蜂須賀小六〈正勝〉(1526年~1586年)戦国の武将。幼名小六、のちに彦右衛門尉。尾張国海東郡蜂須賀の土豪蜂須賀正利(1504年~1553年)の子に生まれる。美濃の斎藤道山、ついで尾張の織田信賢・信清に仕え、のちに信長に従い桶狭間の戦に参戦。1564年(永禄7)豊臣秀吉に従い美濃攻めに参加、墨俣築城に功を立てて以降秀吉に直臣として近江、越前、播磨、中国筋に転戦した。播磨龍野の城主として5万3000石を拝領。1582年(天正10)備中高松攻めに尽力した。山崎の戦い、賤が嶽の戦に功あり。秀吉より大阪在住料として5000石加増1585年。四国平定の功により阿波を与えられるが辞退し、子の家政にが代わって阿波国一国を封ぜられた。翌年、大坂の邸にて没する。