『日本文学、思想、学問(実用、文芸・小説)』の電子書籍一覧
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水洗トイレ・冷蔵庫からジェトコースター、スケート、虹、オーロラ、飛行機、人工衛星・GPSまで身の回りにある物や現象のしくみが面白いほどよくわかる!文系の人でも理解できるよう、とにかくわかりやすく、またとにかく図を使ってうまく説明しました! 本書で扱ったテーマは、身の回りにそれとなくある物や現象です。それらの仕組みを知らなくても生きてはいけますが、知っていればなかなか楽しく暮らしていける、そんなものばかりです。物理の醍醐味は、いろいろな現象を少数の法則や定理そして少しの仮定で取り扱うことができるところにあると思います。 -
認知症もガンも、いい〈香り〉で治療する
時代がやってきた!
視覚、味覚、聴覚などと並び、非常に身近な感覚でありながら、科学的にまだ謎が多く残る分野――それが「嗅覚」である。重度の認知症患者の症状を改善したり、がんの終末期の疼痛を和らげる〈香り〉。これまでの西洋医学では太刀打ちできなかった病状の治療方法として、いま注目されているメディカルアロマセラピーを、嗅覚のメカニズムや最先端の臨床例からわかりやすく解き明かす。
■目次
第一章 嗅覚のメカニズム~ヒトはどのようにして<香り>を感じるのか
第二章 <香り>が人体におよぼす作用~アロマセラピーのサイエンス
第三章 治りにくい・予防しにくい疾患に効く<香り>~メディカルアロマセラピーの最新研究
第四章 <香り>の効能を楽しむ~精油の使い方 -
いま私たちに必要なのは、
“老孫”の思想だ!
片や「あるがまま」の姿勢を貫き、じっくりと時間をかけよと説く『老子』。片や「智略」を用いてスピード重視で臨めと説く『孫子』。対極とされがちな両書だが、理想の生き方はずばり「水」という点で一致する。この二つの思想を携えれば鬼に金棒。人生に迷いを抱く人に贈る、「心の処方箋」。
[目次]
はじめに──「老孫」思想への招待 湯浅邦弘
第1章 基本理念
第2章 生きるための哲学
第3章 人との関わり方
第4章 人生の歩き方
おわりに──不安な時代を生きる指針として 蜂屋邦夫 -
大震災後に歩む、芭蕉の「みちのく」
松尾芭蕉の『おくのほそ道』は単なる紀行文ではなく、周到に構成され、虚実が入り交じる文学作品である。東日本大震災の被災地とも重なる芭蕉の旅の道行きをたどり、「かるみ」を獲得するに至るまでの思考の痕跡を探る。ブックス特別章として、芭蕉による『おくのほそ道』全文を収載。
[内容]
はじめに―『おくのほそ道』への旅
第1章 心の世界を開く
第2章 時の無常を知る
第3章 宇宙と出会う
第4章 別れを越えて
ブックス特別章 『おくのほそ道』全文
松尾芭蕉 略年譜
あとがき -
壮大無比のスケール
須弥山とは、高さ約56万キロメートル、天神らが暮らす想像上の高峰である。5世紀頃インドで書かれた仏教論書『倶舎論』はこの須弥山を中心とする壮大な宇宙を描き出し、仏教が宇宙をどう捉えたかを詳細に解説した。本書は、『倶舎論』を基礎に他説も参照し、仏教宇宙観を簡明に記す。人間より優るが欲望の虜である天神とはいかなる存在か。「蛆虫に骨をうがたれる」といった地獄の責苦、世界を構成する四大と極微、宇宙の消滅と生成のサイクルなど、幅広く解説。後代に現れる極楽浄土の思想をも取り上げて、人生を苦とし、輪廻と解脱の思想を根底とするこのユニークな体系の変遷をたどる。長年読み継がれてきた入門書。 -
思考で世界は変えられる。
条件づけられた人間が環境に働きかける内発的な能力、すなわち「人間の条件」の最も基本的要素となる活動力は、《労働》《仕事》《活動》の三側面から考察することができよう。ところが《労働》の優位のもと、《仕事》《活動》が人間的意味を失った近代以降、現代世界の危機が用意されることになったのである。こうした「人間の条件」の変貌は、遠くギリシアのポリスに源を発する「公的領域」の喪失と、国民国家の規模にまで肥大化した「私的領域」の支配をもたらすだろう。本書は、全体主義の現実的基盤となった大衆社会の思想的系譜を明らかにしようした、アレントの主著のひとつである。 -
出色の講義・全15講
世界のすべては〈記号〉である
自然(自然科学)も文化(人文科学)も、記号論をつかえば、あらゆる事象を横断的に捉えることができるようになる。いちから深く学べる入門書。
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記号論とは、私たちの身の回りの事象を横断的に捉えようとする分析手法である。対立する概念のように扱われがちな〈自然科学=自然〉も〈人文科学=文化〉も、この手法によって統一的に読み解くことができる。本書は、その分析の基本を網羅した明快な入門書である。記号の根幹にある「ことば/意味」から発して、ことば以外で「ことばらしいもの」としてのイメージ・絵画、衣食住・広告宣伝、動植物の「ことば」、生命体の遺伝情報に至るまで、記号論を用いた読解を豊富な事例をつかって見ていく。全15講でわかりやすく手ほどきする一冊。
