慶応3年(1867)10月、徳川慶喜はついに“大政奉還”を断行した。しかし薩長との対立は少しも緩和されず、かえって幕府、会津、桑名の重臣から強く挙兵を迫られる。蟄居する慶喜……。家康から265年続いた徳川幕府は、この15代将軍を最後に終焉する。大正2年まで生きた慶喜の生涯、完結篇。
814円〜850円(税込)
激動の幕末から維新を“水戸精神”で生きた最後の徳川将軍慶喜の苦渋にみちた半生――。黒船の来航は、長い間鎖国を続けてきた日本を動揺の渦に巻きこんだ。幕府内は開国派と攘夷派の対立が深まり、将軍継嗣問題も持ち上がって、超非常事態を迎える破目となる。この時の流れに、慶喜の胸中を走るものは……。
勅許を待つことなく、幕府が日米通商条約に調印したのは安政5年(1858)6月。新しい政治に踏み出した大老井伊直弼に対して、攘夷派の人々は開国不可を説き続けるが、全く受け入れられず、対立の溝は深まるばかりだった。直弼の恐怖政治を、なんとかおさえなければと焦る一橋慶喜ではあったが……。
安政の大獄は弾圧をうけた攘夷派の深い恨みをかった。万延元年(1860)3月、井伊直弼の登城の行列が桜田門外に近づいた時、水戸・薩摩の浪士たちが井伊の駕籠めがけて殺到した。慶喜が対立抗争に終止符をうつ策をこらしていた矢先の出来事だった。攘夷派と開国派の溝はいよいよ深まるばかり……。
文久2年(1862)7月の幕政改革により将軍後見職となった一橋慶喜は、混乱をきわめる内外政策の立て直しに着手した。だが、倒幕をねらう過激派の志士たちの活動はますます活発となり、相次いで来航する外国船の不穏な空気が、不安定な政情に一層の拍車をかけていく。
元治元年(1864)の政治事情は混乱をきわめ、慶喜はその対策に苦慮していた。朝権回復のクーデターを企てて失敗(池田屋騒動)した長州藩は、形勢挽回を計って御所に兵を向けた(蛤御門の変)。慶喜は禁裏防衛軍を指揮して大活躍。紛争激化する幕末政局の中、彼の政治手腕はいかに……。
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