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文芸

ヤマト・出雲・邪馬台の三国志 下

著者
高田康利

あらすじ・内容

邪馬台国の幕開けは、南北朝時代と酷似する。三輪氏は足利尊氏と同じく覇権を奪い、大和に別王朝を建てた。神武東征も、薩長軍の討幕と瓜二つの歴史だ。神武は邪馬台を討ち、敵本拠に遷都した。この時代、日向と大和に王朝が並立するが、「記紀」編者は、これを皇統万世一系に創り替えた。物語中で、桜井茶臼山古墳が四世紀初めの古墳と主張。二○○九年の再調査でズバリ的中。

二二〇年代、大御神は纏向宮で即位し火明を太子に指名した。卑弥呼と呼ばれた彼女は、祝賀に参集した王に八咫鏡(三角縁神獣鏡)を授け、先祖祭紀を命じた。二三八年、卑弥呼は魏に使節を送り、金印・銅鏡百枚などを賜った。一方、ニニギは、邪馬台の従属を脱し、倭王位を奪おうと邪馬台に挑戦した。邪馬台内で内紛がおこり、大御神は豊スキ入姫と共に笠縫邑に避難した。その後、戦況が好転すると、大御神は火明に政務を委ね、倭姫と共に伊勢に遷り住むが、程なく崩御した。つぎに火明が倭王垂仁に立ち、抗争が再燃するが、豊スキ入姫を女王に立て鎮まった。同じ頃、南九州では、ニニギが崩御しホオリが王に立ち、兄弟国は和睦に向かった。ヤマトは貢物を納め、垂仁は皇子(ニギハヤヒ)を人質に送ることで合意した。二七〇年代中ごろ邪馬台の倭王に、南九州から帰国した景行(ニギハヤヒ)が立った。同じ頃、ホオリはニニギの遺志を果たすべく責物を中止した。景行は大軍を率い、熊曾征伐に向かったが、日向で囚われの身となった。二八〇年頃、ホオリは景行の日高見国征伐を条件に帰国を許したが、程なく他界し、イワレピコ(神武)が王に立った。彼は自ら倭王と名のり、東征準備を進めた。これを知った景行は、仲哀に熊曾征伐を命じた。二八三年頃、仲哀は橿日宮から熊曾征伐に撃って出た。神武も葬送用八咫鏡を大量に携え、東征軍を率いて日向を発った。二九〇年代末、神武が三輪氏を滅ぼすと、ニギハヤヒは宝器を差し出し降伏した。檀原の都が完成すると、三〇一年元旦、神武は即位式を行った。三〇四年、彼は鳥見山麓の斎場(桜井茶臼山古墳)で郊祭し、皇天二神を皇祖皇宗に奉った。目次〔倭女王 天照大御神〕 倭女王の即位 弟王の蛭子 天日槍 ニニギの西都 卑弥呼の朝貢 巨大化した銅鐸のいっせい放棄 海幸彦・山幸彦 大御神の権力移譲 伊勢遷座 卑弥呼の墓〔日本と日向の対立〕 垂仁天皇(火明) 景行の熊曾(襲) 征伐 倭王イワレビコ 仲哀の熊曾征伐〔神武東征〕 東征出発 北九州の奪還 神功の新羅征伐 イワレビコと神功のつながり 吉備の鬼国征伐 出雲征伐 三輪氏を討て〔大和朝廷のはじまり〕 橿原宮 ヤマトタケルの東北征伐 神武天皇即位『新ヤマト・出雲、邪馬台の三国志』(平成六年一月、新人物往来社より自費出版)の復刻版です。

作品情報

シリーズ
ヤマト・出雲・邪馬台の三国志
著者
レーベル
邪馬台三国志
出版社
邪馬台三国志
カテゴリ
文芸・小説
ページ概数
92
配信開始日
2021/6/10
対応端末
  • PCブラウザ
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シリーズ最新刊