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日本人はいかに「よく」生きようとしてきたのか
倫理思想史の大家による遺著にして最終到達点
日本人はいかなる思想を持って生きてきたのか。この問いを生涯をかけて追究した日本倫理思想史家による、遺著にして最終到達点。
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日本人とはいかなる思想を持って生きてきた人々なのだろうか――。その探究は「今・此処」を生きる「現存」としての日本人が、どのようにして「無窮・無辺な「時・空」」を志向し、いかなる「形而上の存在」を「夢想」して生の「究極の拠りどころ」を求めてきたのかを、過去にさかのぼって解明することに他ならない。本書は、倫理学者・哲学者として「よい「生」」とは何かを問い続けてきた佐藤正英の研究の最終到達点とも言える傑作。全面改訂版をほぼ書き終えたところで亡くなった著者の遺志を継いだ研究者による校訂を経た完全版。解説 上原雅文 -
日本と米国の間にある文化的政治的関係をくぐり抜け、極めて先進的な表現を行った草間彌生。消費と創造への人々の関心を作品の中で両立させた田中敦子。「捺す」という技法によって特殊な作者性を主張した福島秀子。アンフォルメルとアクション・ペインティングが席捲する1950-60年代の日本において、彼女たちはそれらにどう抵抗し、自らの作品を創り上げたか――。戦後の批評言説を再検証しながら、フェミニズム的概念「アンチ・アクション」を通して、もうひとつの美術史を記述する。サントリー学芸賞受賞作を改訂し、多田美波の実践から「ポスト・アクション」に迫った補論を付して文庫化!
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なぜ霊長類の中でホモ・サピエンスだけが、積極的に魚を食べるのか? それは、もともとホモ・エレクトゥスやネアンデルタール人といった「強者」に対抗するための仕方なしの生存戦略だった。だが、人類がアフリカから世界中に拡散していく過程で、その魚食こそが飢えを満たし、交通手段を発展させ、様々な文化を生み出す原動力になった。果たして、魚食は「弱者」ホモ・サピエンスに何をもたらしたのか? 他の霊長類との比較を踏まえ、出アフリカから日本列島へと至る「大逆転の歴史」をベテランの人類学者が鮮やかに描き出す。
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明治維新を語るうえで外せない「草莽」。吉田松陰の「草莽崛起(そうもうくっき)」という言葉で知られる通り、それは、野にありながら天下危急のときにおのれを顧みず、大道に立つ壮士たちをさす。孟子に由来するこの言葉は、江戸時代後期に特異な思想的背景を孕むようになり、維新前夜、つかの間の煌めきを放った。その精神を鮮烈な筆致で描き出したのが、二・二六事件の先駆的再評価などで名高い評論家・小説家・歌人、村上一郎である。蒲生君平、高山彦九郎といった「草莽の処士」のさきがけから、頼山陽ら文化・文政の文人、水戸学、そして松陰と系譜的に論じ、その終焉を見届ける比類なき名著。解説 桶谷秀昭
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自律性、個体性、境界の自己決定、入出力の不在。これらを特徴とし、自己を産出するネットワークを不断に再生産し続けるシステム、それがオートポイエーシス・システムである。神経生理学の研究から導き出されたこの構想は、観察者の視点からではなく、システム自身からシステムを定式化しようと試みたもので、生命のみならず認知の領域をも射程に入れる。その可能性は社会学、経済学、法学、精神医学など多分野において汲み取られ、豊かな展開を遂げた。閉鎖系のダイナミクスがもたらす開放性の新たな意味とはなにか──。第三世代のシステム論のモデルを高度な記述とともに提示した独創的著作。
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「自己」とはどのように形成され、どうすれば変えられるのだろうか。実はそれは、私たちが自分自身について「物語る」ことで産み出されているのだ。そして物語がエピソードの選択・配列を伴う限り、そこからはみ出してしまうものも存在する。自己物語はそうした「語り得ないもの」(例えばトラウマ的体験)を巧妙に隠しているのであり、この隠蔽を解除する方向へと物語を書き換えることで、異なった自己を産み出すことも可能になる──。物語論を治療に用いた家族療法(物語療法)から、社会学的自己論は何を学べるか。〈物語〉をキー概念に自己の生成・変容をあざやかに読みといた刺激的論考集。
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近代日本の思想史に映し出された中国像とはどのようなものだったのか。本書は、江戸時代の儒者や国学者らの中国観から、明治維新・日清戦争を経て、民族を超えた全体を目指す東亜協同体論が構想されるまで、代表的人物に寄り添いながら、中国理解の変遷や思考のありかたを追う。畏敬や脅威、軽侮という感情の振幅のなか、他国を正しく認識しようと苦闘した日本人の足跡。そこから、われわれは何を学べるだろうか。国家を超えた理念を呈示することはできるだろうか。日中関係史の精緻な考察は、いまもって喫緊の課題である〈他者理解〉に向けて読者の再考を促す。学殖溢れる渾身の思想史講義。
