和田義盛(1147年~1213年)鎌倉前期の武将。相模国の三浦大介義明の孫で、椙本義宗の子。1180年(治承4)の源頼朝の挙兵を助け、侍所別当に任じられて、御家人統制にあたった。1184年(元暦元)平氏追討、1189年(文治5)奥州合戦に従軍、1190年(建久元)勲功賞として左衛門尉に任じられた。義盛は武勇に優れたが愚直で後に侍所所司梶原景時に別当の地位を奪われた。1199年(正治元)頼朝が没し、頼家は後を継ぐと、北条政子は頼家の訴訟親裁を停め、13人の合議制によることにしたが、義盛もその中に加えられた。同年、御家人らが梶原景時を排除した際、義盛はその中心になって景時を追放、別当の地位を奪回した。1203年(建仁3)頼家から北条時政追討を命じられたが、逆に時政に味方し、頼家を退けるのに貢献した。しかし北条氏との対立はしだいに強まり、1213年(建保元)北条義時に挑発され挙兵し、一族とともに滅ぼされた。