文芸 ヤマト・出雲・邪馬台の三国志 上

著者: 高田康利

前四〜五世紀、揚子江流域の呉・越の海人たちが、北九州に渡来し米づくりを始めた。前三世紀頃、秦に滅ぼされた韓人らが朝鮮半島を経由し、北九州に移住した。この末裔たちが北九州に倭奴国(以後ヤマトと記す)を建て、短期間に東海地方まで支配し、各地に分国を建てて百余国を封建統治した。ヤマト分国の大倭国は畿内を統治し、北九州についで栄えた。西暦五七年、ヤマトの王クニノトコタチは、後漢の光武帝に使節を送り、倭国王と認められた。七代イザナキ治世の一八四年、大倭配下の三輪氏が反乱し、大倭王を担いで邪馬台国を建て、ヤマトに敵対する。ヤマトは出雲の天下分け目の決戦で大敗し、北九州を追われ南に逃れた。勝った邪馬台国は、東海から北九州までの国々を従え倭国の盟主となる。これが倭国大乱だその結果、イザナキは降伏し高千穂に遷った。一方、スサノオは出雲に乗り込みオロチの三輪族を平らげると、大御神の子の押穂耳に国を譲ると誓約し草那芸剣を高千穂に届ける。しかし、出雲土豪のオオナムチが次第に力をつけ、三輪氏に敵対した。その後もオオナムチの勢力が強まると、三輪氏と大御神が、オオナムチ征伐・押穂耳の倭王擁立で手を結び、オオナムチに国譲りを迫る。二神に忠誠を誓った彼は大物主の地位を与えられ、押穂耳の子の火明命を養子に授けられた。押穂耳が倭王を辞退しニニギに王位を譲ると申し出たため、タカミムスビと大御神がニニギに三種神器を授け、大倭に降臨させようとすると、三輪氏とオオナムチが火明擁立を決める。同じ頃、イザナキが崩御した。火明後見のため大御神の畿内遷座が決まると、猿田彦がニニギを先導して薩摩に送り届けた。その後、大御神は丹後の火明を伴い、大倭入りした。目次あらすじ〔渡来人と稲作〕 理想郷を目指して 日本に渡ってきた人たち 中国の石器時代 中国の神話時代 殷の時代 周の時代 春秋時代 戦国時代〔ヤマト建国〕 ヤマト建国 秦と漢 国と祀りごと 〔筑紫の都〕 王墓の時代 金印と初代天皇 北九州の王墓と都 〔倭国大乱と邪馬台〕 イザナキ時代 畿内の反乱 倭国大乱 ヤマトの南遷 天照大御神 邪馬台国 邪馬台国はどこか 伊都国 倭奴(ヤマト)国、奴国 分割された北九州〔東西の王朝〕 天照大御神とスサノオ命 スサノオのオロチ退治 オオナムチの国ゆずり ニニギの天降り 大御神の畿内遷座 纏向の都

価格

660(税込)

600円 (+消費税60円)

「ヤマト・出雲・邪馬台の三国志」シリーズ作品一覧(全2冊)

550円〜660(税込)

  • 文芸 ヤマト・出雲・邪馬台の三国志 下

    二二〇年代、大御神は纏向宮で即位し火明を太子に指名した。卑弥呼と呼ばれた彼女は、祝賀に参集した王に八咫鏡(三角縁神獣鏡)を授け、先祖祭紀を命じた。二三八年、卑弥呼は魏に使節を送り、金印・銅鏡百枚などを賜った。一方、ニニギは、邪馬台の従属を脱し、倭王位を奪おうと邪馬台に挑戦した。邪馬台内で内紛がおこり、大御神は豊スキ入姫と共に笠縫邑に避難した。その後、戦況が好転すると、大御神は火明に政務を委ね、倭姫と共に伊勢に遷り住むが、程なく崩御した。つぎに火明が倭王垂仁に立ち、抗争が再燃するが、豊スキ入姫を女王に立て鎮まった。同じ頃、南九州では、ニニギが崩御しホオリが王に立ち、兄弟国は和睦に向かった。ヤマトは貢物を納め、垂仁は皇子(ニギハヤヒ)を人質に送ることで合意した。二七〇年代中ごろ邪馬台の倭王に、南九州から帰国した景行(ニギハヤヒ)が立った。同じ頃、ホオリはニニギの遺志を果たすべく責物を中止した。景行は大軍を率い、熊曾征伐に向かったが、日向で囚われの身となった。二八〇年頃、ホオリは景行の日高見国征伐を条件に帰国を許したが、程なく他界し、イワレピコ(神武)が王に立った。彼は自ら倭王と名のり、東征準備を進めた。これを知った景行は、仲哀に熊曾征伐を命じた。二八三年頃、仲哀は橿日宮から熊曾征伐に撃って出た。神武も葬送用八咫鏡を大量に携え、東征軍を率いて日向を発った。二九〇年代末、神武が三輪氏を滅ぼすと、ニギハヤヒは宝器を差し出し降伏した。檀原の都が完成すると、三〇一年元旦、神武は即位式を行った。三〇四年、彼は鳥見山麓の斎場(桜井茶臼山古墳)で郊祭し、皇天二神を皇祖皇宗に奉った。目次〔倭女王 天照大御神〕 倭女王の即位 弟王の蛭子 天日槍 ニニギの西都 卑弥呼の朝貢 巨大化した銅鐸のいっせい放棄 海幸彦・山幸彦 大御神の権力移譲 伊勢遷座 卑弥呼の墓〔日本と日向の対立〕 垂仁天皇(火明) 景行の熊曾(襲) 征伐 倭王イワレビコ 仲哀の熊曾征伐〔神武東征〕 東征出発 北九州の奪還 神功の新羅征伐 イワレビコと神功のつながり 吉備の鬼国征伐 出雲征伐 三輪氏を討て〔大和朝廷のはじまり〕 橿原宮 ヤマトタケルの東北征伐 神武天皇即位『新ヤマト・出雲、邪馬台の三国志』(平成六年一月、新人物往来社より自費出版)の復刻版です。