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驚異的な経済成長をもたらし豊かな社会を実現する一方で、格差を常態化し、深刻な不況をくり返す資本主義。その原因はどこにあるのか――。ヒュームやスミスにはじまり、マルクスそして新古典派の登場をへて、ケインズ、ハイエク、ヴェブレンまで。経済学の巨人たちは、自らが生きた時代の課題にとりくみ、その思想を形成した。本書は、そうした現実的背景に照らしながら、かれらの理論の核心を平明に説く。さらに後半では、貨幣や消費などの重要テーマごとに経済分析のあり方を問うことで、経済思想の今日的意義を浮き彫りにする。経済という人間の営みを根底からとらえなおす、決定版入門書。
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帝国の首都として繁栄を極めたローマ。世界に類を見ない壮麗な都市と建造物は皇帝たちの熾烈な権力闘争の場であり、その政治的意図を示す舞台でもあった。本書ではカエサル登場以前の紀元前2世紀から、コンスタンティノープル遷都にいたる330年まで約500年のローマの都市計画と建造物を一望し、そこに刻まれた各皇帝の政策や思想、歴史を読み解く。凱旋門、神殿、コロッセウム、浴場、広場や水路などを備えた都市はやがて変革期を迎え、皮肉にも都市に蓄積された歴史の重みによって終止符を打たれることになる。帝国の興亡を浮かび上がらせるスリリングなローマ都市史。
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剰余価値追求の終わりなき運動、資本主義。本書はそのメカニズムを精密に分析し、社会科学史に聳え立つ。『マルクス・コレクション』版を全面改訳。 貨幣の増殖を自己目的とする終わりなき運動、資本主義。なぜ等価交換に見える商品流通のなかから、富裕化する階級と貧困化する階級との絶対的対立が生じるのか。この矛盾に満ちた資本主義社会の運動法則全体を、マルクスは19世紀イギリスの産業社会を素材に解明しようとした。全4巻を構想しながら、生前に刊行されたのはこの第1巻だけだった。しかしそれは独立性の高い著作として、以後の知的・政治的世界に巨大な影響を与え続けた。上巻には、「第1篇 商品と貨幣」から「第4篇 相対的剰余価値の生産」の「第12章 分業とマニュファクチュア」までを収録。全2巻。
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社会とは神が人間に与えた秩序であり、その安定と維持こそが中世キリスト教世界における政治であった。ローマ教皇と神聖ローマ皇帝という二つの中心が社会的機能と責任を担う。だが、時に激しく対立し、グレゴリウス改革や叙任権闘争を極点として、統治の本質が根底から問われる事態へと発展する。聖書解釈に基づく両者の理論対決は、政治思想の錬磨を促さずにはおかない。普遍的で超越的なものを志向する意志と密接不可分な「合理性」がここに芽生え、やがてそれがヨーロッパ人の思惟構造を形づくっていくのである。中世の核心を伝えるだけでなく、近代の性格をも照らし出す類まれな講義。
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社会学は、社会を研究対象とする学問だ。だが、そこで言われる「社会」とは、私たちの「日常」とイコールではない。それどころか、ときに日常は、より本質的な社会問題や社会構造を隠蔽し、見えにくくしてしまう。逆に言えば、社会の根本問題は一見「当たり前」に思える物事にこそひそんでいるのであり、それをあえて疑い、執拗に探究することが重要となる。社会学とは、そうした探究を通じて社会の成り立ちを明らかにし、その構成単位である人間主体のありようをも解明しようとする試みにほかならない―。世界中で長年使われてきた、アメリカ社会学の泰斗による大定番の入門書!
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ウィーン出身の哲学者カール・ポパー(1902‐1994)。その思想は「批判的合理主義」として知られ、主として科学哲学や政治哲学の領域でこれまでに大きな影響を与えてきた。だが、この「知の巨人」の反証主義などの思想はたびたび誤解され、批判にもさらされてきた。本書は、ポパーを最も深く、かつ正確に理解する著者がそうした誤解を正し、ポパーの明晰さそのままに知の体系を解説するものである。『開かれた社会とその敵』の新訳も担当した著者による、いちばん信頼できる伝記として、また専門的見地に基づいたポパー哲学全体を俯瞰できる最良の入門書としても広く読まれてきた定番書、待望の改訂版。
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日本人はなぜ森に惹かれるのか――?
