鎌倉幕府を開いた事で知られる源頼朝の父である源義朝は、源氏の頭領として平家に挑みますが、1159年平治の乱で敗れて殺害され、勝利した平清盛は、三男であった源頼朝を伊豆に流罪とします。そして、流刑の地である伊豆にて北条時政の娘・北条政子を妻とした源頼朝は、やがて平家打倒の挙兵を決意し、以仁王の令旨を受けて1180年8月17日に伊豆目代の山木兼隆を討ちます。その後、源頼朝は北条時政、北条義時、土肥実平、土屋宗遠、岡崎義実、佐奈田義忠、大庭景義、佐々木四兄弟、加藤景廉、仁田忠常らを従えて相模を目指して進軍開始しますが、僅か300騎程度と言いますので、総兵数にすると約1200名と言ったところでしょうか?兵力が少なかったため、三浦半島の三浦義澄、和田義盛ら500騎を頼りにし、三浦一族は合流すべく軍を発しました。当然、平家は討伐の軍を発して、大庭景親、俣野景久、渋谷重国、海老名季員、熊谷直実ら相模の平家寄りの諸将が3000騎を率いて伊豆へと向かいます。そのため、源頼朝は石橋山に陣を構えて、谷ひとつ隔てて大庭景親の大軍と対峙しました。相手が大軍であったため、道が狭い箇所にて迎え撃とうと考えたのでしょう。作戦的には悪くないでのであるが、しかし、伊東の豪族・伊東祐親が300騎を率いて、源頼朝の背後を塞いだため、源頼朝は挟まれた形になり、状況的にはかなり不利になります。頼りの三浦一族も、大雨も降った為、酒匂川が増水し渡河できず、合流が困難となり、増々不利でした。このような状況の中、平家側の大庭景親は有利な状況でしたが、三浦勢が到着する前に、雌雄を決した方が更に得策だと判断したようで、1180年8月23日に暴風雨の中、夜戦を仕掛けます。平家物語によると、北条時政と大庭景親が名乗りあう「言葉戦い」が行われたあと、戦闘になったとされます。大庭景親は「後三年合戦にて、源義家に従って奮戦した鎌倉景正の子孫である」と名乗ります。対する北条時政は「景正の子孫が、何故、義家の子孫である頼朝に弓を引くことができるのか?」と言い放ちました。この頃の武士の名乗り合いは、相手の悪口を即興で言います。
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