大内義弘(1356年~1399年)南北朝時代の武将。父は大内弘世。九州探題今川了俊に従い、1371年(応安4)から九州出兵。1375年(永和元)再度九州に出兵し、1377年に了俊を救援、豊前守護となる。1380年(康暦2年)から翌年かけて家督をめぐって,弟満宏と戦うが、幕府の支持を得て勝利。1389年(康応元)将軍足利義満の厳島山系の際、一行を出迎えるとともに上洛する。以降在京が多くなる。1391年(明徳2)の明徳の乱の際には幕府方の勝利に導き、和泉・紀伊両国を守護に任じられる。1392年には南北両朝合体を成立させ、将軍の一族に準ずる旨の御内書を得る。了俊が1395年(応永2)に九州探題を解任されると、朝鮮との交渉の実権を握る。1397年和泉堺で挙兵し、幕府軍に攻められて敗死した。「応永の乱」。義弘の代には、安芸国の拠点として東西条も確保した。