自然災害や空襲にも耐え、人々を守ってきた鎮守の森は、どのような植物で構成されているのか。なぜ数百年も人の手を借りず生き延びてきたのか。
国内外でその土地ごとの自然環境に応じて成長する「潜在自然植生」を調査し、植樹法を指導して森林の再生を担ってきた植物学の世界的権威が、日本の「ふるさとの木によるふるさとの森」の重要性について解説する。
曹洞宗の板橋興宗師との対談に、哲学者・梅原猛氏との30年越しの対談2篇を増補し、日本のふるさとの森の姿や日本人の精神性について思索を深める。
【解説】中村桂子 -
春秋時代の魯国、周王朝の復興を唱え、政治へのあくなき情熱とともに理想を追求した人、孔子。その言行録『論語』は、古来、多くの人々に人生の指針を与えてきた。孔子が弟子たちに教えたもの、それは学問、礼の実践、徳の涵養である。中心にあるのは徳であり、わけても「仁」を至上とした。仁とは、日常生活において状況に相応しい価値を適切に選び取れることを指し、それを体得した者が君子となる。本書は、「『論語』をして『論語』を語らしめること」を主眼に置き、何晏、朱子、仁斎、徂徠など、数多の解釈を比較考量。新たな書き下し文と明快な現代語訳、詳細な注と補説を付した決定版訳注書である。
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今「言葉」や「日本語」ブームの中、博覧強記の評論家・呉智英氏は、孔子にならい「必ずや名を正さんか」と語り、これまで「正しい日本語」に関する知的エッセイシリーズを刊行してきました(累計15万部超)。今回、「言葉の診察室」シリーズと銘打ち、「正しい日本語」知的エッセイの集大成として【増補新版】で刊行します。「言葉」から「思想」と「文化」がよく見えてくる!さらに、教養としての国語力が身に付く!目からウロコが落ちる読後感を必ず約束します。
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社会思想は、その時代の社会がかかえる問題を解決しようと、思想家が格闘しつつ生みだすものである。本書はルネサンス以降の歴史を、3つの流れで捉える。すなわち、民主主義・資本主義社会はいかなる思想的過程で形成されたか、近代社会に顕在化した問題を解決するためどのような社会思想が生み出されたか、そして20世紀以降どのような問題が発生したか。著者が指摘する「現代社会の問題」とは、個人の自立性を押しつぶす官僚制化・大衆社会化・管理社会化であり、さらに資本主義社会の矛盾・弊害の克服を目指したはずの社会主義諸国の行き詰まりまでを含む。長らく読み継がれてきた簡潔で定評ある入門書。
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決定版入門書
民藝の入門書の定番として長く親しまれてきた柳宗悦の『民藝四十年』。しかし、柳はこの名著をさらに充実させる改訂案を温めていたのだった。本書は柳が生前、『民藝四十年』の初版本目次に書き加えていた15編の論考を新たに増補し、柳の訂正指示を反映させて編んだもの。これにより、柳が「民藝」を通して伝えたかったことがより明確となった。ものの真の美しさを掴み取るにはどうしたらよいのか? 何がものを美しくさせているのか?ものが美しくなる原理が迷える人間の救済にもあてはまるとはどういうことなのか?そのすべての答えがこの一冊の中にある。 -
何が美術を規定したのか
現在の美術を作り出した「境界」が引かれ、社会に浸透していく過程を、制度史的視点から捉えた画期的論集。近代において「美術」概念や日本画をはじめとする諸ジャンルは、いかにして形づくられ、純化へと向かっていったか。衝突や動揺を引き起こしつつも、五感の秩序における視覚の優位、工業社会の到来、固有の造型芸術への意志、これら三つが推進力となって「美術」は成立した。だが、その境界は画定し切ったわけではない。裂け目を孕みながら、未完の運動体として今もわれわれの目の前にある。『眼の神殿』と対をなす本書は、新たな作品創造と歴史記述の可能性へと読者を導く。 -
あらゆる書物は見えない連関(ネットワーク)で結ばれている。その解読の驚きと愉しみ、秘術と実践。
自分だけの「知の見取り図」は、いつの時代も蔵書から生まれる。20世紀前半、人文知再編の震源地となったアビ・ワールブルクの研究所およびワイマール文化を発端に、本書自体が、文化人類学的思考を通じてオルタナティヴな精神史・思想史を発見するための架空ライブラリーとして展開する、著者の代表作。
美術、演劇、音楽、文学、宗教学、人類学……さまざまな文化/学問領域の隠れたネットワークを、おびただしい過去の書物をたぐりながら曼荼羅のように描き出す、みずみずしい驚きに満ちた知的アクロバット。
1970~80年代のニューアカデミズム・ブームを牽引し、後世に巨大なインパクトを与えた伝説の一冊にして、普遍的な知の技術を示し/実践した名著を凱旋復刊。