    価格

    550(税込)

    500円 (+消費税50円)

  • 文芸 ヤマト・出雲・邪馬台の三国志 上

    前四〜五世紀、揚子江流域の呉・越の海人たちが、北九州に渡来し米づくりを始めた。前三世紀頃、秦に滅ぼされた韓人らが朝鮮半島を経由し、北九州に移住した。この末裔たちが北九州に倭奴国(以後ヤマトと記す)を建て、短期間に東海地方まで支配し、各地に分国を建てて百余国を封建統治した。ヤマト分国の大倭国は畿内を統治し、北九州についで栄えた。西暦五七年、ヤマトの王クニノトコタチは、後漢の光武帝に使節を送り、倭国王と認められた。七代イザナキ治世の一八四年、大倭配下の三輪氏が反乱し、大倭王を担いで邪馬台国を建て、ヤマトに敵対する。ヤマトは出雲の天下分け目の決戦で大敗し、北九州を追われ南に逃れた。勝った邪馬台国は、東海から北九州までの国々を従え倭国の盟主となる。これが倭国大乱だその結果、イザナキは降伏し高千穂に遷った。一方、スサノオは出雲に乗り込みオロチの三輪族を平らげると、大御神の子の押穂耳に国を譲ると誓約し草那芸剣を高千穂に届ける。しかし、出雲土豪のオオナムチが次第に力をつけ、三輪氏に敵対した。その後もオオナムチの勢力が強まると、三輪氏と大御神が、オオナムチ征伐・押穂耳の倭王擁立で手を結び、オオナムチに国譲りを迫る。二神に忠誠を誓った彼は大物主の地位を与えられ、押穂耳の子の火明命を養子に授けられた。押穂耳が倭王を辞退しニニギに王位を譲ると申し出たため、タカミムスビと大御神がニニギに三種神器を授け、大倭に降臨させようとすると、三輪氏とオオナムチが火明擁立を決める。同じ頃、イザナキが崩御した。火明後見のため大御神の畿内遷座が決まると、猿田彦がニニギを先導して薩摩に送り届けた。その後、大御神は丹後の火明を伴い、大倭入りした。目次あらすじ〔渡来人と稲作〕 理想郷を目指して 日本に渡ってきた人たち 中国の石器時代 中国の神話時代 殷の時代 周の時代 春秋時代 戦国時代〔ヤマト建国〕 ヤマト建国 秦と漢 国と祀りごと 〔筑紫の都〕 王墓の時代 金印と初代天皇 北九州の王墓と都 〔倭国大乱と邪馬台〕 イザナキ時代 畿内の反乱 倭国大乱 ヤマトの南遷 天照大御神 邪馬台国 邪馬台国はどこか 伊都国 倭奴(ヤマト)国、奴国 分割された北九州〔東西の王朝〕 天照大御神とスサノオ命 スサノオのオロチ退治 オオナムチの国ゆずり ニニギの天降り 大御神の畿内遷座 纏向の都

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    660(税込)

    600円 (+消費税60円)

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