か。世相・文化・風俗・時事など、多岐にわたる話題の本質を見抜き、読者の賞賛を浴びた好評シリーズ全八巻から、53篇を再抄録。昭和後期の記録という史料的な価値だけではなく、今の時代にも通用するものの見方や見通しがふんだんに収録されている。 -
日本の政治的時空間は停滞し沈殿している。そんな、不気味な動きを胚胎するような時空間でも、通念をほんの一目盛だけ脇にずらせば見えなかったものが見えてくる。
日本の政治的時空間は停滞し沈殿している。そんな、不気味な動きを胚胎するような時空間でも、通念をほんの一目盛だけ脇にずらせば見えなかったものが見えてくる。 ――「Voice」「文藝春秋」「諸君!」「正論」各誌の需めに応じて行なった時事に関する発言を集め、小堀桂一郎氏・上山春平氏との対談をつけ加えた一冊。 -
一九五〇年代半ばの鮮烈なデビューから〝怒れる若者たち〟の時期を経て、それぞれの一九六八年へ――。同世代随一の批評家が、盟友・石原慎太郎と好敵手・大江健三郎とに向き合い、その文学と人間像を論じた批評・エッセイを一冊にした文庫オリジナル作品集。
〈解説〉平山周吉
■目次
【一九六八年】
知られざる石原慎太郎
私にとって「万延元年のフットボール」は必要でない
【石原慎太郎】
石原慎太郎論/「肉体」という思想/「言葉」という難問/『完全な遊戯』/『日本零年』
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顔/石原慎太郎と私/石原慎太郎のこと/『石原慎太郎文庫』によせて/偉大なアマチュア
【怒れる若者たち】
新しい作家達/政治と純粋
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シンポジウム「発言」序跋/文学・政治を超越した英雄たち/今はむかし・革新と伝統/生活の主人公になること
【大江健三郎】
大江健三郎の問題/自己回復と自己処罰/『死者の奢り・飼育』/『個人的な体験』/私の好敵手/大きな兎/谷崎賞の二作品/大江健三郎氏のノーベル文学賞受賞 -
「成熟」するとは、喪失感の空洞のなかに湧いて来るこの「悪」をひきうけることである(本文より)――「海辺の光景」「抱擁家族」「沈黙」「星と月は天の穴」「夕べの雲」など、戦後日本の小説をとおし、母と子のかかわりを分析。母子密着の日本型文化の中では、「母」の崩壊なしに「成熟」はありえない、と論じ、真の近代思想と日本社会の近代化の実相のずれを指摘した、先駆的評論。
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若き文学者・江藤淳のほとばしる好奇心、躍動する批評精神。旅先での思索、愛犬との日常――ロンドンでターナーと漱石の内的現実について考え、ドイツで音楽生活の厚みと欧州人の厳格な孤独に触れ、ウィーン国立歌劇場の爛熟と洗練を極めたオペラに酔い、アメリカで世阿弥を読み自己の核心を支えるものを発見し、東京で愛犬ダーキイを傍らに思索を重ね執筆する。著者が20代後半から30代にかけて、横溢する好奇心と旺盛な行動力、躍動する批判精神で綴った、随筆集の名著。
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江藤文学への最高の入門書。『漱石とその時代』執筆当時に行った、若き著者の知性とユーモア溢れる講演録。表題作の他「転換期の指導者像」「英語と私」など、全6編――アメリカから帰国し、名作『漱石とその時代』を準備中の、1968年から69年にかけて行われた若き日の6つの講演。現代における真の「英知」とは何か……歴史を探り、人物を語り、表現の謎に迫り、大学や国際化の意味を問う。軽妙なユーモアと明快な論理、臨場感あふれる語り口で、読者を一気に江藤文学の核心へといざなう。多くの復刊待望の応え、甦った歴史的名講演集。
※本書は、講談社文庫『考えるよろこび』(1974年9月)を底本としました。 -
「知の巨人」たちが歩んだ人生と学問の総決算
学問を志してからの道程、恩師・同僚・生徒たちとの交流や大学の思い出、そして自らの学問にたいする真摯な思い――日本を代表する「知の巨人」23人が残した、学問の総決算ともいえる最終講義を精選。令和新時代に語り継ぎたい名講義、感動の一大アンソロジー。
【掲載順】
鈴木大拙 禅は人々を、不可得という仕方で自証する自己に目覚めさせる
宇野弘蔵 利子論
大塚久雄 イギリス経済史における十五世紀
桑原武夫 人文科学における共同研究