まさに「文庫の中の文庫」といえるコンパクトにして圧倒的な情報量が詰まったこの神話的迷宮は、21世紀の今も来る者すべてに開かれている。
巻末に、「図書館」に関する講演録・エッセイを新たに増補。
〈解説〉山本貴光
【目次】
第一章 二十世紀後半の知的起源
第二章 ユダヤ人の知的熱情
第三章 モーツァルトと「第三世界」
第四章 「社会科学」としての芸能
第五章 もう一つのルネサンス
補 遺 物語作者たち
[新増補]
歴史と記憶(1995)
図書館との出遭い(2000)
解説 山本貴光 -
理想への絶えざる郷愁
「それ独自の事実のフォルムと表示のなかに刻み込まれた時間――ここにこそ、私にとって芸術としての映画の第一の理念がある」。その理念が有機的統一をもって結晶する“イメージ”。『惑星ソラリス』『鏡』『サクリファイス』など、生み出された作品は、タルコフスキーの生きた世界の複雑で矛盾に満ちた感情を呼び起こす。俳優や脚本のあり方をはじめとする映画の方法は、現代において涸渇した人間存在の源泉を甦らさんとする意図とともに追求された。戦争と革命の時代である20世紀に、精神的義務への自覚を持ち続けた映画作家の思考の軌跡。 -
〈なんとかやっていく〉技芸
読むこと、歩行、言い回し、職場での隠れ作業……。それらは押しつけられた秩序を相手取って狡智をめぐらし、従いながらも「なんとかやっていく」無名の者の技芸である。好機を捉え、ブリコラージュする、弱者の戦術なのだ――。科学的・合理的な近代の知の領域から追放され、見落とされた日常的実践とはどんなものか。フーコー、ブルデューをはじめ人文社会諸科学を横断しつつ、狂人、潜在意識、迷信といった「他なるもの」として一瞬姿を現すその痕跡を、科学的に解釈するのとは別のやり方で示そうとする。近代以降の知のあり方を見直す、それ自体実践的なテクスト。 -
文学作品の作者とは何者であり、読者とは、また何者なのか。
〈作者〉と〈読者〉の相互作用としての〈書く〉ことと〈読む〉ことを捉え返すことを通じて、エクリチュール(文字表現)の文字の連なりのなかに埋もれた意味やイメージをたどる。近代文学研究の泰斗のデビュー作を増補して復刊。
宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を呼び水にして、近代小説を築き上げた二葉亭四迷の『浮雲』や坪内逍遥『小説神髄』、森鴎外『舞姫』、夏目漱石『坊っちゃん』、さらには横光利一『蝿』、にいたるまでのさまざまな作品を、クリステヴァやボードリヤール、バルトらの文学論も援用しながら多元的で重層的に読み込み、近代日本文学の〈語りの構造〉を解明する記念碑的な論文集。 -
12世紀の中世ヨーロッパ、一人の哲学者の著作が再発見され、社会に類例のない衝撃を与えた。そこに記された知識体系が、西ヨーロッパの人々の思考様式を根底から変えてしまったのである。「アリストテレス革命」というべきこの出来事は、変貌する世界に道徳的秩序と知的秩序―信仰と理性の調和―を与えるべく、トマス・アクィナスをはじめ、キリスト教思想家たちを激しい論争の渦へと巻き込んでいった。彼らの知的遺産は、現代にどのような意義を持つのであろうか。政治活動の発展と文化的覚醒が進んだ時代の思想を物語性豊かに描いた名著。
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法とは何か。それは単なる命令とどう異なり、道徳や慣行といかに関わるのか。なにゆえ法は、私たちを従わせる規範としての力をもつのだろうか。こうした難問をめぐって有力に唱えられてきた主権者命令説や自然法論はいずれも十分でない。法の特質は、人々の行動を方向づける一次ルールと、何がルールかについて定める二次ルールとの組み合わせとして理解されねばならないのだ。1961年に初版が刊行された本書は、このような革新的な視点を打ち出すことで法哲学のあらたな地平を切り拓き、分野を越えて巨大な影響を及ぼした。初版への批判に応えた「後記」をも含む改訂版を、平明な新訳でおくる。
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革命を先導した芸術運動
既存の価値観に対する攻撃とともに、ロシアでは20世紀初頭に産み落とされた前衛芸術。1917年の社会主義革命に先行したその活動は、芸術革命に呼応するものとして政治革命に同調し、昂揚する民衆のエネルギーに支えられて、芸術運動を展開してゆく。これがロシア・アヴァンギャルドと呼ばれる運動である。しかしそれはやがて、スターリン体制から「形式主義」として批判され、芸術の論理によらず粛清され抹殺されてゆく。マヤコフスキー、マレーヴィチ、メイエルホリドなど、激しい時代を生きた芸術家たちの活動に光をあて、その再評価の嚆矢となった20世紀美術史の名著。 -
