「張作霖爆殺事件」中華民国軍政府大元帥、張作霖が関東軍西光参謀河本大作大佐の謀略により爆殺された事件。1928年(昭和13年)国民革命軍の北伐が北京に迫ったため、張は日本の勧告により6月3日特別列車で北京退去し、京奉線で本拠の奉天に向かった。かねて張への不信感をつのらせていた関東軍(司令官村岡長太郎)中将(1871~1930)は、この機に張をげやあせ、満州を中国から独立させようと図り、錦洲方面へ出勤する体制をとったが、張をなお利用する考えであった田中義一首相は武力行使を承認しなかった。このため河本は出動の口実を得ようとした。奉天の京奉線と満鉄線のクロス地点のガードに爆薬を仕掛け、6月4日早晩、帳の列車を爆破。帳は爆死した。しかし「事前の打ち合わせが不十分で、関東軍は出動せず、河本の策謀は失敗に終わった。政府・軍は真相を秘匿し、国民革命軍の犯行と過ったが、満州某重大事件として疑惑を呼び、田中義一は天皇陛下に叱責されるに及んで内閣総辞職をきたした。また中国では後継の張学良が反日の姿勢を強め1928年末には東三省易易識中国東北の遼寧省、吉林省、黒龍省に、満州国国旗を五色旗にかえて国民政府の国旗であることを正店白日満地紅旗を挙げさせた。これを機に満蒙問題を重大化招いた。