貝塚茂樹 中国古代史研究四十年
清水幾太郎 最終講義 オーギュスト・コント
遠山 啓 数学の未来像
中村 元 インド思想文化への視角
芦原義信 建築空間の構成と研究
土居健郎 人間理解の方法――「わかる」と「わからない」
家永三郎 私の学問の原点―― 一九二〇年代から三〇年代にかけて
鶴見和子 内発的発展の三つの事例
猪木正道 独裁五六年
河合隼雄 コンステレーション
梅棹忠夫 博物館長としての挑戦の日々
多田富雄 スーパーシステムとしての免疫
江藤 淳 SFCと漱石と私
網野善彦 人類史の転換と歴史学
木田 元 最終講義 ハイデガーを読む
加藤周一 京都千年、または二分法の体系について
中嶋嶺雄 国際社会の変動と大学――あえて学問の有効性を問う
阿部謹也 自画像の社会史
日野原重明 看護の心と使命 -
戦後の「正義」に抗い、自身の「私情」に忠実であることを表明した「戦後と私」、三島由紀夫、石原慎太郎、大江健三郎を論じた卓越した批評「神話の克服」。「私」三部作ほか、癒えることのない敗戦による喪失感と悲しみを文学へと昇華した批評・随想集。自作回想「批評家のノート」初収録。
〈解説〉「江藤淳と『私』」平山周吉
【目次】
Ⅰ
文学と私/戦後と私/場所と私/文反古と分別ざかり/批評家のノート
Ⅱ
伊東静雄『反響』/三島由紀夫の家/大江健三郎の問題/神話の克服
Ⅲ
現代と漱石と私/小林秀雄と私
解説 江藤淳と「私」(平山周吉) -
一九八五年四月八日。東京ステーションホテルにて、
日本を代表する批評家が初対峙する。夕食とともに開幕した
「普通の会話」ならぬ前代未聞の「知の饗宴」は、
食後のブランデー、チョコレートを愉しみつつ一日目を終了、
翌朝も食堂、客室と舞台を移しつつ、正午近くに及ぶ。
文学、映画、歴史、政治から、私生活に人生論まで。
ユーモアとイロニー、深い洞察に満ちた、歴史的対話篇。 -
昭和という時代は、天皇の御姿とともにあった。新しき世に、天皇はいかにあるべきか? 江藤淳、渾身の「天皇論」!
先帝(昭和天皇)の「御不例」の報道から「崩御」に際し、実に多くの日本人が皇居前につめかけ、心からの天皇への尊敬の心を表明した。それは著者にとって感動的な光景だったが、片や、その姿を報じるマスコミには、不思議な戸惑いが見られた。自分たちがいままで宣伝してきた「戦後民主主義」「象徴天皇制」の理念からすれば、グロテスクな光景に見えたからだ。
「新憲法」のもと、天皇という存在を忘れられた存在として棚上げしてきた宣伝は、一体どうなったのか。まるで海底から巨大な白鯨が現れたような「天皇という存在を必要とする国民の姿」は、マスコミ・知識人たちが隠そうとしても隠しきれない現実だ、と著者は論じる。
占領軍によって作られた新憲法は、象徴天皇は、共和政体の頭に載せられた羽飾りのような扱いを受けている。にもかかわらず、尊厳ある天皇の存在がこの憲法の中にあっていかに重要な役割を果たしていたか、昭和から平成に変わる際に日本人のあいだに立ち現れた強烈な感情によって表明されているのだ。
平成から令和に切り替わる5月、「象徴天皇制」はどう存在してきたか、これからどうあるべきかを日本人が改めて考える時期となる。天皇の存在を誰よりも愛してきた著者の論は、大きな助言になるだろう。「新編」にあたり、平成の新たな世に天皇はいかにあるべきかを真摯に直言した二編を追加する。
解説・平山周吉 -
「人間の行動はすべて一種のことばである」――文体は書きあらわされた行動の過程、人間の行動の軌跡である。ニュー・クリティシズムやサルトルの想像力論の批判的摂取を媒介に、作家の主体的行為としての文体を論じた先駆的業績であり、著者自らの若々しい世代的立場を鮮烈に示した初期批評の代表作。石原慎太郎、大江健三郎らの同世代の文学と併走しつつ、文学の新たな可能性の地平を提示する。
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鳥羽・伏見の戦で「朝敵」の汚名をこうむったことで、天朝への恭順の意を固めた徳川最後の将軍・慶喜の代ににわかに幕府の全権を担い、誰一人理解者のいないまま江戸城無血開城、幕府消滅まで戦意を秘めつつ「鎮静」を貫き、見事火消し役を務めた勝海舟。新政府での立身を福沢諭吉に批判されながらも国家安寧を支え続けた、維新の陰の立役者の真の姿を描き出した渾身の力作評論。
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