集団への帰属の欲求とは何を意味するのか。この欲求が他者に対する恐怖や殺戮へとつながってしまうのはなぜなのか――。グローバル化の進展は、さまざまな文化の保持者たちの基盤を揺るがし、時に偏狭で排他的な帰属意識を生み出してしまう。複数の国と言語、そして文化伝統の境界で生きてきた著者は、本書のなかで新しい時代にふさわしいアイデンティティのあり方を模索する。鍵となるのは、「言語」だ。言語を自由に使う権利を守ること、言語の多様性を強固にし、生活習慣のなかに定着させること、そこに世界の調和への可能性を見る。刊行後、大きな反響を呼んだ名エッセイ、ついに邦訳。文庫オリジナル。
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「歯車理論」や「小物理論」の虚偽を突き、第三帝国下の殺戮における個人の責任を問う「独裁体制のもとでの個人の責任」、アウシュヴィッツ後の倫理を検討し、その道徳論を詳らかにする講義録「道徳のいくつかの問題」など、ハンナ・アレント後期の未刊行論文集。ユダヤ人である自らの体験を通して全体主義を分析し、20世紀の道徳思想の伝統がいかに破壊されたかをたどる。一方、人間の責任の意味と判断の能力について考察し、考える能力の喪失により生まれる“凡庸な悪”を明らかにする。判断の基準が失われた現代こそ、アレントを読むときだ。
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剣禅一如
宮本武蔵の『五輪書』、柳生宗矩の『兵法家伝書』とならぶ三大兵法書の一つ『不動智神妙録』。書いたのは武士の家に生まれながらも得度し、大徳寺住持となった禅僧・沢庵宗彭。剣の修行は心の修行に他ならないという「剣禅一如」が初めて説かれた一書で、戦いのみならず万事に対処できる心と体の動きが解説されている。将軍家剣術指南・柳生宗矩に授けられたことから柳生新陰流の聖典となったが、小野派一刀流など他の流派でも広く読まれ、幕末の剣聖・山岡鉄舟も愛読した。併録した『太阿記』は凡人が凡人のまま剣の達人になる道筋を示したもの。『玲瓏集』はわれわれの視野がいかに分別心によって曇らされているかを説く。 -
シンメトリー(対称性)はワイルが著作や講演のなかで折に触れ取り上げたテーマである。数学・物理学・哲学と幅広い分野に通暁したワイルにとって、シンメトリーは至る所でその姿を現す、深遠で重要な概念であった。生涯をかけて深めた思索が結実した本書は、刊行まもなく『サイエンス』誌より、「シンメトリーというテーマに関するこのような本や論文は今まで存在せず、さらに今後書かれるすべての本が、何らかの形でこの本に依拠することになろう」と評された。実際、ワイルならではの含蓄に富んだ叙述は、今なお読者に新しい洞察を与えてくれる。最晩年の名講義を新訳で。
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「唯の生」でいい
「病で死ぬとしてもその時までしたいことをし、楽をするのがよい」と考える著者が、安楽死・尊厳死を「良い死」とする思考を批判的に検討。病を得、あるいは老衰のため身体や思考をうまく働かせられない人に、生きる価値がないと思わせてしまう現代社会。「留保なしの生存」を妨げる種々の規範や価値が埋め込まれているこの社会を、「生きたいなら生きられる」社会へと変えていくには何が必要か。「良い死」を追い求めるのはやめ、「唯の生」でよいではないかと呼びかける。単行本『良い死』に、単行本『唯の生』の第5章~第7章を加えて文庫本とした決定版。 -
日本人の発想のかたち
日本語において「おのずから」と「みずから」は、ともに「自(ずか)ら」とあらわす。成ることと為すこと、物と自己、自然と自由を意味するが、截然と分けられず、両者には交差・共和・相克する「あわい」がある。そこに見られる日本人の基本的発想とは何であり、それはまたどのような思想文化を育んできたのか。本書は、思想・宗教・文学・芸能の諸領域を広く深く行き来しながら、日本人の自然と自己との相関的認識、超越と倫理との関わり、そして無常観と死生観を根源から問いなおす。倫理学者・日本思想史家である著者の代表作。 -
イギリス近代を代表する思想家にして法学者ジェレミー・ベンサム(1748‐1832)。本書は、近体功利主義の創始者として知られる彼の代表作と目される記念碑的著作である。ここでベンサムは、人間の快と苦痛のみに基礎づけられた功利性の原理をもとに個人と共同体のありようを徹底的に解析し、そこから真に普遍的な法体系を導出しようと試みる。その挑戦はわれわれをどこに導くのか? 刊行より200年以上経てもなお倫理学、法哲学、政治思想など広範な分野に圧倒的な影響を与え続けている名著を、このうえなく清新かつ平明な訳文で送る。上巻は「第13章 罰すべきでない場合」まで。文庫オリジナル。
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絵画のもつ意味、それを“解釈”するにはどうしたらよいか──。その基礎的方法論のひとつとして挙げられるのが図像解釈学(イコノロジー)である。本書は、カラヴァッジョ『果物篭』、ボッティチェッリ『春』、ブロンズィーノ『愛のアレゴリー』、ブリューゲル『バベルの塔』等、重要な名画12作品を取り上げ、関連作品と比較しつつ、その背後にある思想や意味世界への接近を試みる。イメージの読み解きによって、美術の深みと無限の感受性への扉を開ける、美術史入門書の決定版。
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医療人類学を提唱した記念碑的名著
どれほど科学技術が発達しようと治らない病気はある。だからこそ人間は病気に強い関心を抱き、さまざまな意味づけを行ってきた。民俗医療や治療儀礼、宗教・民間信仰・シャーマニズムは、どのように病気とかかわってきたのか。本書では「病マケ」と呼ばれる家筋への差別構造、奄美のユタによる治療実態、明治期のコレラが引き起こした社会的混乱など、豊富で多様な民族誌的事例も踏まえつつ、文化と社会における病気に焦点をあて、総合的な文化人類学理論を構築しようとする。「医療人類学」を切り拓いてきた著者による先駆的名著。 -
近代社会はいかにして誕生したのか、社会はどのように分化・発展していくのか。そもそも人類はなぜ社会を必要としたのか──。これら難問を解く手がかりが「分業」である。分業の進展が商品生産を飛躍的に向上させ、資本主義の発展に大きく寄与したことはいうまでもない。だがそれ以上に、分業は新たなかたちで人々を結びつけ社会の礎としての役割を果たしてきた。「機械的連帯から有機的連帯へ」というテーゼとともに語られる本書は、ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』と双璧をなす社会学の原点として高く評価されている。デュルケーム畢生の大著を、定評ある名訳で送る。
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宗教戦争のさなか、通念や世間の道徳に懐疑の目を向けつつ、自然に従って生きることの喜びを説いたモンテーニュ。その著『エセー』では、自己の判断力を試し鍛えていくさまが、自由な文体によって描き出される。異文化への関心と共感、戦時における人間の狂気や暴力、性の歓び、ボルドー市長としての政治経験、旅と読書の愉楽など、扱われるテーマは実に幅広く、われわれの心を揺さぶる文章に充ちている。ストア的克己主義と節度ある快楽主義とを往還し、メメント・モリの受容から拒否へと至る過程で、独自な思想が紡がれていく。類まれな開明的人物の核心に迫る出色の講義。文庫オリジナル。
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建築は、一見すると哲学とも思想とも関係のない即物的なもので、定義など簡単にできそうである。ところが、建築ほど定義しづらいものはない――。20世紀末、構築的なものへの批判に晒され混乱をきわめた「建築とは何か」という問いに、著者は建築史と思想史を縒り合わせながら、真正面から立ち向かう。一本の柱が原野に立てられた太古から、ゴシック、古典主義、ポストモダニズム建築まで。建築様式の歴史的変遷の背後にはどのような思想があったのか。本書は、ひとつひとつ思考を重ねつつ、歴史的視座を与えようとした意欲的主著である。著者自身による自著解説を付した、待望の文庫版。
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クィアな読解とは何か
性差や異性愛といった規範が作用する場から見えない欲望を引き出し、新たな解釈を生産すること。本書は、そうしたクィア批評の声に耳を傾けながら、「自分ではない」ものへの同一化による読むことの快楽と、性的な快楽を混線させる試みである。セジウィックの理論や英文学の古典から、ホモソーシャルな欲望、文学共同体の規範を学ぶ快楽、プライヴァシーという概念装置等を縦横に論じるとともに、クィア批評と精神分析の思想的往還を、ジジェク、バトラー、コプチェク、ベルサーニらを読むことで辿った。クィアなるものが含む解放性と固有性のパラドックス、批評的・思想的探究と政治的意味の緊張をも見据えた名著。 -
数学はなぜ科学といえるのか、連続体や幾何学空間の概念はどこから生まれたか、仮説にはどういう役割と種類があるか、科学は自然に対してどういうスタンスをとるべきか――。「ポアンカレ予想」の提唱者としても名高い科学者が、数学・物理学を題材に、関連しあう多様な哲学的問題を論じる。「幾何学の公理や物理学の原理は、人間が自由に決めた定義、あるいは人間の精神が創った規約である」という「規約主義」の立場を打ち出した。科学の要件に迫り、刊行時大反響を呼び、アインシュタインら若き科学者たちを「何週間か呪文をかけられたように」高揚させたという科学哲学の古典。オリジナル新訳。
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近代建築の過激な夜明け
ハプスブルグ帝国の末期に生まれ育ちながら、近代建築の地平を切り拓いた先駆者ロース。その装飾を排した建築作品は、当時のウィーン社会において物議を醸すことになる。文筆活動においても舌鋒鋭くラディカルな文化社会批評を展開したが、本書はそのうち重要な論考を精選した一冊である。有名な「装飾は犯罪である」をはじめとした過激な発言に満ちている一方で、ギリシャ・ローマを範とするような古典主義的な思考も随所に覗く。幅広い交友関係を反映して、シェーンベルクやココシュカなども登場。急速な変化を遂げる激動の世紀末・20世紀初頭のウィーンを中心に、モダニズムの強い息吹に触れることができる。 -
われわれがこれまで、人類の過去の生き残りと教えられてきた人々――彼らのもとの世界の廃墟の中で、今現在「かろうじて存続する」ことを余儀なくされている人々――が、思いがけず、われわれ自身の未来の姿として現れてきます。
クレナッキは言っています。私たち先住諸民族は、五世紀にわたって西欧の血なまぐさい「人道主義」に抵抗してきた。私が心配しているのは、むしろあなた方白人のことだ。これから起こることに対して、あなた方が耐えられるか、私にはわからないから、と。
――ヴィヴェイロス・デ・カステロによる「あとがき」より -
メディア論の必読古典
粘土板と楔形文字というメディアを擁したメソポタミア文明。やがて薄くて軽いパピルスと尖筆が出現し、別の性格を有する社会へと文明が展開する――。コミュニケーション・メディアの深奥部には“バイアス=傾向性”が潜んでおり、長期間使用することによって、新しい社会の特性が決定づけられ、その時代の人々の思考様式などが変化していく。技術革新の進む20世紀半ば、ダイナミックな文明史観とともに、今日的なメディア産業批判にも通じる議論を提示したメディア論の必読古典。マーシャル・マクルーハンの序文を付す。 -
民俗学入門の傑作
ふとした時に表れる日本人独特の感覚。自分の湯呑みを他人に使われてしまった時の気まずさなどはその一例といえるだろう。高取によればこの感覚は、自己の範囲を所有するモノや所属する集団にまで広げて認識していた近代以前の名残だという。また祖先としての神、他所から来る神という二種の神観念があるのも、定住だけでなく漂泊もまた少なくなかった前近代の暮らし方に由来するという。本書はそうしたわれわれの感覚や習慣を形作ってきたさまざまな事例を挙げ、近代的な自我と無意識下の前近代が交錯する日本人の精神構造を明らかにする。民俗学の傑作にして恰好の入門書。 -
今なお残る困難
「女性解放」を論じることはなぜ難しいのか。あるべき解放論を示すのではなく、かつて女性解放の運動と理論が直面した対立や批判、矛盾やその破綻を描くことで、今なお残る困難の数々を深く鋭く明かす論考集。1部には、イデオロギーに根ざす80年代女性解放論への批判と、「性差があるから差別ではない」とする言説の本質的な不当性を喝破した論考を収録。2部では、ウーマンリブ運動の思想史的位置付けと再評価を行い、3部では、フェミニズム運動への「からかい」が、非難や攻撃にもまさる抑圧的効果をもったことを明かした「からかいの政治学」など、メディアにおける女性表象の問題を追求した。今日までの状況を俯瞰する1章を加えた増補版。 -
現代哲学の最先端へ!
20世紀後半の現代哲学に、最も先鋭的かつ重要な潮流をなした、アメリカ言語哲学。その最前線を形づくってきた、サール、クリプキ、デイヴィドソン、クワイン、ローティら哲学の巨人の思想を、言語行為論、指示理論、根本的解釈説、メタファー論、反表象主義などの主要な議論から精査する。その考察から、彼らの視点には、実はデカルトやロックらの近代観念説やヨーロッパの解釈学とも通底するものがある、という事実が明らかになってくる。西洋哲学全体の流れの中で最先端のアメリカ言語哲学の核心に迫る、絶好の一冊。 -
1950年代初頭、冷戦の激化を背景に起こった日本国憲法改正論。この動きに対し、シェイクスピアの翻訳で名高い英文学者が反応する。改憲派の主張は、アメリカによって押しつけられた憲法を廃し、日本人が自主的に憲法をつくることであった。しかし、かれらの主張は本当に妥当なのか。日本国憲法成立の事情を調べながら、浮かび上がった事実を平明率直にまとめたのが本書である。そこには国民がまたも騙され、個人の自由や権利が制約されることへの危機感があった。憲法という国民的利害の最も重大なものについて、われわれはどのように臨むべきなのか。著者の切実な訴えはいまも強く響く。
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